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荒れた境内に

三ノ宮卯之助
06 /03 2021
卯之助がらみで、伊東明先生の話を続けます。

先生が卯之助を知ったのは、
「江東区史」掲載の「江戸力持番付」からだった。

そこに西方関脇として三ノ宮卯之助の名が載っていて、
その「三ノ宮」が強く印象に残ったものの、
この人物のことも、三ノ宮がどこなのかもわからなかった。

しかし間もなく、
淡路島のスポーツ研究家の田尾栄一氏と神戸商船大学(現・神戸大学)の
岸井守一教授から興行引き札を紹介され、そこに描かれた絵から、

卯之助は江戸と大阪を往来して力持興行をする、
半職業的な力持力士であることを知った。

卯之助の興行引き札「江戸の花 大力持三ノ宮卯之助」です。

img20210530_11533176 (3)
神戸大学図書館・海事科学分館所蔵

そして東京オリンピックの前年(昭和38年=1964)に、
長野県諏訪市の遺跡史料収集で知り合った郷土史家・中村龍雄氏から、
決定的な知らせを受けた。

「諏訪神社境内より力石発掘できました。
奉納者の名と貫数が彫られています。
石は下諏訪秋宮宝物館前に飾りました」

諏訪の石にはこうあった。

「武州岩槻 三ノ宮住人 卯之助」

ここから先生の行動は素早かった。
以下は上智大学紀要に書き残した発見のときの様子です。

「(埼玉県)岩槻の地図から三野宮を探し出し、
三ノ宮は三野宮であろうと推理して、現地を踏査することにした」

「東武伊勢崎線 大袋駅下車。水田の中の細流に沿って、
木立の中の三野宮集落に入る。
小曽川に近い三野宮香取神社境内へ」

「荒れた境内の本殿左側に「大盤石」が立ててあり、
広場隅に放置されたままの「三王石」「指石」
集会所の車止めに「白龍石」が使ってあった」

「この4個の石すべてに「三ノ宮卯之助」の切付けがあるのを確認した」

ところが地元郷土史家の高崎力氏が、のちにここを訪れたときには、
3個しか見当たらなかったという。

この「3個」が、長い間、定着。

それに疑問を持った斎藤氏が、2005年5月に、
「大磐石」近くの土の中から、行方不明だった4個目の石を発見。

こちらが、掘り起こされた直後の4個目の力石「指石」です。

卯之助指石
埼玉県越谷市・三野宮香取神社

ここの4個目の石といい、瓦曽根の「卯之助・久蔵」の石といい、
みんな「よそ者」の手による発見です。

伊東先生や斎藤氏の地道な調査が光ります。

それから8年後の2013年、この4個の石は、
高崎力氏のご尽力で、越谷市有形文化財になります。

右から「白龍石」(約200㎏)、「大盤石」(約520㎏)、
「三王石」(約170㎏)、「指石」(約110㎏)です。
IMG_2338.jpg

写真を見て、「なんだこんな小さいのか」と思われるかもしれませんが、

実はこんなに大きいんです。

文化財になったときの新聞記事です。
20150909112829cae_20210530041928af1.jpg
朝日新聞 2013年5月1日

2018年、この石はテレビでも紹介されました。

竹下景子さんが出ています。

DSCF9307.jpg
NHKBS 埼玉発地域ドラマ「越谷サイコー」

一度は忘れられた力石ですが、見事に復活です。

伊東先生が訪れたときは、
荒れた境内に放置されたり、車止めに使われていたのに、

今では文化財です。

卯之助、あの世とやらで、

「このオレの石がかい?」と、びっくりしているかも。


ーーーーー

おなじみにへいへいさん
NHK BS、2018年放送の「越谷サイコー」をブログにアップされていました。

より詳しく紹介していますので、ぜひ、ご覧ください。

「越谷サイコー 卯之助サイコー」


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高島先生ブログ(6月3日)

「兵庫県養父市大屋町山路・郷蔵」


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞