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私の日常

「重箱の隅」の途中ですが、ちょっとひと息。

これ、息子のお嫁さんから届いた母の日のプレゼントです。

食べられる本物のお花を載せたサブレ(京都・木津川製)とバラの紅茶。
孤独なおこもり暮らしに花が咲きました。

CIMG5605 (3)

こちらは3月に撮った写真です。

散歩の途中、農家さんの庭で見つけました。
手製の孟宗竹の鉢。

花電車!

門柱から奥へ延びています。素敵な心遣いです。

CIMG5575.jpg

いちごのビニールハウスにつけられた受粉用の蜂の巣箱です。

何も変わらないように見える田舎ですが、
季節季節で、様々な風物を見せてくれます。

そこに人の優しさや知恵があって、そっと物語をつむいでくれています。

CIMG5541.jpg

連休になりました。

どこにも行けないので畑にテントをはり、テーブルを持ち出して、
みんなでお茶を楽しんでいました。

ここにはゆったりとした時間の流れがあります。

本当の贅沢って、こういうことかも。

CIMG5597 (2)

天候が不順で、寒くなったり暑かったり。

そんな中を毎日、散歩に出かけます。

今日は暑い日で、汗びっしょり。
帰路、いつもの農協いちばへ立ち寄ったら、スイカが…。

「熊本産」とあります。

喉も乾いているし、食べたい!

そこで店員さんに「甘いですか?」と、バカな質問をしてしまいました。
店員さん、笑いながら当然こう言いました。

「甘いです」

CIMG5610 (2)

家に帰って早速、いただいたら、甘かった!

翌日は寒い日になって、スイカに手が伸びません。

やっぱりスイカは暑い日がお似合いですね。


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(5月18日)

「福井県あわら市布目・龍宮神社」


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消えた卯之助石④

地面に這いつくばって見つけた
「文政十二己丑歳」「瓦曽根」の文字。

どうやらこの石は裏返しになっているようだ。

でもこれが探していた「卯之助石」だとすると、
地名の「瓦曽根」が二カ所になってしまう。

ひっくり返してみたい衝動に駆られるものの、どうしようもない。

そう思いつつ、もう一度上から見た。

一見、何の変哲もない石です。でもよく見ると、妙な痕跡が…。

img20210510_17010816 (6)
埼玉県越谷市瓦曽根・最勝院跡地(現・照蓮院)

石に傷のようなものがついている。
その傷の中に、「納」という文字が見えた。

たぶん、「奉納」と刻まれていたに違いない。
それが無残にも、削りとられているではないか。

移転工事や風化でこんなことになったとは思えない。
どう見ても人為的だ。

一体だれが、何のために。

img20210510_17010816 (5)

拡大したのがこちら。

はっきり、奉納の「納」の文字が確認できます。

さらにその右下に、文字らしきものを発見。

「鈴宇志」と判読。人名か?

人名だとしても、この刻字、
「刻まれた時期がどう見ても新しいんですよ」と斎藤氏。

img20210510_17010816 (10)

つまり、とても江戸時代の刻字とは思えないというのです。

仮に、この「鈴宇志」の刻字が「文政十二年」に刻まれたものだとしても、
年号だけが反対側に彫られているなんてあり得ません。

書体はどうでしょうか。

下の文字と見比べてみてみなさまには、どう見えるでしょうか。

img20210510_17001854 (7)

また、「鈴宇志」って、変わってますよね。

地名では、静岡県浜松市三ヶ日町に「宇志」があります。
また徳島県鳴門市には、「宇志」という神さまを祀った神社があるとか。

人名だったら、「宇志」は、うし、たかし、たかゆきと読むのだそうです。

「鈴」は「鈴木」の略でしょうか。

のちの人がこの石を担いで、
誰かの石の裏側に自分の名前を追記したとも考えられますが、

ならば堂々と表に追記すればいいのに。

なんでしょうね、この「奉納 鈴宇志」

なぜ、「奉納」を削られてしまったのでしょう。
悪意があってのことでしょうか。

謎は深まるばかり。


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(5月16日)

「埼玉県桶川市加納・氷川八幡宮」


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消えた卯之助石③

ーーーお願い

最後に書き添えてありますので、ご覧ください。


     ーーーーー◇ーーーーー


「須賀初五郎」の3個の石の前で、ゴロンと横たわっている石は、
果たして行方不明卯之助石だろうか。

と、気を持たせつつ、検証していきます。

斎藤氏は2006年、この場所を訪れた際、この石に注目。

もしかしたら、これこそみんなが探している「卯之助石」ではないか。
ひょっとしたら、寺の解体の折、裏返しになったのではないか。

そういう推論のもと、
フェンスの外から調査開始。

謎の石です。
上から見るとこんな感じ。うーん、何もありませんねぇ。

img20210510_16593529 (3)
埼玉県越谷市瓦曽根・最勝院観音堂跡地(現・照蓮院駐車場)

ならば横からというわけで、
地面に這いつくばって見たのがこちら。

這いつくばって…。(*^_^*)

この様子をみた人は、さぞ肝を潰したことでしょうね。

でもその甲斐あって見つけました。

おお! なんと文字があるではないですか。(赤線の部分)

img20210510_17010816 (4)

それにしても妙な位置に彫られていると思いつつ読み込んでみたら、
端正な文字で、

「文政十二己丑歳」

卯之助と久蔵が行動を共にしたのは、
文政12年から天保4年の4年間とされているから、

まさに、ぴったしカンカン。

img20210510_17001854 (7)

さらに目を凝らしてみると、その横に、

「瓦曽根」の文字が…。

img20210510_17010816 (7)

わかりやすく縦に拡大しました。

img20210510_17010816 (9)

立派な書体です。

「これこそ行方不明とされている卯之助と久蔵の力石に違いない」

してやったり! 自然に笑みがこぼれたものの、

だが待てよ、
伊東先生のスケッチには、「文政十二己丑歳 瓦曽根」の文字はない

記録にあるのは、これだけ。

「奉納 七十メ余  
三ノ宮卯之助 江戸 本郷久蔵 瓦曽根 若者中」


img20210507_09012945 (2)

「この年号、石の表でもなく裏でもない横っちょの妙な場所にあるから、
伊東先生はこの文字を見逃したのではないだろうか」

なんとか突き止めたくて、あれこれ思案。

地面に隠れた石の裏側を見てみたいという衝動に駆られるも、
石はフェンスの向こう側で、ドデーンと動きません。

しばらく石を眺めていた斎藤氏、

今度は、石の表面に「文政十二」とは異なる文字と、
なんとも言い難い奇妙な痕跡を見つけたのであります。


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(5月9日)

「静岡県沼津市内浦重須・老人集いの家」

本日は5日前の記事です。
せっかく私メの歌を取り上げてくださっているので…。


ーーーーお願いーーーーー

昨日、PC更新中、不具合が生じて、
ニュースやみなさまのブログ、私のブログなど
全部、画面が縮小に表示されるようになってしまいました。

もしこのブログが見にくかったらお手数ですが、

画面右上の「・・・」をクリック。下段に「ズーム」という項目がでてきて。
「-」「100%」「+」と出てきますので、「+」をクリックして
見やすい大きさに調節していただけるとありがたいです。


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消えた卯之助石②

フェンスに囲まれているのは、廃寺跡に保存された石造物群です。

保存というより、閉じ込められて窮屈そうに見えますが、
散逸はまぬがれますね。

ただそばへ寄って調査できない、それが難点です。

かつて栄えた寺院が消滅するって、寂しいものですね。

観音堂跡地2
埼玉県越谷市瓦曽根・最勝院跡地(現・照蓮院駐車場)

下の写真は、15年前の2006年当時のここの力石です。

「さし石」の文字がはっきりしていますので、まだ風化は進んでいません。

というのは、4個のうちの3個は「明治27年奉納」という、
比較的新しい力石だからだと思います。

2006年のころ。
img20210510_17001854 (4)

もう一枚お見せします。

手前の石は4個目の石です。

これがまた謎めいた力石ですが、これは次回に書きます。

img20210510_17010816 (3)

で、この時から15年後の今年の姿がこちら。

みんなそろってヨロヨロ。

後ろの青面金剛像も傾いています。

保存というのは、ただ、しまっておけばいいのではないですね。
人々に見てもらい触ってもらってこそ、「生きる」ような気がします。

2021年撮影
img20210510_17015823 (3)

さて、「さし石」と書かれたこの3個の石、

「須賀初五郎」の名と「明治27年9月」の年月が刻まれていますが、
書体、人物、奉納年、すべて同じです。

石の貫目が18貫と小振りなのが気になります。

この人の石は同じ越谷市東大沢の香取神社にもあると、
「力石に挑んだ男達」(高島愼助 岩田書院 2009)に出ていますが、

うーん、そうかなぁと、私の猜疑心がむくむく。
同一人物とするには根拠が薄いのではないですか?

第一、「初五郎」は同じでも、名字(または村名)が「須賀」「清水」で違います。
※かつて「須賀村」が存在。

また、居住地の違いもあります。

「清水」の奉納先の香取神社所在地が「東大沢鷺後(さぎしろ)」で、
石に「當所 初五郎」「清水初五郎」とありますから、ここ出身。

「須賀初五郎」はかつてあった「須賀村」を名乗った可能性もありますが、
明治も後半になると本名を記すことが多くなるので、その可能性も。

奉納年はというと、
「清水初五郎」は、弘化4年(1847)と嘉永4年(1851)で、
三ノ宮卯之助と同時代の人です。

一方の「須賀初五郎」は明治27年(1894)で、
先の「初五郎」とは、47年もの開きがあります。

へいへい4
越谷市中央市民会館の卯之助顕彰碑

香取神社に40貫と50貫の石を残した清水初五郎、
仮に弘化4年の時、二十歳とすれば明治27年には67歳。

担げないこともないでしょうが、

かつて40貫、50貫を担いだ力士が老いたとはいえ、
18貫を石に刻んで奉納するなんて、プライドが許さないでしょう。

それにこの二人の石の刻字は、書体や形式が違いすぎる。

これは別人だと思った私、恐れ多くも師匠の高島先生へ、
「別人ではないか」との質問状を差し上げました。

こちらがそのお返事。

間違いだったかも。
香取神社の2個は「清水初五良(郎)」で、
最勝寺跡の3個は「須賀初五郎」とすべきだったかもしれません」

おお! 先生、正直でよろしい(笑)

ウフフとほくそ笑んだところで、次回はいよいよ、
3個の「初五郎石」の前に寝そべっている「謎」の石に迫ります。

これが果たして、消えた卯之助石となるか、お楽しみに!


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(5月12日)

「大阪府箕面市粟生間谷東・路傍」


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消えた卯之助石①

今回の「重箱の隅」は次々回につつくことにして、

その前に、
疑問に思ったコレを展開していきます。

江戸の力持ち「小島久蔵取り上げ過ぎ」じゃないの?

碑面という限られたスペースに、「小島久蔵」は3項目も出てきます。

そのせいか、もっと大事なことが落ちてしまっています。
これはのちのちお伝えします。

さて、碑に3度も登場する「小島久蔵」の一つ目は、

越谷市瓦曽根(かわらぞね)の最勝院・観音堂で、
江戸本郷の久蔵と卯之助が、70貫余の力石を持ったこと。

ただし、「七十メ余」と刻まれたこの石は、現在、行方不明

今、その石を見ることができるのは、
元・上智大学の伊東明先生のスケッチのみという状況です。

img20210507_09012945 (2)

往時の最勝院の様子が、
昭和59年(1984)の「広報 こしがや」元旦号に出ていました。

「江戸時代の瓦曽根は船運の要衝の地で、船頭が多く住んでいた。
正月には瓦曽根河岸の船持仲間がこの寺に集まって、
船中安全祈願をするのが習わしだった」

当時の寺の繁栄が目に浮かぶようです。

しかし相撲や力持ち奉納でにぎわったこの寺も、
流通形態が船運から陸上運送に変わったことで衰退。

昭和30年代まで存続していたものの、その後廃寺の憂き目に。

跡地は、現在、
本寺の照蓮院(真言宗・豊山派)の駐車場になっています。

その駐車場の片隅に、
最勝院にあった石造物が集められて保存されています。

この中(赤丸)に、卯之助石以外の力石も入っています。

観音堂跡地1
埼玉県越谷市瓦曽根1-5-43

伊東先生がここを訪れたのは、平成2年(1990)のこと。
翌年の平成3年に寺は解体されたそうですから、危ういところでした。

で、解体と同時に卯之助石が行方不明になった、
というのですから、
このスケッチがなければ、石の存在は世に知られなかった。

今となっては、貴重な一枚となりました。

しかし、です。

70貫余(263㎏)もある石なんて、重機がなければとても運べません。
不思議なことに、ほかの力石4個は残っているというのです。

肝心の卯之助石だけがなくなったなんて、おかしくないですか?

だって、当時すでに有名になっていた卯之助の刻字石ですよ。
イの一番に保存すべきじゃないですか。

今度、碑の監修をした地元の郷土研究会のみなさんは、
これを黙って見ていたのでしょうか。

この会を率いていた卯之助研究者の高崎力氏は、

一体、何をしていたんでしょう(怒)

言いたかないけど、

埋もれた力石を救い出そうとうろついては不審者に見られ、
所有者の迷惑顔に、何度も頭を下げて保存のお願いに奔走する者にとって、

そうも言いたくなります。

へいへいさん
越谷市中央市民会館・卯之助顕彰碑の一部。

以前大阪で、地蔵堂を壊した折に、
立派な刻字石がこっそり四国へ持ち去られた例があった。

しかも2個も。

こちらは、そのことをとりあげた4年前のブログ記事です。

「尋ね石の時間です③」

此花区西九条・地蔵堂2 (6) 石左志 (2)

石には、時代背景や歴史、持った人たちの土地への愛着や、
奉納した寺社への熱い思いが込められていますから、

見知らぬ土地へ運んで庭石なんかにされたら、
力持ち力士の面目丸つぶれです。

それに、
きちんとした来歴を書き残さない限り、誤った歴史を後世に伝えかねない。

そうならないためにも、


おーい、「七十メ余」の卯之助石よォー、
そろそろ出ておいでー!


とまあ、吠えたついでに、気になったことを一つ。

「所在不明の石」を碑面に取り上げる場合、
それを記すべきか記さないでおくか、という問題です。

私はこう思います。

この卯之助石みたいに現存しない力石には、
「所在不明」と書き添える方がいい、と。

ついでにもう一つ、

越谷市郷土研究会の歴史探訪のネット公開記事中、
この最勝院の読み方を、わざわざ括弧つきで「けいしょういん」としていたので、
半信半疑ながら信じちゃいましたが、

念のため、本寺の照蓮院のご住職にお聞きしたら、
やっぱり、「さいしょういん」でした。

喝!


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(5月10日)

「埼玉県さいたま市南区関・神明神社」


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神社名の迷走

今も絶大な人気を誇る三ノ宮卯之助
といっても、知らない人には、レレレ?なんですが、

それはともかく、その顕彰碑が越谷市の市民会館の庭に建った。

さて、ここから重箱の隅をつつきまくります(笑)

「せっかくの慶事にケチつけるのかい」と、お叱りを受けそうですが、
はい、そうなんです。

碑面です。
へいへい3 (2)
へいへいさん撮影の写真を一部カットして、拡大させていただきました。

卯之助の年譜が刻まれています。

重箱の隅その1 「諏訪神社」

「文政8年(1825)正月 卯之助(18歳)
  肥田文八と久喜市太田袋の諏訪神社で力石五十貫を持つ」

碑面には、こう刻まれていますが、
本当に「諏訪神社」でよかったのかなぁ、ということなんです。

この「諏訪神社」はややこしいんです。

資料によって、
「諏訪神社」になっていたり、「琴平神社」と書いてあったり。

こちらは「久喜の力石」(2001年発行)の表紙の一部です。
表紙の力石は「卯之助石」です。

これには「諏訪神社」と表記されています。

img20210505_19381069 (2)
「久喜歴史探し隊」より

ところが2004年の「三ノ宮卯之助の力石(2)」(高島愼助、高崎力)では、

「最近までは諏訪神社と呼ばれていたが」とした上で、「琴平神社」を採用。
別の個所では、「諏訪神社(現・琴平神社)」としている。

こちらが問題の神社です。奥に力石が見えます。

太田袋1
埼玉県久喜市太田袋

力石の説明板です。

これには、「琴平神社」と記されています。

太田袋2

久喜市役所では「琴平神社」、ネット上でも圧倒的に「琴平神社」です。

ではなぜ碑文に、「諏訪神社」としたのか。
碑建立の関係者にお聞きしたら、こんな答えが…。

「埼玉県神社庁の資料では諏訪神社となっていたので」

確かに。

でも地図によって表記が、「琴平」だったり、「諏訪」だったりで、
外部からきた人は迷う。

そもそも、神社名の迷走の原因はどこにあったかというと、

昔、諏訪神社は太田袋村の鎮守で、今とは違う場所にあった。
それが明治43年、村の中央にあった琴平神社境内に遷座。
元からあった琴平神社と浅間神社を合祀して、
以来、諏訪神社を名乗るようになったとか。

前述の「久喜の力石」でも、こう説明しています。

「今の諏訪神社は昔は金毘羅神社といい、近隣の村々から崇敬され、
祭りも大変な賑わいだったそうです」

軒先を貸して母屋を取られた?

現・琴平神社の力石群です。

画像 002

近年、「諏訪」からもとの「琴平」に戻った。でもその経緯はわかりません。

ですが、たとえこれが通称であれ、
碑面は「琴平神社」にするべきだったと私は思います。

理由は、
この力石に刻まれた三ノ宮卯之助と肥田文八が担いだ場所は、
諏訪神社になる前の琴平神社だったからです。

そして、この石に刻まれているもう一人、「當所 高橋繁蔵」は、
琴平神社の文政13年の棟札にある「大工繁蔵」と同一人物とされていて、
琴平神社とは深い関係にあるのだから。

この神社のそばには川が流れ、船運が盛んだったという。
神社に残された力石は、船着き場の荷揚げの男たちが用いたもののはず。

男たちは誉れの石を、信奉していたこの神社に奉納したはず。

だからこそ、ここの卯之助石を語るのなら、

「諏訪神社」ではなく、「琴平神社」にしなければいけなかった、
あるいは「琴平神社(諏訪神社)」とすべきだったと、

私は強調したいのです。


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(5月8日)

「埼玉県春日部市牛嶋・女体神社」


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至福のひととき

三ノ宮卯之助の力石6個が、
越谷市の指定文化財になったのが7年前の2014年。

高島先生の力石講演会が開かれたのは、それを記念してのことでした。

講演会終了後、私は酒井、斎藤両氏のご案内で卯之助石見学です。

まずは文化財になった6個のうちの一つがある久伊豆神社へ。

CIMG1089.jpg
埼玉県越谷市・久伊豆神社

こちらが卯之助石です。

なんと台座に載せられてしめ縄まで掛けられていました。

この神社は祭りの初めに、
まずこの卯之助石の前で祝詞を奏上するというのですから
もう神さま扱いです。

CIMG1091 (2)

この日、ご案内くださったお一人、酒井 正氏のスケッチです。

img20210504_10080114 (3)

斎藤氏も一句。

   珍しや高みの石に注連飾り

刻字です。

「奉納 五十貫目 天保二辛卯年四月吉日
三ノ宮卯之助 之持 本町 會田権四郎

世話人としてこの石を奉納した「本町 會田権四郎」は、
当時の地元有力者です。

このあたりは紅花の産地でしたから、紅花の豪商だったのかも。

CIMG1092 (2)
78×65×32㎝。50貫は約180余㎏

この神社で、もう一つ見せていただきました。

卯之助石ではありませんが、2006年に斎藤氏が発見した石です。

「奉納 二拾貫余 文政九戌九月吉日 新町 栄蔵

20貫目とはちょいと軽い感じですが、栄蔵さん、嬉しかったんでしょうね。

卯之助この時、19歳
力持ちとして頭角を現わしてきたころで、三橋卯之助と名乗っていたそうです。

「栄蔵石」です。
CIMG1095.jpg

この日お二人から、久伊豆神社の卯之助石に「會田」と刻んだ豪商の名を、
もう一つ見せていただきました。

これです。

ただし、「會田□兵衛」「會田庄右衛門」となっています。
會田一門でしょうか。

この石は、久伊豆神社の卯之助石奉納から21年後のもので、
持ったのは卯之助ではありませんが、石工の名が「卯之助」

ややこしい。

CIMG1096.jpg

で、どこにあったかというと、ここです。

向かって左が酒井氏、右が斎藤氏。
CIMG1098 (3)

道端にゴロン

一応ここは、八幡神社です。

こんなに無造作に転がっているなんて、
埼玉という所は本当に力石王国です。

力石探しは孤独な調査です。

だからこんなふうにご一緒させていただくなんて夢のよう。

あとにも先にもこれ一度きりの経験となりました。


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(5月6日)

「岡山県倉敷市児島由加・蓮台寺」


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石は黙ってものを言ふ

やりましたねぇ、斎藤さん。

久々の新発見。
持ち前のド根性で、菅原天神社での汚名返上です。

「三ノ宮卯之助」の途中ですが、斎藤氏のこの快挙をお伝えします。

発見場所は、埼玉県白岡市の稲荷神社。

この日、ポタリングでここを通りかかった斎藤氏、
偶然、力石を発見。しかも2個も。

720個目の新発見です!

斎藤新発見1
埼玉県白岡市千駄野814・稲荷神社

「実は2007年11月に、ここで1個発見しているんです。
それでもうないだろうと思っていたのに。

うっすらと刻字が見えて。あ、力石だ! と。
当時、見逃したのだろうか。それともその後にどこからか移動してきたのか」

判読に苦労したが、どうにか読めた。

「宝永四丁□□ □□□□□目」

宝永四年は今から314年も前です。
この年、富士山が大爆発。宝永山ができた。

314年も前にこの石は、村の若者たちと共にいたんですねぇ。

斎藤新発見3
58×34×29㎝

もう一つはこちら。

かなり傷だらけですが、わざわざここに置いたということは、
「これは力石だ」との言い伝えが残っていたからでしょう。

不思議ですね。

どこから見ても価値のない石だけれど、
昔、これを担いだ若者たちのがそうさせるのか、

今もこうして捨てられずに居座っている。

斎藤新発見4
57×25×20㎝

こちらは2007年に発見した力石です。

「当時は隣りの千駄野自治会館の裏に、半ば埋没していたんです。
それが神社の脇に移動していました。

住所も当時は南埼玉郡白岡町千駄野だったのが、
今は、白岡市千駄野。

あれから14年。時の流れを感じます」と斎藤氏。

斎藤新発見5
62×40×15余㎝


   
   

         杵淵彦太郎氏に
              君、石を愛し給えば、


    石は黙ってものを言ふ
   直に心にものを言ふ

   雨には濡れて日に乾き
   石は百年易(かわ)らない

   流れる水にさからって
   石は千年動かない



                堀口大学「人間の歌」


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(5月4日)

「兵庫県豊岡市出石町口・小野地蔵堂」


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播州・力持ち神事

越谷市へ伺った翌年、私は2度目の訪問となる姫路市へ。

目的は、大津区の「天満力持ち神事」の見学と、
網干区の魚吹(うすき)八幡神社にある卯之助像を見に。

そしてもう一つ、浪速の長州力さんと岐阜の大江誉志さんが
ここで石を担ぐというので、これはもう、しっかり見ておかねば、と。

初対面のお二人でしたが、すぐ打ち解けました。
大江さんは奥様とご一緒。愛犬さくらちゃんも同行です。

期待以上の素晴らしい一日となりました。

なんだか過去を振り返る話ばかりになりましたねぇ。
やっぱり年かなぁ。

でもまあ、ばあばの昔話と思って、聞いてください。

「天満力持ち神事」(姫路市無形文化財)です。
蛭子神社と神明神社の両方で行います。写真は蛭子神社です。

天満の若者が「男になる日」です。

CIMG2567_20210427193641897.jpg

「播州秋祭り」の真っ最中。

この神事もその一つで、境内になだれ込んだ神輿が次々去った後、
社殿の前に土俵を描いて、そこで行われました。

土地の者以外はこの土俵へは入れないという厳しい掟があるため、
浪速さんと大江さんは誰もいなくなった境内で挑戦。

この日、大江さんは二つの神社で、
昭和10年以来、誰も担げなかった「上がらずの石」を見事に肩にのせました。

神明神社で122㎏、蛭子神社で137.5㎏、
もう一か所で同等の石の計3個を挙げています。

重さはもちろん、石の大きさを見てください。
現在大江さんは引退。

もうこのように美しく石を持つ人は出てこないだろうと私は思っています。

まさに、「現代の三ノ宮卯之助」
名を刻んで、どこかに残せないものだろうか。

CIMG2637.jpg

翌日私は、網干区へ。

早朝の魚吹八幡神社で、念願の卯之助像と対面。

卯之助は48歳でこの世を去る10年ほど前から、
力持ち興行の旅に明け暮れていました。

天保11年(1840)、魚吹八幡神社の氏子・網干廻船の船仲間の招きで、
ここで力持ち興行を開いた。

この像は、
卯之助の偉業と土地の歴史を後世に伝えるため、平成18年に建立。

20150524084057cf2_202104272110172da.jpg
兵庫県姫路市網干区・魚吹八幡神社

さて、そうこうしているうちに、外が騒がしくなりました。

各地区の神輿が御旅所へ巡行する途中、
みんなこの神社の前で神輿を高々放りあげてご挨拶です。

老いも、

CIMG2675 (2)

やんちゃも、

CIMG2683_2021042721215344d.jpg

坊やも、

CIMG2718 (2)

嬢ちゃんも、

CIMG2730_20210427213010514.jpg


ヨーイヤサー チョーサー!


CIMG2676 (3)


ーーーーーこむら返りその後ーーーーー

こむら返りが完全に消えたわけではない。ただ、かなり軽減してきた。

ミネラル不足もあるのだろうけど、問題は腰。
10代の頃の腰椎麻酔の失敗、その後の交通事故で腰はかなり痛めた。

加えて左足がリンパ浮腫という病気になって、
常時、片方だけ医療用の圧迫ストッキングを着用。
ロボット状の足と生身の足で歩くからバランスが取りにくく腰に負担がかかる。

そんな私の歩き方が気になるのか、
「威張って歩いているから、すぐわかる」
と親しくもないご近所さんから会うたびに言われて、暗い気持ちに。

文章でははっきりモノが言えるのに、対人ではとっさに言葉が出ず、
いつもあいまいな笑いでその場から逃げてしまう。
そのくせ、家に帰ると猛烈な自己嫌悪にさいなまれる。

バカだね、私って。

      ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(5月1日)

「埼玉県朝霞市下内間木・氷川神社」


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雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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