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若者連と力石

久々に明るいニュースをいただきました。

へいへいさんがブログでご紹介してくださった
「4月11日にイッテQに力石登場」です。

以前、「獅子舞王国・南砺物語⑥」で、動画でご紹介した
富山県入善町の「磐もち大会」を、日テレで放送してくださったそうです。

へいへいさんのブログの最後あたりにある
「4月11日の「イッテQ」をクリック。「最新話無料」で見られます。

是非、ご覧ください。

ーーーーー

「ちい公のドキュメントな日々」のちい公さんが、記事を載せてくださいました。

「力石 盤持ち大会」

へいへいさんの記事を見て、嬉しさのあまりお知らせしたら、早速。
お電話も頂戴して、このところ落ち込んでいて体調不良でしたが、
元気を取り戻しました(^-^)/

    
ーーーーー本文はここからですーーーーー

埼玉の博物館に展示中の石の説明はこうなっています。

「個人蔵」と匿名になっていて、

「若き栄一が藍の行商先である信州の紺屋を訪れた際、
染料にするための藍を敲く石を軽々持ち上げたという逸話が
同家に伝わり、以来「渋沢栄一の力石」と呼ばれている。

重量103㎏  初公開」

へいへいさんのブログ「栄一の力石」に、
同博物館のTwitterが出ていますので、ご覧ください。

説明では、あくまでも石の所有者の話であるとし、
資料的裏付けは示されてはおりません。

言い伝えもまた、貴重な歴史の証言ではありますが、
でもこれだけは、はっきりしておきたいのです。

2年前、私が上田市に伝えた文書についてです。

それは、「伝記資料」の中に出てくる「上田郷友会」の月報(昭和13年)で、
著者は当時、上田市の助役だった柴崎新一氏です。

「神畑の伝うるところによれば、旧幕時代には、
村々に若者連の集まる場所に、力試しをする力石と称するものがあって、
今日、なお処々に残されておるものがある。

翁、青年の際、お得意まわりに来られ、村の若者連に参加し、
この力石を試みたが、群を抜き、若者連一人として、
翁に及ぶ者がなかったという」

ーーーーー

ここに出てきた「若者連」について。

下の写真は厳しい掟で知られた伊豆の「若者組」です。(1954年)

写真は、祭りの会場へ人形三番叟を演じるため出かけるところです。
ちょうちん持ちの後ろは組の頭役、その後ろを中老、小若い衆が続く。

組への入会試験は、揺れる船の鞆先で力石を担がせて決めたそうです。

img389.jpg
「日本民俗写真大系・東海道と黒潮の道」「漁村の暮らし・芳賀日出男」
日本図書センター 1999

かつての若者たちの組織、「若者連」「若い衆組」「若者組」は、
山や漁獲などの財産を持った自治組織で、祭り、消防、病人の搬送、
災害救助など、村にはなくてはならない存在でした。

新参の若者は16歳ごろになると親元を離れて、若者宿で先輩から
社会常識や行儀作法、仕事などをみっちり仕込まれました。

それだけに掟も厳しかった。

よそものの不法行為には一致団結して抵抗し排除しました。

力石の力くらべにも、組の威信をかけて真剣勝負したはずで、
時には刃傷沙汰になったり、力石を巡っての争奪もあって、
当地には奉行が出した禁止令が残っています。

力石を語るときは、そのあたりの時代背景も考慮する必要があります。

ーーーーー

で、この月報に出てくるのは、
「神畑村の若者たちが集まる場所で、渋沢青年がみんなと石担ぎに興じた」
という話だけなんです。

そして当時、若者たちが集まった場所は、主に神社や若者の集会所で、
そこに石は置かれていました。

個人宅に残されているのは、たいてい個人の練習用の石です。

下は、青年時代、練習用に使っていた力石とご本人です。(ご自宅にて)
力くらべに使った力石は、現在も昔の青年集会所の庭にあります。

CIMG0536 (3)
静岡県

博物館の説明に出てくる「藍の敲き石」のような、
日常使う貴重な道具類はどうだったのでしょうか。

石は担ぎ上げた後、地面に勢いよく投げ落としますから、
割れてしまったら大変です。

紺屋さんを廃業したあとに力石に転用されたのなら理解できますが、
使用中の道具は使わなかったのでは、と個人的には思うのです。

また力石は村の若者たちの共有財産で、神聖なものとされていましたから、
ヨソモノがうっかり触れたり腰かけでもしたら、制裁されました。

ましてまだ10代の、若者組でいえば新参者の若造が、
巨石を軽々持ったという英雄伝説に出てくる弁慶や福島正則を真似て、
お得意様の大事な商売道具を力石代わりに担いで見せた、

なんて、当時の状況からしたら制裁に値する所業で、
また、若輩とはいえ、
礼節を重んじた渋沢がそんな無礼を働いたとは信じがたいのです。

ですが、これらはあくまでも私の推測であって、
展示品を否定するものではありません。

力石がどれだけ特別扱いされていたかの例を示します。

ーーーーー

こちらは愛知県西尾市一色町・若一神社の力石です。

img20210409_17181499 (2)

同町出身の高須新助は江戸で力試しで名をあげ、
それが各大名家の耳に入った。ついに上様の御前で力石を挙げ、
御用達しの力士になります。

そのとき褒美にいただいた石が、この5個の力石です。
それを故郷のこの神社に奉納。寛政六年(1794)のことでした。

こちらは、力石につけた書状です。
ともに西尾市の指定文化財になっています。

img20210409_16465373 (2)
「愛知の力石」高島愼助 岩田書院 2014

ーーーーー

話を戻します。

もう一つ重要なのは、「上田郷友会」の月報が書かれた時期です。

書かれたのは、渋沢青年が神畑を訪れてから82年後の昭和13年で、
すでに、人々の記憶も定かではなくなっていたということ。

静岡県では、地域によっては昭和50年代まで力くらべが行われていて、
平成25年に調査に入った某地区では、石も経験者も存在していました。

ですが上田市神畑では、昭和13年のこの時点で、
力石はすでに過去のものになっていたし、
それを裏付けるように、今日に至るまで上田市での力石の確認はゼロ。

それが、2年前、私が上田市に問い合わせたことで、
突然、「渋沢栄一の力石」が現れた。

だったらこんな名誉な事をなぜ、

昭和13年の「上田郷友会」月報に書いてないのか。
2010年発行の「神畑村誌」に取りあげなかったのか。
2004年、2010年、2014年の高島先生の調査時に出さなかったのか。
そして、
2019年の私の調査をなぜ拒んだのか。

力石の出現は喜ぶべきことなのに、
その「なぜ」が引っかかって、私は素直に喜べないのです。


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(4月11日)

「茨城県常総市守谷町・香取神社」


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プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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