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卯之助は憧れのスター

越谷市の中央市民会館での講演会も無事終わり、解散となった。

「せっかく遠路おいでになったのだから」と、
酒井氏と斎藤氏が私を誘ってくれた。

しゃれたパスタ屋さんへ導かれて、お昼をごちそうになった。

歓談のあと、力石のある場所へご案内くださるとのこと。

卯之助の石は、神奈川県の川崎大師平間寺(へいけんじ)と若宮八幡神社
姫路市の魚吹(うすき)八幡神社で見ただけなので、これは嬉しい。

しかも地元のベテランお二人のご案内です。

私が川崎市の2か所を訪れたのは、前年の12月。
こちらは、川崎大師八角五重塔です。

CIMG1044~1 (2)
神奈川県川崎市川崎区大師町

このお寺は見どころ満載。どこにも丁寧な説明がありました。

お寺全体が華やいでいて楽しいと言ったら叱られそうですが、
でもどこも心遣いが細やかに行き届き、
いつまでもいたい気分にさせてくれる、そんな空間でした。

力石の説明板です。

CIMG1037_20210427180609c9d.jpg

一番手前の石が卯之助石です。

これは後年、地元の力持ち・四ツ家伊之助が挑戦して成功、
自分の名を刻んで、改めてここに奉納したもの。(135㎏)

説明板によると、左2個は担ぎ上げた「さし石」、
右の3個は石を起こしてまっすぐ立てた「おっ立て石」で、
「一番大きい石は375㎏」とあります。

CIMG1038 (2)

こちらは同じ川崎区の若宮八幡神社です。

CIMG1062_20210429155415525.jpg
川崎区大師駅前

中へ入るとなにやら怪しいものが…。

あちらこちらに「金精さま」が屹立。
陰陽の置物が堂々と並んでいます。

純な私メが目をそらして歩いているのに、
併設の幼稚園の園児たちは、屈託なくその間をかくれんぼ。

絵馬がいっぱいです。みなさん、何をお願いしたんでしょう(笑)

CIMG1060.jpg

こちらが若宮八幡神社の力石群です。

CIMG1056.jpg

これが卯之助の名が刻まれた力石です。

「さし石 大木戸 仙太郎 岩附 卯之助
當所 四ツ家 伊之助 指之」

伊之助はここでも卯之助の名と併記しています。

CIMG1053~1

四ツ家伊之助は、明治の力持ちです。

江戸時代の大物力持ちの三ノ宮卯之助は、伊之助の憧れだったのでしょう。

その大スターが持った石に挑戦して見事担ぎ、石に名前を追記した。

伊之助の誇らしげな顔が、文字の端々ににじみ出ていました。


ーーーーーちょっと聞いてくださいーーーーー

私、長い間、足のこむら返りに悩んでまして。
就寝中だけでなく歩行中も起きるし、脇腹の筋肉や手指までつり出して。

そんなとき、病院のHPで、こんなのを見つけた。
「マグネシウム摂取と正座の勧め」
食事には人一倍気を付けているし、と半信半疑ながらも薬局へ。

カルシウム+マグネシウム+亜鉛+ビタミンDというサプリを買ってきた。
これと今まで飲んでいたEプラスB群のサプリを同時に飲み始めた。

効いたんです!

1日目は何度か出かかっては引っ込んだ。
4日目の今は全く出ない。
おまけに持病みたいになっていた片頭痛も肩こりも腰痛も緩和。

甘い物中毒だったのに、甘い物の欲求が全く起きなくなった。
お通じが素晴らしく快調。
夏は多汗症になって汗も臭かったが、きっと今夏はこれも消えるはず。

苦手な正座にも挑戦。1分ともたないけれど、日に何度か座ってみた。
ふくらはぎに溜まっている血液が押し出されるとか。

ウオーキングでもストレッチでもダメだったのに。
マグネシウムの奇跡か!
ホンモノかマジックか、今後が楽しみです。


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(4月29日)

「茨城県土浦市中央・不動院」


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7年前のこと

卯之助顕彰碑のことを、すぐ斎藤氏にお知らせしたら、

「へいへいさんの広範囲な力石情報の把握に驚嘆しています」

との返事が来た。

「碑の建立は初耳。驚くやら嬉しいやら」と手放しの喜びよう。

でも私はこんなことを思ったのです。

卯之助資料を提供した斎藤氏には、ほかから知る前に、
越谷市の職員の方から、ひと言、伝えてほしかったなって。

翌日、斎藤氏から顕彰碑の写真が送られてきました。

斎藤卯之助2
埼玉県越谷市・中央市民会館

背後の建物が市民会館です。

7年前の2014年2月16日、この日私は、
ここでの生涯学習フェスティバルの一つに高島先生の講演があって、
はるばる静岡から駆けつけました。

その前日は東京で力石を訪ねた。

大雪が降った翌日で、滑り止めを靴底につけての探訪です。

こちらはそのとき訪ねた一カ所です。
第二次世界大戦で戦病死した若者の墓碑に力石が置かれていました。

CIMG1069_202104231534113ef.jpg
東京都江戸川区南小岩・円蔵院

こちらは、日露戦争で戦死した若者の墓石前の力石です。

CIMG1082 (3)
江戸川区東小岩・万福寺

二人ともご遺骨は帰って来たのでしょうか。

きっとご両親が、息子の愛用した力石を墓碑にそっと置いたのでしょう。
もしかしたら、帰ってこなかった息子の代わりに置いたのかも。

どちらのお寺のご住職も力石の名前は初めて聞いたという。
わけを話したら、涙ぐみながら石の上の雪をそっと払ってくれました。

この日まわったのは三カ所。

ここにも行きました。日差しが射してきて雪がグチャグチャ。
ブーツの中はびしょびしょで、いつの間にか片方のすべり止めがなくなっていた。

CIMG1074.jpg
江戸川区南小岩・天祖神社

雪に閉ざされた墓地の門扉をシャベルでかき出したり、
慣れない東京の雪の中を歩き回って、日暮れにようやくホテルへ。

翌日はこれまた初めての越谷市へ。

地図を頼りに強風の中をキョロキョロ。
ようやく市民会館へたどり着いたときはホッとしました。

そこで初めて、
力石の大先輩の高崎力氏、酒井 正氏、斎藤氏にお目にかかりました。

斎藤氏とはこんなに長いお付き合いになるとは、
そのときは思いもしませんでした。


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生(4月26日)

「埼玉県越谷市大沢・香取神社➁」


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嬉しいニュース

落ち込んでいると必ず手を差し伸べてくださるブログがあります。

みなさまお馴染みのへいへいさんのブログです。

今回、江戸末期に活躍した
三ノ宮卯之助の碑の除幕式を伝えてくれました。

これです。
DSC_0940_20210420184534408.jpg

三ノ宮卯之助

武州岩槻領三野宮村(埼玉県越谷市)生まれ。

610㎏の日本一重い力石を足ざしであげた日本一の力持ちです。

詳細は下記のへいへいさんのブログをご覧ください。

「三ノ宮卯之助の碑除幕式」

この力持ちを追いかけ続けて世に出したのが、
越谷市の郷土史家・高崎力氏でした。

7年前、私は、
今回、碑が建立された中央市民会館で、高崎氏にお目にかかりました。

それが最初で最後の出会いとなりましたが、
その同じ場所に建立されたと聞き、感慨ひとしお。

強風が吹き荒れたあの日が思い出されて、
高崎さんは素晴らしい仕事を残されたんだなあと、改めて思いました。

先月上旬、越谷市の教育委員会の方から、
卯之助の新しい資料の問い合わせをいただきました。

すぐ、埼玉の斎藤氏に連絡。

幸い、斎藤氏の手元にあった資料がお役に立ちました。

高崎氏と同じ研究会に所属していたその方も初めて見る資料だそうです。

資料は碑の建立の一助になったんですね。
これもまたうれしい。

こちらは「三ノ宮卯之助」を書いた私のブログ記事です。

よかったら読んでください。19回にわたり書きました。
「巨星墜つ」(2015・9・15)~「卯之助を追い続けた男たち」(2015・5・25)

「三ノ宮卯之助」

卯之助はいいところに生まれました。

いい研究者に恵まれ、地元の人々に愛され、

そして役所の方々の理解と努力で現代にまで生かされてきた。

この出来事に接して、

「渋沢石」でのつらい思いが、いっぺんに吹っ飛びました。


<つづく>

     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(4月23日)

「千葉県大網白里市永田富谷・矢口神社」


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グローバルヒストリー

ものすごいおもしろい本を読んだ。
読んだというより「出会った」といったほうがピッタリくる。

図書館の棚に置かれていた新書版。

「駒形丸事件」

初めて聞く事件だ。
副題は「インド太平洋世界とイギリス帝国」となっている。

文章のうまさにぐんぐん引きずられて、その日のうちに読んでしまった。

img20210418_19412273 (2)

第一次世界大戦が勃発する直前の1914年、事件はカナダで起きた。

インド人ビジネスマンが連れてきたインド人移民376人が、
カナダ政府に上陸拒否された事件で、
その移民を乗せてきたのが日本の船会社所属の「駒形丸」だった。

イギリス帝国、イギリスの植民地インド、帝国からの独立をもくろむカナダ。
日英同盟の手前、動けない日本。

どこまでもついてくる人種差別


♪すべて白人みな兄弟 黄色いやつらはずる賢い
  ほかのところへ行きやがれ
♪白人の地のために闘おう 国王万歳が合言葉
  ホワイトカナダ永遠に!


差別の内容はインド人、中国人、日本人それぞれ違うが、
先住民はその中からも排除されていた。

駒形丸の移民たちは上陸拒否で2か月間も船に閉じ込められ、
そのまま本国へ送還。しかし帰った自分の国で虐殺に遭ってしまいます。
img20210418_19395658 (2)

香港、上海、門司、神戸、横浜、カナダ・バンクーバー、ビクトリア、
シンガポール、インド・コルカタ(カルカッタ)を漂流すること5カ月

この5か月間の出来事を丹念に追うことで、当時の政治情勢、各国の思惑、
暗躍するビジネスマンの動向、移民の実体などを浮かび上がらせた。

それに暗殺、虐殺も加わって…。

昔、ちょっと滞在したカナダの風景を思い浮かべながら、
推理小説も及ばないスリル満点な歴史の真実を見せていただきました。

著者は英国史がご専門の大阪大学教授の秋田茂氏と、
カナダ史、イギリス帝国史がご専門の鹿児島大学教授の細川道久氏。

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秋田教授(右)、細川教授(左)。本よりお借りしました。

第一次資料にあたり、現地に足を運ぶなどして、
共著の出版まで10年の歳月を費やしたとか。

本のカバーに、こうありました。

「日本ではほとんど知られていない駒形丸事件だが、
この小さな事件を通してミクロな地域史からグローバルな世界史までを
総合的に展望できる。

移民史、政治史、経済史を融合させることで、インド太平洋からの
新しい世界史像を提示するグローバルヒストリーの画期的な成果」

歴史の本を読むと著者たちのこんな嘆きにたびたび出くわします。

「学校では地理、日本史、世界史と別個のものとして、
それもほんのちょっと教えるだけ」

その嘆きをこの本は吹き飛ばしてくれた。

著者の一人、秋田教授はあとがきにこう記してる。

「本書はどのような形で世界史と日本史の研究成果の接合・融合
可能になるか、具体的な事例をわかりやすい形で提示することを試みた」

この事件から約1世紀たった2016年、カナダのトルドー首相は、
議会で「駒形丸事件」の謝罪表明を行った。

そして、事件の現場だったバンクーバーに追悼記念碑を建てた。

私はかつてカナダの教師から聞かされたこんな言葉を思い出した。

「カナダはそれぞれの母国のカルチャーをお互い尊重しつつ、
一つの国をつくっていこうとする国です」

姉亡きあとは遠い国になってしまったけれど、思い出は今も心に。
img20210421_17461441 (2)

本は手軽な新書版ですが、中身は分厚く濃い。

なによりもわかりやすく読みやすい。

久しぶりに本に酔いました。


※「駒形丸事件ーインド太平洋世界とイギリス帝国ー」
  秋田 茂 細川道久 筑摩書房 2021年1月10日


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(4月21日)

「千葉県成田市土屋・成田山霊光会館」

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落穂拾い、二転三転

久喜市・栗橋八坂神社で、
「享保石」を新発見したブログ「路傍学会」の会長さん、

相変わらず精力的に町、路地、お堂、辻と歩かれています。

そのブログ記事の中に、
「あ、これ新発見かも」という写真を見つけました。

記事は先月UPされたものですが、
「渋沢栄一と力石」のため、ご報告が遅れてしまいました。

こちらがそのときの記事です。

「神社のLandscape 261」

会長さんが「力石だろうか」とつぶやいていたので、
私は自信たっぷりに、「新発見です、たぶん」とコメントを。

会長さん、戸惑いつつ、
「えーっ、境内にゴロンとしているだけの石ですが…」

で、斎藤氏が確認調査に出向いてくださったのですが、
私の予想は大外れ。

これなんですけど、トホホの結末に。

路傍さん1

「小さくて雰囲気が全くないので、力石ではありません。
後方にずらずら並んでいた石と同様の庭石だと思います」と斎藤氏。

でも、このとき斎藤氏、なんと、新たな力石を発見したんですよ。

さすがですね。この道ン十年の眼力と冴え、脱帽です。

どこにあるか、わかりますか?

路傍さん2

鳥居の右前方に埋けてあります。

「路傍さん、肝心のこの石を見逃していました。
おかげで私は思わぬ落穂拾いをしました」と、斎藤氏、ニンマリ。

「なに、別の力石ですと!」と会長さん、びっくり。

会長さんが訪れた日は、集会所に人が集まっていた。
それで、よそ者があまりウロウロしてはご迷惑かと、
さっと見て神社をあとにしたそうです。

立派な刻字もありました。

「奉納 二十二メ」 32余×37×25㎝

老棒さん3
埼玉県越谷市蒲生本町13‐18 菅原天神社

「新発見を逃してしまい、残念!」

「ありゃー」と、狛犬さんも口をあんぐり。

この狛犬さんがいる神社は、下記のブログでご覧ください。

路傍さん久伊豆神社
草加市青柳4丁目・久伊豆神社

「神社のLandscape 263」

ブログには、青面金剛像や地蔵さま、琺瑯看板や古い家など、
力石と同じように消えゆく庶民の歴史や文化が写し出されています。

そうした一枚一枚から、
会長さんの感性やぬくもりがじんわり伝わってきます。

力石もその中にいれていただいている、ありがたいなあと思います。

新発見、期待しています!

と書いてブログをUPしたら、早速、こんなメールが…。

「この力石はすでに掲載済みです」

アワワワワ。

よく見たら、2007年発行の「埼玉の力石」、越谷市の末尾に、
「天神社」として掲載されていました。

オー、ミステイク!

まあ、こんなこともあります。
狛犬さんに再び「ありゃー!」と言われそうですが、

そこはそれ、力石探しはかくも難しく、
泣いて笑って、喜んだかと思えばがっかりが待っていたり。

でも、そんなこんなの騒動、
ご理解の上、ぜーんぶひっくるめて見てください。

とはいえ、星の数ほどある「天神社」です。

せめて本に「菅原天神社」と正しく記載してあったら、
見落としも回避できたかもと思ったけれど、

2021031814200658a (2)

まあ、それほど深刻に考えることでもなし。ゆるりといきましょう。

路傍学会長さんもきっと、許してくださいます。

斎藤氏から、
「路傍さんにはご迷惑を掛けてしまった。ブログにキズをつけてしまった。
どうか、私の単純なチェック漏れであることを公表してください」と。

チェック漏れは私も同じ。
「たかがブログ。失敗談もいいじゃないの」とのんきに捉える私と違い、

人一倍責任感の強い几帳面な斎藤氏です。
そんなに深刻にならなくても、と心配しています。

みなさま、ご理解と温かい目でみてください。

なによりもこの石に陽の目を見せてくださった、そのことに私は感謝しています。


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(4月19日)

「三重県三重郡菰野町田光・高札場⑤」


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土曜の愉しみ

いつもの農協市場へ出掛けたら、

たい焼き! 

農家さんの出張販売です。

CIMG5590.jpg

それにコロッケも。
コロッケといったって、そんじょそこらのコロッケとは月とスッポン!

中身は里芋だよ! それもただの里芋じゃない。

まずはこの記事「長田の唐芋」をみてください。

「おさだのとうのいも」といいます。

農家さんが研究に研究を重ねて作った高級里芋です。

普段は生で売っていますが、
本日は揚げたてのコロッケをいただけるというのですから、私の顔もホクホク。

若き日の18代目中村勘三郎似の目鼻立ちの整った若者と、
これまた渋い男性が店頭に。

CIMG5585 (2)

里芋のコロッケって、珍しいですよね。

私はこの日が初めてでしたが、
ねっとり、ホクホク。なによりもコクがあって、いっぺんに気に入りました。

肉がいっぱい入っているんですよ。

あまりのおいしさに再び買いに行きました。全部で4個も。

1個100円。普通のコロッケより一回りも大きい。揚げ油も新しくてもう大満足。

CIMG5583 (2)

となりのたい焼きもゲット。

お茶農家さんが多いので、生地には粉末のお茶が入っています。

おじさん、黙々と。ゴム手袋が暑そう。食品を扱う人は本当に大変です。

でも、おじさんは慣れた手つきで、あんこをどっさり載せていきます。

CIMG5589 (2)

たい焼きくんの口元をガブリと噛んだら、アッチッチ。湯気がもうもう。

CIMG5581 (2)

クリームと小豆の2種類。どちらもイケます。

端っこのパリパリ、香ばしくておいしいですよね。

農家さんも心得ていて、ちゃんとつけたまま渡してくれました。

CIMG5580 (2)

農家さんのお店は、普段の顔のまま。

真面目であったかい。


ーーーーー

私の密かなもう一つの愉しみをご紹介します。

rocky5ACTさんのブログ「地方野外彫刻」です。
著名な作家の作品をいろんな角度から見せています。

今回は石にちなんだ彫刻
「石の里のアーティストたち」をご紹介します。

正統派の大日如来さんから現代アートまで、13パート。

ぜひ、お愉しみください。

     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(4月17日)

「三重県三重郡菰野町田光・高札場③」


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たかが力石、されど

たかが力石ごときに、そう熱くなりなさんな!

私は自分を戒めつつ自嘲する。

でも、展示の力石に誇らしく掲げられた「初公開」の文字が、
なんだか胸に突き刺さる。

だって、いかにも取ってつけたようではないですか。
「石を軽々持った」なんて、気軽に言わないで欲しいよな。

経験者の声を聞くといい。

「下手に力を入れると、腹が裂けてしまう」

「18貫のこの石を担げなければ、一人前の男として認められず、
賃金も半人前しかもらえなかった」

「あれを担げんと甲種合格になれんぞ。兵隊に行けんぞ」

「おなごにモテたい一心で担いだ」

みんな暮らしも命も賭けた真剣勝負だったんですから。

調査に行った山の中の一軒家で、経験者の昔話を聞いた。

老人は庭先に転がっていた青年時代の力石を抱えて、
実演してみせるという。

「まず、しっかり腰を落として、石に手をこう回して、
腹に気を集中させて,息を止めて、一気に膝に挙げて」

でも、石はビクともしない。

「はぁー、ダメだぁ」

尻もちをついて、老人はふわふわ笑った。

写真は、
澁澤倉庫株式会社の荷揚げ作業員だった根本正平さん(左端)です。

「澁澤倉庫社史」には力持ちの記事が載り、根本さんの寄稿文もある。
根本さんは、東京都無形文化財の「深川力持睦会」のメンバーでもあった。

「米俵を二つも三つも一気に担いで、一日終わりゃ、
あぶら汗でシャツは真っ黄色。一貫目痩せる」(根本正平)

DSC_6183.jpg

展示は、
「青年時代、行商先の村の若者たちと力石で力くらべをやった」
「藍玉のお得意さんの紺屋に今もある当時の力石はこれです」

それだけでいいじゃないの。
みんな純粋な若者たちで、英雄なんかじゃなかったんだから。

大正6年、晩年の渋沢は信州へ演説旅行に出かけた。
上田の旅宿にいるとき、一人の老婆が訪ねて来て面会を求めた。

老婆は取次ぎの秘書に古い通帳を見せて、
「これをご覧願えれば、きっと会ってくれます」という。

通帳は藍玉の通帳で、中に青年時代の栄一の筆跡があった。
老婆は、神畑の紺屋の娘だった。

彼女は偉くなった栄一が上田に来たと聞いて、
懐かしさのあまり、藍玉通帳を証拠物件として訪ねてきたという。

渋沢は帰京後、老婆に書状を出した。
今回、埼玉の博物館で持ち帰ったのは、この書状などではないだろうか。

渋沢は通帳を見て、
「懐旧の情を催し、感慨無量であった」と、「竜門雑誌」に記している。

翌年、老婆は東京の渋沢邸に招待され、歓待を受けた。
田舎のばあさんが迷うといけないからと、自ら駅まで出迎えたという。

老婆は渋沢と夕食を共にし、お土産をもらい、
一期の思い出というほどの喜びに輝きながら帰って行ったという。

綱町邸落成式。社章の「立鼓」の法被を着た職人さん.明治41年。
img010_20190712173001dbf.jpg

だから私には、こういう細やかな心遣いの渋沢が、
お得意先でこれ見よがしに、藍のたたき石を軽々担いで見せた、

などとはとうてい思えないのです。

昭和13年の「上田郷友会」月報に、
柴崎新一もこの「老婆が渋沢を訪ねた話」を書いているが、
敲き石を担いだ話は一切出てこない。

渋沢の息子さんの談話に、こんなのがある。

「父はいつもおっとりしていた。ふしぎに行儀のいい人であった。
人を威圧しないようなエマナチオン(揮発性物質)が、
絶えず全身から発散されているように思われた」

力石に関わるものとして、力石を展示してくださるのは本当に嬉しい。

ですが、「本邦初公開」の「栄一の力石」は、
2年前までは、土中に三分の一ほど埋もれて、庭の隅に放置されていた。

それが渋沢の名を聞いた途端、
165年ぶりに掘り起こされて磨かれてお宝にされた。

私は思う。

渋沢が望んでいたのは、
そういう「あざとさ」でも、「英雄伝説」でもなかったはず。

紺屋の老婆に見せた温かいまなざしこそ、「初公開」して欲しかった。

紺屋の老婆すゑも、きっとそう思っているに違いありません。


「渋沢栄一と力石」」は、これにておしまい。

     ーーーーー◇ーーーーー

渋沢栄一の「藍」にちなんで、こんなものをお見せします。

タンスの奥にあった男性用着物を息子にあげようと、仕立て直しに出した。
呉服屋のご主人が驚いて、
「これは貴重なものです。今はもう手に入りません。百年以上前の逸品です」

糸を藍で染め、一本一本根気よく織った絹の紬だか絣だかっておっしゃってた。
藍の本を読んだら、染色後も藍は生き続けると書いてあった。

久留米絣

息子の家でもタンスの肥やしの運命だろうけれど、
心の財産のつもりで大切にしてくれれば、と思っています。

     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生が、
コミュニテイ・チャンネルの「まほろば~歴史の扉~」に出演しました。

「力自慢の力石」

とても楽しくわかりやすく編集されています。是非、ご覧ください。

それにしても先生、髪黒々。まだまだ若い!


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若者連と力石

久々に明るいニュースをいただきました。

へいへいさんがブログでご紹介してくださった
「4月11日にイッテQに力石登場」です。

以前、「獅子舞王国・南砺物語⑥」で、動画でご紹介した
富山県入善町の「磐もち大会」を、日テレで放送してくださったそうです。

へいへいさんのブログの最後あたりにある
「4月11日の「イッテQ」をクリック。「最新話無料」で見られます。

是非、ご覧ください。

ーーーーー

「ちい公のドキュメントな日々」のちい公さんが、記事を載せてくださいました。

「力石 盤持ち大会」

へいへいさんの記事を見て、嬉しさのあまりお知らせしたら、早速。
お電話も頂戴して、このところ落ち込んでいて体調不良でしたが、
元気を取り戻しました(^-^)/

    
ーーーーー本文はここからですーーーーー

埼玉の博物館に展示中の石の説明はこうなっています。

「個人蔵」と匿名になっていて、

「若き栄一が藍の行商先である信州の紺屋を訪れた際、
染料にするための藍を敲く石を軽々持ち上げたという逸話が
同家に伝わり、以来「渋沢栄一の力石」と呼ばれている。

重量103㎏  初公開」

へいへいさんのブログ「栄一の力石」に、
同博物館のTwitterが出ていますので、ご覧ください。

説明では、あくまでも石の所有者の話であるとし、
資料的裏付けは示されてはおりません。

言い伝えもまた、貴重な歴史の証言ではありますが、
でもこれだけは、はっきりしておきたいのです。

2年前、私が上田市に伝えた文書についてです。

それは、「伝記資料」の中に出てくる「上田郷友会」の月報(昭和13年)で、
著者は当時、上田市の助役だった柴崎新一氏です。

「神畑の伝うるところによれば、旧幕時代には、
村々に若者連の集まる場所に、力試しをする力石と称するものがあって、
今日、なお処々に残されておるものがある。

翁、青年の際、お得意まわりに来られ、村の若者連に参加し、
この力石を試みたが、群を抜き、若者連一人として、
翁に及ぶ者がなかったという」

ーーーーー

ここに出てきた「若者連」について。

下の写真は厳しい掟で知られた伊豆の「若者組」です。(1954年)

写真は、祭りの会場へ人形三番叟を演じるため出かけるところです。
ちょうちん持ちの後ろは組の頭役、その後ろを中老、小若い衆が続く。

組への入会試験は、揺れる船の鞆先で力石を担がせて決めたそうです。

img389.jpg
「日本民俗写真大系・東海道と黒潮の道」「漁村の暮らし・芳賀日出男」
日本図書センター 1999

かつての若者たちの組織、「若者連」「若い衆組」「若者組」は、
山や漁獲などの財産を持った自治組織で、祭り、消防、病人の搬送、
災害救助など、村にはなくてはならない存在でした。

新参の若者は16歳ごろになると親元を離れて、若者宿で先輩から
社会常識や行儀作法、仕事などをみっちり仕込まれました。

それだけに掟も厳しかった。

よそものの不法行為には一致団結して抵抗し排除しました。

力石の力くらべにも、組の威信をかけて真剣勝負したはずで、
時には刃傷沙汰になったり、力石を巡っての争奪もあって、
当地には奉行が出した禁止令が残っています。

力石を語るときは、そのあたりの時代背景も考慮する必要があります。

ーーーーー

で、この月報に出てくるのは、
「神畑村の若者たちが集まる場所で、渋沢青年がみんなと石担ぎに興じた」
という話だけなんです。

そして当時、若者たちが集まった場所は、主に神社や若者の集会所で、
そこに石は置かれていました。

個人宅に残されているのは、たいてい個人の練習用の石です。

下は、青年時代、練習用に使っていた力石とご本人です。(ご自宅にて)
力くらべに使った力石は、現在も昔の青年集会所の庭にあります。

CIMG0536 (3)
静岡県

博物館の説明に出てくる「藍の敲き石」のような、
日常使う貴重な道具類はどうだったのでしょうか。

石は担ぎ上げた後、地面に勢いよく投げ落としますから、
割れてしまったら大変です。

紺屋さんを廃業したあとに力石に転用されたのなら理解できますが、
使用中の道具は使わなかったのでは、と個人的には思うのです。

また力石は村の若者たちの共有財産で、神聖なものとされていましたから、
ヨソモノがうっかり触れたり腰かけでもしたら、制裁されました。

ましてまだ10代の、若者組でいえば新参者の若造が、
巨石を軽々持ったという英雄伝説に出てくる弁慶や福島正則を真似て、
お得意様の大事な商売道具を力石代わりに担いで見せた、

なんて、当時の状況からしたら制裁に値する所業で、
また、若輩とはいえ、
礼節を重んじた渋沢がそんな無礼を働いたとは信じがたいのです。

ですが、これらはあくまでも私の推測であって、
展示品を否定するものではありません。

力石がどれだけ特別扱いされていたかの例を示します。

ーーーーー

こちらは愛知県西尾市一色町・若一神社の力石です。

img20210409_17181499 (2)

同町出身の高須新助は江戸で力試しで名をあげ、
それが各大名家の耳に入った。ついに上様の御前で力石を挙げ、
御用達しの力士になります。

そのとき褒美にいただいた石が、この5個の力石です。
それを故郷のこの神社に奉納。寛政六年(1794)のことでした。

こちらは、力石につけた書状です。
ともに西尾市の指定文化財になっています。

img20210409_16465373 (2)
「愛知の力石」高島愼助 岩田書院 2014

ーーーーー

話を戻します。

もう一つ重要なのは、「上田郷友会」の月報が書かれた時期です。

書かれたのは、渋沢青年が神畑を訪れてから82年後の昭和13年で、
すでに、人々の記憶も定かではなくなっていたということ。

静岡県では、地域によっては昭和50年代まで力くらべが行われていて、
平成25年に調査に入った某地区では、石も経験者も存在していました。

ですが上田市神畑では、昭和13年のこの時点で、
力石はすでに過去のものになっていたし、
それを裏付けるように、今日に至るまで上田市での力石の確認はゼロ。

それが、2年前、私が上田市に問い合わせたことで、
突然、「渋沢栄一の力石」が現れた。

だったらこんな名誉な事をなぜ、

昭和13年の「上田郷友会」月報に書いてないのか。
2010年発行の「神畑村誌」に取りあげなかったのか。
2004年、2010年、2014年の高島先生の調査時に出さなかったのか。
そして、
2019年の私の調査をなぜ拒んだのか。

力石の出現は喜ぶべきことなのに、
その「なぜ」が引っかかって、私は素直に喜べないのです。


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(4月11日)

「茨城県常総市守谷町・香取神社」


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石の検証

「まだやるんですか? 渋沢石を」と、呆れられそうですが、

やるんです。

せっかくきれいな終わり方をしたのにねぇ。何事も引き際が肝心、
とは重々わかっているのですが、

なんか腑に落ちなくて気持ちが悪いのですよ。
白黒つけなきゃスッキリしないという、損な性格が出てしまいました。

肝心の石の検証、これをやっていきます。

石を語るからには、
やっぱり、2年前に所有者宅の石を見ておきたかった。

展示物としておめかしした石ではなく、放置されたままの石を。

そのときの石です。
上田市神畑・山崎製作所

埼玉県立歴史と民俗の博物館で石を見た斎藤氏は、
「写真の石とは違うような気がします」といってきましたが、

この写真を撮影した「神畑村誌」編さん者の方は、
「同じ石です」と明言。

ただ、この石がどういう経緯で埼玉の博物館に持ち込まれたかについては、
この撮影者も市のX氏もご存じないという。

となると、X氏が言うように、
「所有者と博物館との直接交渉で持ち込まれた」ということになる。

しかし、私はこんな疑問を持ちました。

地方にお住まいの一般の方が、数ある博物館からここを選んだり、
そこでこの企画展をやるという情報を得ることなど不可能だし、

一方、博物館では確かな資料がない中、この個人宅に、
「渋沢ゆかりの力石」があることを知るなんてあり得ない、

両者の間に、しかるべき仲介者がいなくては成り立たない、と。

img20210409_01475674.jpg

私は地元の市立文化財資料館の運営委員をしていましたが、
この小さな資料館でさえ、
企画展の開催までの準備期間に1~2年はかかりました。

今回の埼玉の展示は、「NHK大河ドラマ特別展」とあり、
天下のNHKと連動しているような感じだし、

展示物も広範囲に、また217点と膨大なことから、
かなりの準備期間を要したはず。

また、第三者から展示物を借用する場合には、
市長名で「展示品等借用申請書」を相手方に出さなければならない。

ものによっては借用に金銭が伴うだろうし、保険もかけなければならない。

運送費の捻出には市の税金が使われるので、その決済も必要だから、
借用交渉には時間もお金もかかる。

上田市の地元の方数人からの情報では、

「埼玉の博物館の人が運送屋を連れて来て運んだと聞いている。
そのとき、ついでだからと重さを測ったら、103㎏あった。
所有者宅にあった古文書類も借りて行ったそうです」と。

仮に準備期間に2年かかったとしたら、
私がX氏と調査の交渉をしていたころということになります。

ムムム


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(4月9日)

「茨城県常総市向石下・香取神社」


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力石を愛でてやってください

男の、元・大学教授の、力石研究の第一人者でもダメ。

どういうことなの? 

頭の中が真っ白になった。
それでも私は腹をくくり、「8月下旬に行く」と決めて先生に伝えた。

ところが今度は、こういう返事が返ってきた。

「9月から市議会が始まってそちらが忙しくなる。9月下旬なら」

知り合いの役人に聞いたら、笑いながらこう言った。
「文化財課の職員が市議会で忙しいなんて聞いたことがないよ」

いよいよ、なんだかわけがわからなくなって、
足元は、「どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ」状態になった。

CIMG5502.jpg

これほど理不尽な要求をこれでもかと突き付けてくるには、
何か魂胆があるとしか思えなかった。

多分9月末になれば、また別の拒否の理由を言ってくるはず。
すでに疑心暗鬼になっていた私は、そう思わずにはいられなかった。

そんなぬかるみにはまり込んで、泥水を飲まされるのはもうたくさんだ。

私の精神状態はもう限界だった。

ここはもう、力石調査の原点に戻るべきだと思った。

渋沢栄一が村の若者たちと石担ぎをしたという神畑地区へ直接うかがって、
いつものように調査すればいいだけのことではないか。

そう決めた私は、師匠の高島先生にこう伝えた。

「先生、もう止めましょう。これ以上、翻弄されるのは無駄ですから」

「そうか。そうだな。頃合いを見てでかければいいか。
で、先方にはどういうふうに言おうか」

「先生にお任せします」
「そうか。じゃあ、二人とも都合がつかないとでも言おうか」

というわけで、そういう無難なお断りをした。
それっきり、X氏とのやり取りは途絶えた。

しかし、

2年前、原点に戻って独自調査をすればいいと思ったものの、
千葉県野田市での力石式典に招待されて出かけたりしているうちに、
世の中はコロナ一色になり、調査の機会は失われてしまった。

この力石は2016年11月に埼玉の研究者・斎藤氏が新発見した力石です。

戸田市氷川神社・新発見
埼玉県戸田市上戸田3-20-11・氷川神社。60×57×13余㎝

この日、斎藤氏は卯之助石ほか15個もある氷川神社へ再調査へ。
おりしも七五三で、境内は着飾った幸せな親子でいっぱい。

そんな光景に背を向けて石と対面。いくつかの誤読を見つけてメモしていると、
不審に思った男性から声を掛けられた。

丁寧に力石の説明をしていると、町内会長と宮司さんがやってきた。
幸い、力石に熟知している宮司さんだったので話が弾んだ。

そんな中での新たな発見です。宮司さんもびっくりの出来事だったとか。

「上戸田村力石」

刻字もありました。

戸田市氷川神社

X氏にぜひ知って欲しいのです。

私たちはこんな石っころを、こんなふうに調査しているのです。

お金にもならない。業績としても認められない。すべて手弁当。

でも、面白いのです。石には歴史がぎっしり詰まっているのです。

昔の若者たちの汗や涙、喜び、悲しみが染み込んでいます。

私はそうした石の声を聞きたくて、この調査をしてきました。
無刻字の石であろうと、有名人ゆかりの石であろうと、分け隔てなく。

でも、ご理解いただけなかった。

そして今年3月、あの「誰にも知られずにそっとしておきたい」力石が、
なぜか、埼玉県の博物館に展示されているのを知り仰天。

あのとき力石の調査を拒否した理由と、
その力石を県外へ貸し出したのは誰かを知りたくて、
私は即座に、市の秘書課宛てに質問メールを出した。

X氏の回答はこうだった。

「どのような経緯で県外に展示されることになったのかは、全く知らない。
指定文化財ではないので、所有者との交渉で展示することになったのでしょう」

「なぜあのように調査を拒んだのか」については、

「9月24日以降に、というこちらの提案に、
高島先生から、二人とも都合がつかないとのご連絡をいただきました」

内心、こうおっしゃりたかったのか。

「こちらが拒んだのではなく、
お宅様たちが自分たちの都合でやめたではないか」と。

もしそう思われたのなら、打ち明けます。

先生と私は大人の対応をしたのです。

たとえ相手の言動に不審な点があっても、コトを荒立ててはいけない。
たとえ内心、「××野郎」と思ったとしても、

人を傷つけることのないよう、人倫の道に外れることのないよう、
おのれ自身を戒めて、そうして穏便に対処したのです。

     ーーーーー◇ーーーーー

上田市神畑の元・紺屋さんの庭にあった力石は、
現在、埼玉県立歴史と民俗の博物館に展示されています。

img20210406_12274633 (2)
NHKドラマ特別展「青天を衝け~渋沢栄一のまなざし~」展示資料より

ドラマの中にあった石担ぎシーンも、この力石からの発想ではないでしょうか。

力石はきれいに磨かれて、
展示資料217点の中の一つとして、ガラスケースにはいっているそうです。

もし、ご覧になる機会がありましたら、
この石を巡って、「力石バカ」の老姫のブログで、
場外乱闘もどきの何やら変なドラマがあったなぁと笑いつつ、

力石を愛でてやってください。

     
     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(4月7日)

「埼玉県さいたま市岩槻区横根・北辰神社」


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プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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