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不可解な越権行為

「上田市に渋沢の力石があったことをブログへ書くことも、
渋沢栄一関連の施設へ伝えることも禁止します」

こんなこと、地方自治体の一職員が言うことではない。

しかし、X氏はその理由をこう説明した。

「石は個人宅にあり、有名になって人が押し寄せたら迷惑をかけてしまう。
だからこのままそっとしておいてほしい」

すでに私は関連施設へ、
「渋沢が持ったらしい力石を発見」の報告をしていたし、

渋沢生誕の地、深谷市の「渋沢栄一記念館」の学芸員さんからは、

「上田市の報告がブログにUPされるのを楽しみにしています」
とのメールをいただいていた。

しかし、
X氏の要請がたとえ理不尽なものでも、強引にコトを進めたくはなかった。

私は泣く泣く、2019年8月2日、以下のブログ記事を書いた。

「お詫び」

ところがあれから2年たった今年3月、
その「そっとしておきたい」はずの力石が、

埼玉県立歴史と民俗博物館で展示されていることを知り、唖然。
真相を知りたいと思い、すぐ上田市秘書課へ質問状を出した。

返答してきたのはX氏だった。こう書かれていた。

「力石は大河ドラマの主人公になる方の関係なので、
所有者の方が、見学者や問い合わせの対応に困ってはいけないため、
私どもの組織で交通整理をさせていただきたいと考えていた」

「組織で交通整理」って何? 私はその交通整理ではじかれたってこと?

力石に人が殺到するなんてことはまずあり得ない。

そんなに人気がある石なら、これまでこの石の調査研究をしてきた
多くの先人たち、高島先生、斎藤氏、私はこんな苦労をしてこなかった。

第一、2年前のあの時点で判明していたのは、
渋沢が新一万円札の顔になる人ということだけだ。

渋沢が主人公になるNHK大河ドラマ「青天を衝け」の制作発表は、
あの時点から1カ月半もあとのことだ。

あのころ渋沢栄一の名はポピュラーではなかった。

刻字もないあの石に、人が殺到するなんて到底あり得ない。

もしそうなったら、しかるべき公共施設に移して、
町おこしの起爆剤にすればいいだけのことだ。

私はX氏の不誠実さ不可解さに、怒りと悔しさでいっぱいになった。

でもここで取り乱したら、自らおのれの尊厳を傷つけてしまう。

理不尽な対応に泣きつつ、私は自分の心を抑え込んだ。


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(3月30日)

「広島県尾道市土堂・住吉神社」


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ブログへ書くことを禁止する

少しでも「渋沢栄一の力石」に近づきたい一心で、
私は、国会図書館や県立図書館の蔵書類を探し回った。

信濃史学会誌「信濃」の矢島千代子氏の論文
「幕末期・藍玉通帳にみる上田地域の藍玉流通」を読んだが、
ここから力石には迫れなかった。

やはり渋沢栄一のことは著作から、というわけで、
「青淵先生六十年史」「青淵先生懐旧談」「雨夜譚会談筆記」を読んだ。

2年前のことで、記憶もおぼろになったけれど、こんな話が載っていた。

「藍玉は俵に詰めて十貫目俵四俵づけで運んだ。信州は山地だから難儀した」
「紺屋回りをするとどこでも雑煮を出したので、我慢して食べた」

中でも私を最も惹きつけたのは、
「神畑紺屋業、手塚弥右衛門の母すみ」の話だった。

功成り名を遂げた渋沢栄一は、
大正6年、71歳になった手塚すみと再会を果たしている。

渋沢家で使っていた藍玉の商標「立鼓(りゅうご)紋」
3福住稲荷
東京都江東区永代・福住稲荷神社

さて、最初のメールから2週間後の7月末、X氏からメールが届いた。

「なかなか文献から辿ることができないでいる」
「神畑村誌の編さんに関わったみなさんに調べてもらっている」

そして末尾にはこう記されていた。

「少々お時間をいただきたい」と。

しかし、朗報はすぐ届いた。

村誌編さんに携わったであろう方の情報と、
その方が撮影された写真まで添付されていた。

上田市神畑・山崎製作所
「神畑村誌」編さん者の提供写真。モザイクは私が施しました。

添付の文章に名前も連絡先も書かれていなかったので、
ご本人が綴られたものか、X氏の聞き取りかの判断はできなかったが、
興味深いことが書かれていた。

「神畑で若者達が集まった場所には、現在、神畑区集会所碑が建っている」
「力石は現存しています」
「所有者の話だと、たすきがけに力石を操ったとのこと」

こちらが渋沢栄一が村の若者たちと石担ぎに興じたと推定される
「集会所跡」の碑です。

img20210323_18582341 (3)
「神畑村誌」よりお借りしました。

そしてこの方は、
「渋沢栄一、ものすごき怪力なり」としたためてあった。

ありがたかった。
X氏のご尽力に、私はパソコンに向かって何度も頭を下げた。

その感謝の気持ちをしたため、
「これでブログでみなさんにお知らせできます」と書き添えて送信した。

返事はすぐきた。

今までの柔らかな口調とは一変。

「ブログをやっているなんて聞いていない。聞いていたら協力しなかった」

「今後一切、ブログへ書くことを禁止する」

「渋沢栄一関連の施設、大学研究室、その他への力石の他言は一切禁止する」

えっ? 「禁止する」って、なにこれ。圧力をかけたってこと?

私はただ、自分が見つけた情報を提供し、
力石の有無をお聞きしただけなのに。

正気で言っているとは思えなかったが、冗談とも思えなかった。


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(3月28日)

「静岡市清水区阿僧瘤山・観音堂」


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上田市は力石ゼロの町

「力石という名前は初めて聞きました」

X氏のこの言葉に耳を疑った。

だって、私が力石と関わってきたこの10数年間、
多くの博物館や郷土館、自治体の文化財課の方々と接してきたが、
力石を知らない人は一人もいなかった。

「あんなマイナーなもの、よくやってるねえ」と笑う若者さえいた。

市史や町史の民俗編を見れば、若い衆組と連動して力石は出てくるし、
石造物の悉皆調査をやればいやでも目に付く。調査報告書にも載っている。

だから、知らないはずはない。

後日、X氏は図書館で力石の本を借りてきたと言ってきた。

「こういうものだったとは」とおっしゃっていたから、
やっぱり、ご存じなかったのか。

借りてきたのは多分、この本だろう。
img20210323_18140591 (2)
高島愼助 岩田書院 2014

長野県で確認された力石は少ない。
中でもこの上田市の力石は、なんとゼロ

だからこそ、私からの、

「渋沢栄一ゆかりの力石が見つかりました」との報告に、
高島先生は喜んでくださり、すぐにでも調査に行く気でいたのです。

力石文化圏の石川、富山との交流も盛んだったのだから、
力石文化も確実にあったはずだ。

第一、どこへ出るにも峠越えを余儀なくされた山国・長野県です。

男たちの力量はどこよりも重要視されただろうから、
力石は他県よりずっと身近なものだったはず。

それが証拠に、
江戸の力持ちたちが諏訪大社で興行を行っているし、
日本一の力持ち・三ノ宮卯之助の石も存在するではないか。

「長野の力石」の表紙の石がこれです。スケッチは高島先生。
img735.jpg img694 (3)
諏訪大社本宮にある土橋久太郎の「天龍石」、同秋宮にある「卯之助石」

東御市には、相撲取り・雷電ゆかりの石も存在する。
だから、
力石がなかったわけでも、そういう風習がなかったわけでも決してない。

そして新たに、
渋沢が上田市の神畑で力石に興じた話まで出てきたではないか。

それを知らなかったというのは、
庶民文化の掘り起こしが不十分だったというしか言いようがない。

下は昨年10月、長野県飯山市で力石が発掘されたときの記事です。

「伝説の力石、掘りました!」

力石ゼロの上田市にも、所在不明の力石の報告はある。

こちらは上田市の書店に置かれた石像です。

img20210323_18152271 (3)

「ご覧いただければ嬉しいです」

とX氏にお伝えしたが、反応はなかった。


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始動

2年前の2019年7月、

私は「渋沢栄一伝記資料」の中から、
長野県上田市に渋沢ゆかりの力石があることを知った。

あのときの興奮と喜びは今も消えてはいない。

とにかくできるだけ情報を集めようと、即座に活動開始。

すぐ図書館へ駈け込んで、
渋沢が村の若者たちと石担ぎに興じた神畑村の郷土史、
「神畑村誌」の県外図書貸し出しの手続きをとった。

県外図書貸し出しとは、居ながらにして、
県外の図書館から希望する図書を借りる便利な制度です。

私がいつも利用する分館の司書さんたちは、
最初、この制度のやり方がわからず説明に苦慮したが、

すぐ覚えてくれて、
「これを利用するのはこの地区で雨宮さんだけです」と言いつつ、
嬉しそうに対応してくれるようになった。

こちらが、上田市立図書館から届いた「神畑村誌」です。

img20210323_18220067 (2)
神畑自治会発行 神畑の歴史を記録に残す会 2010

力石のことは何も書いてなかったが、
渋沢家が家業にしていた藍玉や蚕についての記述は豊富にあった。

本が届くまでの間、
今度はこれも伝記資料にあった「上田郷友会」をネット検索。

「上田郷友会」は今も存在していた。

すぐ連絡を取ると、
「故郷を離れた東京在住者ばかりだから、
上田市役所へお願いした方がいい」と言う。

助言通り、上田市役所へ、
力石の有無や文献の詳細を書いたメールを送信。

翌日、上田市文化財課のX氏から、

「力石という名前は初めて知った」「調査には時間がかかる」などと記した
ていねいなお返事をいただいた。

感謝しつつも一抹の不安もあった。

文化財課の方が「力石を知らない」って、まさか。

その後、連絡はプツンと切れた。


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ひどいよ!上田市さん

渋沢栄一の話題が大きくなっています。

その渋沢栄一が持ったかもしれない力石が、
「埼玉県立歴史と民俗の博物館」に展示されていることを

へいへいさんのブログ「栄一の力石」で知りました。

もしやその力石は、長野県上田市のあの力石ではないかと思い、
博物館へ問い合わせたら、やっぱりそうでした。

調査を阻まれて、それを果たせなかった力石です。

とたんに頭に血が上りました。

昔、母が言ってました。

「腹が立った時、すぐ手紙を書いてはいけない。
怒りに任せて書くと、あとで後悔するから」と。

でも、私はその顛末を書くことにしました。

調査に赴こうとした私が、
市の担当者から受けた屈辱は今も忘れられませんし、
妨害する理由に、ある疑念を持ったからです。

あの力石のことは、ずっとずっと心に引っかかったままなのです。

「個人のお宅にある石だから、騒がれるのを嫌っています。
誰にも知られずにそっとしておきたい」

そう言って、調査を拒んだはずの力石が、
遠い埼玉の博物館のガラスケースに置かれているという。

2019年7月、
私は「渋沢栄一伝記資料」の中から、若き日の栄一青年が藍玉の行商先の
上田市神畑村で、村の青年たちと石担ぎに興じた話を見つけました。

その時のブログ記事がこれです。

「力石を担いだ栄一翁」


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命ってすごい!

八坂神社の力石と「はじめてのスマホ」の、二つの途中ですが、

ニュースです!

青虫クンが蝶になりました!

農協市場のレジ台で、あわや捻りつぶされそうになった青虫クンをもらい、
家に連れて帰ったのが昨年11月。

とりあえず手元にあったガラス瓶へ。

それがあっという間にサナギに。

CIMG5372 (4)

あれから4か月。

もう菜の花が咲き始め、蝶が舞っているというのに、
うちの青虫クンに羽化の兆しはありません。

2週間ほど前、試しにフッと息を吹きかけてみたら、お尻をピク。

生きてました。やれやれ。

ところがそれからまた沈黙が続いて、やっぱりダメかと思っていたら、

3月18日8時30分、羽化が進行中でした。

CIMG5558 (2)

縮れていた羽根がきれいに伸びました。

ひと安心です。

CIMG5562 (3)

飛び立つ瞬間に立ち会いたいなぁ。
立ち会って、「元気でね!」と一声かけたいなぁ。

と思っても、なかなか飛び立ちません。

山の峰々には山桜が、ふわりふわりと見え隠れしています。

まだ大丈夫だろうと、
気になるスマホを手に、あれこれいじっていて、
ふと、顔を上げたら、いない!

しまった!

あとに残ったのは、脱ぎ捨てた皮と体液が一つ。

CIMG5563 (3)

でも、無事に空へ送ることができたんだもの、

これでいいのだ!

命ってすごいですね。
4か月も飲まず食わずで、生きていたんですもの。

誰にも教わらないのに、一人で殻を破って変身して、
果敢に大空へ飛び立っていくなんて、すごい。

でもこの青虫クン、モンシロチョウだと思っていましたが、
それより小型で、羽根が黄色味を帯びていました。

みなさま、正確な名前、教えてください。


     ーーーーー◇ーーーーー

「神田川徳蔵」の縁者の方から、
「明日のNHK大河ドラマで、力石を持ち上げるシーンがあります」
とのご連絡をいただきました。

残念ながら私はテレビを持っていないので、
みなさま、ぜひご覧になってご感想をお寄せください。


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はじめてのスマホ

今月の初めから、私は毎日、パソコンとにらめっこでした。

それというのも、ガラケーから「はじめてのスマホ」へ替えようかという、
そんな気持ちになって…。

まあ、力石と同じで、
若いみなさまからしたら、なんと時代遅れな、と思われますね。

12年間、お世話になった携帯電話さまです。
一度の故障もなく、今も快適。電池の持ちもいい。

でもいつ壊れるかわからないし、ちょうど2年縛りが終わる月だし。

CIMG5549 (2)

最初はネットショップでの購入を考えていたんです。

でもネットショップでの支払いは、クレジットカードのみ。

クレカ嫌いで来た私です。

ガラケーの支払いは12年間、コンビニ払い。

でも、
高年齢、低収入、一度もクレカを使わなかったという三拍子揃っていて。
見事、審査に落ちました。

私に残されている道は、店舗での購入と口座振替。

この条件のところは少ない。
その希少な店舗へ行って、ゲットしてきましたよ。

CIMG5551 (2)

あまりの嬉しさに、販売店のお姉さんにケーキの差し入れ迄しちゃいました。

でも今時は、製品説明書がついてないんですね。

あれがないと、お手上げです。

仕方なく、本屋で買ってきました。よく見たら似たような本ですね。
でも、これがあればなんとかなると、楽観。

CIMG5553 (2)

意気揚々と帰宅。

夕食もそこそこに、早速、取り掛かりました。

なんだかやたらアプリというやつが並んでいて、うっとうしいなぁ。

なんでこんなにややこしいのか。

それでも住所データを移して、こまごまやり始めた。

そうだ。お姉さんが言ってたな、
「まず、マイなんとかにログインして」って。

で、IDとパスワードを入れたら、「すでに使われています」だって。???

再度、慎重に間違えないようやってもダメ。
そのうち、ロックがかかった。

本人確認ができない。

無駄な時間が流れていく。ああ、やだ! 


<つづく>


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念ずれば

栗橋八坂神社の力石5個のうち、4個まではご紹介しました。

あと1個は、というと、

これです。

IMG_8755.jpg
埼玉県久喜市栗橋北・八坂神社

この石は無刻字の石ですが、もともとこの小祠の脇にありました。

当時の宮司さんが、
「大神輿渡御の担ぎ手たちが担ぐ前の肩慣らしに使った」
とおっしゃった力石の一つです。

知らない人にはただの石ころに見えようとも、
長年、この町の若い衆たちの肩を鍛えた大切な力石だったのです。

こちらは、移転工事中の神社の様子です。

古い鳥居の台石と「享保石」です。

IMG_8871.jpg

灯ろうの足元には亀さんが2匹。

ちょっと不安げです。

「私たち、新しい神社へ行けるかしらねぇ」

栗坂5

先日、近所を散歩中にこんな案山子(かかし)に出会いました。

用済みになった「嘆きの案山子夫婦」です。

妻です。
CIMG5542 (2)

夫はというと、
がんばって起き上がりかけて、力尽きたようです。

思わず、声を掛けてしまいました。

「大丈夫、大丈夫。実りの秋には出番がやってきますから」

CIMG5543 (2)

埋もれた力石や案山子夫婦を心配そうに見ている人が、
もう一人いました。

はるか埼玉県の、とある自販機の横に立つゴミ箱くんです。

IMG_0502.jpg

ちょっと悲し気な目をしたゴミ箱くん、意を決して声をかけました。

「力石くんに案山子さん。
先代のゴミ箱じいちゃんが言ってたよ。

念ずれば花開くって。

でもぼくらは自分では動けないし。
そういうじいちゃんだって年がら年中ここに立って、空き缶ぶち込まれて。

あげくに、
コーヒーだのジュースまみれでガタが来て、最後はゴミ捨て場行きだった。

じいちゃん、
何を念じていたのかなあ。
じいちゃんの花は開いたのだろうか」


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みんな、埋もれていく

八坂神社の池の底には、3個の力石がありました。

「大橋源太郎」の石は前回ご紹介した通り、土嚢に埋もれていた。

次に斎藤氏の目に入ったのは、植木の根元にあった「三十□」の石。

こちらは13年前の「三十□」石です。
img20210225_16013757 (4)
埼玉県久喜市栗橋北・八坂神社

それが13年後には、こうなっていました。

雑草に埋もれていますが、以前と同じ木の根元にありました。

IMG_8897.jpg

石って不思議なんですよ。

長い年月のうちに、自らどんどん土の中へ潜り込んでいくんです。

こちらの石はまだそこまでいってはいませんが、この先どうなりますか。

CIMG0302_20210309204708784.jpg
静岡市清水区由比西倉沢・倉沢自治会館

下の写真は、木の根と囲いの石に挟まれた力石です。

10数年前に写したものですが、
ここに置かれてからすでに長い年月が経っていました。

当時、これが「力石」だということをご存じだったのは、
御年配の方、たった一人だけでしたから、
今はもう知る人もいなくなったのでは、と思います。

一生懸命探して記録して、後世に伝えてくださいとお願いしても、
あまり効果がなく、虚しくなる。

だんだん、私は何をやっているのだろうか、という気持ちになる。
外部の人間が勝手にやってきて、地元の方にあれこれ要求などして。

これってエゴではないか。自己満足に過ぎないのではないか。

まして無銘の石など、残してなんの価値があるのかとさえ思えてくる。

CIMG0227_20210309210226842.jpg
静岡県賀茂郡東伊豆町稲取・八幡神社

とまあ、ため息をつきつつも、八坂神社に戻らねば。

で、もう一つの人名刻字、「出井友吉」さんの石はどうなっていたかというと、

「以前は左のブルーシートの手前あたりにありました。
ただ池が掘り下げられていて危険なので、近寄るのは断念しました」と斎藤氏。

IMG_8780.jpg
埼玉県久喜市栗橋北・八坂神社

この3個の石はもう助からないかもなあと、またまた虚しい気分に。

埋もれてゆくのは石ばかりではない。

石に込められた人々の大切な思いも歴史的背景も、
それが定めかのように、こうしてみんな埋もれていく。


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ああ、無残!

栗橋八坂神社の力石は全部で5個

2007年に斎藤氏が4個発見。

残り1個は、2020年10月発見の「享保石」で、
発見者は、ブログ「路傍学会」">「路傍学会」の会長さんです。

この新発見の報を受けて、斎藤氏、「こりゃ大変だ」と八坂神社へ。

神社は移転工事の真っ最中。すっかり様相が変わっていました。

石鳥居の向こうが仮殿。後方に新築中の社殿が見えます。

栗坂6

2007年当時、力石は涸れた池の底にありました。

しかしその池も、塀と生垣で囲まれていて様子がつかめません。

IMG_8873.jpg

果敢にも、塀と生垣のすき間から池側に入り込んだ斎藤氏、
池を目の当たりにして、唖然茫然。

2007年当時、立ち会ってくれた宮司さんは、
「明治の石は日清戦争の出征兵士の奉納したものではないか」といい、

さらに、

「大神輿渡御の担ぎ手たちは、神輿を担ぐ前に力石を担いで
肩慣らしをしたという言い伝えがあります」
と、力石のことをよくご存じだった。

「この方なら」と思い、宮司さんに保存をお願いして帰ったのに、
13年目に来てみれば、放置されたまま。

しかも、さらに悪い状態になっていた。

土嚢を敷き詰めたすき間に、見覚えのある石を見つけた斎藤氏、
「二十五メ 舟戸町 大橋源太郎」の力石だと確信。

IMG_8905_20210306174755972.jpg

土嚢をどかしたら「二十五メ 明治」の刻字を発見。間違いなかった。

IMG_8911.jpg

氏子さんの反対にあって、保存を断念したのかもしれないけれど、
これでは、
この神社に戦勝安全祈願を掛けて、お国のためにと戦地へ向かった
「大橋源太郎」さんは、浮かばれません。

あとの石は、と探し始めた斎藤氏の目に、
またも無残な姿力石が…。


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プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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