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獅子舞・南砺物語⑤

獅子舞に入る前に、北海道の力石をご紹介します。

といっても、北海道の力石はわずか11個

石担ぎに興じる余裕がないほど、過酷な日常だったのかもなぁと思いました。

その数少ない力石を二つ、ご紹介します。

一つは、
屯田兵によって開かれたので「屯田兵村」と呼ばれた
旭川市永山にある永山神社の力石です。

「奉納 九斗五升目力石 
 藤川惣吉 二階堂朝太郎 国沢芳之助
「奉納 国沢芳之助

屯田兵村の構成は、1村400人の村が6カ所で、計1,200戸。
入植者は主に四国、和歌山、岡山、鹿児島など西の地方だったそうです。

旭川永山神社 (2)
北海道旭川市永山・永山神社

昭和62年、永山神社奉賛会会長がこんな話を残しています。

「往時、神社祭典、招魂祭には青年衆は相撲をとり、
力石を担ぎ、差し上げるなどして力を競ったものである」

もう一つは札幌市・厳島神社の力石です。

入植は明治4年、岩手県から185人、明治17年に広島県からの入植も。
力石がある厳島神社は、この広島県人によって創建されました。

ここはすでに江戸時代、新道建設のため和人が入り、
明治には陸軍が置かれ、大正時代にはりんご栽培や酪農が盛んになった。

近代には冬季オリンピックの会場となり、
札幌ドームもできて、近代化へ一直線

入植という暗さはあまり感じられません。

石銘は「力石 二十八貫」

台座には14人の「肩揚成功者」の名前が刻まれています。
昭和46年建立。

札幌厳島神社 (2)
北海道札幌市豊平区福住・厳島神社

過酷とはいえ、
政府公募の屯田兵は、家も食料も農具も支給されて恵まれていた。

民間の手引きや自費での入植者はどうだったかというと、

開高健の小説「ロビンソンの末裔」の如き、
惨憺たるものだったのかもしれません。

この小説は、
第二次大戦の戦争末期、政府公募で北海道を目指し、
途中で敗戦となって国から捨てられた入植者たちの悲惨さを描いたもの。

富山県立博物館協会の渡辺玲子氏の、入植の足跡をたどった論文にも、
入植者の厳しい様子がうかがえます。

渡辺氏によると、富山県砺波地方の人たちの主な入植先は、

「石狩国幌向(ほろむい)原野
「十勝国中音更(なかおとふけ)原野」「天塩国名寄太(なよろぶと)原野

原野、原野で気が遠くなりそうですが、
そんな中、人々はふるさとの神社や寺を心のよりどころとし、
ふるさとの祭りを導入してがんばってきた。

その原動力となったのが、富山県で盛んな「獅子舞」だったようです。

まずは富山の獅子舞を、下記の動画でご覧ください。

「南砺市文化芸術アーカイブズ」


※参考文献/富山県博物館協会・渡辺礼子
  「明治・大正期に砺波地方から北海道へ移住したひとびとの足跡を辿る」


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高島先生ブログ(1・10)

「神奈川県鎌倉市小袋谷・公会堂」

穴がボコボコ開いています。

   ーーーーー◇ーーーーー

コロナだけでも大変な時なのに、記録的な大雪になってしまって。
雪国のみなさま、どうか、ご無事でいてください。


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プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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