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屯田兵?・南砺物語③

みなさま、お正月はいかがお過ごしだったでしょうか。
私は食っちゃ寝の寝正月。

腹ごなしに散歩に出たら、公園の上空にたくさんのカイト(凧)が…。
沼を埋め立てて造った広い広い公園です。
スケボーやローラースケート、一輪車の子もいます。

子供たちの歓声が風に乗って舞い上がっていきます。
凧あげは子供よりお父さんの方が必死。

子供たちの元気な声、ホッとします。
久しぶりにお正月らしい光景に出会って、大満足でした。

もう少し、富山県の話を続けます。

   ーーーーー◇ーーーーー

「夜高祭」の福野町に、桐木(きりのき)という集落があります。

この集落の墓地に力石が一つ置かれています。

これです。

南砺市桐木・古井家墓地
富山県南砺市福野地区桐木・古井家墓地 71×40×24㎝

刻字があります。

「大正七年四月一日於地蔵堂庭 桐木村力士 古井□□肩此石
北海道中士別 長谷川政五郎記」

桐木村の古井家のどなたかが、地蔵堂の庭でこの石を肩まで担いだ。
その栄誉を後世まで伝えるため、
北海道中士別の長谷川政五郎さんがそれを石に刻んで奉納した。

この桐木村は、野口雨情に歌われた
「人寄せ石」の今井政次郎の生地、梅ヶ島村の近くです。

二つの石の刻字年代も近いので、二人は顔見知りだった可能性があります。
もしかしたら、北海道の長谷川政五郎も昔の仲間だったのかもしれません。

で、注目したいのは、「北海道中士別」という地名です。

士別市はどこかというと、旭川・旭山動物園の上部、赤丸のところです。

Hokkaido_x.gif

ここは元ボクシング世界王者の輪島功一氏が育った町。
そして、今は「めん羊の町」として有名ですが、

かつては一面の原野。

明治七年(1874)、ロシアの南下を恐れた明治政府は、
北海道の警備と開拓のため、
屯田兵(とんでんへい)」制度を作って多くの人を送り込んだ。

実はこの制度の本当の目的は、
明治維新で失業した大量の武士の救済反乱防止

当然、最初の入植者は失業士族だったが、のちに一般平民に替わった。

制度発足から25年後の明治三十二年(1899)、
この士別市へ約100戸入植。

富山県からも多くの農民が新天地を求めて渡って行った。

しかし欧米列強のアジア植民地化や日清戦争の勃発で、
政府の目は朝鮮半島や中国大陸へと移ったため、
「屯田兵制度」は明治三十七年に廃止。

士別は「最後の屯田兵村」になったという。

2019年、士別市では屯田兵の住まいを改修復元。

「改修前」と「改修後」の家をご覧ください。

「屯田兵屋改修復元事業概要」

極寒の地なのに、あまりにも粗末な家で驚きました。

ヒグマや毒虫の危険を伴いつつ、クマザサが生い茂る荒れ地の開墾。
当時の苦難を文字で知るだけでも、すさまじさが伝わってきます。

そんな中でも事業を起こし成功する者もいた。

力石に「中士別」と刻んだ「長谷川政五郎」が、
入植者だったかどうかはわかりません。

でも私はこう思いたい。

新天地で成功した一人で、石に自分の名を刻むことで、
故郷に錦を飾ったのかもしれない、と。

しかし今はもう、
「北海道中士別」の文字を刻んだこの力石だけが、
長谷川政五郎の生きた証しを伝えるものとなりました。


   ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(1・4)

「静岡県賀茂郡河津町谷津・河津八幡宮」

待ってました! 仇討ちの曽我兄弟のお父さん登場です。

といっても、今どき「曽我兄弟の仇討ち」と言っても通じるかどうか。
ま、とにかく、鎌倉時代の力石です。


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プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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