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モンシロチョウと年越し

先月末、いつもの農協市場へ買い物に出かけたときのこと。
レジ台の上に青虫が一匹、乗っかっていて…。

きっと、誰かの買い物の野菜からこぼれたんですね。

「あ、青虫クンだ!」と言ったら、
レジの女性が慌ててティッシュで押さえたので、私も慌てて、

「あ、それ、いただいていきます」と。

さてさて、チョウになるかになるか。

この前、ブロッコリーから出てきた青虫は、
なんだか動きがおかしかったので、もしやと思ったら、
案の定、変色して芋虫に変わり蛾になった。

今度のはどうかなと思っていたら、
翌日には早くも緑色のサナギになって、シロチョウを証明してくれた。

後日、レジの女性に「チョウでした。無事、さなぎになりました」と伝えたら、
「わーっ、よかった」と笑顔がこぼれた。

CIMG5372 (4)

今は越冬体制。

寄生虫にもやられず寒さにも負けず、
ポカポカ陽気につられてうっかり羽化しないよう願いつつ、見守っております。

農家さんにとっては害虫ですが、許してね。

無事冬を乗り切って、春の柔らかい陽光の中へ飛び立てたら
そのときはまた、ご報告いたします。

今年もたくさんの方に拙ブログへお越しいただき、
貴重な新発見情報やうれしいコメント、含蓄ある句などを頂戴しました。

心よりお礼申し上げます。

閉塞感いっぱいの日々ですが、
体力気力が続く限り、この駄文を発信していきますので、
来年もまたよろしくお願いいたします。

このトウガラシのように、鮮やかピリッと行きたいものです。

CIMG5375 (2)


みなさまのご多幸とご健康を祈りつつ。


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浪速の長州力さんから

力の限界に挑み続ける
浪速の長州力さんから郵便が届きました。

もしや、と思いつつ開けたら、やっぱりクリスマスプレゼント!

カードも入っています。

CIMG5394 (3)

奥さま手作りの小物入れと草木染めのハンカチです。

小物入れは裏地つき。丁寧な作りです。
私のためにひと針ひと針、と思ったら胸にポッと灯がともりました。

以前いただいた手提げ、まだ使ってますよ! 型崩れもなくものすごく丈夫。
これも奥さまの手作り。

金糸で「花吹雪」の刺繍が入っています。
みなさん、「なんだろう」と不思議な顔をします。

CIMG5392 (2)

そういえば、縁結びのお守りをいただいたこともありました。
もう手遅れ~と言いつつ、財布へ。
北陸の力持ち大会へ出場したときのお土産に塗り箸も。

白い手袋、あれはよくわからない贈り物だったけれど、
浪速さんが大好きな高倉健さん同様、「不器用な男」なんですね、きっと。

カードに、「道場も20年を迎えました」とありました。

「20周年、おめでとうございます!」

浪速さんの道場の看板です。
CIMG2507_20201226150658cb2.jpg

道場の内部です。2階もあります。

姫路市の蛭子・神明神社の力持ち神事へ出かけたときのものです。

真ん中が浪速さん、背中を向けているお二人は大江誉志さんご夫妻。
このときから、もう5年もたつんですね。

CIMG2528_20201226151104794.jpg
兵庫県尼崎市南武庫之荘

一昨年、自身が出場する力持ち大会の取材に誘っていただきましたが、
私は体調が今一つで断念。

昔みたいに後先考えずに飛び出すことが、あまり出来なくなりました。

それでも忘れずにいてくださる。

これも「力石」のおかげですね。

そんな私を富山の素姓乱雑さんが、句に詠んでくれました。

 ちから姫筆一本で力石(いし)を挙げ  素姓乱雑

浪速の長州力さんの晴れ姿です。

img832_2020122615245682d.jpg

そういえば、噺家を目指して修行中とおっしゃっていたけど、
どうなったのか今度、内緒で教えて下さいね。

江戸っ子力持ちは、仕事が終わった後は、
小唄、端唄を習いに師匠のところへ通ったっていいますし。

力持ちの落語家誕生、期待しています。


   ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(12・26)

「香川県仲多度郡まんのう町神野・神野神社」

ここの力石は、
まさかこんなところに、というような意外な場所にあります。


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モウすぐ正月だァー!

南砺市の途中ですが、「おらが村の芸術家さん」恒例の、
干支の作品が完成しましたのでお披露目いたします。

コロナで世界中に暗雲立ち込めて…。

来年の干支の丑さん、
「モウすぐ正月だァー!」と叫んでいますが、

ホント、明るい新年にしたいですよねぇ。

今年も大作です。作品は乳牛。

「ブタかと思った」って? 失礼な。

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どうです、このはちきれそうなおっぱい。

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今回はカヤもワラも使わなかったのね、と思ったけど、
やっぱり使ってました。

シッポの先です。

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この目ん玉、見てください。

「世の中の悪という悪は、この目ん玉が見逃さないぞ!」

と言わんばかり。

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どうだ! わたしのこの迫力。

モウ、暗い世の中とはおさらばよ! 

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「ねえ、ちょっとあんた。変なのがでてきたわよ。
台所の三角水切りカゴの鼻づらに、ゴムホースなんか突っ込んでる」

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「ふうむ。
白黒まだらの奇妙なヤツだな。だけど、あいつも牛には違(ちげ)ェねえ。
それにやる気満々じゃないか。

世界は人類存亡の危機だっていうし、
俺たち正統派も、こうして寝そべっている場合じゃないのかも」

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兵庫県姫路市広畑区小坂・菅原神社

来年こそはコロナを退散させて、明るい世の中にしたいですね。

丑さん、頼みますよ!


   ーーーーーふと思うことーーーーー

駅構内からベンチが消えて久しい。
バスターミナルや商店街のベンチに間仕切りのようなものが付けられて
もう何年にもなる。

なんでそんなことをするのかと思ったら、「ホームレスが寝るから」と。
そういえば、人が寝られないような形の石製のベンチも増えた。

昼間の市役所では、休憩所に座っていたホームレスらしき男性を
警備員が追い払っていた。

何度追われても男性はあきらめず、別の椅子に座る。
それを警備員が罵倒しつつ、執拗に追い立てていた。
不安定な世の中。だから警備員さんだって私だって、
明日は彼と同じ境遇になるかもしれないのに。

人はいつからこんな意地悪になったのだろう。
ベンチに横になることすら許さないって、心が貧しすぎやしないか?

ある日、地下道へ下る石段の途中に中年のホームレスが座っていて、
脇を通った時、異様なにおいがして、これはと思った。
彼は座ったまま、亡くなっていた。

私は間仕切りのついたベンチを見るたびに、
大勢の人が行き交う階段に座っていたあの土気色の顔を思い出す。  


   ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(12・24)

「埼玉県さいたま市浦和区本元・氷川神社」

えびす・大黒さまの脇に、狛犬のように控えている力石です。


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人寄せ石・南砺物語②

新発見の力石から話が飛びますが、もう少し南砺市の話題を…。

だって南砺市って、おもしろいんですよ。

まずはこれをご覧ください。
前回から人さまの動画ばかりお借りしちゃっていますが、お許しあれ。

南砺市福野の「夜高祭(よたかまつり)です。

大小20個以上の行燈(あんどん)が町を練り歩くので、
「行燈祭」ともいうそうです。

行燈と聞いて、道沿いに並ぶ明かりを想像したのですが、

これほどとは!



なぜこの祭りをご紹介したかというと、力石も関わっているからなんです。
すでに記録済みの石ですが、まずは祭りゆかりの力石からご覧ください。

真ん中の台座上の石にご注目。

「六十三〆
梅ケ嶋村 今井政次郎 願主 佐々木嘉三太郎」


六十三〆(貫目)は約236㎏。

これを担いだ今井政次郎はご当地の有名力持ち
願主の佐々木嘉三太郎は、これまた著名な宮大工
 
※石の刻字と「嘉三太郎」表記は、南砺市観光協会「旅々なんと」から引用。

南砺市福野・神明社
富山県南砺市福野・福野神明社。86×35×31㎝

「真ん中の石より左の石の方が重そうだ」ですって?
確かにね。
でも「この石、以前はなかった。いつの間にか増えていた」と高島先生。

さて、「旅々なんと」によると、

「明治末期、佐々木が能登半島の和倉温泉の湯を運んできて
銭湯を営んだ。その宣伝のため、福野の銀行四つ角で盤持大会を開いた」
 
※銀行四つ角=4つの町の中央にある場所。周囲に銀行が3行ある。
       江戸時代の高札場。

人を寄せるために使われた石なので、
「人寄せパンダ」ならぬ「人寄せ石」といわれたとのこと。

力石や盤持大会が銭湯開店のPRに使われた、
そんな時代があったんですねぇ。

宮大工・佐々木嘉三太郎と力持ちの今井政次郎、
この二人の名が刻まれた力石は、政次郎の生地・梅ケ嶋村にもあります。

これです。
南砺市梅ヶ島村・富士社
富山県南砺市梅ヶ島・富士社。90×38×27㎝

「明治三十八年三月十一日 
力士 今井政次郎 願主 佐々木嘉太郎」


※嘉太郎=「富山の力石」に記載=は、嘉三太郎と同一人物と思われる。
 どちらの名前が正しいのか、ご存じの方、ご一報ください。

さて、前述の「人寄せ石」の話に戻ります。

この石は、銭湯開店の盤持大会から20年ほどたった昭和7年
もう一度注目を浴びます。

この年、詩人の野口雨情が、
「夜高祭」に歌われる「夜高節」の作詞のため、福野へ来た。
 
※野口雨情=「十五夜お月さん」「赤い靴」などを作詞。

そのとき作詞した五首の中の一首に、この力石が歌われたのです。

「福野四つ角人よせ石は
      ひるの日中も寝てばかり」

銭湯のPRに一役買った力石は、その後は銀行四つ角に置き去りにされて、
もう、ふて寝しているしかなかったんですね。

今は「夜高祭」で有名な神明社で、お仲間と一緒。

よかったネ!

さて、ここでまた「夜高祭」の動画をご覧ください。

この祭りのクライマックス、「行燈の引き合い(ケンカ)」です。
すれ違うとき、よその町同士が相手の行燈を壊すのです。



手間もお金もかけた豪壮な行燈が惜しげもなく壊されていきます。

その昔、力持ちの政次郎を始め、いずれ劣らぬ力自慢たちもまた、
この祭りに血沸き肉躍らせて、全力でぶつかっていったことでしょう。

雪に閉ざされた「静」から、一気に「動」の世界へ。

雪の恐さも大変さも知らない土地で、のんべんだらりと暮らしている私は、
ただただ圧倒され、驚き、興奮して、

すっかり魅了されてしまいました。


※参考文献/南砺市観光協会HP「旅々なんと」
     /「富山の力石」高島愼助 岩田書院 2007


   ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(12・20)

「静岡県富士宮市内房大嵐・薬師堂」

高島先生のブログに出てくる力石はここにあります。
「大嵐」は、「おおあらし」と読みます。

山梨県と静岡県の境の集落です。

この薬師堂は今川方の武将・嵐大門の屋敷跡と言われています。
戦国時代、甲斐の武田氏の駿河侵攻で大門は討ち死に。
生き残った子孫は風の岡=風岡と改名して現在に至っています。

大嵐薬師堂

大変立派なお堂ですが、これを再建したご子孫の元・高校教師は、
私が訪れたときはすでに亡くなり、過疎の集落になっていました。

あっちの峰に数軒、こっちの谷間に数軒。

この薬師堂の隣りに若者宿があって、
夜になると赤々と明かりが見え、にぎやかな声が聞こえたという。

みなさん、昔の若い衆の話を楽しそうに語ってくださった。


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富山県南砺市城端・西新田神明社

久々の新発見です。

情報提供者は、
ブログ「嘘だまり」の素姓乱雑さん。

「私たちの地区のお宮さんにも力石が1個あります」

場所は、富山県南砺市(なんとし)城端(じょうはな)の
西新田神明社とのこと。

城端といえば「善徳寺」があります。

立派な力石があって、(テカテカしています)
img20201212_23535171 (3)

今も「盤持ち大会」を開催しているお寺です。(今年はコロナ禍で中止)
米俵二俵の重さは、なんと120㎏ですよ!

img20201212_23535171 (2)

~ ところは城端盤持講ハイ あれは名高い善徳寺 ~
~ 盤持甚句の作詞家は 今亡き小矢部の市長さんハイ ~ 

なんていう盤持甚句もあります。

西新田神明社はその善徳寺のすぐ近くというのですから、これはもう期待大。

「その昔、川を遡った一帯に船着き場がありました。海でもないのに
神明社はの印をいただいたお宮です。ですから、積荷を運ぶ力自慢の人達が、
力石を持ち上げたに違いありません」」と素姓乱雑さん。

まずは「南砺市観光協会」の観光地図で「城端(じょうはな)」を確認。

青矢印が善徳寺、赤矢印が西新田神明社
上部の黄丸が「曳山祭」で有名な城端神明宮です。

img20201213_01061483 (2)

西新田神明社の動画「桜と紅葉のころ」をご覧ください。



合掌造りの五箇山や彫刻の井波はこの南砺市だったんですね。
確か実家の欄間が井波のものでした。

かつて「こきりこ」を見たのがここだったとはと、改めてびっくり。

忘れてならないのは「利賀村」です。

1976年、早稲田小劇場の演出家・鈴木忠志氏(静岡市出身)が、
ここ利賀村に拠点を移し、
演劇芸術村として世界に名乗りを上げた=劇団SCOT。

静岡県では利賀村に遅れること20年後の1995年、鈴木氏を招き、
日本平に県舞台芸術センターを開設。こちらの劇団名は「SPAC」。

忘れていたことを、力石探しで思い出しました。ルンルン

西新田神明社のお祭りの動画もどうぞ。



ここ城端(じょうはな)は、善徳寺の門前町として開かれ、
中世から近世にかけて絹織物で栄えた町だそうです。

「小京都」といわれるほど、歴史の深い優美なところ。
富山大学文化人類学研究室の調査報告書には、「小宇宙」とありました。

見どころ満載の町なので、動画を二つも載せてしまいました。

ちょっと載せすぎ…。

でも「麦屋節」も、ぜひご覧ください。
富山県立南砺平高校・郷土芸能部のみなさんです。

もう感動…。

若者のはかま姿はこうでなくちゃ。
成人式で奇抜な着物をだらしなく着たやんちゃたちよ、
この高校生たちの気品と凛とした姿を見習いなさい



で、肝心の力石ですが、ありました!

師匠の知人で富山在住の方が、調査してくださいました。

これです。

「□十二メ目」 81×42×38㎝

これを見た斎藤氏、「寸法からの判断ですが」としつつ、こんな感想を。

「こちらにある百貫余の卯之助石に匹敵する立派な石ですね。
調べたら、富山県には80㎝以上の力石が43個もある。

総数596個のうち43個もあるなんて他県にはない。
富山の男たちは押しなべて剛力者が多かったと想像されます」

南砺市城端西新田・神明社1
富山県南砺市城端・西新田神明社

南砺市の人口は約5万人。ここ城端地区は8100人余。
小さいながら魅力いっぱいの、ものすごく頑張っている町だと思いました。

だって私が今住む地区は城端地区の倍の人口ですが、
古典芸能伝統の祭り一つもありません。

素姓乱雑さんは、
「今となっては想像ですが、
姫の記事のような賑やかな時代があったと思いたい」とおっしゃるけれど、

かつては全くの寒村で、現在では新住民が9割以上という当地には、
その「賑やかな時代」すらなかった。

だから私は、
この重厚な文化を育んできた城端の人々の物心両面の豊かさが、

すごく羨ましい!

さて、この力石、実は最初の動画「桜と紅葉のころ」に出てきます。

探してみてくださ~い!


※参考文献/「富山の力石」高島愼助 岩田書院 2007


   ーーーーー◇ーーーーー

力石情報をお寄せくださった素姓乱雑さんから句を頂戴しました。


  初雪を載せて寒けきけふの力石(いし)  素姓乱雑

  蘇る力石(いし)の威信に胸熱く  素姓乱雑

   
   ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(12・16)

「富山県高岡市大工中町・大木白山社」

北陸地方では力石を「ばんもち石」「ばんぶち石」などと呼びます。
いろんな話が残っています。

「仕事が終わるとお宮さんの境内に集まって、
石を担いだり振る舞い酒を飲んで夏の夜を楽しんだ」

「若衆がいっちょう、やろうかのうと石を持つ。浴衣の裾をからげ、
袖をたくり上げて、胸のあたりで休めないでひと息に差した」

「二十メ(五斗俵=75㎏)を担ぐとイッチョマイ(一人前)になったといって
親が祝い酒を出した」


   ーーーーー◇ーーーーー

北陸は大変な雪
南砺市のみなさま、城端のみなさま、全国のみなさま、
どうか安全にお過ごしくださいますよう、祈っております。


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キャッチボール

共同墓地の力石一つから始まった間宮家追跡。

この「絶えてしまった家」を知る手段は、墓石しかありませんでした。

「墓石はタイムカプセル」とおっしゃる斎藤氏の執念の探索で、
私の手元には写真や資料、聞き込み調査などが次々送られてきた。

それに対して私から、疑問点やもう少し詳しい説明、
古地図調査の依頼などご迷惑をも顧みず、一日に何回も問い合わせた。

斎藤氏はこれを「キャッチボール」と表現。

まさにその通り!
ボールは投げられては返して埼玉、静岡間を往ったり来たり。

そんな中、私は一冊の本に出会いました。

これです。
img20200928_19202086 (2)

著者は弘前大学・人文社会科学部教授の関根達人先生。

恐れ多くも全くの初対面なのに、私は先生へ墓石の疑問を投げました。
投げたボールは速攻でズバッと返ってきた。

奇しくも先生は、今回の舞台となった町の近くのご出身。

ご実家の古い墓石の写真まで添付して、
私の稚拙な質問にていねいに応えてくださった。

この「墓石が語る江戸時代」のプロローグが素晴らしいので、
要約をここに記します。

「これまで近世史は古文書を中心に語られてきたが、近年では、
絵画資料、考古学資料、民具などの非文字資料にも注目が集まり、
従来の古文書中心の研究が見直されている」

※古文書には偽書が多いから要注意ですね。

「江戸時代には大名から庶民に至るまで多様な階層の人々が、
石に自らの想いや願いを刻むことが流行し、様々な石造物が作られた」

「ところが我が国の石造物研究は美術史から出発したため、
美術的評価の低い近世石造物は、
これまでほとんど研究対象とはならなかった」

こちらは今年出版されたご著書です。

石に刻まれた江戸時代

この中には静岡市・駿府城跡の堀端に建つ「教導石」も紹介されています。

先生は、こう言っています。

に刻まれた石造物の歴史は、
に書かれた歴史(古文書・絵画)や
大地に埋もれた歴史(考古学)、
人から人へと伝えられる歴史(歌舞伎や落語)とともに、

江戸時代を知るうえで重要な歴史資料。

石造物の文字数は格段に少なく情報量に乏しいが、
だからこそ、慎重に選ばれた一文字一文字には、
重要なメッセージが込められている」

考古学がご専門の先生が、学生と共に墓石の悉皆調査。

「足でつかむ歴史」を実践されていたと知り、
私は嬉しくてたまりませんでした。

さて、消えた間宮一族の調査を終えた斎藤氏、
夕暮れ迫る田舎道を愛車の黄子嬢と走りながら、こんな歌を詠みました。


碁石(いし)を打つ 察元、左門 力石(いし)を挙ぐ
    生地(せいち)よ遥か 空風ぞ吹く      斎藤呆人


IMG_9572.jpg
道中で見つけた子供の忘れ物「アンパンマンのバケツ」

その斎藤氏の歌に触発されて、私もこんな戯れ歌をつくってみました。


 ♪ 察元碁石(いし)を打つ
  左門は力石(いし)を差す
  ヘイヘイホー ヘイヘイホー
  はるかなあの日々 もう戻らない
  栄(は)えある一族 もう誰もいない
  ホーホーホーホー



タイトルは「愚作」…。

「消えた間宮一族」は、これにてオシマイ


   ーーーーー◇ーーーーー

今回もまた斎藤氏に100%、助けていただきました。
  
断密ポタを武器にした行動力・調査力、鋭い勘と洞察力で、
私は居ながらにして、
新資料、新発見、的を得た豊富な写真等を頂戴しました。

ただただ感謝!

これからもキャッチボール、よろしくお願いいたします。


※参考文献/「墓石が語る江戸時代ー大名・庶民の墓事情」関根達人 
      吉川弘文館 2018
     /「石に刻まれた江戸時代‐無縁・遊女・北前船」関根達人 
      吉川弘文館2020


   ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(12・12 )

「神奈川県座間市新田宿・公民館」

歌人・天野翔氏の俳句や歌を紹介しています。
天野氏も力石に魅せられたお一人。
各地に力石を尋ねて、たくさんの歌を詠まれています。


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地域の人に守られて

「間宮家は、絶えてしまった家だからねぇ」

幸手市郷土資料館の学芸員さんも、地元の方も、
菩提寺だった宝聖寺のご住職も、みんなそう言った。

「絶えてしまった家」

なんて悲しい響きだろうと思った。
明治期の地図には存在のマークがはっきりついていたのに…。

その間宮家の4番目の墓所は意外なところにあった。

ここです。鳥居の扁額に「香取神社」とあります。

間中家1

この神社は明治44年の合祀で消えたはずなのに、と思っていたら、
「幸手市史」にこうありました。

「外郷内の氏神だった香取神社がなくなってしまったため、代わりに、
そのころ神社総代をしていたM家の屋敷神だった香取神社を
屋敷の内側から表に出し、株(外郷内株)で祀ることになった」

時の権力者から神社統合を強制されて、集落の氏神は消滅したけれど、
氏子には今まで通りの精神的な拠り所が必要だったんですね。

※平須賀村は六つの集落の集合体で、集落ごとに「株」と呼んでいた。

さて、
地元の方からM家の現・当主がここでは一番の長老だと聞いて、
早速、訪問した斎藤氏、そこでM家の奥さまからこんな話を聞いた。

「先々代はこんな墓石もここに移したの」

なんと、神社の庭に墓石が…。
それを見た瞬間、斎藤氏は「もしや、間宮家のでは」と思ったという。

奥さまの話では、昭和55年(1980)ごろ、
道路の拡張整備で路傍にあった墓石が撤去されることになり、

それを不憫に思った先々代が、
自分の屋敷内の香取神社の脇に移設したのだという。

間中家2

共同墓地にも入れてもらえず、
道路わきにポツンと取り残されていた光景に、
「絶えてしまった家」ならではの無念さ、寂しさを感じます。

平成九年発行の「幸手市史」によると、
平須賀の戸数はわずか「145戸」

外郷内は六つある集落のうちの一つだから、戸数はさらに少ないはず。
ここへ移設したM家の先々代は、事情をよくご存じだったに違いない。

でも今はもう知る人もなく、M家の奥さまでさえ、

「天明とか明和とか書いてあるけど、どこのだれのだかわからない」と。

そこで墓石の前の花台を動かしたら、出て来たんです。

「間宮氏」とくっきり。

奥さま、思わず「へぇ~!」

間中家5

この墓石には、宝永三年(1706)から寛政十年(1800)の94年間の年号と、
13人の戒名が刻まれていた。

この一世紀にも及ぶ年月には、
本因坊察元も間宮昌仙先生も、力石を奉納した間宮左門も存在していた。

でもこの墓石は、「幸手市の石造物調査報告書」に掲載されてはいなかった。

墓石の4面にびっしり刻まれた間宮家の人々です。

間中家4

だれもが、「絶えてしまった家」と言ったけれど、
不思議にも、4か所ある墓所のどこもきれいに整備されていた。

花を手向けたり板塔婆を納めたりもしていた。

消えてしまった一族を地元の方々が手厚く祀っている。
今もみんな繋がっているんだと思いました。

力石に刻まれた間宮左門さんが間宮家の一族だったのか、
一族だとしてもどんな地位にあったかはわからずじまいになったけれど、

私は地元の方々のこうした優しさに触れることができた。

それだけで充分だと思いました。


※参考文献「幸手市史 民俗編」生涯学習課市史編さん室 平成9年


   ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(12・8)

「岐阜県郡上市大和町古道・白山神社」

出ました! 大江誉志氏の登場です。

当事者ならではの大江ご夫妻の俳句が紹介されています。
美男美女のお二人、本当に素敵なカップルです。

また私がお会いしたもう一人の力持ちに浪速の長州力さんがいます。

体力、年齢の限界まで挑み、
ずっと力の人生を歩んでこられた浪速の長州力さんは、
ご夫妻共に力持ち大会へ出場という、これまた息の合ったお二人です。

関西へ出かけた折には大変お世話になりました。

その浪速の長州力さんと大江誉志さんのご活躍の様子を、

「力持ち大会」

で、ぜひご覧ください。


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墓石が伝えるもの

「消えた間宮一族」、そろそろ終盤に近付きました。

人さまのことを根掘り葉掘り。ごめんなさいね。
でも田んぼの中に墓石が散乱していたと聞いたとき、父の実家と重なって。

私の父の実家は、
戦後、最後の当主が没して、東京在住の娘夫婦が相続したけれど、
関西在住の息子の代で墓じまい。

その折、
江戸初期からの年号のついた墓石群はかたわらに放置されたと聞いた。

今は亡き父と墓参した折、父が墓地の隅に並んでいた小さな石枕を指して、
「門前によく捨て子があってね。衰弱していて育たなかったんだ」と。

そういう赤ん坊を墓地の傍らに葬って、小さな石を乗せたという。

墓じまいから40年近くたった一昨年、
市が放置されたままの墓石の処置に困っていると人づてに聞いた。

下の写真は、子供の供養のための石仏です。

「本因坊九世察元」が囲碁界で隆盛を極めていた頃の建立で、
察元の兄・又左衛門が間宮家の当主だった頃のものです。

「妙相童子 㚑 安永六(1777)酉十二月二十四日 間宮氏」
間宮家宝聖寺
幸手市平須賀・宝聖寺・間宮家墓所

今回、「左門」銘の力石から、はからずも間宮家の墓巡りになりました。

最初は「本因坊察元」の墓石と「左門石」がある共同墓地。
二番目は貯水槽脇の墓地。

放置されていた墓石の下を掘ったら、たくさんの墓石と人骨が出てきたので、
宝聖寺に頼んで供養してもらったとのこと。

三番目の墓所はその田んぼから出た墓石を運んだ宝聖寺にありました。

ここには貯水槽脇に保存された墓石の主「間宮昌仙先生」の娘が、
両親の菩提を弔うために建立した立派な宝篋印塔もありました。

そしてなんと、4番目の墓所が見つかったのです。

墓石は一基のみ。

この墓は以前、路傍にポツンと置かれていたそうです。


   ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(12・4)

「富山県下新川郡朝日町金山・日吉社合殿熊野社」

地面に置き去りにされた力石もあれば、
立派な台座に居場所を与えられた力石もあります。

どちらの石にも物語が染み込んでいますが、
それを聞いてくれる人がいなければ、ただの石に還っていきます。

人も石も同じかも、と思う今日この頃です。


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数奇な運命

幸手市平須賀村は、川の古い流路跡に発達した村で、
こんなふうに弓なりの形をしていたそうです。

村の内円と外円は低湿地帯で、
弓なりになった内円部には平須賀沼があった。

「幸手市史」によると、この沼は万治元年(1658)に開発されて、
そこに「神扇村」という枝郷ができたとのこと。

img20201129_14462301 (2)
「幸手市史通史編1」より

本村も順次開発されていったが、
「外郷内は最も遅く開けたものと想像する」とありますから、
農地として機能し始めたのも一番最後かと思います。

で、私、「あれっ?」と思ったんです。

貯水槽工事で発見されたあの田んぼの中の、
「間宮家墓所」の宝篋印塔は正保二年(1645)です。

もっとも遅く開発された外郷内なのに、
この石塔は、
この地の開発に着手した万治元年より13年も古い。

どういうことなんだろうって。

墓間宮屋敷

外郷内(そとごうち)とは、内郷に対する外郷」

という意味だそうですから、村はずれの荒れ地。
そこに間宮家は居を構えていたことになります。

湿地帯の荒れ地で、一族郎党が食べていくには大変だったはず。
そう考えたとき、
「杉戸町の地名・地誌」の著者のこの記述が本当のように思えてきた。

「北条氏滅亡で間宮家は外郷内に土着し、二男が下高野に分家した」

分家して活路を別に見出したとしても不思議ではない。

沼の開発着手の13年も前に建立した宝篋印塔。
百姓として土着した苦闘の中にも武士としての誇りを忘れたくない、

そんな思いが、
この石塔にも土地に沁み込んでいるように思えてなりません。

その跡地で斎藤氏は地元の方からこんな話を聞いた。

「昭和五十四年(1979)、生垣で囲まれた共同墓地の生垣を取り払い、
ブロックとコンクリートで改装した際、

間宮左門と刻んだ石が出てきた」

航空写真をご覧ください。

ッ枚焼けと共同墓地2
時系列地形図閲覧サイト 埼玉大学教育学部・谷謙二(人文地理学研究室)

左端の赤い四角は香取神社があった場所。
黄色い丸は「共同墓地」。

右端の緑の丸は「貯水槽脇の間宮家墓所」
※小さい緑の丸は私の書き間違いです。

大きな赤い四角は「間宮家跡地」

明治期の地図では間宮家の屋敷地は、香取神社の脇まで広がっていたから、
元はかなり広大な屋敷地だったと思います。

また、貯水槽あたり一帯も、間宮家の土地であったかもしれません。
なぜなら、かつては自分の土地に、
最初のご先祖を埋葬して守護神にする風習がありましたから。

こちらは共同墓地から見た「貯水槽脇の間宮家墓所」(赤丸)です。

墓共同墓地から見た間宮家

それにしても、「左門石」は、数奇な運命をたどったものです。

刻まれた年号や証言から、こんなことがわかってきました。

今から225年前の寛政七年(1795)、間宮左門によって香取神社に奉納。

116年後の明治四十四年(1911)に香取神社が取り壊されて、
ほかの力石と共に共同墓地の土台石に転用された。

それから68年後の昭和五十四年(1979)に土中から掘り出された。

刻字があったため廃棄をまぬがれ、共同墓地の焼却炉脇へ運ばれた。

それから焼却炉の炎に焼かれること40年余り。

左門3

せめて、同族と思われる
「本因坊・間宮察元」の墓石のそばに置いてやりたい、

と思うのは人情です。


「寛政七乙卯六月吉日

奉納 三十五貫目 外郷内 間宮左門」


この左門石を見続けてきた斎藤氏、こんな思いを吐露。

「察元墓石(墓碑)と左門力石は、時を経ても同じ場所に存在し続けてきた。
この奇跡に、激しい浪漫を感じざるを得ません」

そして斎藤氏も私も願うことは同じ。

「本因坊察元墓石」に与えた「幸手市有形文化財」の称号を、
この力石にも与えてくださったなら、新たな郷土史が生まれ、
消えた間宮一族のさらなる名誉挽回にもなる」と。


※参考文献/「幸手市史通史編1」生涯学習課市史編さん室
     幸手市教育委員会 平成14年
     /「杉戸町の地名・地誌」鈴木薫 私家本 平成5年

 
   ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(11・30)

「福井県坂井市三国町滝谷・吉田宅」

北陸地方では力石を「ばんもち石」「ばんぶち石」などと呼んでいます。

高島先生が調査したころはまだ体験談を聞くことができたから、
エピソードがたくさん残っています。

そんな話を二つ三つ。

「うっかりバンモチ石に腰かけたら、さあ大変。
あんちゃん、覚えがあるんやろな。さあ、その石、担いでもらおうかとなる」

「バンモチ石には武勇談から嫁探し、近隣若い衆との交流など、
当時の暮らしが染み込んでいた。しかしその愛すべき石は、
名誉あるバンモチ石からただの石ころになって半世紀を経た。
世の中は動いているなぁ」

「ぜいたくとおごり戒(いまし)むこの石の 尊き教え忘れざらまし」


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プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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