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本家と分家

消えた間宮一族
11 /02 2020
平須賀村の間宮家から、
お隣の下高野村の間宮家へ養子に入った伝次郎さん。

養子に入るからには、何らかのツテがあったはず。

と思っていたら、「杉戸町の地名・地誌」にこんな記述があった。

「間宮家の家譜によると、
豊前守好高は、小田原北条氏の勇将として相州山中城を守る。
その子、光綱、平須賀村外耕地に土着し、
二男長左衛門綱慶、下高野に分家し…」
 
ここに出てきた「山中城」とは、静岡県三島市にあった北条氏の山城です。

天正18年、豊臣秀吉軍に攻められ、あえなく落城。
なにしろ秀吉軍7万に対して迎え撃つ北条側は4000人ですから。

秀吉はこの「小田原攻め」の途中、
静岡市にある「宇津ノ谷(うつのや)集落」の茶屋で休憩。

そのとき茶屋の主人が勝ち戦になりそうな縁起のいいことを言ったので、
褒美に陣羽織を置いていった。それがこれです。和紙と絹でできています。

左上に秀吉の肖像画が…。この家には家康から拝領した茶碗もあります。
img20201101_08211318 (6)
静岡市駿河区宇津ノ谷・お羽織屋

さて、山中城の合戦で獅子奮迅に働き、壮絶な討ち死を遂げたのが、
北条氏家臣の間宮豊前守です。御年73歳。

その「山中城址」です。見どころは障子堀

「山中城跡公園」

で、あれっ、変だなと思ったのは、この合戦で討ち死した武将の名前です。

「杉戸町の地名・地誌」の著者は、「間宮豊前守好高」と書いていたけれど、
これ、「好高」さんではなくて「康俊」さんのはず。
 
この「好高」という名前が出てくるのは、近世になって作られた軍記物
「関八州古戦録」で、討ち死を覚悟した豊前守が、
孫に家名を継いでくれと伝えた「間宮氏の別れ」の場面です。

つまり軍記物では、「康俊」を「好高」に替えているわけです。

家系図なんてそんなものかもしれませんが、
なにしろ双方合わせて約8万の兵(つわもの)どもの合戦でしたから、
ひょっとして、間宮一族の一人として「好高」さんがいたのかもしれません。

真偽はともかく肝心なことは、
「平須賀村外耕地(外郷内)に土着」の個所。

ただ、「杉戸町の…」の著者の「長男が外耕地に土着し、二男が下高野に分家」
という記述は、どういうことなんだろう?

間宮好高の遺児が最初に入植したのが外郷内で、
下高野に分家した方がのちに栄えたということなのかな?

まあ、どちらにしても「同族」「本家・分家」の関係はゆるぎません。

下高野の間宮家墓所です。
間宮氏の家紋「隅立四つ目結紋」がついています。

墓所下高野間宮家

下高野の間宮家文書を調査した飯塚壮次氏は、
「百姓代官間宮長左衛門」の中で、こう言っています。

「系図がそのまま必ずしも信頼できないことは、しばしば見聞するところである。
それはさておき、光信の代、康暦二年田宮庄に住したとある。

これは昭和52年の板碑の調査に、間宮家墓地から四基発掘され、
その中に康暦二年五月二十六日と紀年が読めるものが一基あり、
この辺からおおむね信じてよいのではないかと思われる」

下の写真は、「宇津ノ谷峠」への登り口から見た集落です。
谷あいの狭い集落のその真ん中を通る、これまた狭い道が旧東海道
今も江戸時代そのまま。

秀吉が通り、大名も庶民も文人墨客もみんなここを通ったのです。

img20201101_08375814 (2)

そしてここにはもう一つ、
平安初期の歌人・在原業平が、

「駿河なるうつの山辺のうつつにも 夢にも人にあはぬなりけり」

と詠んだ中世の官道「蔦(つた)の細道」があります。

この古道は、長い間忘れられ場所も不明でしたが、
一人の民間人の長年の探索で発見され、
昭和48年付の国土地理院の地形図に初めて記載されました。

今は格好のハイキングコースになっています。

※山上の尾根道「つたの細道」の下を、
 「日本坂トンネル」が3本通っています。
 150号線、新幹線、以前、大規模なトンネル火災が発生した東名高速。

ここには中世の道、江戸時代の道、明治のトンネル、現代のトンネルと、
東西を結ぶ交通の要(かなめ)としての道の歴史がそっくり生きています。


※参考文献/「杉戸町の地名・地誌」鈴木薫 私家本 平成5年
     /「百姓代官間宮長左衛門」飯塚壮次 埼玉県郷土文化会
      昭和53年


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高島先生ブログ(11・1)

「富山県高岡市福岡町沢川・愛宕神社」

富山へは昔、何度かおじゃましました。
立山の花めぐりに、海王丸を見に新湊へ。

今も市内電車は走っているかしら。
まだ力石を知らなかったころです。


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞