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あーァァ、やんなっちゃった

「三石」の話、飛ばし過ぎて疲れまして、翌日は一日中、眠りこけていました。

朝食を食べたら眠くなり、次に目が覚めたらすでに夕方の6時。
夕食を食べたらまた睡魔に襲われて、気が付いたら翌日の朝になっていた。

そこで気分転換にお町へ。

購入予定の電化製品など3点。
事前に調べておきたいと思って電気店に。

電化製品の大きさや価格を確認して、今度はプリンターのインク売り場へ。
以前見たとき、価格ラベルの付け間違いではないかと思うほど高額で。
緊急に必要だったので疑問のまま購入。なので今度はしっかり確認しようと。

そしたら、店員がバタバタ走ってきて、
「何かお探しですか?」と声を掛けて来た。
即座に「いえ、自分で探せますから結構ですよ」とお断り。

御親切にどうも、と思いつつ、
「ああ、これやっぱり、通販のよりずいぶん高いなあ」と。

そしたらまた「何かお探しですか?」と別の店員が小走りに…。

万引きするんじゃないかと思われたのかと嫌な気分になったが、
そうではなかった。近くにカードか何かがあったのだろうか。
「詐欺にあったらしい年寄り」と思ったようで。

若い人が同じ場所にいても、そちらには何も言わないんですよ。

「ねえ、柄マスクの山田長政さん。いやな渡世になりましたねえ」
CIMG5369 (3)
静岡市

ずいぶん前に似たようなことがあった。

息子のところで祝い事があって、お祝いの送金に郵便局へ。
送金用紙に現金を添えて窓口へ出したら若い局員が大声で、
「宛先の方とはどういうご関係ですか?」と。

「息子ですが…」
「息子さん? あんたと苗字が違うじゃないですか」
「事情があって違いますが、私の息子です」
「事情って、どういう事情ですか?」

会話は周囲の客に筒抜け。

「個人のプライバシーをこんなふうに大声で、失礼じゃないですか」
と抗議したら、
「とにかく怪しい感じだから、こちらへ来てください」と別室へ。

上司らしい男と二人で、また「詐欺ではないか」と言い出す。

息子の通帳がある郵便局へ連絡すればわかることだし、
息子自身へ電話で確かめればいいではないかと言っても、
「相手は偽者かもしれないから」とらちが明かない。

「もう結構です」とこちらからお断りして、その足で別の金融機関へ。
そこで「ほとほと困りました」と事情を話し、難なく送金できた。
こちとら田舎住まいだから、町での用事は滞りなく済ませないと困るんですよ。

最近、金融機関やコンビニなどで、
「詐欺を未然に防いだ」というニュースがひんぱんになった。

くだんの郵便局ではこのちょっと前に、「詐欺を防いだ」として、
局員が表彰されたという。それはそれで立派な事ではあるけれど、
表彰されたいがために行動しているのかと思うほどの行き過ぎも起きている。

友人に話したら、「あの局ね。私の知人も全く同じことされて怒ってた」と。

マスコミは表彰ばかり報道しているけれど、
こういう「被害」も起きているってこと、知って欲しいよなあ。

今や、年寄りは普通にショッピングもできなくなっているのかと暗たんとした。

それにしても少しボケた老人に見られたのか、
それほど挙動不審に映ったのか、
それともPCなんてやりそうにないおばさんが場違いなところにきている
とでも思ったのか。

「まだまだイケるぞー!」と思っている私としては、相当ショック。

そんなわけで、
やっぱり通販の方が気楽だワイと手ぶらで帰宅したのでありました。


   ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(10・19)

「富山県小矢部市小矢部町・熊野神社」

なんだか不細工な力石ですね。
なあんて、力石クン、ごめん!


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書・柿下木冠②

画廊を入って突き当りの角に、柿下先生の書、「石」があった。

「わーい! 石だ石だ」と喜んでいた私に、染色家の鈴木健司氏が言った。

「実は今回のテーマはエロスなんです」

あ、そうなんだと途端にシュン。そういえば…。

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「石」の隣りには、
陰々滅々とした朱色の中に、煩悩にのたうっているような裸婦が黒々と。

その隣には、金精さまをほうふつさせる奇妙な「矢印」…。

そっかー。

江戸時代の盲目の国学者、塙保己一(はなわほきいち)は、
「群書類従」というお堅い本の編者として知られているけれど、
春本をもとに絵巻物に仕立てたポルノグラフィー作家でもあったというし、

などと、もぞもぞしながら次を見たら、「あっ!」

<感動を熟成して文字に変換した>とおぼしき「陰陽和合ノ図」

題は「竈(かまど)」。書のポルノグラフィーだ!

この発想は民俗学的にも正しい、なんてヤボなことは言いっこなし。 

「ワオッ! これ」
と言いつつ柿下先生を見たら、
先生、これ以上ないという楽し気な表情で、「そう!」

穴かんむりに旧字の亀で、たしかに「竈(かまど)」なんですけどねぇ…。
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柿下木冠。

木冠は「ぼっかん」と読む。
命名は「昭和の三筆」の一人、師の手島右卿氏。

「手島先生は最初、
グループの名称「抱朴会」の「朴」を考えていたようですが、
「卜」を取ったほうが奥が深いからと木にしたんです」とのこと。

”木”はすべての木(喬木・灌木)の総称であり、
筆力が強くて墨痕が木に三分染み込んだという
中国の書家、王義之の故事『入木道(書道の異称)』の木でもあること。

そして昭和初期の政治家、犬養毅の号「木堂」の木をも指す。
その三つがからまって生まれたのが「木冠」だという。

「重い名前です」と先生。

しかし、この重い名前の「ぼっかん」を「もっかん」と読む人がいるんです。

なんと、先生の作品を収蔵し、たびたび展覧会の会場にもなる
静岡県立美術館でも、作家紹介の欄に今も「もっかん」と記している。

学芸員さん、しっかりしてよ!

先生は南アルプスに源を発した大井川上流左岸の、
そのまた支流、河内川の一番奥の山村に生まれた。戸数わずか5軒。

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赤丸が先生の故郷、榛原郡川根本町文沢です。
向かって左側に大井川、川に沿って大井川鉄道が走っています。

右側の緑の〇は、生徒が一人しかいない静岡市立峰山小学校。

こちらは昭和50年代、峠越えして通学する文沢の高校生です。

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「大井川」よりお借りしました。

制服やカバンを背負いカゴに入れ、地下足袋をはいて、懐中電灯を持ち、
もう誰も通らなくなった荒れた峠を一時間かけて、たった一人で越えていきます。

行先は県立川根高校(茶色の〇)。

柿下先生も中学生のころは峠越えで徳山の中学校(青〇)へ通った。

こちらは先生のお父上と私。
お父上は著名な林業家として知られていました。

そのころ私は大井川を河口から源流部まで歩き、
その沿岸の人々の暮らしを訪ねる紀行を新聞に連載していました。

そんなある日、若き林業家を取材中、山から降りて来たお父上と遭遇。

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文沢にて

木材の価格が低迷する中、苦闘。このとき85歳。バリバリの現役でした。

この方の極めて印象深い言葉が残されています。

「蛇口をひねれば出る水も、水源に木を植え育てる者がいればこそです。
都会の皆さんにもぜひこのことをご理解願いたいものです。
山村に住人がいなくなることは、水道の管理人がいなくなることです」

「木冠」氏の「木」には、お父上が心血注いだ「木」も入っているはずです。

そのお父上の跡を兄が継ぎ、柿下少年は静岡市の町の高校生になった。

そこで手島右卿、山崎大砲という巨匠を師に、書の道へ邁進。

以来、音楽と書のコラボを、
ニューヨークのザンケル・カーネギーホールやアトランタの大学や、
日本でチェンバロ奏者と共演するなど、次々と書の魅力を打ち出してきた。

さて、この日、画廊にあった一番の大作はやっぱり「石」でした。

柿下先生と「石」
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カメラのレンズ越しに見たこの「石」、
なんだか男(上)と女(下)の姿に見えるなあ、などと思いつつ、パチリ。

そういえば、20年前、ご自宅へ取材に赴いたとき、
帰り際に上から布団が落ちて来て、

「せんせー! 布団が落ちてきましたァー」と叫んだら、
慌てふためいた先生が、やっぱりゴムまりが転がるように奥からバタバタ。

そういえば玄関へ入るとき、2階の手すりにドサッと置いてあったけど、
さては私の来訪で万年床を慌てて窓の外へホッポリ投げたなと、
笑いをこらえながら帰ってきたっけ。

そんなことを思い出して、ふふと笑ったらすかさず声が飛んできた。

「ずいぶん逞しくなったなあ」

ハイ、あのころに比べて胴回りが20㎝も太くなりましたから。

せめて、「豊満聖女」と呼んでください。


※柿下木冠(柿下康次)、昭和15年(1940)生まれの80歳。

毎日書道会評議員。独立書人団常務理事。抱一会理事長。一基会会長。
作品はシカゴ美術館、ジョスリン美術館、ニューヨーク日本クラブ、
土門拳記念館、静岡県立美術館、故郷の小学校などに収蔵。

米国シカゴ名誉市民。

※参考文献・画像提供/「大井川・その風土と文化」野本寛一 
          静岡新聞社 1979 

「三石」のはなしは、これでオ・シ・マ・イ。

チョー特急で書いてきたので、疲れましたァー。


     ーーーーー◇ーーーーー 

高島先生ブログ(10・15)

「埼玉県蕨市中央・和楽備神社」


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書・柿下木冠①

画廊の入り口から、
ゴムまりがコロコロッと転がるように入ってきた人がいた。

「あ、柿下先生」と声をかけると、
いたずらがバレたときの「しまった!」というような照れ笑い。

いつまでも少年のような先生です。

現代書家の柿下木冠(かきした ぼっかん)先生に初めてお会いしたのは、
今から20年も前、
ニューヨークでの個展から4年目、インドから帰国した翌年のことでした。

下の作品は、
1996年にニューヨーク・ソホー・キャストアイアンギャラリーで開催された
柿下木冠書個展の案内状、「RAIN(雨)」です。

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ちなみに私の姓の「雨」、手紙の宛名ではこんな感じ。

img20201013_20123843 (3)


この個展の期間中、先生は一人で夜昼ハーレムに通ったという。

「あそこにはアウト・オブ・アフリカの人達が、
いろんな問題を抱えながら暮らしていますが、ぼくはそういう人達と一緒に
バーでお酒を飲んだり踊ったりしました」

個展会場です。
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「怖かったけど違った意味で引き締まったものを感じました。
それはぼくにとってとても大事な事でした。

そのときのことを素材にして書いたのが、合衆国の『衆』です。

文字は自分がどう感動したかによって、意味も表現も全く違ってくるんですね。

ぼくの場合、感動に出会ったらすぐカタチにしないで熟成させるんです。
そこで初めて文字に変換していくわけですが、
それが人間の尊厳とか生命の根源に繋がっていくんだと思うのです。

代表作を書いていくには、”生きる”ということと噛み合っていないとダメ。
現代の社会と絡み合いつつ内なる自分に向かっていかないと
言葉になりません。

だからぼくは一年に2点ほどしか書けない。
年に3点書けたら大ハナマルです(笑)」

「衆」
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「ニューヨークへ行って、ぼくは変わりました。
何かそこに自分が求めていたものがあって、それを発見した。
それで書くテーマが絞れてきたんです。

それまでは日本の美を書くというような、
切り込みが浅いというか生活が甘かったというか…。

例えば一つのイメージがあってそれに紙をかぶせた。
それがニューヨークへ行ってから、オブラートに包まず
ズバリと入っていくようになったのです。

結果的には魂が入ってくる、生命の根源に入っていく。
それができないと気がすまない、
そういうところにきたんです」

ニューヨークでのデモンストレイション中の柿下先生。
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「昨年、インドの一番汚いところと言われるベナレスに行ったんです。
ニューヨークのハーレムと共通点があるんですが、
自然もいいけど人間を書きたいという思いがあって。

日本の美しい緑の風じゃなくて、土の色をしたベナレスの風を書きたくて…。
その風の中に命みたいなものを入れたいな、と思っているんです」

「ベナレスの風」と柿下先生。
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静岡市のご自宅にて。

20年前にお聞した言葉の数々、今もそのときのまま新鮮です。

深く感動した時の魂の叫びは、どんなに年月がたとうとも生き続ける、
私はそんなふうに思っています。


※参考文献・画像提供/「柿下木冠ニューヨーク書個展・帰国展」1997


   ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(10・13)

「埼玉県さいたま市桜区田島・如意輪観世音堂」

絵を描かれた酒井正さんは、元・文字デザイナー。
後年、原因不明の歩行困難になりましたが、
自転車と杖で石仏と力石行脚。

膨大なスケッチは、「さいたま市の力石」(高島先生との共著)、
「郷土の石佛」(自費)として出版されました。

俳名の「一止」は、ご自分の名前「正」を分解。
「1のところで止める」意だとお聞きしました。


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染・鈴木健司②

「磊(らい)展」会場をのぞくと、
鈴木氏が部屋の一番奥の椅子に前かがみに座っていた。

「雨宮です!」と声をかけたら、パッと顔をあげて、「やあー!」

立ち上がると同時にさっとマスクを外した。私もとっさに外した。
やっぱり私たち、「昭和の人ですねえ」

コロナ禍になったら、マスクをしないのは非常識となったけれど、
私たちの時代には、マスクをしたままでは相手に失礼だと、
そう、教わってきましたものね。

はずしたマスクの下から、あの懐かしい柔和な笑顔が現れた。

20年ぶりの再会です。

取材で一度お会いしただけなのに、不思議ですね。
あの日の取材の続きのような感覚です。

「石と聞いてすっ飛んできました」と告げたら、
鈴木氏、ちょっと戸惑いつつも静かにこう言った。

「本当のテーマはね、エロスなんです」
「エロス!、ワオッ」

そういえば、ありますねぇ、「裸婦像」。あっちにもこっちにも。

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確かに、「交遊記」の中で寺田氏が、
「渋みのある男が密かに描きためた裸婦像」、なんて言っていた。

鈴木氏は、と見ると、ふんわり笑っている。
私もつられて、ふんわり、うむむ。

こちらは今年の新作です。
私の腕もデジカメもポンコツで、本当の色が出せません。
会場でぜひ、本物に接して欲しいです。

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ちょっと痩せられたかな? 

CIMG5350 (3)

「新聞紙・染」とあるように、作品には新聞紙が使われています。

それを渋木(やまももの樹皮)などの植物染料で染めている。
黒あり茶あり白あり。黄土色にも緑色にも見える。

単純そうに見える植物染料も作家の手にかかると、
数億万年も積み重ねてきた遺伝子の多様性が花開くのだろうか。

その複雑な色合いが錯綜するすき間から、新聞記事が見え隠れしている。
新聞の寿命は短い。翌日には古紙になる。

「再生」としたのは、なんでだろう。

ニュースの残骸を植物エネルギーで染めることで、
古紙は別人格に生まれ変わる、ということなのだろうか。

と、あれこれ理屈をこねていたら、
鈴木氏は笑いながら、「感じるままでいいんですよ」と。

近づいてみると、こんな感じ。小説家の「池波正太郎」の文字が見えます。
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さて、今から遡ること50年ほど前、
鈴木氏は「染めでアートを語る」という独自の世界へ踏み出します。

昭和58年(1983)、転機が訪れます。

新しい展開として始めた作品が認められて、
東京銀座の文藝春秋画廊で個展を開くことになったのです。

作品は、まんだらシリーズ「円と黒 実相の空間」

「ここは第一線の人がやるところだし、3年待って実現したときは、
身も心も震えるほど嬉しかったですよ」と、取材のとき語っていた。

以後、染めによるタブローや布を使ったインスタレーションと、
個展や展覧会への出品も順調に運んだ。

そんな中、「富士山」という難しいテーマに挑みます。
この「富士曼荼羅」は代表作の一つになった。

「赤富士」

赤富士 (2)

「黒富士」

父から受け継いだ県無形文化財の
「手描き草木染蝋纈(ろうけつ)・糊流し染」による技法が、
ユネスコ世界遺産の富士を生かし、富士に生かされています。

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「富士曼荼羅」は、
2007年から2013年にかけて、「富士山を世界に」展のため、
ベルギー、モスクワ、ニューヨーク、インドなど約12か国へ出品。

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開催国には、アーティスト8人とピアニストのフジ子・ヘミングさんが臨んだ。

鈴木健司富士 (2)

平成19年(2007)、文部科学大臣表彰。
平成27年(2015)、春の叙勲で旭日双光章受章。

そして令和2年(2020)の今年、
後継者の娘さん、五代目鈴木緑さんが静岡県文化奨励賞を受賞。

授賞式は今月15日。

父・健司氏も35年前に同賞を受賞。父娘二代の快挙となった。

緑さんは父と同じ多摩美術大学出身。

かつて鈴木氏はこう言っていた。

「植物染料はそんなに多くないのですが、
その色だけで自分の言葉として表現するように、と娘には伝えています」

伝統技術を継承し、アートの先輩の父からアドバイスを受けつつも、
父とはまた違うご自分の世界を創出している、

鈴木緑さんはそういう美術家です。

「紺友染色工房・鈴木緑」

     
    ーーーーー◇ーーーーー

「磊(らい)展」は、明日まで(10:30~16:00)。本日は17:00まで。
     静岡市庁舎からすぐ、青葉通り沿いの江崎ビル2F・ギャラリーえざき。
    
 「磊展」は明日で終了ですが、ブログ記事はまだ続きます。
  柿下先生の書と戯れ、挑み、安らぐ、そんなお話です。

    
    ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(10・11)

「長崎県五島市増田町・水神社」


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染・鈴木健司①

とにかくカッコいいおじさんです。

「おじさん」だなんて気安く呼べないほどの経歴の方ですが、
お会いした瞬間から、大きな優しさに包み込まれます。

元・静岡新聞の寺田氏も「交遊記」の中で、こう言っています。

「イキで、おしゃれで、男マエ」

同性にこう言わせるのですから、本物です。

傘寿を過ぎても変わらず、それにいぶし銀の渋みが加味されて。

自身の作品の前で。
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2018年の賀状より。

鈴木健司 染色美術家。日本美術家連盟会員。静岡県工芸家協会顧問。

県工芸家協会の重鎮であり、同時に現代アート作家。

江戸時代末期から続く紺屋「紺友」に生まれた四代目。
曽祖父も祖父も徳川家出入りの染色職人で、
徳川の家紋を染めることを主な仕事にしていた。

「紺友染色工房」です。今は娘さんが伝統の技を継承。
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静岡市追手町7-14 

庁舎や銀行、病院、商業施設などのビル群の中の「お江戸」。

家康の居城だった駿府城址は目の前。

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鈴木氏は無形文化財技術保持者だった父から、
「デッサン力をつけてこい」と言われ、多摩美術大学絵画科へ進学。
あえて、油絵の道へ進んだ。

33歳のとき、「今日の美術 静岡展ー自然、存在、発見ー」で大賞受賞。

下の写真は、その大賞受賞作品「BASE」です。

寺田氏の解説によると、

「弾力性のある物質の上に、敷石を並べた物体。
その上を歩くと沈む。歩き終えて振り向くと、敷石はもとのまま。
無表情な物体としてそこに居る。
次の時代を支配する<もの派>の先駆的作品と見倣すことができる秀作」

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「<三石>との交流」よりお借りしました。

この受賞がきっかけで、
当時静岡・清水市で活躍していた前衛的なグループ「幻触」に参加した。

同時に父・福富氏が開拓した
「のり流し染」「草木染ろうけつ」の技法を継承。

以来、その技法を根底にすえ現代の感性を表出させたアート作品を
次々生み出してきた。

しかし、鈴木氏はまもなくそのグループから離れることに。

「私の場合はどうしても根底に”職人”がありますから、
技術に裏打ちされていない仕事はダメなんですね。
それで自分はやっぱり<染めで語ろう>と」

以来、「曼荼羅」「実相の空間」シリーズ、「赤のシリーズ」と、
染めで表現した斬新な現代アート作品を矢継ぎ早に発表。

美術の「美」の字も知らないひよっこの私が、
鈴木氏の工房を訪れたのは、そんな脂の乗り切った時期だった。

その時の新聞です。

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取材のあと、「なんでも描いてごらん」と、染めの手ほどきまで。

できあがったのがこれ。ちょっと紫っぽく写っちゃいましたが本当はこげ茶。

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染色の大家を前に頭が真っ白になって。

美的センスのかけらもない絵で、こっぱづかしいですが、
でも、20年間、大切に持っています!


※参考文献/「磊展による《三石》との交遊記」寺田行健 磊展事務局 2020


   ーーーーー◇ーーーーー 

「磊(らい)展」
 ー染・鈴木健司、石彫・杉村孝、書・柿下木冠によるー

 ギャラリーえざき/七間町(青葉通り沿い)江崎ビル2F。
 13日まで。10:30~17:00.最終日のみ16:00終了。


   ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(10・8)

「岡山県瀬戸内市長船町・浦上宅」

個人のお宅の力石をその持ち主が詠みました。
おじいさんが愛用した力石でしょうか。


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石彫・杉村孝②

静岡県藤枝市生まれ。
東海道筋に代々続いた石屋の三男坊。

中学を卒業するとすぐ石工(いしく)の道へ。

「家には旅の職人衆なんかも寝泊まりしてて、朝から晩まで石を叩いていた。
だからよく言うんだけど、
オレは父さんの背骨の間にいるころから、石埃り吸ってツチ音聞いてたって」

「小学生のころ右目を失明してたから、残った片方の目にコッパが入ったら、
オレは完全に見えなくなるって恐怖、いつも持ってたよ」

19歳の時、上野の美術館で北川薫の石彫「うずくまる女」を見て、
一生かけても悔いのない生き方はこれだ、と。

これが彫刻の師、北川との最初の出会いとなった。

その後、どうしても基礎を勉強したくなって、27歳の時、妻子を残して上京。
昼は石屋で働き妻子へ送金。夜は太平洋美術学校へ通った。

帰郷後、藤枝市の滝ノ谷川最上流部の不動峡に工房を持つ。

8年の歳月をかけて摩崖仏を彫った。
一日だけの「岩と縄によるパホーマンス」も試みた。

右端上部に見えるのが、摩崖仏「不動明王座像」         ここです。
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工房にはいろんな人が訪ねて来た。

作家の小川国夫、漫画家のつげ義春、評論家の石子順造、
美術家の赤瀬川原平や鈴木慶則などなど。

以後、怒涛の如く、受賞が続く。

昭和62年(1987)、第6回富嶽文化賞展で大賞を射止めた。

重さ2トンの大作。
杉村さん生涯のテーマ「しゃぐじん(石神)シリーズ」の一つです。

石彫「しゃぐじんシリーズによる」
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静岡県立美術館蔵。「三石との交流」よりお借りしました。

20年前、取材でお会いしたすぐあと、杉村さんはオーストラリアへ旅立った。

「藤枝市から友好都市15周年記念の彫刻を頼まれてね。
1か月間、向こうの美術館の中庭で彫るんだけど。

昔、8年かけてそれこそ命がけで摩崖仏を彫った時は、
市から、景観を損なうなんていわれて。
そのうち、藤枝市が生んだ彫刻家なんて言い出して。

オレ、藤枝市で生んでもらったわけじゃないのにね、ハッハッハッ。
とにかく精いっぱいがんばってくるよ」

風、花,虫、木、草、鳥、土、空、月…。大きな自然の中に神を感じながら。

オーストラリア・ペンリスにて。杉村氏、このとき、62歳。
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帰国後、律義にもオーストラリアでの写真集と帰国した旨のメモをくださった。

写真集の表紙に、オーストラリアの1ドル切手になったご自分の作品を貼付。

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さりげない「パホーマンス」で、私を楽しませてくれた。

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そうそう、肝心の「磊(らい)展」出展作品、ご紹介しなくちゃね。

「石と石」
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板状の白い大理石に、赤黒い石の塊りが激突。

白い正義を邪悪な石が破壊してしまったのか、
はたまた、
しらじらしいウソだらけの世の中に、正義の鉄槌を食らわせたのか。


※参考文献・写真提供
     /「しゃぐじんシリーズ・岩と縄によるパホーマンス」1997・9・26
     /「石彫り途々ー道草遊々 二〇〇〇年」

    ーーーーー◇ーーーーー

なお、2020年10月14日~20日、松坂屋静岡店・美術画廊で、
「杉村孝石彫展ーいっこくわらべと石片仏(こっぱぶつ)-」を開催予定。

コロナ退散を願うこんな「こっぱ仏」も。

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松坂屋静岡店美術画廊提供。

※杉村孝=日本美術家連盟会員。
     昭和43年(1968)、第二次大戦の激戦地・硫黄島での
     「延命地蔵菩薩」制作、平成26年(2014)制作の「9条の碑」など、
     杉村氏の平和への希求は変わることなく続いています。

     また、藤枝市岡部町の「おかべ巨石の森公園」には、
     250トンもの作品があります。


   ーーーーー◇ーーーーー

「磊(らい)展」 ギャラリーえざき 13日まで。

   ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(10・7)

「静岡県賀茂郡東伊豆町稲取・八幡神社」

わーい! 私の句を2つも載せてくれたぞー。

力石は木の根に挟まれていました。
今もあの場所で、人の世の無常を感じていることでしょう。


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石彫・杉村孝①

杉村孝さんといえば誰もが思い浮かべるのが、
あのあどけない「わらべ地蔵」

こちらは静岡駅近くの宝泰寺のご住職・藤原東演氏が、
24年前に刊行したフォトエッセイ「わらべ地蔵」です。

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宝泰寺は江戸時代、朝鮮通信使の休憩所にもなった名刹です。

ご住職は本の冒頭にこう書いています。

「わが子はたった八カ月で逝った」
悲しみがあまりに深すぎて、苦しみがあまりに重すぎて、
私も妻も背負いきれなくなったとき
杉村孝さんの彫るわらべ地蔵に出会った」

この本が書かれたのは、お子さんを亡くされて18年後の年で、
この歳月の間に寺のわらべ地蔵は40体にもなっていた。

こちらは、そのうちの一体です。

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静岡市伝馬町・宝泰寺

20年前、取材でお会いしたとき、杉村さんはこうおっしゃった。

「あるとき石のコッパに可愛い顔が見えて、
その石に教えてもらいながら彫ったのが最初。
杉村の地蔵は邪道だといわれたこともあったけどね」

そのときの新聞記事です。

img20201005_20290919 (6)

この取材から数年後、知人3人と出掛けた京都・大原三千院で、
思いがけずわらべ地蔵に出会って、「あら!」と声をあげた私に、

このとき頼んだ観光タクシーのドライバーが得々とこう説明した。

「あれは平安時代の仏師が彫った地蔵さんです」

私はびっくりして、
「あれは静岡の彫刻家のわらべ地蔵ですよ」と言うと、
ドライバーさん、ムッとして、

「平安時代の地蔵さんだからこそ、あんなにが付いているんです。
ぼくはこれでも歴史講座を受けたプロの観光ガイドですよ」と。

喜ぶべきか? 杉村さん、平安時代の仏師にされちゃって…。

しかし、こんな間違いを黙って見過ごすわけにはいきません。

売店のおばさんに確かめたら、
「運転手さん、何言ってるの。あれは静岡の人が作ったんじゃないの」

ドライバーさんには恥をかかせてしまいましたが、致し方ない。

今は「わらべ地蔵」の立札が立っているそうですね。

杉村さんのわらべさんの中には、こんな方もいらっしゃいます。
手水鉢を持ち上げている力持ち(力神)です。

img20201004_09365477 (2)
フォトエッセイ「わらべ地蔵」よりお借りしました。

さて、僧籍におありのご住職が、
「悲しみをすべて背負いきれるほど人間は強くない」と言い、
「わが子を亡くした悲しみをわらべ地蔵にあずかってもらった」という。

なんて正直な、わらべ地蔵にも劣らない無垢な方かと感動しました。

わらべ地蔵はまぎれもなく杉村孝が彫り出した石の魂、子供たちです。

次回は、
石に神を見、それを畏怖しつつも、己の魂をぶつけ続けた
流浪の石彫家・杉村孝の「大きな仕事」をお伝えしてまいります。

    
     ーーーーー◇ーーーーー

染 鈴木健司、石彫 杉村孝、書 柿下木冠による
「磊(らい)展」は、ギャラリーえざき☎054・255・2231で開催中。
13日まで(7日は休館)
    
※参考文献/「フォトエッセイ・わらべ地蔵」藤原東演、杉村孝
     すずき出版 1996


    ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(10・5)

「埼玉県さいたま市岩槻区末田・浄音寺」

こちらは寺のご住職の唱える念仏に癒されている力石です。


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三石による「磊(らい)展」

「染」の現代アート作家の鈴木健司氏から、展覧会のお知らせをいただいた。

その名も「磊(らい)展」

出品作者は染、石彫、書の3人。

「磊展」会場です。
CIMG5330 (2)
静岡市葵区七間町・毎日江崎ビル2F

お三方とも、私が新聞社時代に取材させていただいた美術家です。
あれからもう20年もたつ。

「石」と聞いて、なにをさておいてもと駆けつけた私。

その画廊で懐かしいお顔と再会。

私もみなさんも年を重ねましたが、お三方の創作意欲は健在。
芸術は不滅を体現されていました。

CIMG5332 (2)

ご自分たちを石になぞらえて、
石を3つ重ねた「磊(らい)」の文字を冠したこの作品展。

何ものにも縛られることなく、小さなことにこだわらず、
広い心でおおらかに、という三人にピッタリの命名です。

こちらは静岡新聞文化部長だった寺田行健氏が、
「磊展」によせて刊行された冊子です。

img20201004_10005524 (3)

寺田氏は言う。

「磊展ー悪ガキ三人展」での《三石》は、
老体の見立てでは、笑劇の登場俳優に近い。

おぬし、やるな! やるな、おぬし!の目まぐるしい駆け引きを展開させ、
お互いに賛辞と悪タレをかませながら、《芸術は命》の三人芝居を演じている。
見物人は笑うか、拍手を送るか、ソッポを向くかだろう」

「今や《三石》は馬齢を重ね、いずれも傘寿(80歳)を過ぎて、
そろそろ来世が見え隠れする年ごろ」

「笑劇の登場俳優」とは、うふふ。

CIMG5340 (2)

そして寺田氏はこう結んでいる。

「新型コロナウィルスに襲われっぱなし(略)
人々は外出を控え、ビクビク暮らす元気喪失状態に陥った。

この悪条件下に、老生の悪文を提出できるのは、愉快なことだ。
何せ、人間として40~50年の交遊を続けてきた仲だから、
下手な”劇評”が外れようと、笑って見逃してくれるだろう」

いいですねぇ、男の友情。
まさに、石と石との硬い絆!

次回より一人一人の作品と来歴等ご紹介していきます。

ぜひ、「磊(らい)展」にお越しください。


※「磊(らい)展」は静岡市葵区七間町・毎日江崎ビル2階(青葉通り沿い)。
 13日まで(10:30~17:00)。7日休館。13日は16:00終了。無料。


   ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(10・4)

「大阪府富田林市嬉・腰神神社」

目や耳、下の病気を治す神さまはよく聞きますが、
腰痛にご利益がある神さまがいらっしゃったとは。

日本には神さまがいっぱいだ!


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みんな来てね、藁科へ

世間話が続きます。

昔お世話になった異色のアーティストの3人展があって出かけました。
この展覧会のことは次回、じっくりご紹介します。

会場の画廊をあとにして市役所前のイベント広場を通りかかったとき、
制服姿の中学生からパンフを手渡されました。

これです。
img20201002_19403534 (2)

広場の通りに立っていたのは、
静岡市立藁科(わらしな)中学の生徒さんたちでした。

私、一生懸命の子供や若者って好きなんですよ。
なぜか胸にグッときてしまうんです。

女子生徒さん、はにかみながらもハキハキ話してくれました。

「わらしな地域活性化プロジェクト」という活動で、
自分たちのふるさとの魅力をたくさんの人に知ってもらいたくて、
町へやってきたのだ、と。

「静岡市立藁科中学校」 のHPです。

全校生徒45人。

自慢は四季折々の自然と、
みんなで育てている芝生のグラウンド。

ここでは地域の人たちと一緒にグラウンドゴルフを楽しんでいるとか。

「レクリエーションや遠足などにぜひ芝生グラウンドを利用してください」
「利用ご希望の方は中学校HPから予約してください」とのこと。

生徒さんたちの手作りの地図です。

わかりやすいように下半分から説明していきます。

img20201002_19421324 (2)

一番下の黒丸が「藁科中学校」です。
中学校までは静岡駅から車で約30分。

右の道(赤線)へ入ると、水見色の里です。

ここには地域のお母さんたちのレストランや、スリランカ人のカレー屋さん、
おいしいコーヒーとピザのお店があります。

何度か行きましたが、とてもおいしいです。周りの自然もごちそうです。

まっすぐ上へ向かう道沿いには、日本茶と団子の店、ケーキ屋さん、
さらに進むとお茶工場を改良した田舎カフェがあります。

次に地図の上半分を見ていきます。

山が深くなります。

img20201002_19425720 (2)

一番下の道(赤線)を右へ入ると、
県無形文化財の古典芸能「七草祭り」の日向集落です。

ここの観音堂には力石があります。

ここから山一つ越えたところが栃沢で、お茶を日本にもたらした
鎌倉時代の高僧・聖一国師の生家があります。

元へ戻り、日向から諸子沢、楢尾を抜けると大間です。

大間は農家の「縁側カフェ」発祥の地です。
これは静岡大学の先生が地域おこしの一つとして始めたもので、
先生自身もお住まいをここに移されました。

その先には井川湖、そのまた先には南アルプスの山々が、
静岡、長野、山梨にまたがって威容を誇っています。

地図に戻ります。

上部、黒丸は「静岡市立峰山小学校」です。

7年前におじゃましたときは生徒さんが4人でしたが、
今年は一人。

生徒さんは一人でも、他校生徒さんとの交流や、
5人の先生と地域の人たちに見守られて、
充実した豊かな学校生活を送っているようです。

7年前の授業風景です。このときの女の子たち、もう高校生ぐらいかな。
CIMG0849 (2)

登山に、古典芸能見物に、力石探しにとこの辺りはほとんど歩きました。

行くたびに集落から人が消え、神社が荒れ、分校が閉校になっていて、
胸が締め付けられました。

バス便が激減したり廃止になったりで、車がないと行けないのが難点ですが、
食事は本当においしいです。

源を南アルプスに発し、谷や野を駆け抜けて駿河湾にそそぐ清流、
お茶の緑、きれいな空気、山里の人たちの温かさ、
センスの良いレストランやカフェ。

おしゃれな田舎です。

「自然を感じながらお店をまわるのもいいですよ」
と藁科中学の生徒さんもお勧め。

都会に、人に、自分に疲れたら、ぜひ、おいでくださいね。

藁科川沿いを自転車で走るのは最高らしいですよ!

観光の問い合わせは「オクシズ」の、
「静岡市中山間振興課」☎054-294-8805へ。

学校への問い合わせはご遠慮くださるようお願いいたします。

各学校のHPをご覧になって、
山の子供たちの伸びやかな姿を温かく見守っていてください。


   ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(10・2)

「熊本県熊本市北岡自然公園・細川家墓地」

お殿様が担いだ力石だそうです。珍しい!


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プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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