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「壇蜜」じゃなくて「断密」

斎藤ワールド
07 /29 2020
ちょっと遅いご報告になりましたが、

埼玉の研究者・斎藤氏がいつものポタリング中に見つけた
新発見の力石をお目にかけます。

今年5月21日、ここで見つけました。

どこにあるかわかりますか?

1茨城県五霞町
茨城県五霞町幸主・本田薬師堂集会所

斎藤氏からのメール、
写真に添えた「独り言」が、これまた楽しいのですよ。

「マスクをし、時々無呼吸
風害、風評、日焼けを避けて、帽子を目深にかぶり、耳はダンボ状態。

目は上下左右、魚眼の如く、
ペダル漕力&速度は加減乗除。

全感覚を動員して「力石ビーム」を逃すまいと、
断密ならぬ隠密行動に終始しています」

隠密! とうとう忍者になっちゃいましたか。

で、見つけたのがこちら。

4五霞町

「ええーっ。どれよ!」ですって?

しょうがないなあ。では別の角度から、もう一枚。

町2茨城県五霞
74×38×27余㎝

ほらね!

お堂に集会所とくれば、
昔の若者たちが石の担ぎっこした定番の場所ですから、

まだどこかにありそうですね。

ついでにこんな方にも遭遇したとか。

(きじ)です。

「きじ」と聞くと、すぐ思い浮かぶのが山でのこと。

山で「トイレ」に行くことを、
男性は「雉撃ちに行く」といい、女性は「花摘みに行く」といいました。

3茨城県五霞町

で、この雉クン、斎藤氏にこう言ったそうです。

「断密を守ってポタリングとは、感心感心。
近ごろ断密を「壇蜜」と勝手に解釈する不心得者が増えて、
キケーン極まりない! ケンケーン

ついでに「高倉ケーン!」

と、言ったかどうか。


      -----◇ーーーーー

高島先生ブログ(7・28) 「愛媛県伊予市中山町①」

全国に力石を追いかけて孤独な旅に明け暮れた高島先生。
旅先で「力石」と焼印されたまんじゅうを見つけたけれど、

「力石なる菓子を食うのも一人」

まるで力石の山頭火。
記事にはそんな先生の句も載っています。


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沖縄マンゴー!

世間ばなし
07 /25 2020
息子一家から恒例の
「沖縄マンゴー」が届きました!

いつもならクロネコさん推奨の「非対面受け取り」なんですが、
思わず、はんこ持って玄関へ。

クールですからね、箱ごと、ひんやり冷や冷やです。

箱に並んだマンゴーくん、
はるばる海を越え空を飛んで、ようこそ我が家へ。

CIMG5282 (2)

外国産の安いのもありますが、味が全然違います。

嬉しいなあ。

このごろ、いいことずくめ。

夕べふと耳を触ったら、私の耳たぶ、福耳になっているんですよ。

若いころは耳たぶがなくて、イヤリングをすると落ちてしまうし、
「貧乏耳たぶ」とからかわれていたのに。

耳たぶって変化するんでしょうか。

「福耳」に触って、マンゴーを撫でて、うふふ…。

CIMG5284 (2)

出荷番号は「21663」番。

生産者の松田さん、ありがとう!

沖縄の太陽のような情熱が詰まったマンゴー、

その情熱共々、まるごといただきます!

CIMG5285 (2)

ここから来ました。

「はい菜! やんばる市場」

CIMG5286 (2)

それではこれから、「いっただきまァーす!」

みなさまにおいしさをお伝え出来なくて、

残念!


        ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(7・24) 「九州は太宰府からです」

記事に出てくる「大湊和七」の像です。

img813_20200724160416d0e.jpg



余談ーーーーー私が愛した南アルプスがーーーーー


南アルプスの登山基地だった大井川源流部の椹島が、
リニアの工事で、こんな状態になっていたとは…。

悔しいなあ。

よく利用した二軒小屋は工事現場の宿舎になっていた。

「大井川源流・リニア工事現場」

静岡県人はだれ一人利用できないリニア。
地元では、モグラみたいに土中ばかり走るから棺桶列車と呼んでいる。
利用できないのに、破壊だけが…。

ダム銀座と呼ばれる大井川。
かつて電力会社の取水で大騒動になった。

電力会社は効率的な取水のため、
川水を巨大な送水管で一気に下流へ流した。

その結果、川の水が干上がり、
お茶に大切な川霧が発生しなくなって栽培農家は大打撃。
井戸が枯れ、乾いてもろくなった河岸が大雨の時、洪水をもたらした。

流域住民は町長を先頭に、こぞって「水返せ運動」を起こして闘った。
記者当時、私はそんな住民の生の声を聞いてきた。

そしてまた、壊された。

文明ってなんだろう。

人を幸せにするものではないのか。


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ほっこり

力石余話
07 /21 2020
埼玉在住の斎藤氏から、こんな写真が届きました。

某家の墓地に建立されていたお地蔵さまです。

マイク握って、十八番を熱唱中です。

地蔵斎藤カラオケ

故人はカラオケが大好きだったんでしょうね。
右手で頭のかくのがクセだったのかな? 照れ屋さんだったかも。

いまごろは天国でも仲間を集めて、
「ここはコロナの心配もないしナ」なんて言いながら、楽しんでいるかも。

今、コロナで世界中、大変です。
マスクでみんな「言わ猿」に変身しちゃったし、
手洗いで、「アライグマもどき」になっちゃったし。

失業者も増えて経済も傾きつつあるというし。

そんな中でもマイクを話さないお地蔵さまが、もうお一人いらっしゃいます。
口紅をつけているから、女性でしょうか。

ここのお地蔵さん、お二人ともサウスポーみたい。
それともマイクは利き手とは反対の手を使う方がいいのかなあ。

これはカラオケ愛好者さんにお聞きしたい。

で、左利きといえば、
私の左手の親指と人差し指の間にやけどの跡があって、
どうやら左利きを治そうと母親がお灸をすえたらしい。

昔は世間体を気にして、むごいことをやったんですね。

2斎藤地蔵
埼玉県越谷市相模町・大聖寺

暗雲立ち込めたとき、「民衆はどのように行動したか」
という本を読みました。

世界大戦がはじまったころの東京では、都民は娯楽に走ったそうです。
驚いたことに空襲が激しくなると、映画館は今まで以上に行列ができたとか。

ドイツでも同じ現象が起きたことが、
「独裁者ヒトラーの時代を生きる」(大島隆之)にありました。

つまり、これらは、
「ひどい現実から少しでも逃避して楽になりたい、という願望」だとか。

これが暴力や性暴力に走ると恐い。

お地蔵さんに話を戻します。

大聖寺のマイクを握ったお地蔵さまの正式名称は「ぴんころ地蔵尊」

「健康で長生きし(ぴんぴん)、寝込まず大往生(ころり)
そういう願望から生まれたから、「ぴんころ地蔵尊」だそうです。

建立したのはカラオケ愛好者たち。

1斎藤地蔵

現実逃避といえば、幕末の「ええじゃないか」もありました。
あれは官軍が目くらましにやったとの説もありますが、
ともあれ、
民衆は天から降ったお札に夢中になって踊り狂った。

新選組の近藤勇が処刑されたとき、
その近くの神社で力持ち興行があったというのですから、
お上と民衆は、それぞれ別世界に住んでいたってことでしょうか。

近藤勇といえば、
渋沢栄一が徳川慶喜公の家臣になっていたとき会っているんですね。

上田市の栄一の力石探訪は中断していますが、
このことは再開したおりに改めて書きたいと思います。

さて、力石です。

この大聖寺の力石をご紹介します。

斎藤氏、やっぱり力石専門ですからね、抜け目はありません。

3斎藤地蔵

   「奉納 玉子石 文政十年 当所 半蔵」

今から193年前の力石です。

草むらに「ころり」していますが、

今も「ぴんぴん」しています。

     
      ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ更新
(7・19)「流通経済大学の力石」
   わたくしめの短歌が載っています\(^o^)/

(7・20)「茨城県五霞町江川・路傍」

(7・21)「さいたま市岩槻区古ケ場・八幡神社」


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追悼・さくらちゃん

力石余話
07 /17 2020
今月初め、岐阜在住の大江誉志さんから、

「今年3月、愛犬さくら他界しました」

という、つらく寂しいご報告をいただきました。

さくらちゃんは力持ち大会へ出かけるご主人さまのお供をして、
どんな時にも常に寄り添っていたワンちゃんです。

いわば、「力持ちと力石」に精通していた唯一のお犬さんです。

在りし日のさくらちゃんです。
CIMG2625s_20200715092041718.jpg
姫路市大津区・天満神社(蛭子・神明)にて

周りがどんなに騒ごうが、子供たちがちょっかいを出そうが、
さくらちゃんは全く動じません。

ひたすらご主人さまを思い、人垣の向こうに目を凝らしています。

石を挙げる大江誉志さんです。

美しいフォームです。

江戸時代に生まれていたら、
錦絵に描かれて、町娘たちの胸を焦がしたはず。

20151216210810f9e_202007150957330da.jpg

大江さんはケトルベルトレーナーです。

__s_20200715101011d46.jpg

学生時代は極真空手をされていたそうです。

そしてなんと、
師匠の高島愼助先生は師範だったというので、もうびっくり。
今の先生からは想像もつきませんです。

大江さん(左端)のお仲間、「東海力石の会」のメンバーです。

1東海力石の会

大江さん、実は昨年引退を表明していたんです。

日ごろ、己に過酷なほどの鍛錬を課している人ですから、
力石への取り組みも安心して見ていましたが、
それでもケガのないよう、いつも念じていました。

だから、引退と聞いてホッとしたのも事実です。

でも、メールにはこうありました。

「雨宮さんが力石を盛り立ててくれている。
それを見て、私もまだまだがんばらねば、と」

「盛り立ててくれている」って、なんだか気恥ずかしい。

だって私は、力石のお菓子を食べるだけの「力なし」で、
ただぬくぬくと部屋にいて、知ったかぶってわめいているだけだから。

CIMG1184 (2)

でも本物の力持ちに「価値あるもの」と認めていただけた。
老骨に鞭打って、あとひと踏ん張りするかという気持ちになりました。

大江さんは、
今年は富山、石川、姫路の力持ち大会への出場を計画しているとのこと。

そして、三重県桑名市の神社から、
来夏、力持ちの披露の依頼が「東海力石の会」へ入ったとのこと。

そうか。

そう決心されたのなら、
口うるさい母親みたいなのはキッパリやめて、
全力で応援しなくちゃ、申し訳がたちません。

守護神さくらちゃんのいない夏。

「監督不在の初めての大会です」と大江さん。

石に手をあてて気を集中
見る側にもそれが伝わり、すべての音が遮断されて周囲が真空状態になる。

CIMG2627_2020071511023860d.jpg

やみくもに力を出しても、石はあがらない。
持ちあがるかどうかはすべて呼吸にあるという。

大江さんはそのタイミングが実にうまい。

CIMG2626 (2)

さくらちゃんと大江さんは、
奥さまさえ入り込めないほどの固い絆で結ばれていた。

だから今もご主人さまのそばにいて、
この慈愛に満ちたまなざしで、しっかり見守っていると思います。


※大江さんより
 「7月の富山、8月の石川県での大会は中止になりました」
  と、お知らせいただきました。コロナ禍のため。

     ーーーーー◇ーーーーー

ブログ「へいへいのスタジオ2010」のへいへいさんご紹介の記事です。

以下のURLの中に「sactuary stones」という個所がありますので、
そこをクリックしてお楽しみください。翻訳機能で簡単に読むことができます。

「スコットランドで見つけた石」

     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ、更新。「稲敷市月出里花指・鹿島神社」


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だから歴史はおもしろい

書籍
07 /14 2020
余談ですが、
中ほどに「村の絵図」が出てきます。
あの「サーバルキャット脱走」があった住宅地の江戸時代の姿です。

       ーーーーー◇ーーーーー

通説をひっくり返すとか、
歴史の裏側を暴露するという話は面白いですね。

そんな本に出合うと、私はすぐ飛びつきます。

でも著者が展開して見せる「歴史のカラクリ」に、
私の知識や想像力が追い付かず、読むのを断念した本もあります。

高橋五郎氏の本。

「天皇奇譚」「天皇の財宝」「スパイ・ベラスコが見た広島原爆の正体」

ドキュメンタリー映像のプロデューサーで、同県人というので、
ちょいとワクワクして読み始めたけど、2冊目であえなくギブアップ

どうやら私の意識も脳みそも、著者の言う「正史」に侵されているらしい。

でも、「ありうるかも」と思いつつ読んだ本もあります。

これです。著者は斎藤充功氏。
img20200628_08084661 (3)
斎藤充功 学研 2014

フルベッキ親子と幕末の青年たちの集合写真から、真実に迫った本です。

在野の著者たちが、この写真の中央に座っている若者を、
すり替えられた明治天皇の「大室寅之祐」だとしていたのを、
丹念な取材と東京歯科大学の橋本教授の鑑定から完全否定

ただし著者は、「すり替えはあった。大室は当て馬」としています。

私がこの本で、一番関心を持ったのは、
九州の郷土史家たちの間違いを次々暴いていったこと。

私の身近にも思い込みのまま、原稿を書き上げた人がいる。

知人は、旧家のA家に興味を持ち、
「A家は武田信玄の血筋の家で、現在の屋敷は中世からつづく館だ」
として、何年もA家の出自を追いかけていた。

このA家については元・資料館館長が長年、出入りして調査していたから、
知人の書いたものが真実なら、元館長がとっくに発表していたはず。
※A家のご当主は、館長以外は出入りを断っていた。

こちらは、私がその館長からいただいた宝暦11年(1761)の村絵図です。

※今は完全な住宅地です。あのサーバルキャットは、
  ここの個人宅から脱走して、背後の山の反対側で捕獲されました。

img20200710_10404508 (3)

元・館長の話では、
「これ(赤丸の場所)がA家です。
A家は江戸時代中期後半には現在地ではなく山の中腹にあったんですね。
先祖は宮城県から来たと聞いている」

また、青丸は「畑地」とあり、その隣りは他の集落。
つまり、ここは湿地帯で人が住めない村境になっていた。

ですが知人は、ここについても、
「地図にある道部海道は、その名の通り海へ続く道の意味で、
年貢米を舟に積んで運んだのです」と。

そんな記録はどこにもない。

「これは当て字で、道部は湿地帯のドブ、海道はカイト
つまり他の集落と区別した一画で村境のことですよ」と言っても聞く耳持たず。

A家は山林や石切り場を支配していて、本人が書いた「名主日記」にも、

「切った石や木材は尾根の反対側の沼の船着き場へ落としていた。
そこで船に積み、沼を渡り川へ入った」と書かれている。

自分に都合のいい歴史のパーツだけを拾ってしまう過ちは、
だれもが犯しがちで、私だって知らず知らずやっているかもしれません。
困るのはそれが定説になってしまうこと。

こちらは、長年、定説とされていた江戸時代の文書や絵図などを、
一人の作者によって偽造されたものとして暴いた本です。

著者は大阪大谷大学准教授の馬部隆弘氏。
img20200628_08084661 (4)
中央新書 2020

椿井政隆=明和7年(1770)~天保8年(1837)という国学者が、
中世の地図、失われた大伽藍や城の絵図、家系図など数百点も偽作した。

問題は、それが近畿一円に広がり、
各自治体の市町史に史実として掲載されていることだという。

多くの学者、研究者がこれを信じ、今なお信じている人もいるという。

江戸時代から「偽物」と指摘する声もあったが、
その都度、時の学会の権威から消されていったという。

著者によると、例えば「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」などの
偽文書はたくさんあるが、これほど膨大なものはないという、

若き著者が権威ある学者たちからの批判にひるむことなく
何年もかけて一人コツコツと検証し世に問うた。

まさに「衝撃の一冊」です。

しかし、このことがひっくり返されることもあるやも知れず、
学校で教える「正史」もまた、真実を語るとは限らない。

だから歴史書はおもしろい。


※附けたり
自粛中読んだ中で、一番読み応えがあった本はこれでした。

「同調圧力」について、考えさせられました。

img20200712_04182837 (2)

「独裁者ヒトラーの時代を生きる
  ー演説に魅入られた人びとと「つまづき石」ー」

NHKエンタープライズディレクター大島隆之 集英社 2019


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生、ブログ更新。稲敷市「管天寺」


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なすとっかえ

力石余話
07 /11 2020
力石の民話のご紹介です。

こちらもブログ「山の彼方に」の安田和弘氏からいただいたものです。

民話の舞台は、埼玉県川越市の藤間諏訪神社

民話に行く前に、この神社の力石をご覧ください。

「藤間諏訪神社の力石」(2017・6・11掲載)

民話「お諏訪さまのなすとっかえ」

始まり、始まり!

「藤間の諏訪神社の近くに、清吉という若者が住んでいました。
でも清吉は夏になるとどういうわけか、
畑仕事もできないほど体の調子が悪くなる。

今年もお諏訪さまの夏祭りがやってきて、
村の若者たちは力石を持ち上げる力くらべに大張り切り。

清吉は今年こそ持ち上げて、おなっちゃんと夫婦になりたいと思うものの、
石を動かすどころかひっくり返ってしまう始末。

そこで諏訪神社の神さまに、
「どうか力を授けてください」と一生懸命お願いしたところ、
茄子を食べなさい、と。

言われるままになすを食べたら、石は見事に持ち上がり、
めでたくおなっちゃんを嫁にできた。

これが評判となって、村の人たちはなすを奉納するようになったそうな」

茄子の威力、すごい! 「おたんこなす」なんて言えませんね。

こちらは川越市の広報紙に掲載された力石記事です。

「広報紙に掲載されました」(2019・3・20掲載)

安田さんによると、市民センターの看板にも力石が書かれているそうです。

で、なぜ「とっかえ」かというと、
なすを2個奉納したら1個、4個なら2個いただいて帰るからとのこと。

この珍しい神事、実は狭山市のが有名で、
それが川越の藤間諏訪神社にいつ伝播したかは不明だそうです。

狭山市「なすとっかえ」の動画をご覧ください。

「お諏訪さまのなすとっかえ」



ここのいわれは、

「神社の裏の池に龍が住んでいて、ある日、大暴れ。
びっくりした村人が採ったばかりのなすを放り投げたら、
そのなすを食べた龍の病気が治った」

以来、「なすは夏の毒消し」とされて、今日に至ったそうな。

龍も病気になるなんて、初めて知りました。

それに龍がナスを食べる姿って、なんだか漫画みたい。

昔の人の創造力には脱帽です。


※参考文献/「高階のむかし話1」高階のむかし話編集委員会
         川越市高階公民館 1991


 
 ーーーーー師匠の高島先生がブログを再開しましたーーーーー

力石とそれを詠んだ句や歌を紹介するという新趣向です。
どうぞのぞいて見てください。

「力石を詠む(十)」(2020・7・12)

     「力石たれも触れずに苔の花」   天口進

      山形県最上郡金山町・熊野神社


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このごろ少し、変よ

世間ばなし
07 /07 2020
♪ 力石さんちのちから姫
   このごろ少し、変よ
   どうしたのかナ

そう、なんだか変なんです。

♪ 治一郎のバームクーヘンあげると言っても
   ドライブしようと言っても
   いつも答えは同じ
   「あとで」
   つまんないナ

だって全然、その気にならないんだもの。

力石に全力疾走してきたからかなあ。
いやいや、それは言い訳だよね。

でもこのままじゃあダメになる。
そう思って台所に立って、トントン。

ああー! 指切っちゃった。指がー!

CIMG5229 (2)

でも全然痛くない。血も出てない。
よく見たら、なんだ、シイタケの軸だ。

降り続く雨のせいかな。
でも被害もないのに。
こんなことでは、九州で大変な思いをしている方々に申し訳ない。

ホントはね、今週末、関東から孫が初宮参りに来る予定だった。

でも私は猛反対した。

生後一か月の赤ちゃんを、日帰りで往復6,7時間も車に乗せてくるというので。

そればかりではない。コロナ、高温、豪雨。

まだ目もはっきり見えない、首も座らない赤ん坊には過酷すぎるよ。

「無謀と思ってもあなたの赤ちゃんではないし、
すべての責任は両親にあるのだから、何があっても温かく迎えてあげれば」
という意見もあったけれど、

言う通りにしていい顔して、あとは知らないよ、だなんてできないよ。

結局取りやめてくれたけれど、なんだかしこりが残っちゃって。

これ、母の日にお嫁さんから贈られた益子焼のコーヒカップ。

CIMG5247 (1)

ニュージーランドの花嫁さん、日本語で書いてくれた。

「おかあさん、これからもよろしくお願いします」

日本文化と神社が大好きなお嫁さんと、
わが子は自分のふるさとの神社で、という息子の願いも痛いほどわかる。

私も早く会いたい。

だから新しいタオルや寝具も用意した。
だけど恨まれても神経質だと笑われようとも、やっぱり孫を守らねば、と。

お医者さんは「大丈夫ですよ」といったそうだけれど、
今はそういう時代なのだろうか。

経験からの私の判断は、もう時代遅れなのだろうか。


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「チョウゲンボウ」第52号

力石余話
07 /03 2020
先月6月7日に以下のご報告をいたしました。

それは、
金沢大学の外郭団体「e教育サロン」の機関誌に、
私の力石の記事を載せていただいた、というお知らせでした。

これです。

「ビッグニューーース!」

そして先月に引き続き、今月号の、

「チョウゲンボウ」第52号に、2回目が掲載されました。

この機関誌は、
金沢大学に関係する医学・工学・理学の学者さんたちが、
それぞれの分野の研究発表を行っているものです。

私には高くて遠くて難しい世界です。
そこへ、
社会の片隅でくすぶっている力石の記事を掲載してくださったのですから、

もうね、気恥ずかしさを通り越して、

夢のよう\(^o^)/

とにかくご覧ください。

ブログをお読みくださっている方々には、
すでにご存じの内容ですが、ぜひ、また見てください。

「チョウゲンボウ」第52号

この中に、金沢大学名誉教授の本浄高治先生が、
力石を調査し、

2010,2014、2016年の3回、
ご自身のブログで紹介されたURLが記載されています。

その中で、
師匠の元・四日市大学教授の高島愼助先生の「力石研究室」や、
「東海力石の会」の大江誉志さんの動画も取り上げてくださっています。

あわせて、ぜひご覧ください。

こういう方が力石に目を向けてくださっていることは、
本当に嬉しく、心強いです。

そして、力石の記事は来月も続きます。
全3回。

やっぱり、夢のよう\(^o^)/


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞