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お地蔵さまの今

今年2月、安田和弘氏のブログ「山の彼方に」に、
ショッキングな記事が載りました。

ぜひみなさんに知っていただきたいと、私もブログでお知らせしました。

そのときの安田さんの記事です。

「山の彼方に」

300年昔のお地蔵さまが、お堂の建つ土地を売られてしまったため、
お堂とともにハンマーで粉々に破壊されてしまったのです。

首を斬られたお地蔵さまの無残な姿に、多くの人が悲痛な声をあげました。

このお地蔵さまの由来を、安田さんが送って下さったので、
どうぞ、ご覧ください。

「開明地蔵大菩薩」

で、みなさんが気にされているのが、
お地蔵さまのその後だと思います。

実は破壊直後に安田さんから、こんな報告をいただいていました。

「このお地蔵さまは、江戸時代の刑場に建立され、
刑死した人たちを慈悲深く見守ってきました。

明治になって刑場が廃止になった時、
文明開化にふさわしい「開明地蔵」と名を変えました。

人の世の地獄の中に身を置いて、人々を救済してくださったお地蔵さまです。
それが自らの首を斬られるなんて。

このままでは申し訳ない。そう思った地域の人たちが、
解体作業の会社から許可をいただき、頭部だけを持ち帰りました」

それから4か月、
地蔵さまの今の様子を安田さんが知らせてくれました。

「某お宅の木陰に居場所を提供していただき安置しました。
地蔵さんも暑いからビールが飲みたかろうとビールを箱で供えてくれたり、
お菓子を供える人もいます。

今までお堂の中にいて、雨にあたったことがなかったので、
帽子をかぶせました。

4548303144183_1.jpg

よくある毛糸の帽子ではなく、山用のゴアテックスの帽子です。

頭部だけになりましたが、粋な帽子をかぶって、
時折訪ねてくれるみなさんにほほえみつつ、
ひがな一日、木陰で過ごしています」


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断密ポタで見つけたドー!

私が、恥知らずな「十人の釣り客」や、
職場の老人からの誹謗中傷文書にカッカしている間に、
埼玉の斎藤氏は次々と力石を新発見

本日は今年4月24日にいただいた新発見をご披露いたします。

ここです。

ありますねえ、祠の右、左に…。
①斎藤新発見諏訪神社
埼玉県越谷市南荻島4317・諏訪神社

全部で3個発見!

まずは右の力石から。

    「奉納四拾弐貫目 若者中」

②斎藤新発見諏訪神社
67×41×33㎝

一見担ぎやすそうに見えますが、
左右の重さが違いすぎると、バランスがとれず担ぎにくいと聞きました。

これはどうなんでしょう。

2個目にいきましょう。

祠の左側にある石です。

    「奉納三拾弐貫目」

左側にうっすらと「奉」の文字が見えますので、
本当はもっとたくさん彫られていたと思います。

③斎藤新発見諏訪神社
57×44×29㎝

3個目は欅の木とブロック塀にはさまれていました。

無銘なので粗末に扱われちゃったのでしょうか。

大きさは前述の2個の石とほぼ同じですが、
名無しの悲しさ、痛いお姿です。

④斎藤諏訪神社
67×38×29㎝

斎藤氏、コロナ禍の中、「断密ポタリング」で徘徊の日々を満喫していたようです。

で、こんなのも見つけました。

デカマスクをつけた鬼兄弟
ここでは兄ちゃんのほうだけをご紹介します。

お兄ちゃんの鬼さん、金棒の代わりに聖火を持っています。

鬼デカのマスクの
埼玉県北葛飾郡杉戸町

この出べそクン、斎藤氏にこう話したそうです。

「ボクは聖火ランナーだよ。
コロナにめげず、東京オリンピック・パラリンピックを目指しているんだ!」

うーん…。

雷さんには雨がつきものだし、
そのせいか、
オリンピックも雲行きが怪しくなってきたけどねえ。

でもこの鬼さん、太鼓持ってないから雷さんじゃないよって?

あらら。


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佐伯祐三のイーゼル

コロナ禍の自粛生活で、本ばかり読んでいた。

変わった本も読んだ。その一つが、
「明治天皇”すり替え”説の真相」
著者は落合莞爾、斎藤充功の二人。

本の中で落合氏は「明治天皇すり替え」説を肯定し、さらにこう述べていた。

「幕末に暗殺されたと言われている孝明天皇は実は生きていた。
皇太子の睦仁親王も生きていて、二人とも京都に隠れ住んでいた。

実は皇室には表と裏の2系統がある。
孝明天皇は裏の皇統で、これを京都皇統という」

また、横須賀造船所を作った幕府高官の小栗忠順にも言及していて、
「彼は官軍に殺されたと見せかけて、実はアメリカへ渡った」と。

東大法学部卒で、「経済白書」にも携わったという人だから、
荒唐無稽なことを言うはずはないと思ったものの、とても信じがたい。

落合氏の説の根拠は、京都皇統の「さる筋」からの仄聞と、
吉薗周蔵という人物の娘がもたらした吉薗メモだという。

この本の中に画家の佐伯祐三が出てきた。

佐伯祐三は昭和三年(1928)、30歳の若さでパリで亡くなった人。

私はこの人のイーゼルを画家の故・曽宮一念の家で見た。

かつて新聞の取材で、娘の夕見さんを訪ねた折、
「これ、佐伯がパリへ行くとき、父にプレゼントしていったの」と。

疎開当時建てられたアトリエに置かれた佐伯祐三のイーゼルと夕見さん。
img20200619_09000573 (3)

落合氏はその佐伯祐三を、
「佐伯は吉薗をパトロンに持ち、彼の草(スパイ)をしていた」と書いていた。

ちょっと待ってよ。

佐伯祐三は妻と幼い子供を連れてパリへ2度渡った。

佐伯家は裕福で、パトロンなど必要ではなかったし、
実際、佐伯祐三を全面的にバックアップしたのは、
大阪・光徳寺の実家を継いだ住職の兄だった。

精神を病み肺結核に侵されても、取りつかれたように絵を描き続けた人が、
スパイなんてできるわけないじゃないの。

これはひどいと思った。

自分が書いたたった一行でも、
人を殺しも生かしもすることの怖さは、私の頭にしみ込んでいる。

間違った記事で企業が倒産することもある。
いくらあとから訂正しても、一旦悪評を立てられたら再起できない。

それをここまで言い切る。

落合氏が根拠とする吉薗メモを、第三者が検証したことはあるのだろうか。

ネットを見たら、落合氏にメモをもたらした吉薗の娘は、
詐欺罪で有罪判決を受けていた。

佐伯家の誰もがこの吉薗なる人物を知らなかったし、
草(スパイ)は佐伯ではなく、吉薗本人だったとも書かれていた。

なんだか、ムナクソ悪くなった。

曽宮夕見さんの画文集「花と野仏」より
img20200619_08555180 (2)

夕見さんと私は高校の同窓生。

当時は言葉を交わすことはなかったが、教科書でしか見たことがなかった
曽宮一念があの人のお父さん!という驚きと憧れで見ていた。

曽宮一念「平野夕映え」1965。右は「毛無連峰」1970。絵葉書。
img20200619_09031151 (5)

父・一念さんは昭和46年、78歳で失明して画家を廃業。
平成六年、101歳で亡くなるまで無明の世界に生き、
書をものし、自ら「へなぶり」と称した歌を詠んだ。

曽宮一念「へなぶり拾遺」より
img20200619_08581028 (2)


 この橋に女童の夕見負いし日の
    背の暖かさ今も覚ゆる 
  曽宮一念

なんとも後味の悪い本を読んでしまった。

でも久々に夕見さんの穏やかな花と野仏の絵をながめ、
一念さんの心眼で書いた文字を見ていたら、いやな気分も吹っ飛んだ。

でも一旦流布した汚名は消えることはないのです。


※参考文献/「思い出にかえて・へなぶり拾遺」曽宮一念 曽宮夕見 曽宮潤
         文京書房 1995
         「画文集 花と野仏」曽宮夕見 木耳社 1996
         「明治天皇”すり替え”説の真相」落合莞爾 斎藤充功 
         学習研究社 2014
         「佐伯祐三のパリ」朝日晃 野見山暁治 新潮社 1998

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聞こえなかったことに…

かつてカナダへ行ったとき、
ノースバンクーバーで一人の素敵な女性に会いました。

キャサリン先生。

日本に6年半もいたので、日本語はペラペラ。
先生からカナダの歴史をほんの少しお聞きしました。

もちろん日本語で。

「カナダに白人がやってきて、ネイティブの人の土地を奪いました。
白人はほんの少しの品物をネイティブの人たちにあげて、
その代わりに、彼らの土地をどんどん奪っていきました」

白人のキャサリン先生が、白人の罪を赤裸々に話すので私はびっくり。

「白人はネイティブの人たちにひどいことをしました。
親と子どもたちを引き離してしまいました。

子どもたちは教会に連れていかれて、
そこで神父さんたちに性的に犯されました。男の子も女の子も。
実に許しがたいことです。

その人たちが今、公けにすることを始めました。
そしてそれが、補償問題になっています」

先生は文化の違いについても語った。

「日本は単一の、古い伝統的なカルチャーを守ろうとする国。
アメリカはアメリカという新しいカルチャーを作って、
そのカルチャーにみんなを吸収していく国です。

けれどカナダは違います。
カナダはそれぞれの母国のカルチャーをお互いに尊重しつつ、
一つの国を作っていこうとする国です」

キャサリン先生と。
img20200614_15461158 (2)

「日本人とキャナディアンの考え方は違います。
日本人は本音と建て前を使い分けますが、
キャナディアンは思った通りのことを言います」

ああ、そうか。

姉が人種差別に遭ってもこの、「思った通りのことを言う」
そういう感覚が肌に合って、それでここに住み続けたんだ。

そうだよな。「思ったことが言えない」なんて、息苦しいもの。
私もそのことに早く気づくべきだったんだ、と思ってももう遅い。

キャサリン先生はなおも話を続けます。

「その違いはどこから来たのかというと、私はこう思っています。

日本の家屋はふすまや障子というプライバシーを守れない構造になっています。
だから隣で話していることがこちらの部屋にみんな聞こえてしまいます。

そこで日本人は考えました。
聞こえても聞こえなかったことにしよう」

「聞こえても聞こえなかったことにする」
うーむ。
弊害もあるけどなあ。

でもキャサリン先生は、それをプラス思考で解釈しました。

「そうすることで、お互いの関係を上手に保ってきた。
そしてそれが、日本人の特性の一つ、本音と建前でモノを言う
というようになっていったのだと思います」

もうはるか昔のことになりましたが、
キャサリン先生の言葉は、今もとても新鮮に私の心に響いています。

そして、こんな思い出も。

「KIYOKOさん、
マクドナルドの店はどこですか?なんて聞いてもダメですよ。
あれは、ドーを強く言って、

マクドーナルド

バンクーバーは鼻の下に指を置いて、
はい!

ヴァンクーヴァァァー


     ――――― \(^o^)/―――――

私事ですが、4人目の孫が生まれました。
 女の子。瑠佳(ルカ)ちゃん。
 出産時に羊水を飲んでしまい、保育器へ入りました。
 心配しましたが、
 翌日には心拍も正常になり、ミルクもよく飲みよく泣いて、ひと安心。
 懸命に助けてくださった病院スタッフのみなさまのおかげです。
 コロナ禍で当分会いに行けませんので、遠くから見守っております。

     ―――――◇―――――

  
   #わたしは伊藤詩織さんを支持します。


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詩織さん事件に思う②

私は田舎の小規模学習施設で、有償ボランティアとして働いています。

ここは市が管轄する施設だけれど、市の職員は常駐せず、
ボランティアが一人ずつ交代で管理するという特殊な運営。
私は地元の人からの依頼で、参加することになったのですが、

オープンしてしばらくすると、変なことが起き始めた。

ある日、友人から「あなたの名前で検索すると出てくるんだよね」と、
意味ありげなことを言われた。

検索してみると、「夜、一人で寂しいの。身もだえてるの。誰か来て」
などというおぞましい文面の同じ投稿がズラズラッと。
「以下同じだから明示しない」とあったが、件数を見ると3万5000件余。

驚愕した。どうしたら消せるのか慌てたがどうにもならない。
そのとき同じようなことを言っていた同僚の初老の男の顔が浮かんだ。

勤務中の私のところへ足しげく来て、赤い花の写真を見せ、
「これなんだかわかる? これ雨宮さんが夜、身もだえている色。ククク」と。

いやがらせはどんどんエスカレート。役人に訴えてもらちがあかず。
これではこっちの身が持たない、辞めようとしていた矢先、男がいなくなった。

知人が「彼の家はもう跡形もないよ」と言う。わけは聞かなかった。
この男にいろいろ吹き込んで煽っていた初老の女も辞めていった。

あのおぞましい投稿は誰がやったのかは、今もってわかりません。
ただある日、突如として全部削除されていた。

しかし、これで正常に戻ると安堵したのも束の間、
今度は別の同僚から、こんな誹謗中傷文書を書かれてしまった。

誹謗中傷文書の出だしはこうでした。
img20200611_13425135 (3)

「わがまま放題の雨宮さんは、
常に敵をつくり、トラブルやら問題を起こしています。
今までも〇〇や××さんとケンカ。彼らが辞めると、
今度は、我々を標的にしてきました。
自分が不利になると弁護士に相談するなどと言って手に負えません。

――略――

このままでは調整役が必要であると思い、
今まで調整役をやらせてくださいとお願いしておりましたのが、
その理由であります。
みなさん、彼女には充分ご注意ください」

この男がグループの代表になりたいと願い、
その肩書を欲しがっていたのは誰もが知っていたが、
その踏み台に私を使ったってことか。

ケンカやトラブルといったって、
ほかの人とは接触のない一人勤務では起きようがないじゃないの。

それにこの人は直前まで、「運営のことで相談に乗ってくれや」と言って、
ひんぱんに勤務中の私を訪ねて来ていたではないか。

それが唐突に、なんで?

ただこれ以前にとんでもないことがあった。
飲み残しの缶ビールが事務室にあるのを、出勤してきた私が見つけたこと。

これを知らせると役人が町から飛んで来て、
「勤務中の飲酒は即クビです。誰にも言わないで」と持ち去っていき、
結局、うやむやになった。

酒類持ち込み禁止、飲酒厳禁の施設で見つかった飲み残しの缶ビール。
ここで芽を摘まなかったことが、後々、
「役人なんてチョロいもの」という空気を招いたことは否めない。

この飲酒事件について友人から、
「なぜ、通報したの。そんなことをしたらあなたが疑われるじゃないの。
そういうときは見て見ぬふりをするものよ」と言われたけれど、
私にはそんな芸当はできない。

私は世間知らずで、不正義を黙っていることができない融通の利かない人、
ということは今までの人生の中で自分でもよくわかっている。

だから根も葉もないこんな文書を書かれて黙っているのは、無理だ。

同じ建物内の別の機関の職員たちが妙によそよそしいと思ったら、
この男が盛んに悪口を言い触らしているという。

下が誹謗中傷文書の全文、手書きです。書いたのは70代半ばの老人。
ブログ掲載のため、本文は塗りつぶしました。
こういうひどいものを書かれた体験者はいらっしゃいますか?

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いろんなところへ相談に行きました。以下はその結果です。

雇い主の市の職員「完全な誹謗中傷です。でも事が大きくなると…。
             我慢してくれませんか」
県・市の労働問題相談窓口「正規職員以外は対象外です」と門前払い。
法務局の人権相談
「これを公表すると、逆にあなたが相手から名誉棄損で訴えられますよ」

被害を訴えてなぜ被害者が訴えられるのか、いまだにわからない。

有償ボランティアなんてのは保障・救済の対象外と言いながら、
「役所相手にケンカ売っても勝ち目はありませんよ」と念を押したり、
「そんなお年でセクハラ?」と鼻で笑う相談員もいた。

同時期に奈良の病院で同じことがあって、女医が逮捕された。
被害届を出せばすんなりいったんだと思ったものの、
この狭い地域で警察沙汰にしたら、施設の運営に支障をきたすし、
男の家族もダメージが大きいだろう。

そんなことが頭をかすめて、被害届は出さなかった。
しかしそれが仇になった。

だから今もこの人は、
書いた理由や謝罪を求めても無視をきめこんだまま、
念願の「肩書」を手に入れて、大威張りで勤務を続けている。

役人は相変わらず見て見ぬふり。

姉ヨーコが日本を嫌った一つが、この「臭いものに蓋」という
日本人特有のずるい対処方法だった。

臭いものに蓋をして、誰も責任を取らない。加害者は罪を免れる。
それどころかその責任を被害者へ持ってくる。

「和を乱す協調性のない人」
「それだけのことをされるのは、あなたに落ち度があったからでしょ」と。

詩織さん事件でも、現場にいたわけでもない第三者が、
悪意のある憶測だけで、彼女の「落ち度」を攻め立てていた。

そしてまた、今度は山口県の役場で、内部告発した職員が報復されて、
おかしな部屋に一人「隔離」されたというニュース。

中傷文書男の嫌がらせは執拗に、今も直接間接に続いている。
しっかりしているつもりでも不眠症になり、難聴がものすごい勢いで悪化。

「たかがボランティア、辞めた方がいいよ。そんなのに神経使うなんて
バカバカしいじゃないの。もう、年だしさ」

と、もう一人の私がささやく。

「悔しいけど、そうかもねえ」と、私。

利用者さんとの会話は楽しかったし、アドバイスをして感謝されたり、
障がい児からタッチをせがまれたり、その成長がまた楽しかった。

地元の方との郷土史の情報交換も貴重なものになったし、
力石の講演依頼も、新たな交流もこの中から生まれた。

充分いい時間を持てたのだから、ここらが引き際かもね。

それにしても、
「わがまま放題の雨宮さん」だの、「我々を標的にしている」だのって、
こんな作文を70過ぎの男が必死で書いていた姿を想像したら、
あまりにも情けなくて、「標的にされた」私の方がコッパズカシクなった。

私が相談をした誰もが文書の内容はウソだとわかっていた。
名誉棄損にあたるだろうということも知っていた。

けれど被害者に泣き寝入りを強い、当然のように臭いものに蓋をした。
だから、自浄作用が働かず、加害者は今も大手を振って歩いている。

まるで、日本国の縮図のような田舎の小さな施設。

それにしても、

たかが数人のボランティアの組織内で、
対外的にはなんの価値もない代表の座と名ばかりの「肩書」を、
人を貶めてでも欲しがる心理、私には全く理解できない。


<つづく>
         ―――――◇―――――

      ★ いじめの標的 ★

次々と「標的」にされるのは、
自分自身が引き寄せている部分もあるんじゃないのかと思われるかも。

強いて探せば、「女の一人暮らし」に行き当たる。

新興住宅地では、いいトコのご婦人方から集団いじめにあった。
そこでの友人に「なぜか」と聞いたら、こういう答えが返ってきた。

「だってあなたは新聞記者やったり本を書いたりテレビや新聞に出たりして、
私たちにはできないことばかりやっているんだもの。
今までみんな悔しい思いをしていたのよ。
だけど、今度あなた一人になったでしょ、だからいじめやすくなったのよ」

「あなたもそうか」と聞いたら、
「そう。だっていくら医者の妻や大学教授夫人と言ったって、
それは夫の肩書で、自分たちはその妻にすぎないから」と。

今の職場での最初の加害男からは、こう言われた。
「文句を言ってくる夫がいないから、なんでもやれる」

そういえば今は亡き母が言っていた。
「こんな寝たきりのお父さんでも、いるだけで防波堤になる」

        ―――◇―――

#わたしは伊藤詩織さんを支持します。


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詩織さん事件に思う①

元TBS記者から性暴力被害をうけたとして提訴していた
ジャーナリストの伊藤詩織さんが昨年12月に裁判に勝った。

そして先日、漫画家とそれにリツイートした医師などを、
名誉を傷つけられたとして提訴したというニュースが流れた。

この性暴力報道があったとき、私は、
「日本社会は半世紀も前から何も変わっていないんだな」と驚いた。

その後、人権写真家が弟子にセクハラをしていたことが明るみに出たときも、
セクハラ・パワハラを人権侵害と認識できない人が人権派だなんて、
ブラックジョークとしても笑えないではないかと腹が立って仕方がなかった。

息子が淡路島で撮ってきた力石。
・伊弉諾神社淡路島
淡路市多賀・伊弉諾神社

出版社で働いていたころ、仕事で訪問した議員会館で、
初対面の左派系議員からいきなり、「アパート、世話するけどどう?」と言われて、
こういうことに思想は関係ない、右も左もないんだなとつくづく思った。

しかしマスコミという職場はもっとひどかった。

仕事中、胸やお尻を平気で触る。
「作家と寝て、新作をとってこい」という編集長。

「女に仕事の期待などしていないから、容姿で採用している。
男を奮い立たせてくれるのが女の仕事だから」

表ではフェミニストを標榜するのに、実態はこれだった。

上司から、夜、「仕事だから命令に従え」と言われてついていくと、
バーに連れ込まれる。

バーテンに頼んで色付き水をだしてもらったり、自分から逃げ出したり、
別の先輩に「タクシーを拾ってあげるから逃げなさい」と助けられたことも。

しかし、翌日になると「あの娘がこの前病欠したのは堕胎したからだ」
「あの娘は会社の備品をくすねている」などという
ウソや中傷が社内に広がっていた。

そして、そういう誹謗中傷話を広めるのは、決まって女性社員だった。
「男に媚を売る」という、長い間に刷り込まれた女の悲しい性(さが)でしょうか。

だから、性暴力で傷ついた伊藤詩織さんをツイートや動画で笑っていた
女性たちの姿に、昔、自分がされてきたシーンが蘇り、
その醜悪さに私自身も身震いし、何度も傷ついた。

撮影斎藤

この前、
ブログでカナダ在住だった姉のヨーコが書いた「十人の釣り客」をご紹介した。
実は姉はこのほかにもこんなことも書いてきていた。

「バンクーバーにいたとき、日本人の友人T子さんは、
最初、日本人の商社に秘書として勤めていた。

彼女はこちらにもう20年以上も住んでいるので英語もペラペラで、
コンピュータから何から何までできる。

日本の男どもは言葉(英語)が不自由なので、日本から単身赴任してくると、
彼女に頼るのだけれど、仕事だけではなく、自分の女にしたがる。
はねつけるとそれをいじめで返したそうです。

それなのに日本のビジネスマンは金髪の女の子にはへーへーペコペコ。
T子さんは日本人の会社はもうたくさんだとそこを辞めて、
今はカナダの航空会社に勤めています。

カナダ人ばかりでせいせいするって」

あのとき釣りガイドファミリーのカナダ女性のKさんが言った
「日本の男性たちには失望した。礼儀正しく教養があるなんてウソだった」

この言葉と、

「ジェンダー・ギャップ指数2020で、日本は世界153か国中、121位という低さ」

という、およそ文明国とは言えない恥ずかしい調査結果を、
今こそ、男女を問わず深く考えるべきではないかと私は思います。


<つづく>

#わたしは伊藤詩織さんを支持します


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松崎しげるのひいじいちゃん

「松崎しげるさんの先祖が担いだ力石がありました」

埼玉の斎藤氏から、そんな情報をいただいたのは4年前。
そんなすごい情報をいただきながら、4年もほったらかして、
申し訳ないことをしました。

松崎しげるさんというのは、歌手のあの松崎さんのこと。

なんでも、NHKの番組「ファミリーヒストリー」を見ていたら、
こんな話が流れたとか。

「松崎しげるの母方の曽祖父は杉山國次郎といい、
草相撲の力士で、しこなは小松風」。

そこで、斎藤氏、草相撲の力士なら力石もあるはずと調べました。

ありました。

立派な刻字の石が7個、並んでいますが、
「小松風」の名を刻んだ石は、この中にありました。

水元・教育資料館1
東京都葛飾区水元・教育資料館

「さし石 代地 金蔵 上小合 権平 
小松村 小松風国□」


有名人のご先祖に力石を担いだ力持ちがいたなんて、
嬉しいですね。

たぶん、こちらも松崎さんのひいじいちゃんが持った石だと思います。
違うかなあ?

場所は、葛飾区新小岩の八坂神社です。
新小岩・八坂神社

この神社には力石が6個。

その中の一つに、「□□風」というのがありますが、
これも「小松風」ではないか、と思っているのですが、どうでしょうか。

「指石 世話人 當地 若者中 
下平井村 □□□ □□風」


□□□に「小松村」とあれば、ばっちりなんですけどね。

この小松風や草相撲のことは、「葛飾区史」にも出てきます。

区史によると、同区東四つ木の渋江白髭神社には、
明治七年に、草相撲の力士たちが奉納した板番付表の額があって、
そこに小松風の名があるそうです。

また区史では、東新小岩の天祖神社の「力持記念碑」も載せています。

下の写真は、その「力持連中記念碑」と力石です。
力石は全部で13個。碑は明治29年の建立で、
当時の力持ちや石工、碑を収めた人の名が刻まれています。

残念ながら、小松風の名はありません。

記念碑も力石も富士塚に埋め込まれています。
東新小岩・天祖神社

そして、こんな句も。

 「なをあげて若き力の花納(はなおさめ)

村のお祭りで力比べをやった。
大きな石を担いだ若者はヤンヤの喝采をあびて、得意満面。

石担ぎも祭りも無事終わって、さあ、花納めです。
きっとみんなでおいしいお酒で盛り上がったことでしょう。

さて、もう一つご紹介します。
タレントの森三中の大島美幸さんも、このファミリーヒストリーに登場したとか。

そこで、ご先祖に草相撲の力士がいたことが判明。
本名は後藤作太郎、しこなは「フジノモリ」

場所は栃木県大田原市。黒羽神社でよく相撲をとったそうです。

作太郎さんの仕事は酒樽を運ぶ荷車引き、
つまり「あたりきしゃりき」の車力です。

残念ながら、「フジノモリ」が担いだ力石は現在、確認されていませんが、

おもちゃ博士の清水晴風も車力屋で、
力石の力持ちとして、番付にもその名を残すほどだったので、
「フジノモリ」も石を担いだはずです。

栃木県大田原市在住のみなさーん、
「フジノモリ」の力石を、ぜひ、見つけてくださ-い!


※参考文献/「東京の力石」高島愼助 岩田書院 2003


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ビッグニューーース!

ビッグニュースです。

なんと、私の力石の原稿がすごいところに掲載されたんです。

金沢大学の外郭団体に「e教育サロン」という、
教育問題について話し合うための団体があります。

会員は、科学者、化学者、理系の研究者という立派な方々ばかり。

そういう中に、
名もない苔むした力石ごときの私が、ですから、
最初は尻込みしましたが、友人に背中を押されて勇気を出しました。

お恥ずかしい限りですが、
でもこんなチャンスは、そうはないですものね。

迎え入れてくださった主宰者の方には、心から感謝しております。

どうぞ、ご覧ください。そして共に喜んでいただけたら幸いです。

機関誌の名は「チョウゲンボウ」

また、
ウイルスの専門家やアビガンの開発に携わった先生方の記事は必見です。

   「チョウゲンボウ」第51号

来月また、続きが掲載されます。


       ーーーーー◇ーーーーー


こんなところに、突然、場違いな写真を載せてすみません。

私がかぶっているのは、
タイ在住の「ちい公さん」の奥様、PERNさんにいただいたタイの帽子です。

CIMG5261 (3)

どうして撮ろうかと思案の末、お風呂場の鏡に映して撮りました。
なので手にしたカメラも写ってしまいました。

PERNさん、ご報告が遅くなってごめんなさい。
軽くて機能的で、エレガント。毎日、愛用しています。
みなさんから「素敵! よく似合う」と言っていただいております。


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「ふるさとの富士」 …12

私が日本に帰国してから10年後、姉ヨーコは大腸がんの手術を受けた。
その年の年末に、「せめて来年の6月までは生きたい」と弱気の手紙がきた。

でも明けて1月には力強く、「なんとしても生き抜く」と、したため、
「おいしい梅干しが食べたい」とあった。

私はスーパーを駆けずり回って「おいしい梅干し」を探して送った。

でも音沙汰無し。再び送ったが、やっぱり何も言ってこない。
そのうち、
「清子から何の便りもない」と、姉が落胆していることを人づてに聞いた。

ようやく連絡がとれたときは、すでに余命いくばくもなかった。

これは訃報と前後して届いた姉からの絵はがきです。

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慌てていて住所を間違えたのか、何かの手違いなのか、
とにかく荷物も手紙も届かなかった。

手にすることができなかった梅干しなのに、
姉は「色々とおいしいものを送って下さってありがとう」と書いてきた。

衰えてペンを持つ気力もなかったのに、姉はどうしてもお礼を言いたい、と。

「ほんとに一筆のみ お元気で」

私へのあて名は、代筆だった。

今でも鮮明に思い出すのは、遠い夏の日、駅前で会った姉のこと。

幼い長女の手を引き赤ん坊をおんぶした姉は、やつれて見る影もなかった。
あんなに美しかった姉さんが、と私は言葉を失った。

降るような縁談に応じようとしなかった姉は、
突然、入院患者だった男と結婚した。平家ガニみたいな顔の陰気な男だった。

姉さんは名家のしがらみを嫌って「平凡」を選んだのだろうが、
平凡=小心者=妻に嫉妬する=妻をいじめて憂さを晴らす
って図式もあるわけで…。

案の定、その通りになった。

産後17日目の姉。初めての出産は涙で始まった。
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このとき実家の母は、仕事を休んで手伝いのため上京した。
しばらくすると、兄が東京にいる私へ電話をかけてきた。
「どうもお母さんの様子がおかしい。見に行ってくれないか」と。

行ってみると、布団の中で姉が泣いていた。
母は公園の暗がりで、やはり泣いていた。
姉の夫は母を無視して口も利かず、
母の作ったものは汚いと言って毎晩、実家へ食べに帰るというのだ。

怒った兄が抗議して、即座に母を連れ戻した。
誰にも助けを求めることができなくなった姉が、
産後間もない体に無理を重ねて乗り切ったと思うと、なんとも切ない。

しかし、姉への「いじめ」は、ますます陰湿になっていった。

「女房は家事をやって、求めに応じて夜の相手をするだけでいい」といい、
台所でラジオの英会話講座を聞いていたら、いきなりバンとスイッチを切り、
「女が偉くなる必要はない」と、のたまったという。

  学びたし、ただ学びたし学びたし
     この情熱の燃え尽きるまで
   ヨーコ


強烈な日差しで白い世界と化したあの夏の日、姉さんはこう宣言した。

「この子たちが保育園に入る年になったら働くつもり。
働いて働いて貯金して。20年たったら自立するつもり。
成人まで見届けたら、母親の務めを果たしたと思うから。
この子たちも許してくれると思うから」

子どもが3歳と6歳になった時、
姉は二人を抱き寄せて、母の夢を聞いてもらったという。

   
 三つと六つ無駄とわかりつ母の夢
   聞きてうなづく吾が味方あり
   ヨーコ


その宣言通り、姉は叔父の医院で再び看護婦として働き出した。

子どもの頃の私と姉
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「自分の自由になるお金がない」と言っていた姉が、
その自由になるお金を自ら手にした。そして誰はばかることなく、

車の免許を取り念願の英語学校へ通い、中断していた生け花も再開した。

新婚当時、「平家ガニ」は家を訪れた会社の同僚に、
「こいつの取りえは顔がきれいなだけで頭はカラッポ」と嘲った。
その嘲りを自ら録音して、繰り返し姉に聞かせるという念の入れよう。

でもそれを無視できるほど、姉は強くなった。

輝きを取り戻した姉は、
「食わせてやっているのに何が不服か」と怒鳴られても、
食卓をゲンコツで叩いて威嚇されても、もう動じなかった。

   
 悔いなきや乾坤一擲わが人生
   その光芒の夢をたぐりて
   ヨーコ

そして20年。

姉はあの言葉通り、夫に離婚を突き付けて、
実家の父の援助で建てた家も車も家財道具もいっさい置いて家を出た。

成人したとはいえ、子を捨てたことに変わりはない。
その罪悪感にさいなまれながらも、不安と希望を胸に、
片道切符を握りしめてカナダへの機上の人となった。

45歳の新たな旅立ちだった。

   
 いずくにも青山ありと海渡り
  路傍に死すとも還らじと決む 
  ヨーコ


渡加して2年後、スベンさんと知り合い、
アメリカに住む従姉の立ち合いのもと、再婚した。

しかし、スベンさんの事業の失敗から、
レイクのほとりの家を手放し、あの大草原の小さな家に転居。

経済的には恵まれなかったものの、
「スベンの大きな愛に包まれて、幸せいっぱい夢いっぱい」の
カナダライフを満喫していた。

その後、スベンさんの高齢とケガを機に町へ移り住んだ。
そこがヨーコの終焉の場所となった。

これはカナダの海岸で、姉と二人で夢中で拾った貝や瓶のかけらです。
CIMG5239 (3)

死期を悟った姉は、この世に自分の痕跡は一つも残したくないといい、
茶道具や着物、花器や琴などに贈与する人の名札をつけた。

残った財産は処分してもらい、
アビューズ(虐待)に苦しむ女性たちを救う団体に寄付するつもり、
とも言っていた。

そして遺言通り、遺灰は海へ流した。

元夫から言われ続けた「料理が下手」は、トラウマになり、
母親の悪口を聞かされ続けた子供たちからは誤解もされたけれど、
姉は確実に、ここカナダで人間としての尊厳を取り戻した。

もう日本にはなんの未練もないと言っていた姉だったが、
「胃袋だけは日本回帰してね、日本食しか受け付けなくなった」と、
ちょっと恥ずかしそうに手紙に書いてきた。

貝殻拾いをしたキャンベルリバーの海岸。のちに姉の散骨が行われた
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生前、姉はたびたび富士山の写真を欲しがった。

住み慣れたカナダの地から大海原へ船出した姉さん、

その富士の聳えるふるさとを目指して、懸命に泳ぐ姿が目に浮かびます。


 日本より中継されしスポーツに
   つつがなきかなふるさとの富士
   ヨーコ


         ―――――◇―――――

精神的DVは身体的DVと違って外部に見えにくく、子供にはよき父親であるため、
周囲になかなか理解してもらえません。
本人は渦中にいるため、自分は被害者だという自覚すらできにくい。
姉自身も異常と感じてはいても、
自分がDV被害者だったとはっきり自覚したのは、再婚してからだった。
  
世間体を気にする肉親からの、
「なぜ我慢できないのか」「外人と結婚だなんてパンパンになり下がったか」
という非難も姉を苦しめたが、姉はそれをもバネにして誇り高く生き抜いた。

いつも前向きで自分を見失わず周囲を気遣い、一生懸命だった姉の生きざまが、
今、DVに直面している人へ少しでも力になればと思っています。(ちから姫)


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YOU TOLD A LIE !…11

日本から来た十人の釣り客が帰るとき、
「みんなで陽気に手を振って別れを惜しんだ」

と、Kは笑って言ったけれど、目は笑ってはいなかった。

彼女は体を斜めに傾けて、かたわらの袋を持ち上げると、
「ヨーコへのプレゼント」と言いながら、
中から品物を取り出して、次々とテーブルへ投げた。

テーブルの上に、
紙パックの日本酒や漬物の瓶詰、日本茶のティーパックなどが散らばった。
なぜか日本語の本まであった。

十人の釣り客が置いていったものだという。
いずれも高い値段がついていたが、Kたちにはゴミでしかない。

彼らが捨てていった「残飯」を前にして、
なすすべもなく固まっていた私に、Kの声が飛んできた。

「その中の一人が、息子に釣竿をプレゼントしてくれたよ」

ほとんどブランニューの立派な釣竿で、
この国の若者にはとうてい手に入れることができない高級品だったという。

もらった息子は当然喜んだ。

従業員やほかの釣り客たちが集まってきて、みんな驚きの声を挙げた。
Kのもう一人の息子は、それを羨ましそうに見ていたという。

学費を稼ぐために懸命に働いている息子たちである。

欲しいものは自分で稼いで手に入れる、
それがカナダ流の子育てなのに。

それを金満家の思いあがった日本人にぶち壊された。

顔を見なくても、
Kの母親としてのそんな苦々しい思いが、手に取るようにわかった。


ーーーーーー


   =  余談  「野点」  =


   ミッシェルさんの庭で野点。

   ご亭主はミッシェルさん。正客は私。
   横にギャラリーが6,7人、二人の動きを見逃すまいと見つめています。

   責任重大。

   「えーと、茶碗は2回半まわすんだっけ」と、自信のない私に、
   「堂々としていれば、間違っていても本物に見えるから」と姉。

   日本という国にゾッコン惚れこんでいるミッシェルさんは、
   ホンモノの日本人の所作を一つも見逃すまいと、私を凝視している。

   なんだか自分が詐欺師みたいに思えてきて、冷や汗がでた。
   いけばなといい茶の湯といい、いい加減な私。

   これでも私、日本人かぁ?


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   なんとか所作を終えておじぎをした途端、
   居並ぶご婦人方から大きな拍手が起きた。

   姉がミッシエルさんに話している。

   「お茶にもいろいろあってね。妹のはあなたと違う流派なの」
   
   ハハハ、ウソだよん。

img20200530_08504253 (2)

   元・看護婦だったミッシェルさん、
   姉が病気になったとき、ずっと付き添い、最期を看取ってくれた。

   ヨーコは常々、手紙に書いてきた。

   「あなたはよい友人を持っていますか?
   私はたくさんの友人に助けられています」

   友人知己の一人もいない異国で、人生の再出発をした姉さん。


   この島に大和(やまと)の国の女人(ひと)ありしと
           今、万世にわが生花(はな)(のこ)   ヨーコ


ミッシェルさんの家の池。ここではお煎茶を頂戴しました。
img20200530_08504253 (7)

ーーーーーー


散々ひんしゅくを買った彼らの行為が、
そのようなプレゼントで帳消しになるはずもない。

私は日本のすばらしさを伝えたいと、
お茶やお花を教えて20年もがんばってきた。

「日本人は親しい間柄でもファーストネームに「さん」を付けて呼びます」とか、
「プレゼントの包み紙を相手の目の前でビリビリ破いたりしません」
などと、折に触れて日本人の礼儀を伝えてきた。

それを彼らは一瞬にして壊し、サッサと立ち去ってしまった。
それも「飛ぶ鳥跡を濁さず」どころか、「残飯」まで人に押し付けて…。

「どうしてくれるんだ」と、私は怒りに震えた。

そんな私に、Kがとどめを刺すように言った。

「今までいろいろな国のたくさんのお客さまをお迎えしたけれど、
今度のような釣り客は初めてだったよ。

ヨーコには悪いけど、私、日本の男性にはすごく失望したよ。
だってヨーコが教えてくれた
『礼儀正しく教養ある日本人』とは、大きな違いだったもの」

そして、
「YOU TOLD A LIE ! (ウソついたね)」

と笑いながら、私をにらんで彼女の報告は終わった。

友だちだからこそ、彼女は率直に伝えてくれたに違いない。
しかし、この出来事は、
日ならずして、友人たちのあいだに広まっていくだろう。

私は一気に、暗い闇の中に引きずりこまれていった。


<おわり>

本文/ヨーコ・ジェンセン「十人の釣り客」
余談/雨宮清子

※ 次回一度だけ、姉への鎮魂として「ふるさとの富士」を書きます。
   それでホントのおしまい。


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プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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