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ごほうび …8

十人の釣り客
05 /23 2020
「次の朝、ベッドメーキングに行ったのよ。
そしたら、一つのベッドは完全に使用前だった。
間違いなく、前日私がベッドメーキングしたままだったのよ」

親代々、この宿をやってきたけれどこんな使われ方は初めてだ。

ほんの一か月弱というシーズンに世界中から釣りキチたちが集まる。
いわばここは、「サーモン釣りの聖地」なのだ。

それを釣り以外の目的で来るなんて。

Kが最も心配したのは、多感な年ごろの息子たちへの影響だった。

父親はガイドとして大物が釣れるよう、釣り客に全身で奉仕し、
母親は客たちがゆっくり疲れを癒せるよう、全力で尽くす。

「それがフィッシングガイドとその家族の誇りなんだ。
あなたたちの両親は、決して変な宿を経営しているんじゃないよ」

私の耳に、Kのそんな叫びが聞こえてきた。

息子たちに知られたくない。隠し通したい。

しかし、
Kがどんなに平静を装っていても、宿の従業員たちは敏感に感じ取っていた。

常に集団で行動し、我が物顔にふるまうこの日本人たちは、
いやがうえにも、彼らの関心の的になっていったという。

私の頭に、面白いもの見たさで好奇心いっぱいの、
そんな従業員たちの様子が浮かんできた。

「でもまさか、釣りには連れて行かなかったでしょう? その女性を」

私はかすかな救いを求めるように聞いてみた。

小さな釣り舟での自然の欲求は、
立ったままで海に向けて「放水」するしかないというくらいのことは、
素人の私でさえ知っている。

たまにある夫婦連れの釣り客でも、女性はたいていホテルに残って、
散歩を楽しんでいるという話を聞いたことがあったからだ。


ーーーーーー


   = 余談  「カナダで路地歩き」  =


   <その一  「流木によるカービング競技大会」  >  


チェーンソーで彫刻します。それにしてもデカい流木です。
img20200521_09293120 (2)
キャンベルリバー市

   
   <その二  「北海道・石狩市から寄贈された赤鳥居」  >

   
   寄贈の由来はわかりません。
   ご存じの方、教えていただけたら嬉しいです。
   
   海辺に建っています。神社は見当たりませんでした。

   ※情報をいただきました。
   
   石狩市とキャンベルリバー市は、1983年に友好都市提携を結んだ。
   その10周年記念に、
   それぞれ、赤鳥居とトーテム・ポールを交換したとのことです。

   トーテム・ポールは、以下のHPでご覧ください。

   「石狩の野外展示物マップ」 

img20200521_12130470 (2)
キャンベルリバー市


   <その三  「炭坑跡記念館」  >


   炭坑の町だったコモックスにある記念館
   「カンバーランド・ミュージアム」です。

   観光雑誌に決して載ることのない場所です。
   入館記念の署名簿に、 「雨宮清子 JAPAN]と記してきました。

   ビデオを見ました。

   「いろんな国から移民がやってきたが、
   国策としてやってきた人たちではなかったため、
   彼らがありつく仕事は、炭坑夫という重労働しかなかった。

   中でもエイジアン(アジア人)が最も悲惨で、
   白人の賃金が4ドルだったのに対して、中国人・日本人はたったの1ドル。

   さらに日本人の入る穴は第一坑と決められていて、
   その坑道の大きさは30㎝四方だった」

   というから驚いた。

日本人炭坑夫が入った穴の模型。
img20200521_10261241 (2)
    
   「炭坑夫は動物以下の存在として扱われた」とナレーション。

   動物以下に扱った例として、模型まで作って展示し、
   自国の非を赤裸々に語り、過ちを率直に認める、
   
   その誠実さ・健全さに好感が持てました。

   展示物の中に盛装した日本人一家の写真があった。

   「これね、日本の親戚へ送るための写真なのよ。
   おそらく服も借り物でしょう。
   私たちはこんなにいい暮らしをしています、
   と誇示したいがための精いっぱいの見栄なのよ」と姉。

   「第二次大戦中はここカナダでも、日本人は収容所に入れられた。
   そうした日本人たちがカナダ政府に名誉回復と補償を求め始めたのが、
   1980年代のことで…。

   私がここに来た頃もまだアジア人は低く見られていたの。
   だから当初は、あなた、こんなところに来て大変よって言われた。

   今でもアジア人とみると、
   頭からドロボー扱いするストアがあるくらいだから」
   
   それでも姉さんはこの国が好きだという。
   
   日本では悲しいことに、そのアジア人同士が傷つけあっている。

img20200521_09181782 (4)
コモックス「カンバーランド・ミュージアム」

ーーーーーー


まさかその女性を釣りには連れていかなかったでしょう?
との私の問いに、
Kは首を振りながら、こう言った。

「それがねぇ、ヨーコ。彼らはその女性も一緒に連れて行ったのよ」

「えっ。トイレはどうしたの?」

「知ーらない」

Kは口をゆがめ、両手を広げて肩をすくめた。

昼の弁当を舟に積んで行くのだから、
当然彼らは夕刻までサーモンを追いかけて海の上のはずであった。

女性は空き缶の中にでも用を足したのであろうか。
そう考えるだけでも私は自分のことのように惨めであった。

「ヨーコ、その晩はどうしたと思う?」

同席するカナダ人やアメリカからの客は、固唾をのんで聞いている。

まだこの先があるのかと思うと居たたまれず、
Kの顔を見るのさえ、つらくなった。

「あのねぇ。その日のウインナー(サーモンを一番多く釣った優勝者)が、
ごほうびとして彼女を獲得したのよ」

私は自分の顔が青ざめてくるのがわかった。

怒りで全身が震え出した。


<つづく>

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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞