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富を持つ者と持たざる者と …10

「仕事ですから」

と、その女性が言ったと聞いて、私は愕然とした。

皿やコップを洗うのはともかく、
「釣りのごほうび」として、夜ごと男たちに体を差し出すのも「仕事」とは。

いくらお金のためとはいえ、
女のプライドをそこまで捨てられるものだろうかという疑問が、
私を捕らえて放さなかった。

富を持つ者と持たざる者の思惑が一致して、ビジネスとして成り立った。

自由な時代だからこそ、それを「ビジネス」として割り切っているのだとしたら、
私の嘆きは「いらぬお世話」ということになる。

ただ、彼女には誤算もあったはずだ。

日本から遠く離れた異国だからこそ、人に知られずに済むはずが、
宿には他国からの釣り客や、大勢の従業員がいて、
十代の若者まで働いていた。

その上、宿の奥さんはしっかり者で、隅々まで気を配る。

自分をここへ連れてきた男たちは、旅の恥はかき捨てとばかりに、
「金で買った女」を、周囲に見せびらかしてさえいる。

地位も家庭もある立派な男たちが、日本を離れたとたん、
そんな浅ましいことを、かくも堂々とやってしまうことなど、
彼女は予想もしていなかったはずだと私は思った。

彼女が男たちと交わした「契約」の内容まではわからない。

しかし、騙されたにしろ契約通りだったにしろ、これでは恥ずかしくて、

「黙って下を向いて」「みんなと目を合わせないように」
しているしかないではないか。


ーーーーーー


   =  余談  「琴を弾く姉さん」  =


手作りの帽子をかぶって。カナダの空に「さくら さくら」
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   =  余談  「花の教室」  = 


   右端に孟宗竹のレプリカ。正面に御所車と紙風船。
   
   左端に掛け軸と羽子板。

   姉さんのお城です。

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   =  余談  「日本がいっぱい」  = 

   写真の裏に、こんなことが書かれていた。

   「清子へ 
   いろいろとレイアウトを替えて楽しんでいます。

   mt.富士。慈母観音、これは新入り。折り鶴。
   日本の包み紙はきれいなので、ひもも取っておいていろいろ作ります。

   左端の「松」は叔母さんが送ってくれたせんべいの缶のフタ。

   右端の鳳凰は、親友のM子さんが送ってくれたスカーフ。
   
   去年、この鳥よりもっと美しい孔雀のような鳥が二羽、
   空いっぱいに飛んでいる夢を見ました。

   帽子、先日また、一個作りました」

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   =  余談  「ヘレンさんの野菜畑」  =   


   この日はヘレンさんからお茶に呼ばれた。

   娘さんとお孫さんも一緒です。

   帰り際にご主人が、
   「KIYOKO ここで婿さん探していけ!」と。
   うわっ、ムリムリ。

   ヘレンさんのお父さんは、第二次大戦でヒトラーのナチスが崩壊して、
   それでドイツから逃れてここへ来たという。
   
   そっかあ、みんないろんな歴史を背負って生きているんだね。

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ーーーーーー


日本の男たちが同じ日本の女ではなく、コリアンを連れてきた。

コリアンの女性は自分と同国の男たちではなく、日本人に買われてやってきた。

自分たちの宿が前代未聞の使われ方をしたことに、
屈辱を感じたのはもちろんだが、この男女の組み合わせに、
「なんともいえない重いものを感じてね」と、Kは言った。

遠く離れたカナダの島の住人でも、
日本と韓国との歴史的事情は知っている。

それに私の花の生徒さんに韓国の女性がいて、
若くして病死したけれど、病気中はみんなで親身になって世話をした。

だからKは、この女性の行為を非難しつつも、
彼女が常に見せていた羞恥心に痛ましいものを感じて、
「とてもおとなしくてキュートなひと」といい、温かく接していたという。

どれほどの時間が過ぎたであろうか。

部屋が静かになっているのに気付いて、ハッと我に返ると、
同席していたみんなの視線が一斉に私に向けられていた。

いたたまれなかった。

それを察してか、Kが少し柔らかい口調で言った。

「でもね、ヨーコ。
最後の頃には少しずつ打ち解けてきてね。彼女のブロークンな英語と、
こっちの挨拶だけの日本語で何とか通じ合えるようになったよ」

「そう…」と返事はしたものの、もう充分パンチを食らったあとだから、
立ち直りにはさして救いにはならなかった。

「マタ、オコシクダサイ」「キヲツケテ、オカエリクダサイ」

Kは私が教えた挨拶を、茶目っ気たっぷりに繰り返したあと、

「とにかく、みんなで陽気に手を振って別れを惜しんだよ」と笑った。

しかし、Kの次の話で、私はさらに強烈なパンチを食らはめになった。


<つづく>

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仕事? …9

Kの話によると、大食堂での夕食のとき、
この9人の男たちは、日本から連れてきた女性を傍らに置いて、
大はしゃぎしていたという。

その傍若無人なふるまいと、
時々聞こえてくるブロークンな英語のおしゃべりで、
そこに居合わせた誰もが、
その卑猥な内容を理解することができたということだった。

一人30万円近い出費をものともせず、男たちは日本からやってきた。

Kはこの大切なお客様のために礼を失しないよう、
緊張しながら日本語の特訓を受け、三角おにぎりにも挑戦した。

それが…。

言葉を失いかけつつも、私は思い切ってKに質問した。

「それじゃあその女性は、
夜ごと、ごほうびとして男から男へたらい回しにされていたのかしら」

「うん。その通りだったようね」

Kは吐き捨てるように言った。


ーーーーーー


   =余談  「カナダで路地歩き」  =


   <その四  「A BUCK OR TWOの店」  >

 
   「1ドルか2ドルで買える店」。日本の「百円ショップ」のようなお店です。
   
   確かここで宝くじを買いました。
   
   当たったら姉にプレゼントしようと思ったけれど、ハズレた。

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   <その五  「図書館」  


   町の図書館です。
   受付で、ライブラリーワーカーのダイアナさんに会った。

   「ハーイ!」と言ったら、
   「ハ ジ メ マ シ テ、 ド ウ イ タ マ シ テ」だって。

   「日本語覚えたいというから、私が教えてるのよ」と姉。

   でもダイアナさんの日本語は通じるからいいよ。
   
   私なんか、外国人を見るととっさに口から出るのは、
   中学校で最初に習った「ジス イズ ア ペン」だもの。

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コモックス

   実はこの図書館の書棚にはなんと、私の著書があるんです。
   姉に送ったものを読み終わった後、ここに寄贈したとか。
   
   日本語ですからね、読む人いるかなあ。
   
   あれからずいぶんたったので、今もあるかどうかわからないけれど、
   カナダの町の図書館に自分の書いた本があるなんて、

   うふふ。

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   <その六  「せんたく姉さん」  >


   連日、 
   「あなたを連れていきたいところが、いっぱいある。
   あなたに会わせたい人が、いっぱいいる」という姉さん。

   そういえば、建国記念日のパレードも見た。

   で、出かけるために、姉は朝からお洗濯。

   姉自身は一か所にいて、滑車付きのロープに洗濯物を付けると、
   ギリギリとロープを動かして移動させます。

   どこから見ても、すっかりカナダのファーマーです。

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ーーーーーー   


夜ごと、男の間をたらい回し。

それも衆人環視の中で堂々と…。

そんなことを本当にやったのか。
釣り人としての矜持や品性や仁義はどうしたのか。

Kの口から次々でてくる報告は、私には到底信じられないことだった。
いや、信じたくなかった。

ここで働く従業員はみんな、明日の糧のために出稼ぎに来ているのだ。

そうした男たちの中に、
学費を得ようと懸命に働いているKの十代の息子たちもいた。

従業員やKの息子たちの目に、
この生々しい日本の男たちの姿はどう映っていただろうか。

「彼らはブロークンな英語で会話をしていた」と、Kは言った。

日本人同士なら日本語でのおしゃべりが自然なはずなのに、
わざわざ下手な英語で、

ということは、従業員や周囲の人たちの反応を楽しむためだったのか。

同じ日本人として、私は恥ずかしくてたまらなくなった。

そんな私に、Kは容赦なく話し続けた。

「夜になると彼らはひと部屋に集まって、遅くまで宴会をするのよ。
日本から持参した肴を並べて、彼女にお酒を注がせて…。
自分たちだけで、やたら盛り上がっていたわ」

「それでね。そんな毎日だったので、
ほかの国からのお客さんには迷惑をかけるし、
彼らと従業員の間もだんだんギクシャクしてきて…」

宴会の後片付けは、その女性が一人でやっていたという。

「彼女、誰もいない台所で、ひとりで黙々と洗い物をしているの。
それで、手伝いましょうか? と言ったら断るのよ。
これは私の仕事ですから、って」

「仕事?」

「うん。仕事だって言ってた」

「でもね、そのひと、いつも恥ずかしそうに下を向いてて、
私たちとは決して目を合わせようとはしなかった」


<つづく>

※ 本文の「私」は、姉・ヨーコのこと。
  ヨーコが書いたノンフィクション「十人の釣り客」より。


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ごほうび …8

「次の朝、ベッドメーキングに行ったのよ。
そしたら、一つのベッドは完全に使用前だった。
間違いなく、前日私がベッドメーキングしたままだったのよ」

親代々、この宿をやってきたけれどこんな使われ方は初めてだ。

ほんの一か月弱というシーズンに世界中から釣りキチたちが集まる。
いわばここは、「サーモン釣りの聖地」なのだ。

それを釣り以外の目的で来るなんて。

Kが最も心配したのは、多感な年ごろの息子たちへの影響だった。

父親はガイドとして大物が釣れるよう、釣り客に全身で奉仕し、
母親は客たちがゆっくり疲れを癒せるよう、全力で尽くす。

「それがフィッシングガイドとその家族の誇りなんだ。
あなたたちの両親は、決して変な宿を経営しているんじゃないよ」

私の耳に、Kのそんな叫びが聞こえてきた。

息子たちに知られたくない。隠し通したい。

しかし、
Kがどんなに平静を装っていても、宿の従業員たちは敏感に感じ取っていた。

常に集団で行動し、我が物顔にふるまうこの日本人たちは、
いやがうえにも、彼らの関心の的になっていったという。

私の頭に、面白いもの見たさで好奇心いっぱいの、
そんな従業員たちの様子が浮かんできた。

「でもまさか、釣りには連れて行かなかったでしょう? その女性を」

私はかすかな救いを求めるように聞いてみた。

小さな釣り舟での自然の欲求は、
立ったままで海に向けて「放水」するしかないというくらいのことは、
素人の私でさえ知っている。

たまにある夫婦連れの釣り客でも、女性はたいていホテルに残って、
散歩を楽しんでいるという話を聞いたことがあったからだ。


ーーーーーー


   = 余談  「カナダで路地歩き」  =


   <その一  「流木によるカービング競技大会」  >  


チェーンソーで彫刻します。それにしてもデカい流木です。
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キャンベルリバー市

   
   <その二  「北海道・石狩市から寄贈された赤鳥居」  >

   
   寄贈の由来はわかりません。
   ご存じの方、教えていただけたら嬉しいです。
   
   海辺に建っています。神社は見当たりませんでした。

   ※情報をいただきました。
   
   石狩市とキャンベルリバー市は、1983年に友好都市提携を結んだ。
   その10周年記念に、
   それぞれ、赤鳥居とトーテム・ポールを交換したとのことです。

   トーテム・ポールは、以下のHPでご覧ください。

   「石狩の野外展示物マップ」 

img20200521_12130470 (2)
キャンベルリバー市


   <その三  「炭坑跡記念館」  >


   炭坑の町だったコモックスにある記念館
   「カンバーランド・ミュージアム」です。

   観光雑誌に決して載ることのない場所です。
   入館記念の署名簿に、 「雨宮清子 JAPAN]と記してきました。

   ビデオを見ました。

   「いろんな国から移民がやってきたが、
   国策としてやってきた人たちではなかったため、
   彼らがありつく仕事は、炭坑夫という重労働しかなかった。

   中でもエイジアン(アジア人)が最も悲惨で、
   白人の賃金が4ドルだったのに対して、中国人・日本人はたったの1ドル。

   さらに日本人の入る穴は第一坑と決められていて、
   その坑道の大きさは30㎝四方だった」

   というから驚いた。

日本人炭坑夫が入った穴の模型。
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   「炭坑夫は動物以下の存在として扱われた」とナレーション。

   動物以下に扱った例として、模型まで作って展示し、
   自国の非を赤裸々に語り、過ちを率直に認める、
   
   その誠実さ・健全さに好感が持てました。

   展示物の中に盛装した日本人一家の写真があった。

   「これね、日本の親戚へ送るための写真なのよ。
   おそらく服も借り物でしょう。
   私たちはこんなにいい暮らしをしています、
   と誇示したいがための精いっぱいの見栄なのよ」と姉。

   「第二次大戦中はここカナダでも、日本人は収容所に入れられた。
   そうした日本人たちがカナダ政府に名誉回復と補償を求め始めたのが、
   1980年代のことで…。

   私がここに来た頃もまだアジア人は低く見られていたの。
   だから当初は、あなた、こんなところに来て大変よって言われた。

   今でもアジア人とみると、
   頭からドロボー扱いするストアがあるくらいだから」
   
   それでも姉さんはこの国が好きだという。
   
   日本では悲しいことに、そのアジア人同士が傷つけあっている。

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コモックス「カンバーランド・ミュージアム」

ーーーーーー


まさかその女性を釣りには連れていかなかったでしょう?
との私の問いに、
Kは首を振りながら、こう言った。

「それがねぇ、ヨーコ。彼らはその女性も一緒に連れて行ったのよ」

「えっ。トイレはどうしたの?」

「知ーらない」

Kは口をゆがめ、両手を広げて肩をすくめた。

昼の弁当を舟に積んで行くのだから、
当然彼らは夕刻までサーモンを追いかけて海の上のはずであった。

女性は空き缶の中にでも用を足したのであろうか。
そう考えるだけでも私は自分のことのように惨めであった。

「ヨーコ、その晩はどうしたと思う?」

同席するカナダ人やアメリカからの客は、固唾をのんで聞いている。

まだこの先があるのかと思うと居たたまれず、
Kの顔を見るのさえ、つらくなった。

「あのねぇ。その日のウインナー(サーモンを一番多く釣った優勝者)が、
ごほうびとして彼女を獲得したのよ」

私は自分の顔が青ざめてくるのがわかった。

怒りで全身が震え出した。


<つづく>

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破廉恥(はれんち)の始まり …7

日本からの釣り客十人の申し込みを受けたことは前述したとおり。
そして間違いなく、約束された日時に到着したということだった。

「ヨーコ、確かに十人だったのよ。ええ、予約通りにね」

Kはちょっと言いよどみ、それから思い切って話し始めた。

「だけどその中のひとりはね、妙齢な女性だったのよ」
  
「え? それ、どういうこと?」

何かの間違いじゃないかと、私はその真意を測りかねた。

「あのね、その若い女性はコリアンだったの。
今、彼女は日本で働いているんですって。
とてもおとなしくてキュートな女性だったよ」

少しの日本語と少しの英語を話すという、
そのキュートな女性を出迎えたときのKたちの驚きと困惑は
如何ばかりだったか。

Kの身振りから私は容易に察しがついた。

Kはさらに話をつづけた。

「とにかく、4つの部屋しかキープされていなかったのでね、
私たちは何も言わずに静観するしかなかったのよ。
だって彼らは新たに、もうひと部屋希望したわけではなかったから」

と、Kは一気にしゃべった。

私はKに、出発前に特訓した日本語の挨拶はうまくできたかなんて、
もう聞く気も起こらなかった。


ーーーーーー


   = 余談  「いけばなの競演」  =


   今日は「花の会」、「島いけばな」競演の日です。
   テーブルに、会員がそれぞれ持ち寄った花が並びました。

   「KIYOKOさんもお花なさるの?」と、ドイツ婦人の質問に、
   恥ずかしながら、「ノー」。

   このドイツ婦人、以前は「いけのぼう」を習っていたという。
   そういえば、作風がちょっと違う。そこがまた面白い。

木陰やテントの中で。
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   =  余談  「架け橋に」 =


   「KIYOKO、新渡戸庭園、行った? ブリティッシュ・コロンビア大学にある
   あの新渡戸稲造の…。あそこに書いてあったでしょ?
   
   『願わくば、われ、太平洋の架け橋とならん』って」

   「私も少しでもそれに近づきたいと思って」と、姉はにかみながら言った。

   充分、なってるよ、架け橋に…。
   
   嬉しいにつけ悲しいにつけ、姉はそれを歌にして生きてきた。

   カナダ人として生きる決意をした時も、こんな歌が海を越えて送られてきた。

   メイプルの旗仰ぎみん「オー、カナダ」
           見守る夫(つま)と同じ市民に 
   ヨーコ

みんな楽しそう。おしゃべりしながらどんどん仕上がっていく。
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   それぞれの作品ができあがるころ、ヨーコ先生、あれこれアドバイス。
   
   「家元」が手を加えるたびに生徒の作品がより精彩を放つので、
   居並ぶご婦人方から「オーッ!」と歓声が上がる。

   日本にいたころの、どこか引き気味の姉さんとは別人のよう。

   「日本人、ここにあり」

   そんな威厳すら感じられた。

華やぎの中に静寂あり。静寂の中に躍動感あり。
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   帰りの車の中で、姉がぽつりと言った。

   「冬が明けると必ず亡くなっている人がいるの。
   冬が長いでしょ。うつ病になりやすいのよ」 

   だからこそ、
   それを乗り越えて春を迎えたとき、喜びは一気に爆発する。
   
   燦燦と輝く太陽、どこまでも広がる青空。
   至る所に花が咲き乱れ、鳥は歌い、大地は生き生きと輝く。

   そうか、それでみなさんのお花、色鮮やかで大きかったのか。

   以前、北海道出身の知人が、
   「春が来ると周囲が白一色になる」と言っていた。
   「なぜかみんな、申し合わせたように靴も服も真っ白なのを着るの」と。

   暗い夜が白々と明けて、希望の朝が来たってことなのか。 
   
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ーーーーーー


「ヨーコ、その晩(到着第一夜)は、どうしたと思う?」

私には答えようがなかった。

それよりもこの思いがけない出来事に、周囲のカナディアンたちが
固唾(かたず)を飲んで見ていただろう様子や、

この日本人一行を、見て見ぬふりでやりすごそうとしていた光景が、
鮮明に伝わってきた。

釣り客十人が予約したのは4部屋。

十人で4つの部屋に分かれるのだから、
2人部屋が二つ、3人部屋が二つという部屋割りになる。

青空の下で小舟に揺られ、
一日中釣り糸を睨み、獲物を狙う海の男達である。

その日の成果を語り合い、少々の酒で疲れを癒しての夕食のあとは、
明日への漁に備えて恐らくバタンキューで夢路をたどることであろう。

充分な睡眠をとるのに、男同士の相部屋で何の不都合があろう。

でもこの日本人釣り客たちは、若い女性を伴っていた。
しかもその女性の部屋はとらなかった。

ほかの国からの釣り客とはあまりにも違いすぎる。

私の顔を見つめたまま、Kが言った。

「あのね、その女性(ひと)、二人の男性にエスコートされて、
3人部屋へ入っていったの」

私はほとんど、言葉を失っていた。


<つづく>

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言いにくそうに彼女は、 …6

いよいよお客様一行が到着する日になった。

私はKのたっての頼みで、
当日分の夕食として十人分の寿司を作ることになっていた。

Kがバンクーバーまで行って手に入れた油揚げも、
入念に味付けして50個のおいなりさんを作り、
いくつものタッパーに入れた。

手に入る材料は少なく心細い上に、口の奢(おご)った日本の人たちに
果たして喜んでもらえるだろうかという心配もあった。

大皿にはキュウリとかんぴょうの海苔巻きを山盛りに。

結局、前夜から寝ずの作業で、
朝の受け取りに来る時間に間に合わせたのである。

歓迎の意を表したつもりで、
裏山から取ってきたカナダの大もみじ葉も人数分添えた。

あとは友人一家の活躍と成功を祈るのみとなった。


ーーーーーー

   
   = 余談  「IKEBANA」 =


   BLACK CREEK村でただ一人の日本人、ヨーコは、
   キャンベル・リバーのコミュニティセンターやコモックスカレッジで
   日本のフラワー・アレンジング「いけばな(草月流)」を教えていた。

   最初はなかなか理解してもらえなかったので、
   自分でオリジナルの教材を作り、それをマスターした人に、
   「洋蓮」とか「あやめ」などのフラワーネームを授けた。

   「洋」は姉の日本名。

   「バンクーバーではお金持ちの奥さんたちが花屋さんから高価な花を買い、
   日本の家元に高いお金を払って生け花を習っているけれど、
   生け花の本質は高い月謝や高価な花を使うことではない。
   
   野の花を空き缶でいけて観客の度肝を抜く技(わざ)こそ、
   「いけばな」の神髄」と姉。

お弟子さんたちと自宅で正月恒例のパーティー。前列中央が姉。
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   = 余談  「着物でデモンストレーション」  =


   未知の土地で、日本と日本の文化を理解してもらうために苦労した。
   
   夫のスベンさんの協力で、公共ホールなどでデモンストレーション。
   だんだん知られ始めて、地元の新聞のインタビューを受けるようになった。

   カナダから私のところへ、
   「東洋フェスティバルのプロデューサーや日本語弁論大会の審査員をした」
   そんな便りが届くようになった。

   でも写真で見る姉さん、なんだか痩せていて…。
   
   実際に会ったら食も細くて、大丈夫かなあと心配になった。
   
   今はもう、叶わぬことだけれど、
   「本当に頑張っていたんだね」と、ひと声掛けたい衝動にかられます。

イベントで大作を制作してみせた姉。
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   「この国ではゴチャゴチャと花を使った方が喜ばれる。
   これ(花の上下の部分)がよく写っていない」

   と、写真の裏に書いてあった。

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   「最近、生徒たち自身が日本の家元制のような私物化したものではなく、
   この島ならではの「島いけばな・IKEBANA」を誕生させました。
   私にその家元になって欲しいんですって(笑)」

   「今年6月にもキャンベルリバーの日本祭に、全員着物で参加しました」

   「今、生徒さんたちは「花の会」というサークルを作って、
   月一回、みんなで集まって「いけばな」を楽しんでいます。
   会費は一人たったの2ドル」

   「私が引退してももう大丈夫。私の家の教室は島のみなさんに
   好きなときに来てもらって、器も道具も自由に使ってもらうつもり」

   バンクーバー島の真ん中の小さな町に、
   姉さんは20年かけて日本の「いけばな」を根付かせた。


   = 余談  「テーマはリサイクリング」  =


   「島のみなさんは自分のガーデンで育てた花を使うのよ。
   花器もいろいろ工夫をこらして…。

   骨董屋で見つけた器に自分でペイントしたり、
   自分流に組み合わせたり…」

   「この日のイベントのテーマは「リサイクリング」だったので、
   フィナーレには「いけばな」でも表現してみた。

   器は中古屋さんで買った電気の笠。
   それに墨を塗ってひっくり返して使い、その日に残った花を全部いけた。
   最後にフラフープを二つ使った」

姉はイベント中、毎日、着物を替えていた。でもこの写真の撮り方、いやだなあ。
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ーーーーーー


そのKの一家が1か月ほどの出稼ぎから戻ってきたのは、
8月の後半だった。

そのころ、テレビでは、
今年のサーモンは大量にどこかへ消えてしまったらしいという
謎めいたニュースが流され始めていた。

とにかく、無事留守宅へ戻ってきたことで、私はホッとした。
同時に日本のお客様の反応も気にかかっていた。

それから間もなく、
私は彼女の家に招待されて、手作りの昼食をごちそうになった。

ほかに仲良しの友人やアメリカからの来客も加わって、
女ばかりの賑やかなおしゃべりのうちに、
彼女の「夏の報告」が始まった。

「お寿司はね、とても喜んで食べてくれて。一つも残さず大好評だったよ。
ヨーコ、ありがとう」

それはとても気になっていたことだったので、私はホッと胸を撫でおろした。

しかし、なんとなく彼女の表情がぎこちない。

「何かあったの?」

私は先を急がせるように彼女に尋ねた。

「あのね、ヨーコ」

と、さも言いにくそうに彼女はこの夏の出来事を話し始めた。


<つづく>

           ーーーーー◇ーーーーー

   「いつも首相が先頭に立つ必要はまったくない。
   最高指導者には右も左もない。
   ものごとを決め、方向性を決める最高指導者に求められるのはバランスだ」
   (故・安倍晋太郎氏の言葉)
     =「安倍晋三 沈黙の仮面」野上忠興 小学館 2015より。

   国民の信頼なしには政治は成り立ちません。

   「検察庁法改正法案の廃案を求めます」


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三角おにぎり …5

日本食のレッスン、
これも一日だけの特訓になったので、簡単にできるものをと、
私はそれなりに準備していた。

毎朝、持参させるお弁当は、日本人の好みを強調して、
サンドウィッチよりも断然「おにぎり」が良いと提案した。

そこで三角おにぎりのデモンストレーションと相成った。

それには梅干しが一番だと思ったものの叶わぬこと。
かわりにスモークサーモンを中に入れて握り、
小口切りの海苔を巻いた。

彼女にとって手につける塩加減や型作りが難関だったが、
失敗作のおにぎりを試食しながら、腕を上げていった。

さらに、夕食用に食卓を飾るであろう獲れたてのサーモンは、
お腹に色々なものを詰めるカナダ式よりも、
あさっりとした塩焼きを勧めてみた。

ご飯は幸い、便利な炊飯器を借りられて問題はなかったが、
米のとぎ方や水の分量、
そして炊き上がってからの細かい注意事項も実演しながら教えていった。


ーーーーーー


   = 余談  「とにかく広ーい!」 =

   
   そのころ私は3 週間ほどの予定で、ノースバンクーバーにいた。
   ここへ来て1週間後、
   姉夫婦がアイランドから私を迎えに来てくれた。

   アイランドまでフェリーに乗り、島の港から今度は高速に乗った。
   
   「着いたわよ」と言われて、「ヒャーッ! 広ーい!」
   
   学校の運動場二つ分はある庭。木々の間に小さなおうち。
   その背後には黒々とした森が…。

   「KIYOKO あなた、スネーク平気?」と姉が聞く。平気なわけがないよ。
  
   「いるの?」って聞いたら、「いっぱい」という。
   「草が揺れていたら、スネークが歩いているということだから」
   と、姉は澄まして言った。

12エーカー(約1万2000坪)。森にはブラックベアやクーガーが住む。
※クーガー(ピューマ)=ネコ科の動物。
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   クマやクーガーまるごとの自宅だなんて、日本では考えられません。
   
   絵本の世界みたいでいいなあと思っていたら、
   「クーガーは狙いを定めて飛びついてくるので熊より怖い」と姉。
   
   この島に多くいて、年に何人か犠牲になるという。

   そんな森を歩くペルシャ猫のトビー。老猫で両目失明でも慣れたもの。
   
   このトビーが死んだとき、姉がお墓を作って花を供えたら、
   そういう習慣のないカナディアンたちが不思議がったそうです。

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   =余談  「目の前にイーグルが…」 =

   
   その日、私と姉夫婦は二匹の犬と猫を連れて森へ出かけました。
   
   スベンさんがトラクターで造った道の両側には、白や紫の花が咲き乱れ、
   至る所にサーモンベリーの実が顔をのぞかせていた。

木彫りのイーグルです。
img20200512_12305961 (3)
   
   大きな切株のところへ来たとき、
   「ここですごいものを見たことがあってね」と、姉が言った。
   
   「霧が流れる中、真っ黄色の胸飾りをつけた巨大なマントが、
   この上でゆらゆらしてて。私はモンスターかと思って。
   でもよく見たら、獲物を食べすぎて飛び立てなくなったイーグルだったの」

   で、森の散歩から帰ってきたとき、突然、犬が走り出した。
   
   なんと、スベンさん自慢のレインボートラウトをわしづかみしたイーグルが、
   池のそばで魚を食いちぎっていたのだ。
   
   ネイティブインディアンのシンボルで、あのトーテムポールのてっぺんで、
   大きく羽根を広げて世界を睥睨している気高き神。

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   それが犬に見つかって慌てて飛び上がった。

   大きな黒マントに真っ黄色のくちばし。
   それがまるでスローモーションフィルムみたいにふわっと舞い上がった。
   
   この光景を木のテッペンで見ていたレイブン(渡りガラス)たちが、
   ギャーギャー騒ぎ立てた。

秋田犬のバスターとチャウチャウのタエコ。毎晩、私の寝室で不寝番をしてくれた。
img20200511_21331311 (3)

   大切な魚をやられて、スベンさんは怒っていたけれど、姉はのんびりと、
   「KIYOKOは運がいい。
   めったに見られないものを、また見ることができたんだもの」と笑った。

   このバスター、あるとき
   隣家、といってもはるかに遠い他人の庭に入り込んでしまい、
   ひたすら謝罪する姉のおかげで命拾いしたという。
   
   ここでは、不法侵入で射殺されても文句は言えないとか。

   銃社会の一旦を垣間見てしまいました。


   = 余談  「長い冬」 =

   
   「どんより暗い長い冬。雪はコンコンではなくゴンゴン降ります」
   「ハローウィンには庭にパンプキンランプを灯して、
   子供たちを待っています」

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ーーーーーー


「キャベツとキュウリの一夜漬けも、
シソの葉があったらよい味になるのだけれど」と言いながら、
前もって作って置いたひと品を試食してもらった。

ほかにインゲン豆の胡麻和えも簡単にできて、
「とてもよい味だ」と感心してくれた。

朝食もやはり「ご飯とみそ汁」が受けるだろうと思ったのだが、
その味噌を扱うことはどうにも生理的に抵抗があるらしく、
気の毒だったので、代わりに「おすまし」の作り方を教えることにした。

一段落したころ、もう一人の友人も加わって、
何やかやと賑やかな試食会となった。

「なるほど。日本人はスリムなはずね」

というのが彼女らの感想だった。言い得ているのかもしれない。

まあ、精いっぱい伝授したつもりだが、同じメニューの連続で、
お客様が辟易するのではないかという懸念もあった。

でもそれ以上は私の力の及ぶところではなし、
彼女のお手並み拝見ということになったのである。


<つづく>

       ーーーーー◇ーーーーー

   権力は常に謙虚であって欲しい。
 
  「検察庁法改正(悪)法案に抗議します」


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ファーストネームに「さん」 …4

お辞儀の練習のあと、彼女から、
「相手を尊敬して呼ぶには?」との質問を受けた。

そこで私は迷わず、
日本式にファーストネームに「さん」をつけて呼ぶことを勧め、
互いに「さん」をつけて練習してみた。

かねがね、誰でも彼でもファーストネームで呼び捨てにする
この国の習慣を好ましく思っていなかった私は、

日本の社会の中で、しかもこれほどの大金を投じて、
釣りを楽しめる層の方たちの気持ちを考えたのである。

恐らく職場では、相当の地位におありの釣り客であろうと、
私は勝手に推測していたのである。

私が言うまでもなく、Kもその点を十分心得ていて、
失礼のないようにと、さらに練習を繰り返していた。

   
ーーーーーー

  
   = 余談  「スベンさんの手料理」 = 

   
   下の写真は、姉の夫のスベンさんとのお食事風景。
   父親がシェフだったスベンさんの手料理です。
 
固いビーフと格闘中。
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    「私が肉を食べないからスベンはいつも一人で。
   でも今日はあなたが一緒なので大張り切りなのよ」と姉。

   オダテに乗ったわけではないけれど、
   巨大なミートボールも巨大ビーフもどんどんたいらげた。
   
   一匹丸ごとのサーモンに手巻き寿司。
   ジャガイモにはたっぷりのバターとサワークリームをかけて、
   食った食った!


   = 余談  「ハミングバード」 =

   
   下の写真は砂糖水を吸うハミングバードです。
   
   おわかりでしょうか? 体長6㎝ほどの小さな小さな鳥です。
   蜂みたいに羽音をブンブンたてるので「ハチドリ」とも呼ばれています。
 
   窓際で朝食をとっていると、今日もハミングバードがやってきた。
   「KIYOKOさんは幸運な人だ」とスベンさんが驚いた。
 
   「あんな小さな鳥なのに、
   広いアメリカ大陸を越えてやってくる渡り鳥なんだよ。
   春になるとやってきて、ほんのちょっとここにいて、
   すぐまた帰ってしまうんだ。そのめったに見られないハミングバードを
   毎日、こんなにたくさん見ることができるのだから」

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   はじめ固かったスベンさん、どんどん陽気なおじさんになっていく。
   愛車のホンダシビックのハンドルを握って高速道路を走るときは、
   得意のテノールで歌のオンパレード。

   デンマーク出身のスベンさんは、
   故郷ではコペンハーゲン合唱団に入っていたという本格派。
   加えて190㎝、95㎏の巨漢だから、朗々とした歌声になるはずだ。

   滞在中、私は大小の「ハミングバード」の歌声を堪能した。
   本当に幸運な人だ!

   
   = 余談  「ミッシェルのお母さんの庭でお茶」 =

   
   日本からヨーコの妹が来た、ということで私は毎日、お呼ばれ。
   この日はミッシェルのママ(中央にデンと座っている人)の庭で、
   イギリスティーと手作りケーキをいただいた。

   ミッシェル母はなんだか上機嫌で、早口の英語でまくしたてるが、
   私にはチンプンカンプン。
 
   お礼に手品をやったら、これが受けた。
   「KIYOKO、グッドよ」というから、みんなの前に帽子を差し出して、
   「マネー、マネー」と言ったら、みんなしてギャハハと笑い転げた。

   イギリス人もドイツ人も北欧の人もいる。
   各国首脳ならぬ各国おばさん会議。

   以前は韓国の若い婦人も仲間だったが病死してしまったとか。
   代わる代わるお世話して、みんなで見送ったとのこと。

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   次の写真は、ミッシェル母の「自慢のローズガーデン」
   
   ママはローズが大好きとかで、ティーカップもスプーンもローズの模様付き。

   お宅へ伺ったらお庭拝見が礼儀とかで、まずこれをさせられた。
   ガーデン拝見のあとはお野菜畑拝見、お部屋拝見、道具部屋拝見、
   飼い馬拝見などなど。

   そのつど「ベリィ ナイス」だの「ベリィ ビューティフル」だのと
   賛辞を込めた驚きの声を挙げなければならない。
 
   日本人の私が感情の乏しい声で「ベリィ ビューティフル」なんて発するのは、
   なんだかウソっぽいけど、まあここはカナダですもんね、盛大にやりました。

   でも日本の田楽や神楽にも「庄屋の家の庭褒め」なんてのがあるから、
   案外、古今東西、普遍の礼儀なのかも。

これはまだ序の口、いたるところ花、花、花でした。
img20200509_09515611 (2)

ーーーーーー
   

次の挨拶になると、「おやすみなさい」になるかしらね、としゃべりながら、
短い言葉にして、はっきり言わせるようにした。

そして難しければ、
「GOOD NIGHTで十分だから」と念を押した。

下手な日本語でいろいろしゃべって誤解されたら困るからね等など、
大笑いしながら次の言葉に進んだ。

朝一番の挨拶は、

「おはようございます」

これは覚えやすい言葉のようだった。

まだまだたくさん教えたかったが、混乱を招きそうなので最後の日の
別れの挨拶を教えることにした。

「さよなら」

これも十分ポピュラーで、教えなくても彼女は知っていた。

それでも、「さよなら」と「う」抜きよりも「さようなら」の方が良いのだろうかと
私の方が迷ったが、英語の人のアクセントを聞いていると、
どちらでも気にすることはなさそうだった。

さらに、
「この他にもっと良い別れの挨拶を教えて欲しい」と、
彼女自身が意欲的だったので、私は少し長い言葉を加えることにした。

「お気をつけてお帰りください。来年もまたお越しください」

何度もリピートしてみたが、これはなかなか難しいようだった。

「でも当日はアンチョコを用意するから大丈夫」と、
彼女は笑って見せた。

言葉の勉強のあとは日を改めて、日本食のレッスンをすることになった。


<つづく>

    
      ーーーブログ内容からはずれますがーーー

いくらなんでも、これ許したらダメだと思います。
私は無力な普通のおばあちゃんですが、「沈黙は金ではなく禁なのよ」の
亡き姉の教えに従って言わせていただきます。

「検察庁法改正法案に抗議します」


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日本語の特訓 …3

私たちの近くに、
Gさんというかなりベテランのフィッシングガイドさんがいる。

本業は学校の音楽の先生だが、夏休みの間は無収入だという。
そのためこの時期は、釣り客相手の仕事をしている。

Gさんの奥さんのKは、
育ち盛りの息子二人の食費代だけでも大変とこぼしていたが、
この夏休みは、
Kや息子たちも加わっての一家総出の稼ぎ時になるのである。

<姉の家でサーモンをいただく。デカい! みそ汁は常食とのこと>
img20200507_09413189 (2)

そのKから弾んだ声で電話をもらったのは、今年の春ごろだった。

なにしろ日本のお客様から、
1グループ十人の予約を受けたという明るいニュース。

宣伝のために、多少の翻訳も手伝った私としても、
大変うれしいニュースだった。

円高の強みは然(さ)ることながら、
バブルの時代は終わったなどと伝えられていても、
未だ「経済大国日本は健在なりや」の印象を受けたものである。

ちなみに一人当たりの費用は、4泊5日のサーモン釣りで、
約2200ドル(カナダドル。ライセンス代と税金も含む)である。

そしてさらに、日本からの往復の飛行機代と
バンクーバーで一泊しなければならない宿泊代とを加算すると、
3000ドルをゆうに超える計算になった。

正しく「釣りキチ」ならではの世界なのであろうか。

<カナダの船着き場>
img20200507_09413189 (3)

また、これだけの出費をものともせずに、
グループで押しかけてくれるお客様は、
世界広しといえども日本人だけのようである。

したがってカナダにとって日本は、大事な顧客ということになる。

ゆえにその大切なお客様に良い印象を与えて、
再度足を運んでもらいたいという願いから、
カナダ人の心配りは大変なものである。

Gさんの穴場とでもいうのだろうか。
彼が船を出してガイドをする場所は、
この島のはるか北の端に位置するところにあり、

島の中央より車でかれこれ4時間もかかるという遠方である。
そしてそこが、
約一か月間のGさん一家の出稼ぎ場所となる。

とりわけ今回は、一度に十人もの予約を受けたことで、
奥さんのKは大変な張り切ようで、緊張もしていた。

<姉の友人の一人、ミッシェルさん。自慢の愛馬を見せてくれた>
img20200507_09413189 (4)

そこで、
出稼ぎ出発前に少しでも日本語を覚えたいという申し出を私は受けていた。
しかし時間が思うように取れず、結局、一日だけの特訓になってしまった。

彼女はテープレコーダーを持ち込んで、
忙しく回したりノートにとったりして、私の日本語に熱心に耳を傾けた。

「こんにちは」

これはポピュラーだから、多くの人が知っている。

「ようこそ、〇〇へ」

これは、都合よく私の名前が「ヨーコ」なので、
その下に「そ」をつけるだけで楽に飲み込めた。

ヨーコの顔を思い出すからと、まずは順調な滑り出し。

「わたしはKです。どうぞよろしく」

自己紹介に入って、BOW(おじぎ)もするようにと教えた。
実際に15度ほどの下げ具合で練習もしてみた。


<つづく>

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バンクーバーアイランド …2

「十人の釣り客」

                                 ヨーコ・ジェンセン


私は、カナダのバンクーバーアイランドという島に住んでいる。
太平洋に浮かぶ北アメリカの島の中では最大の島(長さ450㎞、面積31平方㌔)
といわれている。

そして島は日本海流のもたらす恩恵を多分に受けて、
カナダ随一の温暖な気候を有し、
かつまた驚くほどの降雨量が、どっしりとしたダグラス樅、西部の赤杉や
アメリカ梅などからなる大森林を育んでいる。

<高速道路沿いに現れた鹿>
img20200506_04463751 (2)

その上、その大自然の中に棲息する野生動物の数は、
計り知れないものだろうと思う。

なぜなら、この島のちょうど中間あたりに住んでいる私たちは、
舗装道路を悠々と横切るリスや鹿たちを見るのは日常のことで、
まれには車を止めて熊が立ち去るのを見送っていることもある。

<大草原の小さな家みたいな姉の家>
img20200506_04463751 (3)

そして島の南端には、BC州の首都ビクトリアがあり、
とりわけ日本庭園も堪能させてくれる「ブッチャート・ガーデン」は、
日本の観光客にはすでにお馴染みの場所でもある。

<ブッチャート・ガーデン>
img20200506_04463751 (6)

<まあ、それなりにきれいでしたが、私は野の花の方が好き>
img20200506_04515314 (3)

さてこの島は観光地としてのみならず、世界最良の釣り場でもある。

ことに春から夏の終わりまでのサーモンフィッシングのシーズンになると、
世界各地からいわゆる「釣りキチ」たちが我こそはと集い、
島はにわかに活気を取り戻すことになる。

同時に、
フィッシングガイドを本業または副業としている地元の人たちにとっては、
絶好のかき入れ時になるのである。

しかし同業者の多い昨今、お客様の獲得には、
並々ならぬ努力をしている様子もうかがえる。


<つづく>

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「十人の釣り客」 …1

コロナで世界は一変した。日本では医療崩壊が懸念されているとか。

でも私はこう思っているんです。

コロナが医療崩壊を招いたんじゃない。
ずっと以前から政治がその素地を作ってきたんじゃないのって。

病院の数を減らし、基礎研究費を削り、検査技師を少なくしてきた。

そのツケがコロナというウィルスで明るみに出た。

行政改革という合理的な所業は、「庶民の大量廃棄」だった。

とまあ、グチるのはこれくらいにして、

本日からちょっと風変わりな「お話」を綴ってまいります。

カナダで生き、5年前、その地で旅立った
姉・ヨーコ・ジェンセンが書いたノンフィクションです。

img20200505_08311625 (2)

姉は異国で、あふれる感情を書き留めては、
日本にいる妹の私にひんぱんに送ってきた。

これは27年前に書かれたものです。

日本にいたころは日赤の看護婦をしていた姉が、
今の医療現場を見たらなんていうかしら。

題は「十人の釣り客」

3か国の人たちが出てくる実話です。

共感も、そしてカナダ人以外の2か国の方々からは共に、
「27年も前のことなのに、あえて自国民の恥をさらさなくても」
という批判もあろうかと思いますが、

「日本のみなさんに知って欲しいのよ」と言っていた姉のために。

持てる者、持たざる者、それを見たカナダ人の目。
そこから冷静に何かをくみ取っていただければ…。


<つづく>

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プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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