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力石に想いを込めて

力石研究の第一人者で、私が師と仰ぐ
高島愼助先生編纂の渾身の一冊が完成しました。

これです。
「力石を詠む(十)」

全体は淡い萌黄色ですが、うまく出せなかったので、
せめて枠だけでも、と思って…。

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先生は元・四日市大学教授。

平成5年に逝去された上智大学の伊東明先生の遺志を受けつぎ、
以来、力石に全精力を傾けて東奔西走。

そして退官を機に、
これまで集めた資料、論文、著書、番付や引き札などすべてを、
三重県総合博物館へ寄贈されました。

その調査研究のつれづれに、
みなさまから寄せられた歌や俳句の本も作ってきました。

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「力石を詠む」は、2006年に第一集を出版してから今年で14年。

「第十集」の本の帯に記されたこの言葉、

「力石に想いを込めて」が、先生の思いのすべてを語っています。

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中をチラッとお見せします。

口絵です。

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もう一つ。

全国から寄せられた俳句や短歌は3000作品を越えました。

今回の「第十集」収録の作品数は335作。
作品は短冊に記されて、ご覧のように掲載されています。

お互い顔も知らない各地のみなさまが、
それぞれの場所の力石に「想いを込めて」詠んだものです。

詠み人は変わっても、14年間ずっと詠み継がれてきました。

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私もいくつか作りました。

俳句の素養もなく季語の知識もないから、心に任せてホイホイと。
でも先生は「ありがとう」と礼を述べつつ、丁寧に見てくださった。

この「力石を詠む(十)」にも何句か掲載。
恥ずかしながら、二つほどご披露します。

     「廃村はただ白し力石に花ふりつむ」   雨宮清子

     「力石の全資料を収納す
             日本唯一の三重博物館」
   雨宮清子

先生の句です。

     「凛として江戸のは組の力石」    三重之助

先生は「伊勢型紙」という切り絵もされています。

大変繊細なものです。

83.jpg

「東海道五十三次」やそのほかの作品もあります。
ぜひ、HP「日本の力石研究」をのぞいて見てください。

このところ新型コロナで、
先の見えない暗いトンネルに入ったような世の中になりましたが、

「三重之助」こと高島先生の俳句と「へいへいさん」の写真で、
ほんのひとときでもほっこりしていただけたら…。

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埼玉県さいたま市西区島根・氷川神社
  
    「春ふふふ肩を寄せ合う力石」    三重之助

     
         =高島先生からの伝言です=

「夏目さま、ひこばえさま、
以前いただいた俳句は今度の第十集に掲載させていただきました。
掲載本をお送りしたいので、
ぜひ、下記のアドレスまでご連絡をお願いいたします」

「日本の力石研究」

※先生の力石の調査・研究はまだまだ続きます。
  俳句や短歌の投稿や力石の情報など、今後もどしどしお寄せください。

自称弟子の私の調査とブログもまだ続きます。

今後とも長~いお付き合いをお願いいたします。


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まぼろしのパッケージ

3月のある日、お隣さんからお菓子をいただきました。
吉兆庵のクリームワッフルです。

「この箱、最後にのこった一個だった」という。

見たら、オリンピックの箱

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まだ延期が決まる前のことだったが、なんとなく捨てずにおいた。

56年前にも東京でオリンピックがあった。

あの日、窓から顔を出したら、
空に飛行機が描いた五輪の輪が広がっていた。

誇らしい気持ちでいっぱいになった。

あのころは日本中が沸きに沸いていた。
どこも建築ラッシュ。活気にあふれていた。

これは、オリンピック前年の写真集です。
プレオリンピックのさまざまな催しが掲載されています。

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「朝日新聞報道写真集」より

自然災害もあった。
熊本県が豪雨に見舞われ、
孤立した集落でSOSの人文字を作って救援を待つ写真も。

3月には強盗殺人の罪に問われた吉田石松翁の無罪判決があった。

34歳で獄につながれ、50年ぶりに冤罪が晴れたときは、すでに84歳。
この年の12月に亡くなってしまったという。

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ついこの間も看護師さんの冤罪事件があったばかりだ。

警察や検察が証拠を隠ぺいして無実の人を犯罪者にしてしまう、
裁判官が有罪を言い渡してしまう。

これほど恐ろしいことはない。

この年、「こんにちは赤ちゃん」が大ヒット。

55年前の指揮者の小沢征爾さん、若い!

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東京・上野動物園のお猿の電車に乗る美智子妃と可愛い浩宮さん。

お若い!

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音楽に疎い私が、
いかにもわかったふうで聞いたモダンジャズ

これが流行っていたころ、ホールでも喫茶店でも、
みんな、目を閉じて気持ちよさそうに体を揺すっていた。

恥ずかしくて私にはとうていできなかったし、今でも出来ない。
なにしろ感情を表に出さないようにと育てられたので。

なんちゃって。

テナー・サックスの鬼才、ソニー・ロリンズ。
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いただいた2020年東京オリンピックの菓子箱の裏側です。

「東京2020公式ライセンス商品の売り上げの一部は、
東京オリンピック・パラリンピック・ムーブメントの推進に活用されます」

とある。

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延期になったけれど、中止の声もチラホラ。

近ごろのオリンピックは、あまりにもお金お金で、
本来スポーツが持つ健康とか、心を揺さぶられるものが感じられないから、
正直なところ、関心は薄れた。

これが経済活性化につながるなんて、もう過去の話だと思うし。

今はコロナでみんな、経済難民寸前

補償もしないで、「仕事へ行くな」「外出自粛」と言われてもねぇ。
みんながみんな、金持ちや年金受給者や正社員ではないんだし、
アルバイト先がなくなって、学業を断念する学生もいるそうだし。

オリンピックよりなにより今でしょ手厚い補償をするのは、と思う。

だって、自己責任と政府の仕事は別モノですから。

安心は希望を生むけれど、不安は心を荒(すさ)ませる。
その安心を国民に供するのが政治だと思うから。

他県ナンバーの車にいやがらせをしたり、医療関係者を中傷したり、
そういう弱者が弱者を攻撃し、お互いを傷つけあう世の中は、
おぞましく、寂しすぎる。

日本中が輝いていた56年前のオリンピックが懐かしい。

まぼろしに終わった「TOKYO 2020」

手元にパッケージだけが残りました。


※画像提供/「朝日新聞報道写真集」1963


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らく、たのしく

人生の大先輩から封書が届きました。

昨年初め、久しぶりに連絡があって、いつもの得意な歴史の話かと思ったら、
電話の向こうから聞こえてきたのは、
「もうダメだ」「おしまいだよ」という悲痛な声。

詳細を明かさないまま電話は切れた。

しばらくして、また電話があった。
「今日はね、ぼくの声を聞いてもらえないかと思って」という。

「実は咽頭がんを宣告されて、3か月半も入院していたんだけど、
放射線治療でなんとか助かったよ。

だけど喉だからね。声が出ているか心配になって。
ダメだったら合唱もできなくなるから」

声は以前と全く変わらないと伝えたら、
「そうか。よかった。ああ、よかった」と明るい声が返ってきた。

しかし、同じころ奥さまが大けがをして寝たきりになってしまい、
今はリハビリ病院に入院中とのこと。

「もう生きていたくないと駄々をこねるんだ。困ったよ」と、ため息をついた。

その後、偶然お会いした町中で、手にしたコンビニ弁当を見せながら、
「今はこんなもので食いつないでいる」と、自嘲気味に。

少しやせたけれど、
しっかりした足取りに、大丈夫、危機を乗り越えたなと思った。

あれから半年ほどたって届いた封書。

開けると、こんなハガキが入っていた。

CIMG5224 (3)

篆書体で、

「楽楽 らく、たのしく」

「八十七歳になりました。
四月八日は誕生日。結婚記念の日。妻は入院しております」

末尾に私へのひと言が添えられていた。

「頑張ってください」


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弥五郎のおまけ

古文書や石碑では、しばしば判読不能な文字に出くわします。

昔の人が書いたのだからとか、偉い学者のお説だからと鵜呑みにして、
何とか理解しようとするものの、結局、解決できず。

神明神社の弥五郎石にも、そんな「珍字」がありました。

これです。

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千葉県野田市上花輪・神明神社

もうおわかりかと思いますが、「矢向」の「矢」の部分です。
「失」になっちゃってます。

これは「失礼しました」というわけで、まあ、この程度はお愛嬌。

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で、何を言いたいかというと、こういう事例に出くわしたら、
権威などにとらわれず、想像力を働かせてね!

ということなんです。

また、力石をアップしてくださる「へいへいさん」も「とりけらさん」も、
石の刻字(切付け)が読めなくて、四苦八苦した経験があるかと思います。

そんなときは石に水をかけると文字が浮き上がってきます。
雨の日にはっきり見えるでしょう。それと同じ。

これ、斎藤氏の直伝。

もう一つ、お見せします。
重箱の隅をつつくみたいで心苦しいですが、
間違いは間違いなので…。

千葉県「印西町の歴史」の調査資料「仙助河岸」を読んでいたら、
「あれ?」という個所がでてきました。

資料そのものは、
河岸に残る船頭たちの足跡を丹念に追った貴重な記録です。

もちろん、船頭たちが奉納した力石も出てきます。

ですが、あきらかに間違った部分がありました。
大阪市の住吉大社にある常夜灯の判読です。

その常夜灯に刻まれていた文字がこちら。
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大阪市住吉区・住吉大社

著者は、
「住吉大社にある常夜灯の中に、
江戸の干鰯問屋たちの奉納したものがある」と書き、
続けて、
大阪の干鰯仲間が奉納した常夜灯を取り上げています。

実際、住吉大社まで出かけたようです。

しかし、
上部3文字のうちの向かって左の文字を「ば」と誤読、
さらに「うつば」と解釈してしまい、こう述べています。

「大阪のうつば干鰯仲間」の「うつば」とは「うつ場」のことで、
「干鰯場」を意味する、と。

これ、
「本」という漢字に点々を打って「ぼ」と読ませている「かなもじ」で、
「うつ」ではなく、「うつ」なんです。

で、「うつぼ」「靭」で、
大阪にあった「一大海産物市場」の地名です。

ちなみに「干鰯」は「ほしか」で、当時の貴重な肥料でした。
ですから、
この常夜灯を奉納したのは、「靭市場の干鰯商人たち」ということになります。

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話変わって、
大阪歴史博物館のHPに、こんな記事が載っていました。

「大阪相撲の藤島部屋は、
靭の干鰯市場と関係が深い「靭部屋」から派生した相撲部屋の一つで、
干鰯市場で働く仲士たちと密接な関係を有していた」

そんな仲士の一人でしょうか。
靭市場の力持ちの石上げが千社札に描かれています。

右下に、「明治維新永代浜力競」とあります。

「永代浜」は荷上げ場で、靭市場の中心地でした。
千社札にも「うつぼ」の文字があります。

赤フンがチラッ。

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ブログ「神奈備にようこそ」に面白い記事が載っていました。

干鰯(ほしか)仲間が常夜灯を奉納したあの住吉大社についてです。

「住吉大社の人形祭りは大阪の夏の風物詩であったが、
人形の材料はすべて塩干魚類で、それに海藻やスルメなどを飾り付けた。

そのため特有な臭気が漂い、
ハエがたくさん集まってもの凄いことになった。
人々は団扇(うちわ)でハエを追いながら練り歩いた」

やだやァ、
ハエと一緒くたァじゃ、「やぶせったくて」しょんないに。

ふんだけんが、
大阪ン衆の「おだっくい」ぶりは、
うちっちら静岡人の上いってるだんて、いみゃーましいやァ。


※参考文献/「印西町の歴史 第六号」千葉県・印西町町史編さん室 平成2年
        /大阪歴史博物館HP「小林佐兵衛興行の寄付大相撲の
         案内書と入場券」平成20年3月5日~4月7日に展示
        /ブログ「神奈備にようこそ」「やすやす靭物語・魚市場編」


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永遠なれ!

世の中、見えないウィルスで戦々恐々としているのに、
力石たァ、のんびりしたこと言うなヨ!

なんて、お叱りを受けそうですが、弥五郎、最終回です。

前回、お見せした夏祭りの写真と同じころのものでしょうか。

こんな写真もございます。
参道脇に、力石が2個置かれています。

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千葉県野田市上花輪・神明神社 

こちらが現在の同じ場所です。

「鳥居の向こうは広大な田んぼ。後方は江戸川の堤防です。
万治石がある今上の八幡神社は、鳥居から左の11時の方向です」

と斎藤氏。

5太子堂

この神社の後ろには、「トンビ山」という昼なお暗い山林がありました。
古老の話によると、
この山には「ブツッアンベイ」という妖怪が住んでいたそうな。

この妖怪、風が吹き荒れる日には、
「ブブウ、ブツッアル、ブツッアンベイ」と叫んだそうな。

「ブツッ アル」、なんとも不思議な妖怪語ですね。

古老の話の続きです。

「ここには街道が走っていて、夏には絶好の涼み場になった。
夕暮れには樽職人たちが息抜きに集まって、
フンドシをゆるめて風を入れていたー」

こういうことを書くと師匠の高島先生、決まってこう言うんですよ。
「姫の好きそうな話ですね」

真面目な顔でおっしゃいますから、
返事のしようがございませんです、ハイ。

こちらは2006年ごろの神明神社と力石です。
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これが平成21年には、下の写真のようになりました。

和樽職人の玉ノ井芳雄氏はまだご存命でしたから、
このように保存されたことを喜んでくれたと思います。

ちなみに玉ノ井氏の和樽は、
昭和60年のNHK朝の連続ドラマ「澪つくし」に使われたそうです。

また、平成10年の長野五輪には樽太鼓を制作して、
オープニングセレモニーに花を添えたとのことです。

2太子堂

この里を守る鎮守様・神明神社では、力くらべも盛んだったようで、
土地の方がそれを偲んで、こんな歌を詠んでいます。

  里の若衆ちから競いし力石
        神明み境内(にわ)にむかしを偲
ぶ   鈴木金光

鎮守の庭に、力持ちスター・矢向弥五郎を招いての力くらべ。

村の衆総出の一大イベントです。

さぞ楽しく晴れやかだったことでしょう。

神明神社に残されたこの弥五郎石には、
当時の村人たちの熱い思いがこもっています。

4太子堂
66×49×24㎝余㎝

      「川嵜庄 矢向弥五良」

弥五郎よ、永遠なれ!


※参考文献・画像提供/「太子堂史誌」太子堂史誌編纂委員会
               太子会 平成9年

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樽(たる)職人の町

    =追記=

「司馬遼太郎氏の「街道をゆく」に、力石が出てきます」

というコメントをいただきましたので、末尾にその力石をご紹介します。

ご覧ください。

        ーーーーー◇ーーーーー

力持ち「弥五郎」ばなしもコロナに邪魔されて尻切れトンボ。

こんな時だからこそがんばらなければネ、というわけで続きです。

前回、弥五郎を隠密に仕立てたお話をご紹介しました。
作者は玉ノ井芳雄さん=大正5年(1926)-平成24年(2010)。

この方、有名な方だったんです。

下記はHP「日本職人名工会」の記事です。
玉ノ井氏は和樽の職人さんだったのです。

「職人の住む町」

醤油の町・千葉県野田市には、
全盛時に千人もの樽職人がいたそうです。

しかし時代とともに醤油を入れる器も樽から瓶や合成樹脂に替わり、
樽職人は次々廃業。昭和40年ごろには、わずか二人、
ここ太子堂地区では玉ノ井氏の「樽伊太」だけになってしまったという。

下の写真は、夏祭りの記念写真です。(昭和31年)

この中に当時30歳だった若き日の玉ノ井氏もいるはずです。

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野田市上花輪・神明神社 「太子堂史誌」 中山理一氏提供

氏子のみなさんの前に力石が二つ置いてあります。

これ、ただ置いてあるのではないんだそうです。

♪ 雨が降ろうが槍が降ろうが、朝から晩までおみこし担いで、
ワッショイワッショイ
の、
お祭り大好き人間・斎藤氏の説明では、

「この力石は、後方の幟立てを起点にして、
幟竿(柱)を寝かせて先端をのせる枕として使うために置いてある」

こうすると、幟を結ぶ作業がやりやすいそうです。

うーむ、
力石も妙なところで役に立っていたというべきか。

同じ神明神社です。

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同上

写真の説明に、
「農事実行組合の伝統行事「奉納〆縄造り」を終え、記念撮影」
とあります。

鳥居にしめ縄を掛けて、新年を迎える準備も整いました。
どの方も晴れやかなお顔をされています。

キッコーマンの前垂れを掛けた人がいます。

いかにも醤油の町らしい!


<つづく>

         ーーーーー追記ーーーーー

     =司馬遼太郎氏の「街道をゆく」に出てきた力石です=

夏目様からいただいたコメントの力石をご紹介します。

「街道をゆく」の、
「小さな橋をわたる。橋を渡ったたもとに、力石が置いてある」の前に、

「この恭太郎さんの家と、川をへだててむかいが安住新太郎家である」
の一節があります。

力石はその新太郎家にありました。

これです。
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鳥取県八頭郡智頭町奥本

高島先生、この石の所在地へすぐ調査に向かいました。

ここに出てくる「恭太郎」さん(昭和4年生まれ)は、
新太郎さんの息子さんで、先生にこんな話をされたそうです。

「重量挙げのように持ちやすいものならよいのですが、
丸いものは力が入りません。

それを体につけず頭上まで上げなくてはいけません。
そう大勢はありません。私の見たところでは五人しかありません」

力石に鉄の輪があるのは、
牛繋ぎ石として使用した名残りでしょうか。

このときの調査からすでに12年。今もあればよいのですが…。

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鳥取県八頭郡智頭町役場のHPです。
「智頭町役場」

司馬遼太郎氏が見た「力石」のある町、ちょっと覗いてみてください。


※参考文献・画像提供/「太子堂史誌」太子堂史誌編さん委員会
                太子会(上花輪太子堂) 平成9年
               /「山陰の力石」高島愼助 岩田書院 2008
※参考文献 /HP「日本職人名工会」特別非営利活動法人・日本の技応援団
        /「街道をゆく 27 因幡・伯耆のみち、檮原街道」
         朝日文芸文庫 1996

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作る楽しみしか…

コロナ禍、大変なことになってきましたね。

「不要不急の外出自粛」だの、「自宅で仕事せよ」だの言いますが、
ただそう言われてもなぁ。

だって国民の大半、特に若い世代は危険を冒してでも働きに出なければ、
コロナより先に餓死の危険すらあるやもしれず。

世の中、公務員ばかりじゃないですもんね。
まして、私ら庶民は、
雲隠れしていても高額所得が得られる政治家とは違いますもん。

で、「外出自粛」って、結局のところ「外出自由」と同義語なんだって、
私は思うんですよ。
「三密」だのなんだのって、言葉ばっかり踊ってるんだよねえ。

とまあ、皮肉の一つも言いたくなる今日この頃ですが、

明るくいきたいと思います。

外出自粛。ハイ、自分なりにやってます!

感染の機会は増やしたくないし、なけなしのマスクを消費するのも惜しい。
だから買い物は回数を減らしました。

本日はその楽しい買い物日。

農協さんで買ったイチゴ、朝取りのつやつや。
これで300円です。

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平飼いの有精卵
時々「駿河シャモ」のも買います。
烏骨鶏は食べたいけど高いから、ほんのときどき。

研究熱心な農家さん・ケンモチさんちのトマト
実が引き締まっていて味も濃いんです。

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春キャベツ里芋

キャベツをベースにその他の野菜や果物、白ゴマをのせて、
オリーブオイルとレモン汁でいただくサラダが朝の定番。

里芋はどうしましょ。

まだ決めていませんが、たぶん、蒸かし芋か煮ころがしにします。
2 、3個はみそ汁用。

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新玉ねぎ。生が最高ですね。

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ではでは、下ごしらえといきますか。

チャチャッと、ブタロースのみそ漬けの出来上がり。
ニンニクとショウガをたっぷりいれました。

手前はブリのアラ。こういうのが出ていると、すぐ買ってしまいます。

ブリ大根? でもちょっと飽きたからこれから考えようっと。

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晩ごはんは、久しぶりにスパゲティといきます。

本日は、我流ミートソーススパゲティです。

合いびき肉に野菜をゴタゴタいれて、グツグツ。
たっぷり4回は食べられます。

このフライパン、二十歳の時から使っています。
新製品をなんでも有難がる知人が、軽蔑の目で、

「まあ、今どきこんなものを。なんでテフロン加工のにしないの!」

「鉄分の補給ができる有難いフライパンです」、
なぁんて、もちろん言いませんでした。

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これは、先日作った「豚肉のママレード煮」。

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主な買い物場所は大手スーパーの支店と農協さん。

農協の市場では、地下足袋をはいた農家さんが野菜を運んできます。

丹精込めて作った新鮮な野菜や果物を安くおいしくいただける、

田舎暮らしの特権です。

と、ここまで書いて、ニュースを見たら、
布マスク2枚配布に466億円使う」ってんだから、絶句しちまった。

日に日に感染者が増えて、医療崩壊が目前で、中小企業は倒産増加、
子どもは学校へ行けなくて、ホームレスは増えるばかり。

マスクごときでこの惨状を解決できるなら、政治家なんかいらないじゃない。

ダメだ、こりゃ。


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食べる楽しみしか…

「いよいよ」というか「やっと」といいますか、出ましたね、緊急事態宣言。

本日は定期検査で眼科へ。

いつもは待合室に座り切れないほどの患者さんなのに、本日はなんと2人だけ。
みなさんも感染を恐れて薬だけにしたのでしょう。
私にも先生の許可が下りて目薬だけの処方。

よかった!

医院だけではない。町は通りも広場もガラガラ
ショッピングセンターは地下の食料品売り場以外は閑古鳥

ですが、個人の観光客らしい人たちがのんびり歩いているのでびっくり。
帰省者も増えるでしょうから、これからが地方の恐怖になりそうです。

当地の感染者数は少ないのですが、PCR検査の希望者数に対して
「実施数が少なすぎる」からでしょう。

タレントの方が「なかなか検査してくれなかった」と言っていたし。

だからみんな不安なんですよね。実態が見えないから。

ドライブスルーやウオークスルーをやったり、
保健所の縛りをなくして、病院で気軽にできたら安心なんですけど。

話変わって、これ、封鎖に備えた私の備蓄品です。

通常の買い物のついでに少しずつ買いました。

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お米とみそ、しょうゆさえあればなんとかなると思いましたが、
それではつまらないので、いろいろ。

穀物類は、米、全粒粉ビスケット、うどん、パスタ、マカロニ、ラーメン、
       シリアル、せんべい、皿うどん、アルファ化米等など。

乾物類は、高野豆腐、切干大根、干しシイタケ、わかめ、とろろ昆布等など。

普段から地元産をよく使いますので、少しご紹介します。

下の写真の左上は、かつおの枯節という手間ひまかけた伊豆の「田子節」。
茹でてお湯を切ったうどんに、これと醤油だけを絡ませて食べます。

最高です。

真ん中は市内製造の国産小麦100%のビスケット。
右はいつものお茶屋さんの静岡産玄米茶。抹茶がたくさん入っています。

お茶はコーヒーと一緒で、店主のブレンドの力が勝負。
一つの産地だけのお茶なら藁科川上流域と両河内の山茶

下段は南アルプスのふもと、井川の原木しいたけ(左)と切干大根(右)。
原木しいたけは香りも味も自然。切干大根は冬の寒さがしみ込んでいて美味。

真ん中は、
静岡産小麦粉を使った玄米ラーメン。静岡市の真面目な会社の製品です。

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缶詰、瓶詰、即席カレー。静岡産の赤かぶの漬物、これ、おいしいんです。

塩こんぶ、これがあると重宝します。

さっと湯がいたキャベツやホウレンソウ、しんなりさせた大根などに、
これをまぜると、すごくおいしくなります。わさびの茎とは相性抜群

お湯をさせばインスタント昆布茶になります。

マヨネーズも便利ですね。
生シイタケにのせてオーブンで焼いたり、
食パンにトマトやピーマンをのせた上にかけて焼いたり。

こんな静岡産も愛用しています。

左は「生きくらげ」。特別支援学校の卒業生が作っています。

右は浜松市の老舗のソース
大きな木桶で熟成させるという昔ながらの製法を守っています。
変な刺激もなく、まろやかで味わい深い優品です。

どんなものにも合いますが、生トマトとこれでつくるパスタは私の好み。

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野菜ジュースはたっぷり用意。

つまみ食いができる
食べる小魚、プルーン、干しマンゴー、くるみ、ソーセージ、チーズも。

チョコレートや羊羹、かりんとうは、つい食べちゃうのですぐなくなります。
三ケ日ミカンと蜂蜜、静岡イチゴを使った飴玉はいつもお菓子箱に。

まだあります。

冷蔵庫の中には、こんなものを入れています。

焼津港の「なまり節」は何にでも使えて便利。
「能登の焼きサバ煮」は衝動買い。

このほか、二回目に作ったママレードの瓶詰3個も。

納豆嫌いの私が最近、食べ始めたのが「黒豆納豆」、これ、おいしいです。
備蓄用のつもりが、つい食べてしまいます。

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冷凍庫には食パン、お餅、甘夏の実、刻んだネギとショウガ。

もちろん、コーヒー、紅茶、緑茶も。

コーヒーは京都の「小川珈琲店」のもの。
私は逆流性食道炎になりやすいのでコーヒーはご法度ですが、
なぜかこれは大丈夫です。

閉じこもり状態の今は、もっぱら読書と料理。

なので、太りました!

ヘッセの「庭仕事の愉しみ」ならぬ、「食べる愉しみ・備蓄編」でした。


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オーイ、オーイ

「こっちの岸から手を上げて、
オーイ、オーイと呼ぶと向こう岸から舟が来た」

これは「吉川市史」に掲載された地元の方の体験談です。

「こっちの岸」は、埼玉県吉川市側の「須崎の渡し」で、
「向こう岸」は、千葉県野田市側の「今上の渡し」のこと。

地図をご覧ください。

江戸川を挟んで向かって左側が埼玉県、右側が千葉県です。
一番下の赤丸が「須崎の渡し」と「今上の渡し」

真ん中の赤丸は、千葉県最古の力石「万治石」がある八幡神社。
そして、一番上の赤丸が次回ご紹介する上花輪の神明神社です。

IMG_2781 (2)

ちなみに須崎は「すさき」で、「「すざき」と濁らないそうです。

「今上の渡しには、カヤや葭(ヨシ)で囲った番小屋があって、
船頭は二人いた。須崎の渡しは切石積みのちゃんとしたものだった」とか。

さすが運輸業のほか手広く事業をやっていた資産家の蓮沼家(須崎家)です。

特筆すべきは、須崎家の祖母が内務省より委託されて、
江戸川に設置された「水量計」を記録していたこと。

一年中、毎日朝晩2回の記録。
嵐の日は蓑を着て出かけたというのですから、その責任感は並ではない。

「オーイ、オーイと呼ぶと向こう岸から舟が…」

なんかいいですねぇ、情景が浮かびます。

はるばる神奈川からやってきた弥五郎も、
何度かこの渡し舟に乗ったに違いありません。

有名な力持ちを舟に乗せた船頭さん、鼻高々だったでしょうね。
今でいえば人気タレント。当時の男たちのヒーローですから。

現在、弥五郎銘の石は9個
そのうち埼玉に4個、千葉に3個残っています。

ブログでご紹介できなかった一つがこちらです。

img20200401_11354838 (2)
埼玉県三郷市谷中・稲荷神社 71×34余×30㎝

    「大岩石 矢向弥五良 一本木茂助」

で、
埼玉・千葉に年号が刻まれた弥五郎石は何個あるかというと、

一番古い「嘉永元年」の埼玉県春日部市と、
次の千葉県九十九里町の「嘉永二年」
そして「嘉永五年」の須崎・蓮沼伊右衛門の3個です。

この3個のうち、まだご紹介していなかった九十九里町の石がこちら。
嘉永二年のものです。

img20200401_11354838 (3)
千荒葉県山武郡九十九里町田中荒生 面足神社 70×33×27㎝

   「奉納 さし石 四十二メ目 嘉永二己酉年 七月十五日
    當村 金□ 倉□ 兼松 河崎 矢向弥五郎

嘉永四年には、故郷の日枝神社で凱旋興行をしていますから、
弥五郎さん、めまぐるしく行き来しています。

あっちこっちの旦那衆から声が掛かったんでしょう。

須崎の対岸、野田市の上花輪・神明神社の弥五郎石は、
一度、ブログでご紹介しましたが、

地元の方が編纂した郷土史を入手しましたので、
再び、取り上げます。

地元の方が弥五郎を主人公に小説を書いております。

  「ヒタヒタヒタ 水に濡れた重いわらじの、しかも早い足さばきが
  鹿島原の裾づたいに近づいてくるー」

img20200401_13472101 (2)

なんと弥五郎は大蛇を従えた隠密に大変身。

かっこいい~。

<つづく>

          ーーーーー◇ーーーーー

       =ブログのご紹介=

エネルギッシュなtorikeraさんの楽しいブログをぜひ、ご覧ください。

「とりけらのアウトドア&ミュージック日記」

7つの富士塚と3カ所の力石をポタリングで巡った

「さいたま市北区~上尾市の力石だあ!の巻」(4月2日)

は、圧巻です!

3月30、31日の草加市・瀬崎浅間神社の富士塚と力石も、
力石の面白さを存分に見せてくれます。


        ーーーーー◇ーーーーー

※参考文献/「埼玉の力石」高島愼助 岩田書院 2007
       /「千葉の力石」高島愼助 岩田書院 2006
※参考文献・画像提供/「太子堂史誌」太子堂史誌編纂委員会
               平成9年
※参考文献/「吉川市史 民俗編」吉川市史編さん委員会 平成22年
※情報提供/斎藤


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プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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