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パンの缶詰

東南海地震が来るというので、
非常食や水、トイレ、ろうそくなどは常備しています。

家にいるときに来るとは限らないし、
地盤沈下で建物がひっくり返るかもしれませんが、
とにかく備蓄しています。

5年前に買った「パンの缶詰」が、
まもなく賞味期限を迎えるので食べ始めました。

「パンの缶詰」です。プレーンとコーヒー味。
CIMG5036 (3)

また少し買ってみようかと思い、この会社を検索したら、
なんと倒産していました。

倒産は5年前というから、この缶詰を買った年になる。

考えてみれば、一度買えば5年間はリピートなしだから、
回転が悪い食品で、採算が合わなかったのかも。

この会社のパンは焼きあがったパンを缶詰に詰めるのではなく、
タネを仕込んで缶詰の中で熟成させる方法でした。

輪切りにして焼いてバターをつけました。

CIMG5122.jpg

缶詰なので独特のにおいがします。
焼きたてのパンには敵いませんが、まあまあいけます。

コーヒー味は個体によっては、醤油のようなにおいがするものもあります。

それもまたご愛嬌です。

この5年間を無事に過ごせたことへ感謝しつつ、
ひと缶食べてしまいました。

5年前、危うくなったパン工場で、
最後の最後まで懸命に作っていた従業員のみなさん、

「ありがとう。おいしくいただいてます!」


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愛の石

「かるた」です。

下記のURLは、フットワーク抜群のへいへいさんのブログ記事です。

「カップルに大人気 力石!」

こんな写真とキャプションが登場します。

「愛の石 癒しの空間」

「力石とハート形の石を組み合わせたパワースポットです」

ヘイヘイさん愛の石
埼玉県蕨市塚越・塚越稲荷神社
※ピンクのハートマークは私が勝手につけました。へいへいさんお許しを。

江戸の若者たちのエネルギーがしみ込んだ力石二つを、
「夫婦岩」風にしめ縄で結び、その間に縁起物の玉石。

それを見守るかのようにデンと置かれたハート形の「愛の石」。

  「縁結び任せといてと力石」

頼もしいですねぇ。

でも元はこんなんじゃなかったんです。

10数年前、
埼玉の研究者の斎藤氏が見つけたときはこんなんでした。

img20200120_10573791 (3)
52余×34×34㎝

威厳はあるけれど、鉢巻きまいた頭痛持ちみたいな、
ちょっと「くたびれたじいちゃん」って感じ。

ところが2016年9月に再訪したら、

「どこから持ってきたのか力石が一つ増えていて、
ハートの石と玉石まで置いてあった」

という変わり様。

最初からあった「しめ縄じいさん」(右側の石)は、すっかり若返って、
みちがえるようにピッカピカ。

仲間も増えて誇らしげです。

すでに人気スポットになっていて、
「愛の石」への橋の傍らにはおみくじがびっしり。

1蕨市稲荷

橋に結わえてあった新聞にはこんな記事が…。

「氏子連中が話題の場所にしようとハート形の自然石、球石も置いたところ、
ネットで縁結びスポットと話題になり、若い女性も来るようになった」
 =毎日新聞・2016年8月24日付け=

いいですねぇ。氏子さんたちの遊び心。

長い間、木陰で独りポツネンといじけていた?力石が、
氏子さんたちのアイデアで、こうして生かされ蘇り、
人さまのお役に立っているというのですから。

  「縁結び寂しい人はみなおいで」

昔は力石にさわって安産や子宝祈願をしたそうですし、
健康・長寿、家内安全、学問・スポーツ成就と、
この際、なんでもお願いしちゃうのもいいかも。

「私の写真はハート形の石が不鮮明ですが、
へいへいさんは見事にきれいに撮られていますね」
と斎藤氏。

そのハート形の石、実は私も持っているんです。

ユネスコ遺産になった
あの「天女の羽衣」の三保の海岸で拾ったものです。

これです。
CIMG5111 (3)

手のひらサイズの小さなハートですが、大きな愛を感じます(^∇^)

右も同じ三保海岸で拾ったもので、どちらも4㎝弱の小石。

この石には先っぽや胴体に白い線がグルリと入っていますが、
こういう石を拾って奉納すると願いが叶うといわれています。

塚越稲荷神社の「愛の石」パワーには及ばないけれど、
ささやかながら私は、

この「海からの贈り物」にいつも癒されています。


※画像提供/ブログ「へいへいのスタジオ2010」
       /斎藤
※参考文献/「埼玉の力石」高島愼助 岩田書院 2007


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オビシャ

「オビシャ」という言葉をご存じでしょうか?

私は10年ほど前、力石の調査で訪れた某所で初めて知り、
ちょっとユーモラスな言葉の響きと素朴な風習に、たちまち惹かれました。

でも、見物は叶いませんでした。

「地区の人たちが密かにやっていることだから」とやんわり拒絶され、
加えて神社は人家もない山中で、日時もわからず断念。

それから5年ほどたったある日、
思いがけない方から「オビシャ」が出てきてびっくり。

その方は、
国際日本文化研究センターへ留学されていた韓国の大学の先生で、

オビシャの研究で日本に来ました。
かつては韓国にもあった風習でしたが、今は途絶えてしまったんです。
それが日本には残っていたんです」と。

これは千葉県立関宿城博物館・友の会発行の図録です。

img20200118_08534121 (3)

昨年、「万治石」保存式典に出かけた際、関宿城博物館で求めたものです。

「オビシャ」は「御奉射」「御歩射」「鬼射」とも書き、
おびしゃ、おんびしゃ、ほうしゃ、ぶしゃとも言います。

1月から2月にかけて行う年のはじめの「厄払い」の行事で、
三本足のカラス魔王の目などを描いた的を弓矢で射るものです。

図録から的の写真をお借りしました。

img20200118_08505949 (2)
茨城県取手市野々井・白山神社

img20200118_08565387 (2)
栃木県日光市小倉・三所神社(写真提供・篠崎茂雄氏)

この図録は関東一円のオビシャを扱ったものなので静岡県のものは皆無。

でもわが県にもあるんですよ。
かつては、弓矢を鉄砲に替えた「オビシャ」も。

下の動画は、
静岡県の伊豆松崎町池代・日吉神社「おんびしゃまつり」です。

ここでは的に鬼の文字を描き、それを黒く塗りつぶしてあります。



こちらは静岡浅間神社「奉射祭・大的式」です。

「奉射神事」は関係者のみで屋内で行われたのか、
屋外でのこの式がその両方だったのか、只今、問い合わせ中です。

神社弓道会の方々の登場です。女性がお二人いました。

CIMG5076 (2)
静岡市葵区宮ケ崎町・静岡浅間神社

片肌脱いで凛々しく弓をひく若者です。

CIMG5084 (2)

たおやかに矢を射る若い女性です。

CIMG5089 (2)

 なんと、いきなりど真ん中に!

CIMG5090 (2)

近くの幼稚園児たちも見学です。

今はよくわからなくても、
「ああ、これはあのとき見たのと同じだ」
という日がきっときます。

CIMG5093 (2)

「万治石」がある野田市今上でも、今ごろ厳かに行われていることでしょう。

この日私は、
厄が払われて、すっきりした気分で浅間神社を後にしました。

静岡浅間神社の百段階段です。
CIMG5099.jpg

大きな神社での奉射神事も素晴らしいけれど、
やっぱりムラの小さなお社での「オビシャ」を見てみたい。

と思いつつ、これを書き終えてわが身を見るとエプロンをつけている。

ブログを書くぞ!と意気込んでパソコンに向かうとき、
なぜか自然にエプロンを腰に巻いてギュッ。

妙なところで習性が出るものですね(笑)


※参考文献・画像提供/令和元年企画展「オビシャはつづくよ400年
               ~年のはじめの村まつり~」
               千葉県立関宿博物館友の会 2019


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偉大なひいじいちゃん

「かるた」です。

 「定七はぼくの偉大なひいじいちゃん」


所沢市・日月神社・肥沼ダ定七 (2)
肥沼家提供

肥沼定七(こいぬま さだしち)=文久元年(1861)七月十二日生まれ。

文久元年といえば幕末の動乱期。
この前年、
勝海舟たちが咸臨丸で、初の太平洋横断へ乗り出して行った。
 
眉目秀麗。
定七さん、なかなかのイケメンです。

その上、力持ちとくれば、村の娘っ子たちの胸を焦がしたはず。

定七の力石です。これを担いだのは二十歳のとき。
所沢市・日月神社・肥沼ダ定七 (3)
埼玉県所沢市北秋津・日月神社。72×39×29㎝ 

 「奉納 三拾五メ目 明治十三年辰一月吉日 肥沼定七」

この立派な台座は、
定七の孫の亞男氏が、平成十七年に奉納。

「石には神様の魂が宿っていて、
その神様の力をいただけたという感謝の気持ちから奉納した
と伝えられています」(北秋津物語)

台座の上に鎮座ましましている石。
知らない人が見たら、「なんだこりゃ?」だろうな。

そこんところが「エヘヘ、ウフフ」なんですけどね。

こちらは肥沼家の蔵の前に置かれた練習用の力石です。

所沢市・肥沼宅2
肥沼宅。54×43×34㎝

で、この「偉大なひいじいちゃん」のひ孫はどなたかというと、
知る人ぞ知る地方財政学の研究者、肥沼位昌(のりあき)氏です。

所沢市役所の職員で、
「図解 よくわかる自治体財政のしくみ」(学陽書房)の著者。

2002年初版から版を重ね、2015年に改訂版を出すというロングセラー。

「定七じいさんが練習をした石はどれなのか父に聞いたところ、
蔵の前のもみじの根元にある石ということがわかった。
その石ならば、私が子どものときから同じ場所に存在している」
 =肥沼位昌氏


 「定七は石もひ孫も世に残し」


※参考文献・写真提供/「埼玉の力石」高島愼助 岩田書院 2007

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ウォーッ! 大逆転!

おめでとう!!


20200113_1.jpg

嬉しさのあまり、こんな写真もお見せします。

20数年前に取材させていただいた
「藤枝フットボールクラブ」(会員60名)のみなさんです。

35歳以上のサッカー愛好者で組織されたクラブです。
当時、最高齢は82歳のお医者さんでした。

猛暑の中、グランドを走り回っていたのは76歳の方。
名門志太中学(現・藤枝東高校)出身で、こんな話を聞かせてくれました。

img20200113_23064541 (2)
榑林隆氏提供

「大正13年、当時の校長が校技としてサッカーを採用。
わら草履の時代に、全校生徒、サッカーシューズを履いて登校した。

市内に2軒しかなかった靴屋さんで見よう見まねの
手作りのシューズを売っていたが、
そのうち欲が出て、東京から本物を取り寄せた」

生き生き語ってくださったお顔、今も浮かびます。

幼稚園児の試合では、自分で蹴ったボールが自分の顔にあたって、
「うわーん」と泣いてお母さんの元へ走りこんで大爆笑。

町内会ぐるみでバスに乗って清水エスパルスの応援に行ったり、
サッカーの話は尽きません。


よみがえれ! 静岡サッカー!


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卯之助「う」がつく…

「かるた」です。

  卯之助「う」がつく魚吹(うすき)八幡


CIMG0412 (2)
兵庫県姫路市網干区宮内・魚吹八幡神社

神社社務所前に建つ「卯之助像」です。
三ノ宮卯之助=武州岩槻領三野宮生まれ。
               文化四年~嘉永七年。享年47歳。

天保十一年(1840)、
姫路市網干の廻船仲間たちが卯之助一行を招き、神社境内で興行。

それを踏まえ、平成十八年の社務所再建に際し、
この「稀有の力持ち力士」を後世に伝えるため、
記念として建立したそうです。

故郷・埼玉県からはるか離れた異郷での厚遇

卯之助の人気のほどが偲ばれます。

台座にはめ込まれた興行引き札です。
CIMG0413_20200109093114a44.jpg

  「江戸力持三ノ宮卯之助」

本物はこちらです。

現在は三重県総合博物館「みえむ」にあります。

※この引き札の版木は、
  越谷市郷土研究会常任理事で、卯之助研究者の高崎 力氏が
  昭和26年、卯之助生家で発見したもの。

  生家ではそんな貴重なものとは思わず、まな板代わりに使っていたので、
  傷だらけだったそうです。

CIMG4756 (4)
高島愼助先生寄贈。34.3×46.5㎝

わかりやすく復刻したのがこちら。

img20200108_21180089 (3)

卯之助銘の現存力石は力持ちの力士中で最多39個

この像の台座にある6個の力石のうち、卯之助銘の石は2個。

そのうちの一つに「江戸力者三ノ宮卯之助曲持があります。
この「曲持」刻字の力石は、全国で唯一のものです。
 
曲持(きょくもち)=体のどこにも触れることなく石を持ち上げたり、
             仰向けに寝て両足で高く上げたり、
             上げた石を足底でくるくる回したり蹴り上げたりする技。

こちらは、
卯之助の生誕200年記念イベントのポスターです。

2007年、生誕地の現・埼玉県越谷市で開催。

CIMG4771 (2)
三重県総合博物館蔵。高島先生寄贈。64×46.5㎝

こんなのもあります。

稲荷神社(埼玉県桶川市)にある卯之助の、
日本一重い「大盤石」(610㎏)を模したお守りとお饅頭です。

img756.jpg img792_202001091906510b7.jpg
桶川稲荷神社の「大盤石守」と力石饅頭「大盤石」(桶川市寿の栄屋菓子舗)

  山は富士山、力士は卯之助

饅頭やお守りまであるのは卯之助だけ。まさに力持ち界の最高峰です。

お守り持って、まんじゅう食べて、

  卯之助「う」がつく運が付く

      -----◇----- 
  
     =卯之助像の制作者について=

魚吹八幡神社へ問い合わせたところ、宮司さまの澤 弘隆氏から、
以下の丁寧なお返事をいただきました。

「原案ポーズなどは過去の写真を参考にしながら、
宮司が絵(スケッチのようなもの)を描きました。

また写真・FAXも参考にしながら、制作現場と打ち合わせて進めました。
製作工場は中国厦門(アモイ)の石工房です」

ありがとうございました。

それにしても宮司さん自ら制作に、という並々ならぬ熱意、
力石に携わる者にとって、こんな嬉しいことはありません。


※参考文献/「石に挑んだ男達」高島愼助 岩田書院 2009


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これを見なけりゃ始まらない

楽しかった息子夫婦と過ごした年末年始も過ぎ、はや6日目。

何ごとにも全力投球の私。
一気に疲れが出て、何をする気も起らない。

そんなわけで、
こたつでグダグダしていると、ふと、あの場所が脳裏に。
ワラやススキで干支をつくる農家の庭先です。

さっそく、カメラ片手に出かけました。

青空の下、レモンがたわわに実っています。ぽかぽかと暖かい。
CIMG5059 (2)

この季節になると、
毎晩ユズ湯に入り、風呂上がりにレモンをいただいています。

おらが村の農民芸術家のおじさん、
去年、「ネズミはむずかしいんだよ」なーんて言っていたけど、

いましたよ! やっぱり、やりましたね。

それにしてもデッカイ!

遠くから見たら赤い耳のウサギか!と思ったけど、
近づいたらまぎれもなくネズミ!

CIMG5067 (2)

どうです、この突き出た2本の前歯。
どことなくあの「さんま」さんを連想しちゃったりして…。

爪も凄いけど、赤い大きな耳はインパクトがあります。

ガラス玉に網をかぶせた大きな目ン玉に、しめ縄みたいな長いしっぽ。

ちょっと小太りながら眼光鋭く、

「今年はオレさまの年だぜ!」

でもよく見ると、
気の良さそうな風貌でどこか可愛らしい。

ありがとね!
今年も無事、傑作を見ることができました。

さて、
「内はほらほら、外はすぶすぶ」、問題山積のわが日本国。

果たしてこのネズミさん、
チュー害をまき散らす害獣になるか、
はたまた、
窮地に陥った大黒さまを助けた如き救世主になりますか。

ともあれ、子年のスタートです。


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新しい年、新しい命

=追記=

末尾に、「和三盆」について、次男坊からの報告を載せました。
お読みいただけたら嬉しいです。

   ーーーーー◇ーーーーー

明けましておめでとうございます。

年末に次男夫婦が来てくれて、久しぶりに話し込みました。
料理もたくさん作りました。

あれも食べさせたい、これもというわけで、
くるくる働きました。
これ、口に合わなかったらどうしようとか、心配しいしい。

次男坊のお嫁さんとのツーショットです。

CIMG5044 (3)

ニュージーランドから来たお嫁さんです。

地味でしとやかな、とっても可愛い娘さんです。
翻訳の仕事をしています。
日本語の読み書きOK。日本食大好きで、納豆も好物だそうです。

ちなみに私は納豆は食べられません。

静岡名産の「黒はんぺん」には「おいしい~!」
初体験の「いも切干(干し芋)」には、「うーん?」と複雑な顔。

「たらこの昆布巻」はパクパク。柿は「大好きで~す!」

二人からいただいたお土産です。

CIMG5050.jpg

「和三盆」(わさんぼん)

地元のサトウキビから作られた白下糖を木型で押して作った
高級干菓子で、製造は香川県だけなんだそうです。

息子から「和三盆だよ」と言われて、私はキョトン。
「え、お母さん、これ、知らないの?」と。

「知らなかった…」

もう一つはニュージーランドの「マヌカハニー」

有名な蜂蜜だそうですが、
私、こういう蜂蜜があることも知らなかったんです。

のどにも胃にもいいそうです。
はるばる日本へやってきたお嫁さんからの気遣い。

嬉しい!

あと半年で赤ちゃんが生まれます。
私の4人目の孫になります。

我が家は元日から「花盛り」。

「和三盆」です。
CIMG5052 (3)
三谷製糖「羽根さぬき本舗」 香川県東かがわ市馬宿

無事、息子夫婦を見送って、やれやれ。

熱いお茶で「花」を一つ、つまみました。
口に入れると淡雪のように溶けて、ゆかしい甘さが広がりました。

力石のタネが尽きるまでがんばろうと思います。

本年もよろしくお願いいたします。

みなさんから「和三盆、知っています。高級菓子です」と知らされて、
改めてありがたみが増しましたので、
もう一ついただいたクリスマスバージョンの和三盆も載せてみました。

知らなかったなんて、贈り甲斐がない母親で、なんとも。

CIMG5057.jpg

  
   =「和三盆」について=

私が「静岡にもよこすかしろという白下糖がある」と言ったところ、
息子から「和三盆」についてのメールがきましたのでお伝えします。

「白下糖を盆で研ぐ作業をして、
蜜を出し切った(つまり白くする作業をした)のが、和三盆。

研ぐ作業をする台がお盆みたいなので、その台を盆といい、
3日以上研ぐ作業をすることから、和三盆という名前がついた」

どうやら静岡の「よこすかしろ」は、
和三盆へいく直前の「研がない」白下糖のようです。
だから茶色だったんですね。

ちなみに次男坊はBS日テレの
「三宅裕司のふるさと探訪」という番組を作っています。

「和三盆」も放送の予定だそうです。
どうぞみなさん、見てやってください。


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プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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