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おシけぇなすって!

斎藤ワールド
12 /29 2019
本年はこの人で〆たいと思います。

埼玉の研究者、斎藤氏。

今年も全力で支えていただきました。

力石の新発見では抜きんでた才能の持ち主です。
そして、10月28日にまたまた新発見。

これです。
IMG_9075.jpg
埼玉県北葛飾郡杉戸町・永福寺地蔵堂脇

下はそのときの記事です。

「ビビッとX波が…」

ところが、です。

次にいただいたメールで、潔く敗北宣言
と同時に送られてきたのが、杉戸町の広報紙「Sugito」です。

これです。10、11月の両号でこの力石を取り上げていました。
img20191226_09253036 (2) img20191226_11104270 (2)

つまりこの石は、斎藤氏が見つける1か月半も前に、
すでに地元の方によって発見されていたのです。

ありゃー。

広報紙に掲載された第一発見者(右)と協力者のみなさんです。
地元の方が見つけてみんなで保存に動いた、一番いい形ですね。
img20191226_09272715 (3)
「Sugito」11令和元年(2019)NO.614よりお借りしました。

でもこれでめげる斎藤氏ではありません。
ならばと、
この石に刻まれていた「幸手久㐂町 紙屋 忠治郎」に注目。

ここから斎藤氏の新たな探求が始まりました。

この忠治郎、
江戸・文政期の大物「万屋金蔵」と共演していたことが判明。

渡辺崋山蜀山人にもひいきにされた万屋金蔵との共演ですから、
この忠治郎もかなりの大物です。

ひょっとして忠治郎は江戸の力持ちかと思ったものの、
「久㐂町」とあるので、
久喜町の紙屋の経営者か従業員だったはずと推理。

で、こんなものを見つけました。
紙屋 (2)
明治35年「埼玉県営業便覧」

このことから、
久喜町の「紙屋」は岩間姓とわかりました。

さらに、昭和6年(1931)の「幸手町勢要欄」(下の画像)で、
「岩間金物店」(黄色〇)、その下に「岩間忠一」店(青色〇)を発見。

この2軒は本家と分家で、
分家の「増之助」店は紙屋から金物屋になりのちに廃業。
本家の「忠一」店は生活雑貨の店として今も存在。

忠一の孫にあたる現・ご当主の話では、
万屋金蔵と紙屋忠治郎共演の力石がある雷電神社には、
曽祖父庄五郎の名を刻んだ手水鉢や記念碑があるという。

斎藤氏、色めき立ちますが、本家の過去帳は菩提寺の火災で焼けて、
たどれるのは慶応までと聞いてがっくり。

どうしたら忠治郎がいた文政時代の紙屋にたどり着けるのか、
斎藤氏の探求はまだまだ続きます。

昭和6年の「幸手町勢要覧」です。
幸手 (2)

さて、この「要覧」を見ていた私、
「福田屋旅館 久保田信一」(赤丸)にくぎ付けになりました。

「久保田信一」とは、私の義理の伯父にあたる人なんです。
つまり伯母の夫。こんなところに名前が…。

斎藤氏によると、この人の名は幸手駅東口の記念碑にも刻まれているとか。

なにしろ祖父は妻を3人娶り、総勢10数人の子をもうけた人なので、
そのしんがりの父の、そのまたしんがりに生まれた私には、
話に聞いただけの伯父伯母ばかり。

それにしても「紙屋忠治郎」探索の途中で、私の縁者が見つかるなんて。

で、斎藤氏、この年末に吠えましたよ。

「たかが力石、されど力石。
 ガンガン歴史が広がっていくのがたまらない!」


絶好調の斎藤氏にブログへの顔出しをお願いしたら、
「これなら」とOKしてくれたのが、ニセ寅さんとのツーショットです。

顔出しは断固拒否の斎藤氏でしたが、大の寅さんファンですからね。

寅さんの力は偉大です。

IMG_9248 (002)
東京・葛飾柴又帝釈天となりの「寅さんサミット」にて。2019年

たちまちいつもの陽気なおじさんに戻って、

「おシけぇなすって! 
 こちとら力石は、タイムカプセルでごザんす」


はぁ?
IMG_9290 (002)

本年も石の話にお付き合いくださり、ありがとうございました。
どうぞ、よいお年を!


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この石に光を

力石の研究者
12 /26 2019
今年もいろいろなことがありました。

ブログが三重県総合博物館へ収蔵されたこと。
万治石保存式典に招んでいただいたこと。

そして、なによりも嬉しかったのは、
力石の調査に精力的に取り組んでいらっしゃる方の出現です。

どうやら「力石病」に罹患してしまったようで…。
この病い、感染力は弱いけど一度かかったら完治は難しいです(笑)

とにかく写真が素晴らしい。だから力石も引き立ちます。

そんな「へいへいさん」のブログから2点、ご紹介します。

埼玉県は日本最多の力石保有県です。
当然、過去から現在まで研究者がたくさんいました。

だから、もう新発見はないだろうと思われていたのに、
へいへいさん、見つけてしまったんです。

こちらです。
へいへいさん圓福寺

寺の本堂の横に無造作に置かれた石の一つだったとか。

「奉納 三十二メ 御寶前 東京新𣘺 
              施主 鈴木源十」


発見場所の寺です。
寺圓福
埼玉県比企郡川島町・圓福寺

詳しくは以下をご覧ください。

「力石がいっぱいだぁ~」


このお寺、境内を整備中でしょうか。
せっかくの新発見。
このままその他大勢の石にされてしまいそうで心配です。

二つ目をご紹介します。

どこの地域でも、大切に保存された力石もあれば、
草むらや道端にただ転がされているものもあります。

下の記事はへいへいさんが、
「もったいない、もったいない」
心を痛めつつ記録した一つです。

「土留の力石」

それもそのはず。
粗末に扱われていたのは三ノ宮卯之助石でしたから。

卯之助石はこの中にあります。
石卯之助
埼玉県さいたま市岩槻区新方須賀・香取稲荷神社

こちらはさいたま市在住の酒井正氏が描いた同じ場所です。
酒井氏は写真ではなく、すべてスケッチで残しています。

img20191225_10515430 (2)

力石研究者ならだれもが憧れる三ノ宮卯之助の石が、
ここでは土留石にされていたんです。

「奉納 三十貫目 須賀村 三野宮卯之助指之」

本当にもったいないですね。

実はここにはあと2個、刻字の力石があります。

これです。
img20191225_10515430 (3)
42余×48×34㎝       54余×42×35㎝

下は三野宮卯之助の力石です。

左が酒井氏の2005年以前のスケッチ。
右はへいへいさんが今年撮影した卯之助石です。

img20191225_10515430 (4) 05DSC_1740.jpg
54×42余×25余㎝

へいへいさん、記事の最後にこんな言葉を綴っています。

「さいたま市教育委員会のみなさま、
この石に光をあててください」

これは力石に携わるみんなの願いでもあります。


※参考文献・画像提供/ブログ「へいへいのスタジオ2010」
          /「さいたま市の力石」高島愼助・酒井正 
            岩田書院 2005


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シュトーレン

世間ばなし
12 /22 2019
町はイルミネーションで華やかですね。

大昔、神戸ルミナリエに行きましたが、ものすごい人で…。
押し出されて「ところてん突き」状態。懲りました。

そこで今度は、
富士山の麓の「時之栖」に泊まって名物「光の回廊」をじっくり堪能。

CIMG1218.jpg

兄亡きあと、マレーシア出身の兄嫁さんを慰めたくて招待したのもここ。
その後、彼女は兄の遺骨を抱いて兄弟たちが待つ故国へ帰っていった。
どうしても兄を連れて帰るんだと言って。

本日はパート従業員の私の仕事納め。
そのまま町へ繰り出しました。

ローゲンマイヤーのお店で、「シュトーレン」を購入。
これは洋酒に漬け込んだ果物やナッツを練りこんだ焼き菓子です。

CIMG5039 (3)

それを
サンタクロースとトナカイが描かれた赤い袋にいれてくれたので、
思わず、「あら-、 嬉しいな!」

「孫へのプレゼントばかり買っていたのでね。これ、自分へのプレゼント。
きれいな袋に入れていただいて嬉しい」と言ったら、
若い店員さんが柔らかな笑顔で、「よかったです!」

15年ほど前、カナダ在住の姉の友人が、
手作りのシュトーレンを国際便で送ってくれました。

バンクーバー島に建っていた鳥居。神社はなく鳥居だけがあった。
img20191220_23034910 (3)

彼女はドイツ出身のカナダ人でしたから、本場のシュトーレンだったはず。
そんなお菓子、私は知らなかったので、なんだか固いケーキだなあ、と。

そのカナダ婦人も姉ももうこの世にはいない。
クリスマスのイルミネーションを見ると、
懐かしい人たちが思い出されます。

姉夫婦と私。
img20191220_23034910 (4)

あしたから薄く切り取って、
あれこれ思い出しながら味わっていきます。

でもねえ、このお菓子、カロリーが高いんですよ。
それでなくても肥満気味の私なのに。

でも年に一度のことだから、ま、いいか…。


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フォレスタコンサート

世間ばなし
12 /19 2019
友人からの招待で、コンサートへ行ってきました。

何年ぶりだろう。

難聴が少し進んで補聴器になってから、
高音部が金属音になって響き、音が割れてしまうので、
自然と音楽から遠ざかっていました。

加えて力石にはまり込んで、他が見えなくなっていましたしね。

いただいたパンフに「フォレスタコンサート」とありました。
img20191218_18123663 (2)

フォレスタとは、NHKのBS「日本・こころの歌」開始にあたって、
2003年に結成された混成コーラスだそうです。

大ホールいっぱいの客はほとんど中高齢者
嵐ファンがそのまま年を取ったって感じで、それなりの熱気ムンムン。

「NHKのBSでね、毎週放送してるのよ」と友人もそわそわ落ち着かない。
早々カレンダーやら本を買い、「握手券」なるものまでゲット。

なにしろ私は、20数年前にテレビとおさらばした「世捨て人」だから、
テレビの世界のことはわかりません。
「フォレスタ」なるものも初耳。

でもまあせっかくだからと、私も手拍子でノリまくった。
ついでに、客席に降りてきた男性歌手が手を差し伸べたので、
思わず握ってしまいました。

へへへ。タダで握手しちゃった!

女声メンバーです。
img20191218_16031190 (3)
パンフからお借りしました。

声量豊かな歌声です。
でも歌い出した曲にびっくり。

「荒城の月」や童謡はまだしも、
淡谷のり子の「別れのブルース」に、李香蘭の「蘇州夜曲」ときた。
さらに演歌、ザ・ピーナッツメドレーですよ。

だからお客はみんな中高齢者だったのかと納得。

昔はクラシックコンサートへジーパンで行ったら怒られたし、
咳をすれば睨まれたから、唾飲み込むにも神経使った。

歌手も司会者も演奏者もニコリともせず、
ホールを出るころには体中コチコチで疲れがドッと出た。

でも今日はどうだ。

どの方もありったけのエネルギーで客を楽しませてくれる。

男声メンバーです。
img20191218_16031190 (4)
パンフからお借りしました。

後半、イタリアンソングメドレーになった。

ああ、やっぱりいいな。彼らも本領発揮。生き生きしています。
だってみなさん、音大、芸大を出たオペラ歌手ですものね。

そういう人たちが束になって楽しませてくれたんです。
なんと贅沢なこと!

この静岡公演は「フォレスタ」の本年最後の公演だった。
そのステージでこれを最後にソロ活動に入る静岡県出身の男性歌手がいた。

この人です。
ひときわ大きな拍手と歓声です。
ファンクラブの人たちの横断幕もある。

やっぱりふるさとですね!

img20191218_18114232 (2)

アンコールは3回も。
最後は第九で〆た。

その力強い歌声を聞いて、突如私の胸にこんな思いが沸き起こった。

オペラ見に行こう。テノール絶対聞きに行くぞ!

さて、友人はどうしたかというと、
恥ずかしそうに握手会の列に並んでいました。
歌手13人にピアニスト3人がずらりと並び、一人ひとりと握手です。

女性歌手の手を両手でモミモミして鼻水も涙もいっしょくたのじいさん、
係員からの「もう次の人へ移動を」の忠告も耳に入らず、
孫ほどの男性歌手の手を握りしめたまま固まっているおばあちゃん。

こうして千人近くの人と笑顔を絶やさず握手する彼らは、
やっぱりプロだよなあ。

この日、演奏したピアニスト3人と司会者です。
img20191218_18101599 (2)

構成も素晴らしかったが、司会者の話術にすっかり魅了されました。

友人が出てくるのを待ちながら、私は思った。

この名司会者がいるからこそ、
フォレスタコンサートは成功しているのだ、と。


※写真はすべてパンフレットからお借りしました。


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吟醸「力石」

三重県総合博物館
12 /15 2019
「力石」と名付けられたお酒があります。

銘酒「力石」徳利
CIMG4751.jpg

これにはこんな逸話が…。

「埼玉県比企郡小川町の酒蔵・細川酒造では、
かつて「正成」という酒を出していたが、関西に同じ銘柄のものがあり、
明治32年に使えなくなった。

そのころ主人が旅行先の伊豆方面の寺で、
「開運の石」というものを持ち上げたら、軽々とあがってしまった。
以後、これにあやかって商標「力石」にした」(保田義治氏談)

こうして長年、多くの方に親しまれてきた清酒「力石」でしたが、
洋酒に押されて全国的に日本酒の伸びが鈍ったため、

「昭和60年ごろ、「力石」の醸造権を群馬県の群馬酒造に譲渡」
(高橋正氏談)

下の写真は、群馬酒造の傘下に入り、
引き続き埼玉工場で製造していたころのものです。

清酒「力石」布袋 と 高級清酒「力石」前掛け
CIMG4747.jpg

前掛けが折れ曲がっていたのをそのまま写したため、
「埼玉工場」の「埼」文字が隠れてしまいました。トホホ。

そのころの細川商店のHPです。

「細川商店(株)」

しかし日本酒の低迷は続き、2007年、群馬酒造も廃業。

清酒「力石」は今度は、
群馬酒造から同じ群馬県の聖徳銘醸へ移ります。
 ※甘楽郡甘楽町白倉686-1 蔵見学あり。

「聖徳銘醸(株)」

最初の醸造元の細川商店は、現在、
無農薬・無化学肥料の米や野菜の通販のみの商店になっていますが、
清酒「力石」も扱っているそうです。
 ※細川商店は事務所のみ。

もう一つお見せします。

本格芋焼酎「河津三郎の力石」
CIMG4752.jpg

これは河津桜で有名な伊豆の河津町商工会が、
平成20年から3年間の限定で作った幻の焼酎です。

原料のさつまいもは地元の「黄金千貫」、
醸造は富士山の湧水を使った「富士錦酒造」でしたから、
これは絶品でした。

とはいうものの私は下戸なので、中身だけ知人に飲んでもらいました。

こちらが力石焼酎に名を冠した鎌倉武士・河津三郎です。
日本三大仇討ちの一つ、あの曽我兄弟のお父さん

といっても、今では知る人も少なくなりましたが…。

手前に置かれた力石は、河津三郎の「手玉石」です。

CIMG0083 (1)
静岡県賀茂郡河津町・河津八幡神社

静岡県には男も泣かせる「おんな泣かせ」なんてお酒がありますが、
かろうじて命脈を保っている清酒「力石」の現状は、

ちょっぴり寂しい~。

ほんに、
「おんな泣かせ」ならぬ「ちから姫泣かせ」ですわ。


※参考文献/「埼玉の力石」高島愼助 岩田書院 2007
※情報提供/賀茂郡河津町役場 産業振興課
        /細川商店
        /斎藤氏
※協力/三重県総合博物館  

追悼 

温厚な静岡市民そのままだった潮丸さん(東関親方)、さようなら。
それにしても若すぎる旅立ちで残念です。    

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「バスを待つ」

世間ばなし
12 /12 2019
博物館収蔵品のご紹介をはじめたはいいけれど、
下調べが間に合わない。

加えて書棚の大整理を始めたので、更新ができない。

で、
いつも温かく応援してくださる「ちい公」さんのブログを拝見していたら、
こんなくだりがあった。

「うしろからトコトコついてくる妻を見て、ふと愛おしく思い…」

「ちい公ドキュメントな日々@タイランド」

少しばかり自己主張の強い日本男性のちい公さんのうしろから、
小柄なタイ女性の妻・PERNさんがトコトコついてくるー。

このときパッと浮かんだのがこの写真です。

「バスを待つ」
img20191212_08151703 (2)
関教司撮影 静岡市蔵

これは静岡市で長年、写真館を営んでいた関教司氏が、
市役所前のバス停でバスの時刻表を見ていたご夫婦を撮影したものです。

撮影年は昭和28年。

袴を着け、白いあごひげをたくわえた夫と、
その夫の一段下に立ち、夫の肩越しにそっと覗いている妻。

足元の下駄の音がカラコロ、カラコロと聞こえてきそうです。

これは5年前の2014年、静岡市文化財資料館で開催された
「昭和・静岡の写真展」
    =町の写真屋さんが見つめたあの頃=関教司氏写真展

この写真を見たとき、もうね、心がふるえました。

作家の志賀直哉をほうふつとさせるご老人と老妻の後ろ姿から、
お互いをいたわり、慈しんできた長い年月がにじみ出ていましたから。

これ以上の説明はヤボですね。

関氏はこれらの貴重な写真をすべて静岡市に寄贈して、
奈良県生駒市へ移住。写真展開催のこの年、95歳でした。


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博物館へ収蔵されたブログのこと

三重県総合博物館
12 /08 2019
三重県総合博物館へおじゃましてから、
すでに7か月もたってしまいました。

張り切って始めた「博物館訪問記」も、横道にそれすぎて尻切れトンボ。

初心にかえって、
私の人生最大の喜びとなった収蔵されたブログの写真から見てください。

CIMG4770 (3)

うれしくて、何度もシャッターを切りました。
それで、
とにかくぼーっとなっていたので、肝心の中を見るのをすっかり忘れて、
同じ写真を何枚も…。

そんな私の気持ちを汲んで、もう一枚、見てくださいね。

CIMG4768 (2)

ブログ収蔵は、ひとえに
師匠の元・四日市大学の高島愼助教授のおかげなんです。

このブログはなんと、
先生ご自身が印字して、ファイルにまとめてくださったんです。

力石調査ではまだまだヒヨッコの私なのに、その晩年に花を持たせてくださった。

だから師匠は大恩人!なんです。

先生は大学を退官後、全国行脚で得た膨大な資料を同博物館へ寄贈。

その「高島先生関係資料」の一つとして、
拙ブログも収蔵していただいたというわけです。

ブログのほかに、
私が集めた力石に関する資料、ファイルで12冊ほどになりましたが、
それも追加で納めていただくことができました。

こちらは先生が寄贈した資料の一つ、「へのこ石」です。

ミエム・へのこ石2
三重県津市一身田上津部田・三重県総合博物館「みえむ」  70×36×21㎝

もとは久居市野村町(2006年、津市と合併)にあった力石で、
合併の前年、四日市大学へ寄贈されたものです。

「この石は、畑のかたすみに放置されていたもので、
自治会長さんから、大学で保管していただけるならと寄贈してもらった。

その後、私が定年を迎え、それを機に他の資料とともに博物館へ移され、
保管されているものです」と高島先生。

ちょっと言いにくいですが、「へのこ」とは、男性の性器のこと。
昔は魔除けとして神聖視されていました。

男性のみなさんは、みんな「魔除け」を持っているんですねぇ…。

また石の模様から「鉢巻き石」とも呼ばれていたそうです。
重量は120㎏。米俵二俵分あります。

次回は数ある収蔵品の中から、番付表などをご紹介します。


※写真提供/高島愼助先生


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富士山!

世間ばなし
12 /04 2019
石なんていう硬いテーマばかりで、

疲れたァー

というわけで富士山を見に行ってきました。(11月16日)

富士山の雪解け水(白糸の滝の水で~す)で産湯をつかったこの私。
故郷の大きな富士山に癒されようと、富士宮市へ。

静岡駅→富士駅(身延線に乗り換え)→富士宮駅。

見えてきましたよ、車窓に富士山。
線路の曲がり具合で右に見えたり左に現れたり…。

CIMG4972.jpg

高校へ通う3年間、ずっと身近にあった風景です。
私が一番好きだったのは、山梨方面へ向かう下り電車の、
西富士宮駅から次の駅へ大きくカーブしたとき見せてくれる大パノラマ。

富士山の裾野が町全体を抱え込んでいる光景です。
夜はまた、
黒々とした大きな富士山と町の夜景と星空で、一段と美しかった。

闇に浮かぶ冬の赤富士も感動的だったな。

夏の夜は登山客の明かりが闇の中をジグザグに続いていたっけ。

そうそう、この身延線、乗り降りのときドアは自分で開けるんですよ。
昔はそうじゃなかったんです。
で、この日、ボーッと立っていたら、後ろのおばさんに「開けて!」と睨まれた。

着きました! お目当ての「静岡県富士山世界遺産センター」
富士宮駅から徒歩8分。大きな赤い鳥居が目印です。

CIMG4980.jpg
静岡県富士宮市宮町

この中へ入ります。

CIMG4978.jpg

中はゆるやかな坂道。らせんスロープになっています。
全長193m。暗いです。

右手の大きなスクリーンに導かれながら歩きます。
映し出されるのは、海から頂上までの風景です。

つまり富士登山の疑似体験。

足元から、雲が沸き立ちます。
影絵の登山者が私を追い抜いていきます。

「富士山に登らぬバカ、2度登るバカ」と言われていますが、
私は何度も登っていますから、バカを通り越していますね(笑)

登り切ったら、頂上です。

本物の富士山がお出迎え!
思わず、
♪ ふーじはにっぽんいちのーやまァ

CIMG4988.jpg

外へ出てみました。

表富士といわれるこちら側は暖かいので、まだ雪が少ないのです。
青く見えるのは氷。全山、凍っているんです。

12月になれば雪をかぶります。※本日(3日)見たら真っ白でした。
来年には太平洋側からの重い雪で、重厚な冬の富士の出来上がり。

右にちょこんと出っ張っているのが宝永山。

CIMG4983 (2)

右の裾野の先には愛鷹連峰があります。

あそこから富士山を見るとまた違って見えます。
富士山を半周すると、
宝永山が真正面に、カンガルーのお腹の袋みたいに見えます。

もっと回ると今度は山梨県。裏富士といったら山梨の方に怒られますが、
富士五湖とセットで見ることができます。
伊豆から海越しに見る富士山もまたいいですね。

愛鷹連峰です。
ここと富士山との間は平安時代の東海道という説があります。
富士山は美人の妹、愛鷹山は醜い姉、なんて民話もあります。

CIMG4987.jpg

センターを「下山」して、今度は近くの富士山本宮浅間大社へ。

あらま! 結婚式だ。

花嫁さんは日本人女性で花婿さんは欧米人。
付き添いの着物姿の女性たちを見たらみんな欧米人でびっくり。

七五三のかわいい紳士淑女たちもいて、華やか。

CIMG5003 (4)

もうどこへ行っても富士山です。

この川は、
富士山の地下水が湧き出た「湧玉池」から流れ出ている神田川。
ここへはマス釣り大会に来ました。

確か、イクラで釣った記憶が…。

CIMG5008.jpg

学校帰りに途中下車して映画を見たり、今川焼食べたりした
懐かしの本町通りを歩く。

シャッター通りになっていて、ちょっと寂しかった。

でもこんなお店を見つけちゃいました。

CIMG5009 (2)

ほんの半日ほどのセンチメンタル・ジャーニー。
大きな富士山にいだかれて、肩の凝りもほぐれて身も心も軽快に。
明日へ向かって、ダッシュ。

富士山、ありがとう! ちょっと大げさですね(笑)


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末広がり

歴史を塗りかえた発見!
12 /01 2019
今上の八幡さまの式典へ行ってから、はや1か月半。

今も地域のみなさまの笑顔が浮かびます。

あの日は、式典終了後、外へ出たら、
雨も上がって青空がのぞいていました。

即位の礼を執り行っていた東京では、がかかったという。

雨降って地固まるを実感!

「どれ、私もちょっと触ってみるか」

と、おそるおそる手を延ばしたご婦人。

CIMG4939 (2)
千葉県野田市今上・八幡神社

ちょっと照れながらも快くカメラに収まってくれた方。

「ブログに載せてもいいですかー?」

「おお! いいよーっ」とニッコリ。

CIMG4941.jpg

こちらの方は神妙です。

「なむ、なむ」

そばで奥さまが大笑い。

CIMG4943.jpg

「なで、なで」

「あ、写真撮るから、ちょっとそのままでいてください!」と私。

「ヤラセでーす!」の声に、周囲がドッとわく。

CIMG4942.jpg

「こんな立派なものがここにあったなんて。
今上ってとこは凄いところだって見直したよ。大事にしなくちゃね」

と感慨深げなご婦人。

斎藤氏も興奮冷めやらぬ顔で、

「今までこんな立派な式典を経験したことはなかった。
これからもないと思う。これまで力石に取り組んできて、
これが自分の最後で最高の出来事になった」

CIMG4957 (2)

万治石は、地域のみなさまに笑顔を運んでくれました。
そして、
地域を一つに結び付けてくれた。

新天皇誕生というめでたい日に、ともに祝っていただいた。

めでたさが重なったきょうのこの日のことは、
世代を越えて、きっと語り継がれていくことでしょう。

万治石よ、

末永くこの今上の里を見守っていってくださいね。

  
   =私の願い=

これを機に地域の学校で、
今上の河岸の歴史や民俗、習俗などをみんなで考え学んでいただけたら。
そして、
万治石や八幡さまの童話や絵本を書いてくださったらいいなと思っています。


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞