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「今上」ってどんなとこ?

歴史を塗りかえた発見!
11 /10 2019
「万治石」の式典に出かける直前、次々と大型台風が…。

千葉県は大変な被害と報じていたので、
これでは式典どころではないだろうなと思いつつ、お天気地図を見たら、
なんと「野田市」の上だけ雨雲がなかった。

千葉県と言えばすぐ思い浮かぶのは房総半島です。
でも、改めて地図を見ると、
野田市はそこからずっと遠い位置にありました。

一番上の白丸の中が野田市。江戸川と利根川にはさまれています。
江戸川の対岸は埼玉県、利根川の向こうは茨城県という立地です。

上部に利根川と江戸川が枝分かれした三角地帯があります。
ここが有名な関宿城があったところです。

今は博物館になっていました。地元の研究者・Iさんに連れて行っていただきました。
「オビシャ」「川の歴史」…。見ごたえ満載!

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「オビシャはつづくよ400年」よりお借りしました。

遠くへ行くという感覚でしたが、
静岡駅から柏駅経由でもよりの野田市駅まで、
乗車時間はなんと約2時間

信じられない近さです。

ここでは、「野田市民俗調査書」をお借りして、
野田市今上についてお話していきます。

「今上」(いまがみ)の旧村名は「今神」
古来には「馬神村」と称していたという伝承があるとか。

江戸川に面した今上は、
昔から河川の氾濫に悩まされてきたそうですが、
何度もの築堤や掘削、改修で今の姿になったとか。

近世にはその河川を最大限生かした船の河岸として活用。
「船頭のムラ」として隆盛を極めます。

周囲の村に比べて裕福で、食べ物なども贅沢だったようです。

これは今上河岸「桝田廻漕陸送店の支店」(三ッ堀)開業広告です。
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「今上・山崎の民俗」よりお借りしました。

河岸は上下に二つあった。

河岸問屋「桝田回漕店」には直属の高瀬船が約60艘あり、
住民たちの持ち船の
六斎船や高瀬船、蒸気船などが200艘ほど停泊していたという。

船荷は主に醤油葉タバコで、
昼夜かまわず今上河岸から東京を目指した。

東京まで早くて一日、普通は二日で着いたそうです。

江戸川→新川口→小松川→中川→荒川→小名木川→隅田川→
浜町→蛎殻町ときて、小網町で着岸。

もうね、ここにでてきた土地すべて、力持ちと力石の宝庫ですから、
今上の船乗りたちが影響を受けなかったはずはありません。

そういえば、
「神田川徳蔵物語」でご紹介した深川の力持ち・根本正平の父親は、
利根川の高瀬船の船頭でした。

左端が根本正平氏。その隣は「物流の父」といわれた平原直氏。
「深川力持睦会」の文化財指定に尽力した人です。

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「深川力持睦会」のイベントで。撮影年不明。

ちなみに、平原氏ゆかりの流通経済大学の新校舎エントランスには、
立派な力石3個が飾られています。

力持ちの話になると興奮しておしゃべりが止まらなくなりますから、
この話はこのへんで。

次回は今上の八幡さまと「万治石」の謎に迫ります。


※参考文献・画像提供/図録「オビシャはつづくよ400年」
               千葉県立関宿博物館 2019
               /野田市民俗調査報告書1「今上・山崎の民俗」
                野田市史編さん委員会 平成7年
※画像提供/「平原直アルバム」流通経済大学所蔵 物流博物館保管


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞