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ヨ!

歴史を塗りかえた発見!
11 /07 2019
昨年1月12日、この日斎藤氏が八幡神社を訪れたら、
なんと「万治石」は、土中から掘り起こされていました。

これです。

3野田市
千葉県野田市今上・八幡神社。斎藤氏撮影

前年の暮れ、私は市の職員の方からこう言われていました。

「力石は氏子さんたちの所有物なので、
保存するかしないかは氏子さんたちが決めることなんです。
なので役所からあれこれ指図はできないのです」

言われてみればもっともなことです。

だから半ばあきらめていたのですが、
氏子さんたち、決断してくださったんですね。

感謝でいっぱいになりました。

初めて全容を現わした「万治石」は、
これまで公表されてきた寸法を20㎝も上回るかなりの大きさでした。

2野田市
62×43×28余㎝ 斎藤氏撮影

詳しくは下記のブログ記事をご覧ください。

「万治石に動きが…」

「こんな石っころになんで夢中になるのか」と笑われそうですが、
いえ、笑われてきましたが(笑)、

この石一つに400年も昔の若者たちの熱気がこもっている。
そう思ったら、
それだけで私はタイムマシーンで江戸時代の八幡神社へ戻り、
彼らと一緒にいるような気分になっちゃうんです。

困ったもんです。

下の写真は今年10月の「奉祝祭」の様子です。

本殿には紅白の幕が張られ、
神主さんと巫女さん、神社役員さんがテキパキと準備中。

CIMG4903.jpg

八幡神社は江戸川の土手下の、ほんとに小さな神社です。
それがこんな立派な式典を、しかもそれに私も呼んでくださった。

ブログでワーワー騒いでいただけの私なのに。

こちらは「斎竹(いみだけ)」をめぐらせた力石の設置場所です。

 ※「斎竹・忌竹」=神の降臨する清浄な場所であることを示すため、
            四方を囲むときの竹のこと。
            家を建てる時行う地鎮祭でも見ることができます。

立派な説明板も立ててありました。

CIMG4908.jpg

  
    四百年の眠りから覚めし万治石
             令和の御代に生きて輝く 
    雨宮清子

再び、昨年1月の神社に戻ります。

掘り起こされた万治石を見て、
斎藤氏、またまた新たな発見をいたします。

なんと、もう一つ文字が現れたのです。

赤丸の中に「ヨ」が見えます。

「ヨ」、つまり「余」のことです。このことから正確にはこうなります。

   「奉納力石五十六メ目

野田市5
斎藤氏撮影

これを担いだ若者は石工さんにこんなことを言ったはずです。

「オレが担いだのは五十六メ目より、もうちっと重てぇ石なんだぞ!」

210㎏「余」ですからね、誇らしかったことでしょう。

はいはい、八幡さまの若い衆、
400年後もしっかり確認しましたヨ!


<つづく>


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞