力石絵引①
三重県総合博物館
「洛中洛外図屏風」というものがあります。
京の都の内外を描いて屏風に仕立てたものです。
「洛中洛外」を描いた屏風は、約100点現存。
描いた時期は室町時代から江戸中期まで。
源氏雲が湧き立つ合間に、寺院や公家の屋敷、
上流階級から庶民までの風俗が生き生きと描かれています。
すでに何度かお伝えしましたが、この中の一つ、
上杉本「洛中洛外図屏風」に力石が出てきます。
この屏風は室町時代後期に、
織田信長が越後の上杉謙信に贈ったものだそうで、
今は国の重要文化財になっています。
下の写真は、上杉本「洛中洛外図屏風」の右隻です。
赤丸の中に、
「べんけい石」と力比べに興じる若者たちが描かれています。

ちょっとここで、屏風の数え方を披露します。
とはいっても、学者さんの本からの受け売りですが…。
屏風は何枚かのパネルが折り畳めるようになっている、
ということは、どなたもご存じだと思います。
このパネルのことを「扇(せん)」といい、
「扇」(パネル)」が六枚あれば六曲、四枚なら四曲と呼ぶのだそうです。
扇とはうまくつけたものですね。扇(おうぎ)も折り畳めますものね。
この四曲とか六曲でつながった全体を「隻(せき)」といい、
向かって右側を「右隻」、左側を「左隻}と呼び、
この二つを合わせて、「一双(そう)」と数えます。
だから六曲で右隻、左隻を持つ上杉本「洛中洛外図屏風」は、
「六曲一双」仕立てということになります。
ちなみに、一枚なら「半双」。
赤丸の部分は右隻にあり、右から数えて四番目の「扇」だから、
「四扇」に描かれているということになります。
赤丸の部分を大きくしたのがこちらです。

石の下に「べんけい石」と書かれています。
一見、ごくありふれた光景のように思われますが、
実はこの石をめぐって、さまざまな話が残っているのです。
この絵の中心には、一本の見事な松が描かれています。
神聖な三蓋(階)松(さんがいまつ)です。
次回はそこからお話を進めてまいります。
※参考文献・画像提供/「上杉本洛中洛外図屏風を見る」
小澤弘,川嶋将生 河出書房新社 1994
京の都の内外を描いて屏風に仕立てたものです。
「洛中洛外」を描いた屏風は、約100点現存。
描いた時期は室町時代から江戸中期まで。
源氏雲が湧き立つ合間に、寺院や公家の屋敷、
上流階級から庶民までの風俗が生き生きと描かれています。
すでに何度かお伝えしましたが、この中の一つ、
上杉本「洛中洛外図屏風」に力石が出てきます。
この屏風は室町時代後期に、
織田信長が越後の上杉謙信に贈ったものだそうで、
今は国の重要文化財になっています。
下の写真は、上杉本「洛中洛外図屏風」の右隻です。
赤丸の中に、
「べんけい石」と力比べに興じる若者たちが描かれています。

ちょっとここで、屏風の数え方を披露します。
とはいっても、学者さんの本からの受け売りですが…。
屏風は何枚かのパネルが折り畳めるようになっている、
ということは、どなたもご存じだと思います。
このパネルのことを「扇(せん)」といい、
「扇」(パネル)」が六枚あれば六曲、四枚なら四曲と呼ぶのだそうです。
扇とはうまくつけたものですね。扇(おうぎ)も折り畳めますものね。
この四曲とか六曲でつながった全体を「隻(せき)」といい、
向かって右側を「右隻」、左側を「左隻}と呼び、
この二つを合わせて、「一双(そう)」と数えます。
だから六曲で右隻、左隻を持つ上杉本「洛中洛外図屏風」は、
「六曲一双」仕立てということになります。
ちなみに、一枚なら「半双」。
赤丸の部分は右隻にあり、右から数えて四番目の「扇」だから、
「四扇」に描かれているということになります。
赤丸の部分を大きくしたのがこちらです。

石の下に「べんけい石」と書かれています。
一見、ごくありふれた光景のように思われますが、
実はこの石をめぐって、さまざまな話が残っているのです。
この絵の中心には、一本の見事な松が描かれています。
神聖な三蓋(階)松(さんがいまつ)です。
次回はそこからお話を進めてまいります。
※参考文献・画像提供/「上杉本洛中洛外図屏風を見る」
小澤弘,川嶋将生 河出書房新社 1994
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