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一片たりとも

三重県総合博物館
07 /22 2019
非文字資料はモノを集めてナンボのもの。
とにかく数を集めます。

民族学者の渋沢敬三約3万点の民具を集めた。
それを自宅のアチックミューゼアムに収蔵し、可能な限り図録として印刷した。

サンキュー氏流に言えば、図録は「民具グラビア」でしょうか。

力石研究者の高島愼助先生が調査した力石は、
1万4000個(2011年時点)。
笠やかんじき、漁具などの民具と違い、100㎏、200㎏もある石です。
そんなものを1万4000個も集めたら、岩山が一つ出来てしまいます。

だから先生の力石の収集は写真のみの持ち帰り。

もっとも、大勢の村人に愛された力石は、
その地域の歴史の証人ですから、現地での保管が最も好ましい姿でもあります。

渋沢は先輩の学者から、
足半(あしなか)なんてくだらぬものを集めて、何の役に立つのか」といわれ、
書生からも「あんな汚い田舎くさいものをどうして集めるのか」と問われた。

たまにですが、力石の調査でも似たようなことがあります。

「あんな石っころ」「たかが見世物」「底辺の男たちの遺物」、
「そんなものに何の価値があるの?」という厳しい声や視線。

しょうがないですよね。
いわれるように「あんな石っころ」だし、上流階級の男はやらなかったし、
世間的に見たら、やっぱり「ヘンなこと」だから。

ま、とにかく渋沢氏が本の中で語っていた
「好きだからやる」
「理屈はあとからいくらでもつけられる」ー、
これで押し通すしかないんです。

でも知らないことをいろいろ調べるのって楽しいじゃないですか。
このブログにご訪問くださる方々も、みなさん、それぞれの
「好きだからやる」をされていて、熱い人生をまっしぐらですものね。

高島先生の著書です。全国の力石が網羅されています。
埼玉の研究者の斎藤氏や私との共著もあります。

CIMG4850.jpg

さて、渋沢氏は「足半」について、こんなことも書き残しています。

「下級武士が戦(いくさ)にも履いた足半の本来の意義は足の保護ではなく、
滑るのを防ぐスパイクとして用いた」

足半は用途によって編み方が違うことに気づき、その内部を見るために、
昭和10年、ガン研の協力でレントゲン撮影をしたというのだから驚きます。

これはのちに仏像の内部を調べることに応用されていきました。

歴史学者の網野善彦渋沢敬三柳田国男の、
史料・資料に対する考え方の違いについて、
中村吉治の論文「民俗学隻語」から、中村のこんな言葉を紹介しています。

中村吉治が論文で取り上げたのは、
柳田国男と家永三郎との対談「日本歴史閑談」です。

この対談で柳田は、
渋沢が自身で手掛けた「豆州内浦漁民史料」の序文に、
「(伊豆の網元に残っていた)文書の、
何が一番価値があり、何が屑であるかは予想しえない。
だから大部分を可能な限り出版したい」と書いたことに触れ、

「こんなものをいちいち集めたり見ているより、
これは大切だから持ってきてもいい、あとは襖の下張りやりんごの袋に
してもいいという基準を立てた方がいい」と言った。

この発言に対して、著者の中村は異を唱えた。

「それは危険だと思う。私は渋沢流に(くみ)したい

網野もこう断言する。
「文書の断片、屑のような一片たりともおろそかにはしない
という渋沢の、そういう
過去の人間生活の営みに対する謙虚な態度」こそが正当で、
柳田のような処理が行われたとすれば、
最も民俗の世界に近接する部分を切り落とし、抹殺する結果になるだろう」と。

思えば高島先生もそうだった。

「刻字のある石のみに文化的価値があるのではない」
として、無銘の石や割れた石をも見捨てず、
「力石とあらば残らず調査する」という先生の口ぐせ通り、
所在不明になった石や伝説上の石まで、丁寧に調査・記録して、
渋沢流を貫いていました。

そんな力石の一つがこれ。
若者たちが担いで力を競い、どんど焼きの火に投じた道祖神(16貫)です。
でも今は、割れて道端の草むらに放置という状態です。

北山角木沢上・道祖神1
静岡県富士宮市北山角木沢上 

網野はこうもいう。

「渋沢は自分のためにではなく、
はるか先の未来に来たるべき本格的な学問の発展のために、
史料・資料を用意すること、つまり一次資料の整備に全力を注いだ」

        ーーーーー◇ーーーーー

「なぜ、たくさん集めるのか」について。

絵画や書などの美術作品はその一つ一つが完成品。
でも民具や力石などは、
たくさん集めて初めて何かが見えてくるものだからです。

中村吉治/歴史学者。長野県辰野町出身。
        
        中村は東京帝国大学在学中、卒論を書くにあたり指導教官に
        「卒論には百姓の歴史をやりますと伝えたら、
        豚に歴史はありますか?と侮蔑された」という。

        「百姓」「豚」といい、豚に歴史なんてないじゃないかと蔑む。
        そんな風潮の明治~昭和初期に渋沢敬三は、
        山、川、海、浜、田に生きる人々の民具を集めていた。
        「民衆はちゃんとした歴史を持っている」と主張して。
        
今回はちょっと熱くなりすぎました。お笑いください。


※参考文献/「澁澤敬三著作集 第3巻」解説「渋沢敬三の学問と生き方」
         網野善彦 平凡社 1992
        /「石に挑んだ男達」高島愼助 岩田書院 2009
※画像提供/「静岡の力石」高島愼助・雨宮清子 岩田書院 2011

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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞