非文字資料
三重県総合博物館
※末尾に追記を加えました。見てください。
ーーーーー◇ーーーーー
三重県総合博物館の訪問記が、
なんだか「ヘン」な方向へ行ってしまいました。
でもね、私はこれ、意図してやっておりました。
私は2019年6月4日のブログに「ヘンな論文」という記事を書きました。
これは大学の先生とお笑い芸人の2足のわらじをお履きになっている
サンキュー・タツオ氏の著書のタイトルです。
この本に我が師匠の高島愼助先生が取り上げられていました。
こんなふうに。
「画像がヘンな論文。真面目だけれどヘンなことになっている」
「石ばかり並べた石グラビア」
これに対して私は、
「サンキューさん、読みが浅くありません?」と噛みついた。
もちろんサンキュー氏は、
「ヘンな論文」の研究者たちを愚弄しているわけではありません。
それは重々わかっております。
またこうした地味な「力石」を取り上げてくださったことにも
感謝しております。
ただ、ほんのさわりだけを面白おかしく取り上げてオシマイというのは、
なんだかなあ、いやだよなあと思ったのです。
だってそういう書き方って誤解を招くし、また一番肝心な
これを自著に取り上げた著者の熱意や意義が全く感じられなかったから。
というわけで、渋沢敬三氏の力をお借りして、
ちっとも「ヘンではない」を証明するために回り道をしたわけです。
こちらは昭和6年、津軽の旅で大草鞋を手にした36歳の渋沢敬三氏です。
この年、祖父の死去に伴い子爵を受け継いだ。

「宮本常一著作集50 渋沢敬三」よりお借りしました。
「自分は人の見落したことやし残したことをやっていきたい」
これは渋沢が弟子の宮本常一に常々語っていたことです。
文献至上主義の世界で、
渋沢は文字や言葉ではなく物=非文字資料にこだわり、
民具や「足半」に注目して、それらをできるだけ収集した。
※足半(あしなか)」=土踏まずのあたりまでしかない草履。
足半(あしなか)です。下級武士や庶民が履きました。

「澁澤敬三著作集 第3巻」よりお借りしました。
足半の研究に取り組んだころ、先輩の学者が、
「足半のようなくだらぬものを集めて、何の役に立つのか」
と眉をしかめたという。
また、渋沢は民具収集にも力をそそいだ。
当時は農家で使っている道具を土俗品と呼んでいた。
渋沢は「いかにも卑下したような感じだ」としてそれを嫌い、
代わりに「民具」という言葉を作った。
足半や民具を集める渋沢は書生の一人から、
「先生はなぜそんな汚らしい田舎くさいものばかりやるのですか」
と言われたとき、ただ「好きだからだよ」と受け流していたという。
しかし本心はこうであった。
「民具は誰が作り、その技術はどこからもたらされたのか。
材料は何か。使用のされ方はどうなのか。
そんなことから常民生活の構造も探り当てられる」と。
上野の西郷隆盛像の足元です。西郷ドンも足半を履いています。

ついでにこんな写真(下の写真)もお見せします。
撮影者の斎藤氏によると、腰に挟んでいるのは兎獲りの罠。
この像は、愛犬を連れて兎獲りに行く姿だそうです。
西郷さんが一番かわいがっていたのはメス犬の「ツン」。
そのため長らく、上野の犬はツンだと言われてきたそうですが、
銅像の犬はオス犬だったようで、だからツン説は消えたとか。
私は狛犬の股間はよく見て回りますが、残念ながら、ここのはまだ。
あらぬところを覗きこまれて、ワンくん、恥かしかったかもネ。

西郷銅像は高村光雲作、愛犬は後藤貞行作
宮本はいう。
「足半にしても先生は、日本人が藁(わら)をどのように利用し、
また履物が日本人の生活の中でどういう位置を占め、
どういう役割を果たしているかを見ようとせしめた。
多くの民具を集めたのも同じ心からで、目先の変わったもの
希少なものを集めるのではなく、
日常使用しているもの、また使用に耐えなくなったものまで集めた。
そこから、真の常民生活を探ろうとしたのである」
民具も足半も、そして力石も非文字資料なんです。
※「常民」という言葉も渋沢の造語。
国民や庶民とう言い方は上から目線のようで嫌ったという。
渋沢の造語の民具や常民をのちに柳田国男も使い始めます。
=追記=
ブログ「わがまま勝手な呟き」の麿さんが
力石の写真を載せてくださっています。
ブログの力石は木にのめり込んでいますが、以前はこんなふうでした。
※掲載の写真は2002年発行の「大阪の力石」初版本のものです。

大阪市住之江区北島 高砂神社
「大阪の力石」第2版 高島愼助 岩田書院 2013
神戸商船大学の岸井守一先生の調査時(1971)にはもう一つ
「高砂」と刻字された石があったそうですが、現在は所在不明。
麿さんのブログ、高島先生に知らせますね。
ありがとうございました。
※参考文献・画像提供/「宮本常一著作集50 渋沢敬一」未来社 2008
/「澁澤敬三長作集 第3巻」平凡社 1992
/斎藤
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三重県総合博物館の訪問記が、
なんだか「ヘン」な方向へ行ってしまいました。
でもね、私はこれ、意図してやっておりました。
私は2019年6月4日のブログに「ヘンな論文」という記事を書きました。
これは大学の先生とお笑い芸人の2足のわらじをお履きになっている
サンキュー・タツオ氏の著書のタイトルです。
この本に我が師匠の高島愼助先生が取り上げられていました。
こんなふうに。
「画像がヘンな論文。真面目だけれどヘンなことになっている」
「石ばかり並べた石グラビア」
これに対して私は、
「サンキューさん、読みが浅くありません?」と噛みついた。
もちろんサンキュー氏は、
「ヘンな論文」の研究者たちを愚弄しているわけではありません。
それは重々わかっております。
またこうした地味な「力石」を取り上げてくださったことにも
感謝しております。
ただ、ほんのさわりだけを面白おかしく取り上げてオシマイというのは、
なんだかなあ、いやだよなあと思ったのです。
だってそういう書き方って誤解を招くし、また一番肝心な
これを自著に取り上げた著者の熱意や意義が全く感じられなかったから。
というわけで、渋沢敬三氏の力をお借りして、
ちっとも「ヘンではない」を証明するために回り道をしたわけです。
こちらは昭和6年、津軽の旅で大草鞋を手にした36歳の渋沢敬三氏です。
この年、祖父の死去に伴い子爵を受け継いだ。

「宮本常一著作集50 渋沢敬三」よりお借りしました。
「自分は人の見落したことやし残したことをやっていきたい」
これは渋沢が弟子の宮本常一に常々語っていたことです。
文献至上主義の世界で、
渋沢は文字や言葉ではなく物=非文字資料にこだわり、
民具や「足半」に注目して、それらをできるだけ収集した。
※足半(あしなか)」=土踏まずのあたりまでしかない草履。
足半(あしなか)です。下級武士や庶民が履きました。

「澁澤敬三著作集 第3巻」よりお借りしました。
足半の研究に取り組んだころ、先輩の学者が、
「足半のようなくだらぬものを集めて、何の役に立つのか」
と眉をしかめたという。
また、渋沢は民具収集にも力をそそいだ。
当時は農家で使っている道具を土俗品と呼んでいた。
渋沢は「いかにも卑下したような感じだ」としてそれを嫌い、
代わりに「民具」という言葉を作った。
足半や民具を集める渋沢は書生の一人から、
「先生はなぜそんな汚らしい田舎くさいものばかりやるのですか」
と言われたとき、ただ「好きだからだよ」と受け流していたという。
しかし本心はこうであった。
「民具は誰が作り、その技術はどこからもたらされたのか。
材料は何か。使用のされ方はどうなのか。
そんなことから常民生活の構造も探り当てられる」と。
上野の西郷隆盛像の足元です。西郷ドンも足半を履いています。

ついでにこんな写真(下の写真)もお見せします。
撮影者の斎藤氏によると、腰に挟んでいるのは兎獲りの罠。
この像は、愛犬を連れて兎獲りに行く姿だそうです。
西郷さんが一番かわいがっていたのはメス犬の「ツン」。
そのため長らく、上野の犬はツンだと言われてきたそうですが、
銅像の犬はオス犬だったようで、だからツン説は消えたとか。
私は狛犬の股間はよく見て回りますが、残念ながら、ここのはまだ。
あらぬところを覗きこまれて、ワンくん、恥かしかったかもネ。

西郷銅像は高村光雲作、愛犬は後藤貞行作
宮本はいう。
「足半にしても先生は、日本人が藁(わら)をどのように利用し、
また履物が日本人の生活の中でどういう位置を占め、
どういう役割を果たしているかを見ようとせしめた。
多くの民具を集めたのも同じ心からで、目先の変わったもの
希少なものを集めるのではなく、
日常使用しているもの、また使用に耐えなくなったものまで集めた。
そこから、真の常民生活を探ろうとしたのである」
民具も足半も、そして力石も非文字資料なんです。
※「常民」という言葉も渋沢の造語。
国民や庶民とう言い方は上から目線のようで嫌ったという。
渋沢の造語の民具や常民をのちに柳田国男も使い始めます。
=追記=
ブログ「わがまま勝手な呟き」の麿さんが
力石の写真を載せてくださっています。
ブログの力石は木にのめり込んでいますが、以前はこんなふうでした。
※掲載の写真は2002年発行の「大阪の力石」初版本のものです。

大阪市住之江区北島 高砂神社
「大阪の力石」第2版 高島愼助 岩田書院 2013
神戸商船大学の岸井守一先生の調査時(1971)にはもう一つ
「高砂」と刻字された石があったそうですが、現在は所在不明。
麿さんのブログ、高島先生に知らせますね。
ありがとうございました。
※参考文献・画像提供/「宮本常一著作集50 渋沢敬一」未来社 2008
/「澁澤敬三長作集 第3巻」平凡社 1992
/斎藤
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