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人柄

三重県総合博物館
06 /25 2019
「幼稚園時代はよく風邪をひいた。そのため大磯や逗子へよく転地した。
母が来てくれると一緒に摘み草に歩くことが多かった。
母は鉄道線路の土手でよくツクシヨモギを摘んだ。

母がツクシをたくさん摘んできてつくだ煮にしようと思って、
書生(しょせい)に、ハカマを取っておくように言っておいて
書生部屋へ行ってみると、ツクシはふろしきに入ったまま、
書生たちははいていた袴(はかま)を脱いで勉強していた」(回想談)
 ※まるで笑い話。書生さんたち、つくしのハカマを知らなかったそうです。

書生=雑用などをして寄宿させてもらい、学校へ通っていた学生のこと。
img753.jpg

渋沢家には常時、10人ほどの書生が住んでいたそうです。
アチックミューゼアムの同人や柳田に破門された人なども出入りしていて、
そういう様々な人たちに物心両面で援助していた。

こんな話もあります。

柳田の弟子の一人が著作に序文を書いてほしいと頼んだら、
師から「どうしてもその本を出すのなら妨害してやる」と言われ、
先輩たちから「先生は気まぐれだから」と慰められたとか。

この人もその後、渋沢の援助で欧州へ留学しています。

で、渋沢の援助は、なんとその柳田自身へも。

渋沢家の食客だった宮本常一によると、
「渋沢は柳田夫人から家計などの相談を受け、10年ほど援助していた」
というのですから驚きました。

何があっても愚痴一つ言わず万事控えめな渋沢が、
「柳田さんはそういうことについては全く知らぬ顔をし、
ひと言の挨拶もなかった」とポツッともらしたという。

なんて奴なんだ!

農務官僚で民俗学という新しい学問を築いた偉いお方ともあろう人が…。
確か、世田谷区砧に豪邸を建てていたよなあ。

でも宮本は続けてこう記している。

「柳田が古希を迎えたとき、戦争の慌ただしい中で柳田のために
隅田川に船を浮かべてもてなした。柳田はそれを心から喜んだ」

そして宮本に、
「柳田とはいつも一歩間隔を置いて甘えないようにすることだ。
自分は柳田先生から特別目を掛けられているというような
うぬぼれを持ってはいけない」とアドバイスしたという。

渋沢敬三は柳田国男より21歳も年下なのに。

渋沢さん、人間が出来過ぎてます!

私怨のあまり(笑)、柳田と聞いただけでムカッとくる私ですが、
それはさておき、
私がずっと気になっていたことがあります。

力石や力比べについてです。

このお二人、力石について何か書き残してくれていないだろうか。


※参考文献/「宮本常一著作集50 渋沢敬三」未来社 2008
※画像提供/「渋沢敬三 小さき民へのまなざし」川島秀一編
         アーツアンドクラフツ 2018

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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞