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「再会」

「力持碑」が富岡八幡宮に建立されて間もなく、
古谷野庫太郎が力持ち力士ら三人と共に、平原直の家へやってきた。

「念願の力持ちの復活や東京都文化財の指定を受けるきっかけになったのは、
みんな先生のおかげです。
そこで先生に因縁の深い力石を選んで贈呈することに決めましたので、
使者として参上しました」

そう言って古谷野は力石を二つ、平原に渡した。
神社仏閣へ奉納するときと同様に、体を塩で清め潔斎してきたという。

平原は著書に、そのとき古谷野が語った忘れられない言葉として、
こんなことを書き残している。

力石は神様ですから、金で売買することは絶対禁じられています。
力持ち力士は喧嘩口論や品格を汚すようなことをしてはいけない、
というもあります」

古谷野から贈られた力石(右の2個)と平原氏です。
左端の平らな石は京都山科で使われていた「車石」です。
これは車の車輪が土に嵌まらないよう地面に置かれていたもの。
20160103112356d4c (2)

写真右端の「再会」石のお話をしていきます。

古谷野によるとこの石は、
昔、秋葉原の丸通(日本通運)の店の前に転がっていた石で、
そのころ仲士(荷揚げの労働者)を雇うときこの石を持ち上げさせて、
その上げっぷりで賃金の多寡を決めたり、
採用不採用を決めたりしたものだという。

しかし戦争中、
米軍機による大空襲で店は焼け、石も行方不明になってしまった。
ところが戦後になって、秋葉原駅の改修工事で地面を掘り返したら、
土の中からこの石がひょっこり出てきた。

下の写真は、秋葉原駅近くを流れる神田川です。
かつてはこの土手沿いに、
飯田徳蔵が働いていた「神田川米穀市場」の倉庫群が並んでいた。
CIMG3870_20190225100223e5b.jpg

「石が出て来た」とのニュースはすぐ昔の力持ち仲間へ知らされた。
たちまち各地から仲間たちが集まり、石との再会を果たした。

私、思うのですが、何も刻まれていない石なのに、工事の人たちにも
力持ちのみなさんにもそれがあの力石だとわかったって、凄いですよね。
石への愛着がそれだけ強かったということでしょうか。

一つの石を囲んで筋骨たくましい男たちが石との再会を喜び合う。
その純真さ、優しさが心に沁みます。

その後彼らは、当時の駅長に「再会」と書いてもらい、
それを石に刻んだのだそうです。

そのときの「再会」石と古谷野庫太郎です。
DSC_6138 (2)

古谷野が、
「先生には一番因縁の深い力石です」と言って運んできたこの石は、
平原直が100歳で亡くなる平成13年(2001)までの40数年間、
自宅の庭で大切にされてきました。

そして、没後、その庭から、
今度は物流経済を学ぶ流通経済大学へと贈られることになったのです。


※参考文献/「物流史談ー物流の歴史に学ぶ人間の知恵」平原直
         流通研究社 2000
※画像提供/平原アルバム 流通経済大学所蔵 物流博物館保管

         
      ーーーーーお知らせーーーーー

力石を詠んだ俳句、短歌、川柳などの「作品を募集」しています。
これは私の力石の師匠・高島愼助先生からのお願いです。もちろん私からも。

高島先生は元・四日市大学教授。
伊東明・上智大学名誉教授の最後の弟子で、伊東先生が残していった
ぼう大な資料や各地の研究者たちの調査資料を長年にわたってまとめ、
その集大成した全国の力石を資料として完成させました。

大学退官直前、その資料のすべてを三重県立総合博物館に収蔵。
今回、募集する「力石を詠む(十)」は、先生、最後の本となります。

こちらは2年前に刊行した「力石を詠む(九)」です。
力石の写真と説明、みなさまから寄せられた句や歌で構成された
楽しい本です。ハードカバー。

img636_20190226104232567.jpg

募集の概略です。

● 一人でも多くの方に力石を知ってもらうことが出版の目的。
● 作品は力石を詠んだ俳句・短歌・川柳などで吟詠地があるものは併記。
● 作品提供者には本を謹呈。
● 作品は、「四日市大学高島研究室」のE-メールtakashim@za.ztv.ne.jpへお寄せください。
  上記の「四日市大学高島研究室」をクリックしてくだされば開きます。
  何作でも構いません。
● 作品集は三重県立総合博物館へ収蔵予定。

  伊豆巡る「ここだここだ」と力石(いし)が呼ぶ

なんていう私の迷句も載せていただいております。
上手な人もイマイチな人も力石クンのために、ぜひひと肌お脱ぎください。

みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

         ーーーーー◇ーーーーー

 興味深いブログを二つご紹介します。

● 安田和弘氏のブログ「山の彼方に」
 お住まいの川越市から各地へ通じていた「江戸道」「鶴岡道」「新河岸道」などの
 川の道や陸の道を、古地図を元に丹念に踏査したレポートです。
 
● 路傍学会・会長さんのブログ「路傍学会」
 庚申塔などの石造物を中心に、時代の片隅に追いやられた古い商店や
 江戸、明治、大正時代の橋や石垣の痕跡などに目をとめ、
 その存在を教えてくれるブログです。  
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5個が4個に、4個が5個に

=追記=

いつも拙ブログへ訪問してくださる「ひこばえ」の管理人さんの日向亮司氏が、
力石を紹介してくださいました。
日向氏は会社経営者。
ブログ記事から温厚なお人柄がうかがわれ、また、さりげなく詠まれる俳句から、
空の色、土の匂い、水辺の草や木々の移りゆく風情に染まる、
そんな川の流れのような清冽さをいつもいただいております。

※手こずっていた記事へのリンクの設定、出来ました!
 FC2さんに教えていただきました。
 私はコピーしたURLをそのまま貼り付けていたため、http://が二つになり、
 それで「このページは表示できません」になってしまいました。
 FC2さま、根気よく何度も対応してくださりありがとうございました。

   ーーーーーー◇ーーーーー

東京都江東区の富岡八幡宮のお話を続けます。

2018年11月4日の記事「旅する力石」で、
「力持碑」以外のもう一ヵ所に、力石が置かれていることを書きました。

下の写真がその場所です。

実はここの石、2003年には6個ありました。
ところが2012年に確認したら1個なくなって5個になっていた。
そのなくなった1個は、刻銘「つる乃子」で、
のちに紀文稲荷神社にあることを埼玉の研究者、斎藤氏が突き止めた。

つまり「つる乃子」は、いつの間にか「旅に出ていた」ってわけです。

この5個の力石の旅、このあとまだ続きます。
2018年11月になるとさらに1個減って、4個に。
その力石があったところにはぽっかり穴が…。

1富岡八幡石

ところがところが!
「旅する力石」を書いたその1か月後に、再び5個になっていた!

2富岡八幡

ひょっとして、
私のブログをご覧になった関係者の方が元へ戻してくださったのかも。
でもこのブログ、マニアックすぎて世間にあまり知られていないしなあ。
でもご覧になって戻してくださったのなら素直に感謝です。

この激しく「旅する力石」の隣りにあるのが「木場」と刻まれたコレ。
この右手奥に力石が見えます。

鉢富岡の木場手水

これは鳥居の台座とのことですが、
ここって、もしかして、いらなくなった石の捨て場?

だとしたら、なんだか悲しいなあ~

でも、嘆くばかりでは力持ちのみなさんに申し訳ない。
ここは一つ、元気な佐賀町睦会の方々の晴れ姿をお見せしなくちゃね。

下は「江東区公式チャンネル」の動画です。
粋な佐賀町の男たちは、8分15秒ごろから出てきます。

秋の木場公園での演技や文化センターでの新春公演、力持碑の清掃など、
力持ちの男たちの心意気をぜひ、ご覧ください



また、
「深川力持睦会」さんでは、Facebookで動画を公開しています。
昔の動画には、
「力持碑」に名を記した根本正平さん、鶴岡英雄さんなどが出て来ます。

相手との呼吸、間の取り方は実に見事。

これって、長い間に体で覚えなければ身につかないものなんだと思います。
これこそ、
スマホ相手の現代人が失ってしまった大切なものではないでしょうか。

「深川力持睦会」で検索すると、トップに出てきます。
こちらの動画もぜひご覧ください。


※動画提供/東京都江東区役所HP・公式チャンネル

孫が来る!

ただ今、某役所へ動画の使用許可をお願いしています。
ユーチューブに出ていたので許可はいらないかなァとも思いましたが、
やはりきちんとやっとこうか、と。

それでお返事待ちの間、世間話にお付き合いください。

先日、沖縄在住の息子から、5月に子供を見せに行きたいとの連絡。
孫は5歳と3歳。もう嬉しくて。張り切りましたです。
前から一度、大井川鉄道のトーマス号に乗せてあげたいと思っていたので、
さっそく計画を練りました。

でも、東京のもう一人のおばあちゃんも孫たちの訪問をお待ちかねです。
それに日程がトーマス号やSL運行と合わない。

そこで、当日は山の温泉宿へ泊まり、翌日は昔の森林鉄道のトロッコ電車を往復。
駅でSLやトーマスくんと対面とあいなりました。
モノレールしか走っていない沖縄です。喜んでくれますね、きっと。

本日は孫たちに本を送りました。

CIMG4656.jpg

昔、息子たちに読み聞かせた古い本です。
消毒を兼ねてきれいにしました。
錆びたホチキスにはテープを貼りました。

さすがに「かじや」さんが出てくるのは古すぎるので止めました。
発禁になった「ち○○○サ○○」も入れませんでした。

CIMG4660.jpg

新しい本も入れました。
もちろん、鉄道関係ばかりです。
好きだった「きかんしゃ やえもん」は本屋で新しいのが見つからず、
替わりに昔の本を入れました。

CIMG4662.jpg

ついでに、昔、息子たちのために作った私の手作り絵本も、
と思ったけれど、大きすぎて入らず断念。

CIMG4664.jpg

孫へのお菓子やお嫁さんの好きな遠州の干し芋、
息子のために「たたみいわし」もいれました。

で、いざ、近くの郵便局へ。

いつもは優しいお姉さん職員が厳しい顔で、
「危険物は入っていませんか? 爆発物があると危険なので」
「これは名護市のどのあたりの住所ですか?」
「本当に絵本とお菓子だけですか?」と念を押す。

以前、カナダへしょっちゅう送っていたときはなんにも聞かなかったのに、
沖縄、名護市と聞くと急に険しい顔になって、毎回、同じことを聞く。

徒歩3分のところに住み、いつも利用している顔なじみの私が、
住所も電話番号も書いて、爆弾なんて仕込みますか!

「警察や航空会社から厳しく言われているので」と、
お姉さん職員もつらそうだったけど、いい気持ちはしないよな。

ま、到着はあさって。みんな喜んでくれるかな!

大勢の人に支えられて

再び、富岡八幡宮の「力持碑」の裏面へもどります。

碑の裏面には根本正平や鈴木次郎などの佐賀町の力持ちのほかに、
年寄や世話人の名前も刻まれています。

こちらです。
裏面力持ち碑
東京都江東区・富岡八幡宮 

右赤丸は、
仕事上でも力持ちでも神田川(飯田)徳蔵の片腕だった羽部重吉です。

より神田川徳蔵孫 (2)

東京大空襲で焼け出された徳蔵は、この重吉の家に身を寄せ、
一人息子の定太郎が戦地から帰ったのを見届けた直後、急死してしまいます。

真ん中の四角の中は、右から、
日本通運・秋葉原支店の支店長(か?)の直江永二郎

その隣は徳蔵の息子の飯田定太郎です。

定太郎3 (4)

力石による力持ちの第一人者だった父・徳蔵を尊敬しつつ、
その徳蔵が敷いたバーベルへの道へ進みました。
そして、明治大学ウエイトリフティング部の創設に尽力。

定太郎の隣りは、当時の東京教育大学教授の太田義一です。
太田先生は昭和27年に、「力石」を初めてアカデミックな場に取り上げて、
その後の研究への道を開いた人です。

左端の赤丸は日本通運に勤務ののち、物流の機械化に取り組み、
「物流の父」と称えられた平原直です。
力持ちの伝統技術を後世に残そうと、文化財指定に奔走されました。

DSC_6125 (2)

世話人としてほかに、
後藤新一、田村千代治、渡邊徳三の名がありますが、
どういう方々だったのか不明です。

※埼玉の研究者、斎藤氏より情報をいただきました。

田村千代治は、
「明治百年記念」碑に町内会役員として刻銘。地元有力者。
この碑は明治百年を記念して昭和43年に、
深川稲荷神社(清澄)に建立されたもの。

渡邊徳三は、
紀文稲荷神社(江東区永代)に「新生 渡徳 持石」
八大龍王社(中央区日本橋箱崎町)に「大江戸 さが町 渡徳」
この二つの力石を残した力持ちで、地元有力者。
        
下部に刻まれた協賛企業の名もここに書き上げておきます。
みなさまの心当たりの会社があるかもしれませんね。

●日本郵船 ●澁澤倉庫東京支店 ●東京倉庫 ●帝国倉庫 ●富士倉庫運輸
●三菱倉庫東京支店 ●三井倉庫東京支店 ●安田倉庫東京支店
●日本運輸倉庫 ●菱光運輸 ●渡邊運輸 ●千代田運輸 ●東邦港運

●九八倉庫 ●辰巳倉庫 ●結城倉庫 ●片倉倉庫 ●郵船運輸
●小川運輸 ●清州運輸 ●三栄商会 ●京極社 ●福島企業
●郵船倉庫現場一同 ●三浦利助 ●大谷重工業
  (株式会社略)

碑には、この3年前、秋葉原駅近くの広場で「誉れの力石建立祭」を主催した
古谷野庫太郎の名前が見当たりません。

それがちょっと気になります。


※碑の判読/斎藤氏

チョイダー、サッチャー

江東区の「古老が語る」での鈴木次郎、根本正平の話を続けます。

学校出てすぐこの職業に?の質問に、

次郎「そうですね」
正平「あたしは18年ぐらいまで船にいたんだけど、親父が病気になって。
    それで、少しすけて(助けて)やんなくちゃって。
     それであたし、渋沢倉庫へ入ったんです」

その正平さんの談話が、「澁澤倉庫百年史」(平成11年)に残されています。
昭和51年の聞き取りで、肩書は「元作業員取締」。
社史の性質上か、談話は品よくまとめられていて少々味気ない。

「古老が語る」の中の遊郭話では、

「労働者じゃ身請けする金ねえから、
馴染みんなっちゃうと年があけるのを待って、一緒になっちゃう。
妓と心中しちゃった奴もいるしね」
と、あけすけで、おおらかな正平さんだったんですけど。

次郎「力持ちは、文化・文政のころからあるようですね。
    米の倉庫なんかに働く人が、力自慢にやり出したのでしょう。
    あたしがやりだしたのは18、9からです。
    仕事は午後3時ぐらいに終わっちゃうので、力持ちの稽古をやった」

正平「あたしも。余技に仲間に入れてもらったわけです」

次郎「仕事ではね、船に1尺2寸(約36㎝)ぐらいの”歩み板”おいて、
    拍子取りながら(米俵を)担いで駆け上がったもんです」

正平「歩み板はしなっているから、足が楽なんですよ。
    じかに地べたを歩くより能率があがるわけです」

これが朝日新聞の記事ではもっと素を出しています。

「あのころの力持ちって、そりゃ荷役の男たちよ
なに、毎日の仕事が訓練といえば訓練さな。
古いはんてんを肩にひっかけ、ここに100キロもんのシャム米や砂糖をのせる。
で、それが地面を歩くんじゃねえ。八寸幅の歩み板の上だ」

「歩み板を渡して袋の山に登る。板がしなってゆっさゆっさ揺れる。
腰で拍子をとって、肩というより首で担ぎあげる。
チョイダー、サッチャー
掛け声にのせられて、出足がつく」

「古老が語る」には、飯田徳蔵がいた神田川の話も出てきます。

神田川米穀市場傘下の荷揚げ業「飯定組」の主要メンバーです。
前列は初代親方の飯田定次郎。後列左は1の子分・羽部重吉
右が2代目親方の神田川徳蔵こと飯田徳蔵です。

より神田川徳蔵孫

正平「神田川は倉が小さかったから梯子(はしご)をたぐってあがるわけです」
次郎「三三(さんさん)の倉といって、三間三間の倉。
    とまりも低い、倉も小さいから梯子の方がいいわけです。
    神田川はもう、力持ちはなくなっちゃった」

力持ちの「神田川一派」を率いていた飯田徳蔵は、
戦後まもなく急死。職場も空襲で焼かれて廃止となり、
神田川の力持ちは消えてしまいます。

それを惜しみ、
当時、日本運輸倉庫の現場監督だった古谷野庫太郎が開いたのが、
昭和29年の「誉れの力石建立祭」だった。


※参考文献/江東ふるさと文庫「古老が語る江東区のよもやま話」
        江東区総務課 昭和62年
        /「下町」朝日新聞東京本社社会部 昭和53年
※写真提供/飯田徳蔵子孫
※情報提供/斎藤氏

「ふるしき」

ただの田舎で育った私には、東京の下町がなんとも輝かしく見える。
独特の言葉遣いといい気風といい、なにより気取りがないのがいい。

佐賀町の力持ち、根本正平さんと鈴木次郎さんのお話、
江東区が発行した「ふるさと文庫・古老が語る」からお借りして、
もう少し続けます。

昭和62年の発行なので、正平さん72歳次郎さん78歳のとき。
今なら「古老」とはいえない年齢ですね。
ちなみに正平さんは大正4年生まれ、次郎さんは明治42年生まれ。

こちらは「力持碑」に置かれた力石です。正平、次郎の名が刻まれています。
CIMG0784 (2)
東京都江東区・富岡八幡宮

右端が「白玉」 昭和15年の奉納です。
正平次郎芳郎英雄の名があります。「英雄」は谷英雄
「五杯箱」という難しい曲持ちができたただ一人の人。

箱を3,4,5個と積み上げ、その上に俵を乗せる技です。
3杯(個)あげたら「3杯箱」、4杯なら「4杯箱」です。
谷英雄はこれを5杯もあげた。

左は昭和30年代、右は平成27年の箱の演技。
DSC_6189_2019020410585679a.jpg CIMG2470 (2)

石の説明を続けます。

真ん中は「宝」 次郎末吉が持ち、世話人に卯之吉
左端は「辰巳」 大正10年奉納。持ったのはカネちゃんこと津雪兼吉

        ーーーーーーーーーー

鈴木次郎「あたしの親父は利根川の高瀬舟の船頭だったんですよ。
       それが汽車やなんかができて高瀬がだんだんになって。
       で、若いとき東京へ出て来て、鈴泰(すずたい)回漕店で
       船に乗って仕事をしていたわけなんですよ」
根本正平「あたしの生まれたところはね、中之橋のほうだね。中川町」

二人とも私立の福島小学校出身。
寺子屋式で、夫婦者が二人で先生をやっていたそうです。

鈴木次郎「明治学校もあったんだけどね。貧しいとこの子はあんまり行かない」
根本正平「あたしら船頭の子ですからね。船住まい。だから遠くへ行っちゃうと
       学校へ来られないんですよ。
       それでも学校、あんまりうるさいこと言わなかった」
鈴木次郎「洋服着てる子はほとんどいなかった。袴ですねえ。
       ふるしき包みでねえ。ふるしきをここへ結わえて、
       それで暴れて歩ってんだから」

「ふるしき」

なんとも味のある響きです。

鈴木より六歳年下の根本のころは、ふるしきではなくカバンになっていて、
筆記用具も石盤からノートに変わっていた。


<つづく>


※参考文献/「江東ふるさと文庫④ 
         古老が語る江東区の町並みと人々の暮らし<上>」
         江東区総務部広報課 昭和62年
※画像提供/「平原直アルバム」流通経済大学所蔵 物流博物館保管
※情報提供/斎藤氏

ピシッと鋭い音が…

「力自慢が四人がかりで石を天に差し上げる。
石の下でカネちゃんが両手を突き上げ、手のひらをいっぱいに広げる。
そこに、四人はそうっと石を下ろす。

支えの力を少しずつ抜いていく。仁王立ちのカネちゃん。
石は八本の手から離れきった。
瞬間、ピシッと鋭い音がした。

カネちゃんの筋肉がはじけるように鳴る音は、
腕から、ついには全身から聞こえた」

これは朝日新聞が1977年8月から12月11日まで東京版に掲載した記事、
「下町」の中の「力持ち」の一節です。

勝次郎15065487-s (6)

筋肉が鋭くピシッとはじける音がした」

五尺(約150㎝)そこそこの小男のカネちゃんが、
四十八貫(180Kg)の石を両手で受け止めた瞬間だった。

これを書いた記者さんの研ぎ澄まされた五感が捉えた肉の音
この「ピシッ」に圧倒されて、私は記事に釘付けになった。

この資料を探し当てて送ってくださった埼玉の斎藤氏も、
「凄い! そんな音が出るなんて初めて聞いた」と大興奮。

カネちゃんこと津雪兼吉。佐賀町力持ちの一人です。

「力持碑」の裏面の一部です。カネちゃんも名を連ねています。
img563_2019020121003679f.jpg
東京都江東区・富岡八幡宮 写真提供/斎藤氏

碑の表には揮毫者の山崎種二(山種証券創始者)、
裏面には力持ち力士、世話人など45人の名が刻まれています。
力士のほとんどは米穀倉庫の荷役従事者で、「深川力持睦会」所属。

ここでは主な人物をあげておきます。

黄色い四角の中は、右から、
副会長(のちに二代目会長)の鶴岡亀吉
初代会長の福士民蔵
力持ち代表(のちに三代目会長)の高橋菊蔵です。

青い四角がカネちゃんこと津雪兼吉

左端の赤い四角は亀吉の息子で、のちに会長になった鶴岡秀雄
黄色と白の四角の間は右から、根本宇平
宇平の弟の根本正平鈴木次郎

「力持碑」建立時、根本正平は42歳、鈴木次郎は48歳。
下の写真は、それから22年後の彼らです。

右から根本正平(64歳)、真ん中が鈴木次郎(70歳)、左端が鶴岡秀雄。

img585_20190202085330e34.jpg
「深川第10号」深川編集部 昭和54年

で、この3人、力持ちの文化財指定に尽力した
「物流の父」、平原直と並んだ写真も残しています。

先の写真から何年かあとの写真ですが、みなさん、かくしゃくとしています。

右から鶴岡、鈴木、平原、根本。
DSC_6183_20190201214750bdc.jpg
撮影年不明

朝日新聞で語る根本正平のセリフがまた小気味いい。

「米俵を二つも三つも一気に担ぐ。
一日終わりゃ、あぶら汗でシャツはまっ黄色。一貫目やせる。
いや、力があるわけじゃないんだ。
力をもみ出すのさ



※参考文献/「下町」朝日新聞東京本社社会部 朝日新聞社 昭和53年
※写真提供/「深川」第10号 深川編集部 昭和54年
        /「平原直アルバム」流通経済大学所蔵 物流博物館保管
※情報提供/斎藤氏
プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。今、「力石からバーベルへの道」を書いています。

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