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石でもごんせ俵でも

中村彌兵衛が持った石が、四世杵屋六三郎によって作曲され、
七代目市川團十郎によって舞踊化された「近江のお兼」。

その長唄の歌詞がこれ。

 
 「留めて見よなら菜種に胡蝶…… 色気白歯の團十郎娘

 力だめしの曲持ちは、石でもごんせ俵でも、ござれござれに指し切って

 五十五貫は何のその 

 中の字きめし若い衆も、女に出さぬ力瘤(こぶ)」



 「中の字」はもちろん、中村彌兵衛のことです。

CIMG0783 (3)
東京都江東区富岡・富岡八幡宮

清元「喜撰」のはこちら。

 「わっちもそんなら、きほい(気負い)肌 五十五貫でやら(ろ)うなら」

常磐津「松魚(かつお)買」のがこちら。

 「いさみ肌なる中ッ腹、五十五貫もなんのその」

まあ、知ったかぶって書きましたが、実は私、
長唄、清元、常磐津の違いなどトンとわからない。
だからこれみんな、福士民蔵の本からの引用です。

「深川力持睦会」初代会長の福士民蔵は、著書でこう語っています。

「彌兵衛、六三郎、團十郎の三人とも深川の関係者。
まさにこれは力石と江戸文学が直結した大事な資料です。
それを深川の富岡八幡宮に奉納したことは、
深川江戸時代の史蹟として最も意義あることと存じます」

この石は元から富岡八幡宮にあったものではなく、
豊島区雑司ケ谷の鬼子母神からの寄贈だそうです。

こちらは浅草・浅草寺にある彌兵衛の力石です。
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 「奉納 五十二貫目 深川八幡前 中村彌兵衛」

浅草寺にある鬼熊の「熊遊」碑です。
弥兵衛の石はここに置かれています。

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彌兵衛が持った石は現在、豊島区の法明寺や神奈川県寒川町の
一之宮不動堂など4ヵ所に5個確認されています。

團十郎や六三郎はその名声を長く後世に残しましたが、
力持ちの彌兵衛だけはどんな人だったか、今では知る人は誰もおりません。

「中の字」は、石だけ残して、
きれいさっぱりこの世から消えたのでございます。
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中村彌兵衛と近江のお兼

前々回、東京・富岡八幡宮の本社殿の西側に建立された
「力持碑」についてお伝えしましたが、
実は、碑周辺の全景はこんなふうになっているのです。

右が「力持碑」。左の一段高くなった中央の石は有名な「五拾五貫」の力石です。
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この「五拾五貫」の石は、
「力持碑」の建立より3年前の昭和29年に奉納されたものです。

その経緯(いきさつ)を詳細に書き残してくださったのが、
「深川力持睦会」の初代会長・福士民蔵です。
その福士氏の私家本をお借りしてこの石について述べていきます。

下の写真は、冨岡八幡宮に寄贈された当時の「五拾五貫」石です。
現在よりも低い位置に置かれていて、周囲にはまだ他の力石はありません。

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石の刻字です。

「奉納 五拾五貫目 深川八幡前 中村彌兵衛」

福士民蔵は著書にこう書いています。

「この力石は江戸時代の文化文政期に、
富岡八幡前に住んでいた力持ちの中村彌兵衛が持った力石で、
それがたまたま四世杵屋六三郎によって作曲され、
七代目市川團十郎によって、女力持ちの近江のお兼として
舞踊化されたものであります」

「文化十年(1813)、江戸森田座六月狂言に七代目團十郎が、
新作「閨玆姿八景」(またここにすがたのはっけい)という八変化の舞踊、
近江のお兼に扮して踊りました。
時に團十郎、二十二歳」

回向院での見世物興行「貝細工」に描かれた「近江のお兼」です。
この貝細工「近江八景」は六曲一双の屏風で、高さ六尺(180㎝)もあった。
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「文政版見世物語」

お兼は鎌倉時代初期、近江国(滋賀県)にいた遊女。
大変な力持ちで、誰にも止められなかった暴れ馬を、
片足で手綱を踏んで止めたという話が残っています。

そのためお兼の絵には、必ず馬が登場します。

こちらは鏝絵(こてえ)の名人、
伊豆出身の入江長八が制作した「近江のお兼」です。

暴れ馬を尻目にうちわを手にして、優雅に空を仰いでいます。

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漆喰(しっくい)芸術「伊豆の長八美術館」(静岡県賀茂郡松崎町)所蔵。
この絵は同館販売の絵葉書より転用させていただきました。

漆喰(しっくい)とは、消石灰を主原料にした日本古来の壁材料のこと。
この材料を鏝(こて)につけて壁を塗っていきます。

入江長八は文化12年、伊豆・松崎に生まれた左官職人でした。
その商売道具の鏝から生まれたのが鏝絵(こてえ)です。
この美術館には長八の代表作が約50点収蔵されています。

静岡市には長八より少し遅れて出た鏝絵師の森田鶴堂がいました。
作品は静岡市の「不去来庵」(伊伝財団)の扉などに残されています。

「不去来庵」です。左右の扉に鏝絵が施されています。
img946.jpg

下の写真は、
扉に描かれている鏝絵「金剛力士像」です。見事です。

写真はいずれも「伊伝財団」の「不去来庵」パンフからお借りしました。

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鶴堂は、有名人の長八の陰に隠れて世に埋もれていましたが、
最近見出され、その作品と実力がようやく知られるようになりました。

で、私も、
ご近所の民家に埋もれていた鏝絵(こてえ)を見つけてしまいました。

これです。
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どうです。素敵でしょう?
日常の暮らしの中に生きている「鏝絵」です。

こういうものを大切にされているこの家の方に、拍手を送りたい!

お話、伝わったかな

力石のお話をしてきました。
場所は地元の特別養護老人ホーム。

最近は施設と地域のみなさんとの交流を深める催しが盛んですね。
このホームではひと月に一度、いろんな講師を招いているとのこと。
名付けて「さくらカフェ」

私もその一人としてお声を掛けていただいたのです。

初めて聞く「力石」なんてモノに興味も湧かないだろうなァと思っていたら、
常連さんを始め、たくさんの方がきてくれました。

さっそく、始まり始まり~。

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静岡市葵区東・麻機園

もうね、言葉で力石を説明するのは無理なので、
スライドショーのオンパレード。
ここの参加費はお菓子とコーヒー付きで100円。お茶は飲み放題です。

みなさんコーヒー飲みながらリラックス。
ですが、施設の地域連携担当のスタッフさんたちは大忙し。

スクリーンには徳蔵さんも力自慢の現代っ子たちも登場です。

tyoubamae_web.jpg CIMG0441 (4)

私が初めて他人様の前で話したのは、30数年前。
もう下手で下手で。思い出すと冷や汗です。

最近は心臓もバクバクしなくなり、立て板に水の如き話しっぷりで(笑)

でもやっぱりみなさんに受けたのは力石より地元の話です。

江戸時代末に駿河国を丹念に歩いて地誌を残した桑原黙斎という人がいて、
この人がここにも来ていたので、その足跡をたどりながら、
私が選んだ石造物をお目にかけました。

黙斎が描いたこのあたりの絵です。左上に「鈴石」、右中ほどに「肥付石」、
その下の「沼田」でお百姓さんが働いています。鈴石、肥付石の説明は後述。
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下の写真、
左は峠道の道標です。広大な湿地帯の村だったので峠道が発達しました。
ここはお嫁さんが来た「嫁っこ道」でもありました。昔の嫁入りは夜でしたから、
提灯の行列があのキツネの嫁入りみたいに見えたことでしょう。

右の写真は、全部「聞か猿」という珍しい青面金剛像です。
これは全国で唯一のもの。なので「私の大発見」と強調しておきました。
 
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「東海道中膝栗毛」に、この集落の艶めかしい尼さんが出てくる話や、
神社の屋根に座って魔物を追い払っている「四方睨み」の石の猿の話、
真言密教の修験者たちや山奥に残された
「不許葷酒山門入」=葷酒山門に入るを許さず=の石柱も。

「葷(くん)」とはニンニクやニラのような臭い食べ物のこと。
つまり「臭いものを食べたり酒臭いヤツは寺へ入るな」という意味です。

そして下の写真、私がこの地域で一番注目している板碑です。
板碑は鎌倉から室町初期に関東地方の鎌倉武士の間で大流行して、
あっという間に衰退した石の塔婆です。

それがこんな草深い田舎にあるなんて、信じられません。
でも土地の人たちはなんにも知りませんし調べません。もったいない。
阿弥陀三尊の種字が刻まれています。力のある武士が住んでいたはずです。

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石丁場(石切り場)の矢穴石もあります。
背後の尾根上がその丁場で、そこにも矢穴石が残されています。
切りり出したときのことが、江戸時代中期の名主日記に出てきます。

宝永地震で崩れた駿府城の石垣用に500個も切り出したのに、
1個も売れなかった。その売れ残りが神社の石段や石垣になっています。
ここは研究者にもほとんど知られていない石切り場なんです。

矢穴石です。大きな石に穴をあけて楔を打ち、ハンマーで叩いて割りました。
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尾根上の石切り場には「鈴石」という巨石があります。
「石神」「石亀」の字名から、神様が降臨した神聖な場所のはずなんですが、
やっぱり旧家の方々、ご存じありません。

また「七ツ天神」といって、太陽の移動と共に7か所の天神をめぐる
太陽信仰があったはずなんです。冬至の朝、この巨石「鈴石」の真上から
朝日が昇るはずなんです。「七ツ天神」は名称だけ残っていますが、
その意味を知る人は皆無といっていいほどです。

この地域はある時期、住民がそっくり入れ替わったと思うほど、
歴史の断絶があります。

平安初期の「蜻蛉日記」にも出てくる「肥付(こえつき)石」もあります。
この石に触ると足が腫れる「太足(ぼたあし)」になるという怖い石です。

「肥付石」です。
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桑原黙斎も、
「丘の上に黒漆を塗ったような毒々しい肥付石があった」と書いています。
今はこの先の切り通しにあった「延命地蔵尊」と共に、
特養とケアハウスの間にあって入居者さんに守られています。

「触ると太足になる」怖い石をここまで運んできた人、勇気がありましたね。

みなさんにお伝えしたいことがいっぱいあって、意気込み過ぎたせいか、
ちょっと慌ただしかったかな、と、ちょっぴり反省。

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以前、地元の人から、「誰の許可で(講演)やってんだ! 
新住民にここを勝手に引っ掻き回されては困る」なんて抗議を受けて絶句。
そのころの私は、北海道や東京、町での登山の講演ばかりだったし、
ただの言いがかりと思うもののこの平成の時代に、とかなりびっくりした。

でも世代交代も進み、人口の9割が「よそモン」の新住民になったので、
心置きなく地元で「地元の話」ができるようになりました。

さて、この日のお話は1時間半もの長丁場。
「休憩をとりましょうか」とお聞きしましたが、続けて欲しいとのことで続行。
終了後、地元の方から質問やら昔話やら…。

嬉しかったのは、昨年、私の話を聞いて、
「すぐ矢穴石や刻印のある石を見てきた」との報告があったことです。

このたび、ここに呼んでくださった施設のAさん、
そして熱心にお聞きくださったみなさん、ありがとう!

力持碑

「力石建立祭り」から「力持ち復活」、
続いて、深川佐賀町の「江戸式力持愛好会」が文化財指定を受けるなど、
コトはトントン拍子に運んだ。

これを機に「力持愛好会」は、名称を「深川力持睦会」に変更。

そして今度はこれを記念した「力持碑」の建立の話が持ち上がり、
文化財指定の翌昭和32年、多くの支援者の尽力で、
富岡八幡宮の本社殿西側に立派な碑が立てられた。

これがその「力持碑」です。
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東京都江東区富岡・富岡八幡宮

碑文
「東京都無形文化財 力持碑                
                        山崎種二謹書 

碑の揮毫者の山崎種二氏は、米と株の相場師で「山種証券」の創始者です。
趣味は日本画蒐集。作品は現在、山種美術館に収蔵。

碑の由来、少し長くなりますがここに全文を載せます。
読みやすいように適当に区切りました。

力持は昭和三十一年十一月二十四日、無形文化財に指定され、
現在「木場の角乗り」とともに、江東区が誇る郷土文化財である。
この力持の技芸は深川佐賀町を中心として、
その周辺に江戸時代より伝わるもので、

その沿革は文献には乏しいが、当時、國持大名が自領の藩米を
江戸へ廻送して之れを浅草蔵前の札差(ふださし=米問屋の仲買)に託して
処理したもので、札差による米穀倉庫業の発達繁栄に伴ひ、
これに従事する者の余技とする力自慢の技に、江戸の下町趣味の芸能と、

更にスポーツ的娯楽の加味されたのが現在の力持の曲技で、
明治以後においても隅田川の東西河岸の倉庫や問屋などで、
その従業員達の間で盛んに行われてきたが、時代の変遷で衰退した。

しかし近年漸く(ようやく)この力持の技芸を復興させようとする機運が
次第に高まり、深川力持睦会が組織されたのである。

初代会長 福士民蔵 二代目会長 鶴岡亀吉 三代目会長 高橋菊蔵

初代会長の福士民蔵は郷土史家。
鶴岡亀吉さんは詳細不明。でも鶴と亀だなんて縁起がいい。

三代目の高橋菊蔵は紀文稲荷神社の「山水」石を始め、
5個の力石を残した力持ちです。

富岡八幡宮です。
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ここの神社で有名なのがこれ。
ドカンと重厚な「横綱力士碑」です。

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こちらは人影もまばら。
碑も文字も弱気な「大関力士碑」です。

CIMG0795 (2)

※本日は講演です。力石と地元の石造物の話をしてきます。
 うまくお話できますよう、みなさん、応援していてくださいね。

力持ち、文化財になる

=追記=

ブログ「山の彼方に」の管理人さんの安田氏が力石を紹介してくださいました。
どうぞご覧ください。
リンクの表示、何度やっても失敗。
もうしわけありませんが、リンク蘭からお入りください。

    ーーーーー◇ーーーーー

紀文稲荷神社の祭礼で、復活を確固たるものにした佐賀町の力持ちたちは、
翌昭和30年、
今度は日比谷公会堂での「第四回東京都郷土芸能大会」に出場。

これが認められて、翌31年、
「東京都無形民俗文化財」指定という快挙を果たします。

当時はバーベルを使ったウエイトリフティングでさえ、
「ただ馬鹿力を出すだけのもの」と蔑視されていた時代です。
それが「文化財」として認められたのですから、
どんなに嬉しかったことでしょう。

会の名称も「深川力持睦会」と変えて旗揚げ。

DSC_6186.jpg

ここから彼らの熱演をとくとご覧ください。
昭和30年当時の「睦会」の方々です。

「箱受け」と「長柄受け」です。(と思うのですが…。心もとなくてすみません)

DSC_6189.jpg DSC_6195.jpg

米俵の片手差しとござい」     「かたや酒樽の両手差しでござりまする」

DSC_6198.jpg DSC_6199.jpg

腹の上に米俵と舟と酒樽と人を乗せた「腹受け」です。

「もう命がけですわ」

DSC_6200.jpg DSC_6203.jpg
 
江戸の昔から営々と築いてきたこの伝統を、
ついに文化財として認めさせた功労者の一人に
「物流の父」と言われた平原直氏がいました。

その平原氏と「深川力持睦会」の方々です。

DSC_6183.jpg

功労者の中に、深川郷土史の研究者で、「睦会」初代会長の
福士民蔵という方がおられたそうですが、
詳細をご存知の方、ご一報いただけたら嬉しいです。
弟さんは民衆詩人の福士幸次郎氏とのことです。

私は2015年、やっと「深川力持睦会」の名演技を見ることができました。
演技を終了したばかりのメンバーさんたち、
快く写真撮影に応じてくださいました。

CIMG2494_20190113090103b5f.jpg
東京都江東区・木場公園。「江東区民祭」にて。

こうして伝統が受け継がれていくのはすごく嬉しいです。
ですが、
力石の登場がなかったのが、チト寂しい。 


※画像は平原直撮影、流通経済大学所蔵で現在、物流博物館に保管。

佐賀町の力持ちたち

「神田川徳蔵物語」に戻ります。

古谷野庫太郎の「力石建立祭り」をきっかけに、
かつての力持ち仲間の間で、力持ち復活への機運が生まれます。

その中心にいたのが深川佐賀町の力持ちたちです。
昭和29年に「江戸式力持愛好会」を結成した彼らは、
その年の6月、紀文稲荷神社の祭礼で力持ちの秘芸すべてを公開。

そんな彼らが残していった力石群です。
2斎藤保夫撮影
東京都江東区永代・紀文稲荷神社

大活躍した根本宇平、根本正平の「大判」(右)と
高橋菊蔵の「山水」(左)です。

4斎藤保夫撮影

「江戸の華 五人持ち」(布袋の川越し)です。
演者は、
根本正平、藤井熊吉、秋元末吉、山崎万平、井原浅吉、鈴木次郎。

DSC_6202.jpg

「山水」石に名を残した高橋菊蔵は、「俵筆文字書き」を披露。

こちらは明治の力持ち・本町東助の「俵筆文字書き」です。
菊蔵さんもこんなふうに書いたのでしょうね。

img101 (3)
「酔うて候 河鍋暁斎と幕末明治の書画会」
成田山書道美術館・河鍋暁斎記念美術館 思文閣出版 2008

ここにはこんな石もあります。
形が「なまこ」に似ているところから命名された「なまこ」石です。
昭和34年の新しい力石で、力持ちの名は「吉五郎」。

3斎藤保夫撮影

下の動画は、平成を代表する力持ち・大江誉志さんです。
大江さんは姫路市で、明治初年に一人しか上げられなかった石、
「上がらずの石」を150年ぶりに上げた人です。

岐阜在住で「東海力石の会」を主宰。

石上げの実際をご覧ください。

大江さんの雄姿と、徳蔵や古谷野、佐賀町の力持ちたちの姿が重なります。
往年の力持ちたちも、きっとこんなふうに力石を担いだのだと思います。


石川県小松市・白山神社

どうぶつえ~ん!

タイ・サファリワールドから静岡市立日本平動物園へやってきた
シロクマ「バニラ」ちゃんの、タイから日本までの輸送の動画があります。



ーーーーー◇ーーーーー

行ってきました。「日本平動物園」 (静岡市駿河区池田)
何年ぶりかなあ。

本日は水中の動物館ばかりを回りました。

「ペンギン館」です。
CIMG4628.jpg

この坊や、両手をいっぱい広げてペンギンを捕まえようとしますが、
ガラスがありますものねえ。

ゴマフアザラシです。
「ズズズズーッ。下へまいりまァ~す」

CIMG4606.jpg

「今度は昇りアザラシでござい。ポワ~ン」

CIMG4605.jpg

「またまた下りま~す。ズズズーッ」

CIMG4603.jpg

「またまた昇りま~す。
ポヨッ! 坊ちゃん嬢ちゃん、また会いましたねえ。
昇ったり下ったり、もうおもしろくて病み付きですワ」

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「シロクマ館」です。
おいおい、いきなり足のお出迎えですか。

ロッシ―の巨大な後ろ足です。
CIMG4594.jpg

ロシアからやってきた「ロッシ―」とロッシ―のお嫁さん「バニラ」です。
バニラはタイのサファリワールドからやってきた若さはじける美人さん。。

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「おっ! ガキらが”こっちへ来てェー”なんて騒いでるぞ。
しゃあない。お正月だもんな。特別に大サービスしてやるか」

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「よい子のみなさん、こんにちは!
今年も元気にがんばれよ!」

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たぶんこのクマさんが「バニラ」。ロッシ―より一回り小さくて色白です。
おまけ。
雪と遊ぶバニラです。

CIMG4613.jpg

    ーーーーー◇ーーーーー

※ウキウキ出かけた動物園。
 でも本年の初怒りです。しずてつバスに怒、怒ーっ!
 満員の日本平ロープウエイ行き。走り出してから14,5分たったころ、
 外国人観光客の喧騒の中で切れ切れに聞こえてきた運転手の声。
 「誰も降りる人がいないようなので日本平へ直行します」

 私、慌てましたよ。急いで運転手の元へ。
 「えっ」と迷惑そうな顔で、「一人いたので寄ります」とアナウンス。
 なんだか乗客の目が私に突き刺さる。
 そこから二つ目の東静岡駅バス停では15人程乗り込んだ。
 なんと、この人たち全員、私と同じ動物園入口で降りたのです。
 
 東静岡駅のバス停は本線から離れた奥へ入ったところにあります。
 直行していたら、私は日本平山頂まで連れて行かれ、
 この人たちは乗ることすらできなかった。
 バスが遅れて急いでいたとしても、ちょっとひどくない?

 ゴマフアザラシくんやシロクマさんが、水中から言っていたような…。
 「いやなことは水に流して、今日一日楽しんで行ってチョ」 

新年、おめでとうございます

春を迎えて


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本年もよろしくお願いいたします。


近所のおじさん作。ウリ坊も作りました。
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「ケガすると可哀そうだから靴履かせたよ。ワッハッハ」とおじさん。

これは後ろ足。
CIMG4585.jpg

孫の靴を履かせられたイノシシ君。
今年一年、がんばってくださいね!

でも畑を荒らすのはほどほどに。
プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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