年の終わりに
ごあいさつ
本年も私のつたないブログをお読みくださり、ありがとうございました。
「力石」という時代遅れの「マイナー」な庶民文化を、
多くのみなさまに知っていただき感謝しております。
「神田川徳蔵物語」は思いのほか長期連載になりまして、
本年度中に終る予定でしたが、あと数回来年に持ち越すこととなりました。
みなさまにとりまして、来年もまた実り多い年になりますよう念じつつ。

=この一年に思ったこと=
力石はすべてを人の力に頼った時代に、若者たちに使われた石です。
米市場では力石を採用試験に使ったそうです。
つまり石を上げられたら合格、上げられなかったら不採用というわけです。
袖の下も口利きも通用しない実力のみの、なんともわかりやすい方法です。
しかし、重い荷を担ぐ労働は苛酷です。
その苛酷さから労働者たちを解放したのが「機械化」でした。
でも私は思うのです。
「機械化」「合理化」「効率化」で人々は本当に幸せになったのか、と。
これが行き過ぎて、
むしろ人々は生きがいも夢も仲間も失ってしまったのではないか。
「機械」を操る人間と操られる人間とに二極化して、
操られる人々はただのロボットにされてしまったのではないか。
自殺者は毎年約3万人。無職の若者が自暴自棄になって法を犯す。
一生懸命働いても食べていけない。結婚や子供を持つこともできない。
米作り日本一の農家が米では暮らせず、タクシードライバーになった。
私の住む小さな地域にも「こども食堂」ができました。
国をけん引する人たちが高級料亭で過ごし、大災害の夜、大はしゃぎした陰で、
子供たちは周囲の善意で細々と生をつないでいる。
今の日本は何かおかしな方向へ行きつつあるのではと不安にかられます。
鳶・大工・石屋・仲士などの職人たちや全国の農山村漁村の若者たちは、
低くともそれぞれのテッペンをめざして仕事の腕を磨いた。
荷揚げ仲士の神田川徳蔵は、役員になっても部下たちと力石を楽しみ、
その力石をバーベルに持ち替えて、日本の重量挙げに多大な貢献をした。
「自分の力量以上の荷を担いでそれを誇りにしていた」という荷揚げの人たち。
腕を磨けば評価されるという夢があったからこそ、
体が変形してもみんながんばった。
新助・喜八コンビの力石です(寛政六年)。

東京都港区白金・立行寺。斎藤氏の新発見703個のうちの一つ。
今、国会は誠実な議論の場でなくなりました。
自治が機能していた中世の村にも劣る状態です。
エリート議員が生活保護者への攻撃に在日外国人をやり玉に挙げたけれど、
生保受給者の98%は日本人であることをご存知なかったのでしょうか。
沖縄・普天間基地のグァムへの移転費用を日本は7000億円負担。
なのに辺野古の基地化を進めている矛盾。
命の水や農作物の種子の使用まで多国籍外国資本に売り渡す。
利潤だけを追求する民間企業へ「命」を差し出されてはたまりません。
ことに図書館の民営化など言語道断。焚書の時代になります。
国と国民を守るはずの政治家たちが率先して、
自国を植民地化しているように思うのは考えすぎでしょうか。
下の写真は、神社本殿の屋根に座って、
四方八方から押し寄せる魔物や災いを防いでいる
「四方睨みの猿=魔去る・魔猿」です。
もう何百年も、こうして一生懸命この土地と人々を守ってくれています。

指先だけでPCやスマホを動かして仮想世界に生きる今の若者たちには、
自分の力だけで力石に挑んだ昔の若者たちが、
単純でおバカさんに見えるかもしれません。
でも彼らは、現実の世界にしっかり立って自分自身を生きた。
社会もまた、そういう彼らをしっかり受け止めた。
そして、彼らの多くが今にご子孫を残しているのは、
身も心も健全で豊かであったからこそと、私は思っております。
新しい年が誠実で憎悪を生まない社会であらんことを!
はるか福島の汚染地帯から、中部地方の団地のひと部屋に逃れてきた
一人ぼっちのご老人やこちらでご主人を亡くされたご婦人たちに、
一日も早く笑顔が戻りますよう祈りつつ。
「力石」という時代遅れの「マイナー」な庶民文化を、
多くのみなさまに知っていただき感謝しております。
「神田川徳蔵物語」は思いのほか長期連載になりまして、
本年度中に終る予定でしたが、あと数回来年に持ち越すこととなりました。
みなさまにとりまして、来年もまた実り多い年になりますよう念じつつ。

=この一年に思ったこと=
力石はすべてを人の力に頼った時代に、若者たちに使われた石です。
米市場では力石を採用試験に使ったそうです。
つまり石を上げられたら合格、上げられなかったら不採用というわけです。
袖の下も口利きも通用しない実力のみの、なんともわかりやすい方法です。
しかし、重い荷を担ぐ労働は苛酷です。
その苛酷さから労働者たちを解放したのが「機械化」でした。
でも私は思うのです。
「機械化」「合理化」「効率化」で人々は本当に幸せになったのか、と。
これが行き過ぎて、
むしろ人々は生きがいも夢も仲間も失ってしまったのではないか。
「機械」を操る人間と操られる人間とに二極化して、
操られる人々はただのロボットにされてしまったのではないか。
自殺者は毎年約3万人。無職の若者が自暴自棄になって法を犯す。
一生懸命働いても食べていけない。結婚や子供を持つこともできない。
米作り日本一の農家が米では暮らせず、タクシードライバーになった。
私の住む小さな地域にも「こども食堂」ができました。
国をけん引する人たちが高級料亭で過ごし、大災害の夜、大はしゃぎした陰で、
子供たちは周囲の善意で細々と生をつないでいる。
今の日本は何かおかしな方向へ行きつつあるのではと不安にかられます。
鳶・大工・石屋・仲士などの職人たちや全国の農山村漁村の若者たちは、
低くともそれぞれのテッペンをめざして仕事の腕を磨いた。
荷揚げ仲士の神田川徳蔵は、役員になっても部下たちと力石を楽しみ、
その力石をバーベルに持ち替えて、日本の重量挙げに多大な貢献をした。
「自分の力量以上の荷を担いでそれを誇りにしていた」という荷揚げの人たち。
腕を磨けば評価されるという夢があったからこそ、
体が変形してもみんながんばった。
新助・喜八コンビの力石です(寛政六年)。

東京都港区白金・立行寺。斎藤氏の新発見703個のうちの一つ。
今、国会は誠実な議論の場でなくなりました。
自治が機能していた中世の村にも劣る状態です。
エリート議員が生活保護者への攻撃に在日外国人をやり玉に挙げたけれど、
生保受給者の98%は日本人であることをご存知なかったのでしょうか。
沖縄・普天間基地のグァムへの移転費用を日本は7000億円負担。
なのに辺野古の基地化を進めている矛盾。
命の水や農作物の種子の使用まで多国籍外国資本に売り渡す。
利潤だけを追求する民間企業へ「命」を差し出されてはたまりません。
ことに図書館の民営化など言語道断。焚書の時代になります。
国と国民を守るはずの政治家たちが率先して、
自国を植民地化しているように思うのは考えすぎでしょうか。
下の写真は、神社本殿の屋根に座って、
四方八方から押し寄せる魔物や災いを防いでいる
「四方睨みの猿=魔去る・魔猿」です。
もう何百年も、こうして一生懸命この土地と人々を守ってくれています。

指先だけでPCやスマホを動かして仮想世界に生きる今の若者たちには、
自分の力だけで力石に挑んだ昔の若者たちが、
単純でおバカさんに見えるかもしれません。
でも彼らは、現実の世界にしっかり立って自分自身を生きた。
社会もまた、そういう彼らをしっかり受け止めた。
そして、彼らの多くが今にご子孫を残しているのは、
身も心も健全で豊かであったからこそと、私は思っております。
新しい年が誠実で憎悪を生まない社会であらんことを!
はるか福島の汚染地帯から、中部地方の団地のひと部屋に逃れてきた
一人ぼっちのご老人やこちらでご主人を亡くされたご婦人たちに、
一日も早く笑顔が戻りますよう祈りつつ。
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