「浦しま 五十六メ目」
神田川徳蔵物語
前回、物流の平原直と力持ちの古谷野庫太郎が、
戦後の昭和28年、秋葉原駅近くにあった日本運輸倉庫前で、
初めて会った話をしました。
そのとき撮影した写真に気になる石がありました。
こちらです。

左の石には「五十六メ目」の刻字があります。
古谷野の「銘石調帖」には、こう書かれています。
「浦しま 五十六メ目
郵船 浦島丸 船頭名不明 箱崎へ」
「浦島丸」って、もしかしたら、これでしょうか?
「浦島丸」 大正14年(1925)進水。冷凍・冷蔵運搬船。
横浜船渠(株)建造、東京湾汽船(株)
昭和5年(1930) 東京・伊勢常商店へ売却。
昭和17年(1942) 相沢喜一郎(東京)へ売却。
昭和22年(1947) 船名録に抹消予定と記載。
古谷野が「箱崎へ」と記した「箱崎」とは、「日本橋箱崎町」のこと。
ここは隅田川にかかる清州橋と永代橋の間にあった島で、倉庫群が並んでいた。
そしてこの島には対岸の佐賀町同様、船頭が大勢住んでいた。
※昭和51年に川が埋め立てられて、箱崎町は陸続きになった。

古谷野が「銘石調帖」に書き添えた「郵船」が「日本郵船」のことなら、
この箱崎町には日本郵船の倉庫がたくさんあったので、
「浦島丸」はこの会社の船だったのかもしれません。
古谷野自身がこの界隈の船頭の子だったから、
「浦島丸」についてはよく知っていたと思われます。
また佐賀町は、現物正米の取引所があったところなので、
神田川米穀市場同様、米俵を担ぐ荷役労働者がたくさん働いていました。
平原が力持ちに興味を持つきっかけとなった「神業の腕を持つ冨虎」や、
同じ「虎」名を持つ「飯虎」もまた、
佐賀町、箱崎町で荷担ぎとして働き、その名を石に残した人物です。
飯虎の力石です。
左は故・伊東明上智大学名誉教授のスケッチによる「虎峯」
右は「瓢石」(白矢印)

東京都中央区日本橋箱崎町・八大龍王社元宮。 江東区富岡・富岡八幡宮
「虎峯 さが町 飯虎持石」
「瓢石 佐賀町 菊蔵 箱崎町 飯虎」
残念ながら、
先の「浦しま 五十六メ目」石には、これを持った力持ちの名がありません。
「箱崎へ」と書かれているところから、
日本郵船の倉庫か、郵船と縁の深い神社へ運ばれたはずですが、
現在、この石の所在は不明です。
「浦島丸」やこの石にお心当たりのある方がいらっしゃったら、
ぜひ、ご一報をお願いいたします。
右の「福住」石については次回。
※画像提供/流通経済大学・物流博物館
/「東京都中央区の力石の調査・研究」伊東明
上智大学体育・第18号 1985
※参考文献/ネット「なつかしの日本の汽船」
文中敬称略
戦後の昭和28年、秋葉原駅近くにあった日本運輸倉庫前で、
初めて会った話をしました。
そのとき撮影した写真に気になる石がありました。
こちらです。

左の石には「五十六メ目」の刻字があります。
古谷野の「銘石調帖」には、こう書かれています。
「浦しま 五十六メ目
郵船 浦島丸 船頭名不明 箱崎へ」
「浦島丸」って、もしかしたら、これでしょうか?
「浦島丸」 大正14年(1925)進水。冷凍・冷蔵運搬船。
横浜船渠(株)建造、東京湾汽船(株)
昭和5年(1930) 東京・伊勢常商店へ売却。
昭和17年(1942) 相沢喜一郎(東京)へ売却。
昭和22年(1947) 船名録に抹消予定と記載。
古谷野が「箱崎へ」と記した「箱崎」とは、「日本橋箱崎町」のこと。
ここは隅田川にかかる清州橋と永代橋の間にあった島で、倉庫群が並んでいた。
そしてこの島には対岸の佐賀町同様、船頭が大勢住んでいた。
※昭和51年に川が埋め立てられて、箱崎町は陸続きになった。

古谷野が「銘石調帖」に書き添えた「郵船」が「日本郵船」のことなら、
この箱崎町には日本郵船の倉庫がたくさんあったので、
「浦島丸」はこの会社の船だったのかもしれません。
古谷野自身がこの界隈の船頭の子だったから、
「浦島丸」についてはよく知っていたと思われます。
また佐賀町は、現物正米の取引所があったところなので、
神田川米穀市場同様、米俵を担ぐ荷役労働者がたくさん働いていました。
平原が力持ちに興味を持つきっかけとなった「神業の腕を持つ冨虎」や、
同じ「虎」名を持つ「飯虎」もまた、
佐賀町、箱崎町で荷担ぎとして働き、その名を石に残した人物です。
飯虎の力石です。
左は故・伊東明上智大学名誉教授のスケッチによる「虎峯」
右は「瓢石」(白矢印)


東京都中央区日本橋箱崎町・八大龍王社元宮。 江東区富岡・富岡八幡宮
「虎峯 さが町 飯虎持石」
「瓢石 佐賀町 菊蔵 箱崎町 飯虎」
残念ながら、
先の「浦しま 五十六メ目」石には、これを持った力持ちの名がありません。
「箱崎へ」と書かれているところから、
日本郵船の倉庫か、郵船と縁の深い神社へ運ばれたはずですが、
現在、この石の所在は不明です。
「浦島丸」やこの石にお心当たりのある方がいらっしゃったら、
ぜひ、ご一報をお願いいたします。
右の「福住」石については次回。
※画像提供/流通経済大学・物流博物館
/「東京都中央区の力石の調査・研究」伊東明
上智大学体育・第18号 1985
※参考文献/ネット「なつかしの日本の汽船」
文中敬称略
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