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徳蔵、道場をつくる

井口幸男飯田徳蔵より20歳も年下。
徳蔵の甥の飯田一郎や若木竹丸と同年代です。

その井口が徳蔵と初めて会ったのは、まだ体育学校の学生だったころで、
徐相天から預かった「朝鮮力道大会」への渡航費用を渡すため、
若木竹丸の家へ行ったときだった。

以来、井口はこの「力」大先輩を尊敬しつづけます。

井口たち若者が設立に奔走した「日本重量挙連盟」は、
昭和11年に全日本体育連盟の一組織として発足。
その翌年、念願の独立を果たします。
前途多難ながらも新しく船出したのです。

♪あなたッと呼べ~ば、あなたッと答える~
 山のこだ~まァのうれしさよー
 ”あなァた” ”なァんだい”
 空は青空ァ ふたりは若~い

なんて歌が流行っていたが、世の中は暗雲たれこめた第二次大戦前夜。
反乱軍となった青年将校たちが朝日新聞社を襲撃し、
閣僚たちを殺害するという二・二六事件が起きて世間を震撼させた。

そんな中、昭和11年にはオリンピック・ベルリン大会で、
前畑秀子選手(左)が200㍍平泳ぎで優勝します。

img048_20180712014821370.jpg

このとき、実況放送のアナウンサーが「前畑ガンバレ」を36回も連呼した。
それがのちの語り草になった。
水着といい体形といい、時代を感じさせます。後ろには着物の人が…。

日華事変が起きて、井口幸男が戦地へ召集されたのが翌12年。
この年は、
正月早々名古屋城の金のしゃちほこのウロコ58枚が盗まれるなど、
不穏な世情となります。一方、
5月には双葉山(26歳)が横綱になり日本中をわかせました。

強いだけではない。顔も姿もすごくきれいなお相撲さんですね。

img049_2018071201590668b.jpg

前畑選手も双葉山も日本中の人から注目されたが、
井口たちの重量挙げはそうはいかなかった。

「当時重量挙げは一般の人の関心はほとんどなく、
特殊なスポーツのように見られていた。
愛好者は十指にも満たなかった」という状況。

そんな中、徳蔵は朝鮮でこの新しい力技を体験したことで、
その重要性を悟り、私財を投じて秋葉原に重量挙げの道場をつくります。

「徳蔵氏は重量挙げの普及に奔走し、愛好者のために力を注がれた。
私たち(飯田一郎君、勝康君、定太郎君等々)は、毎晩のように
この道場へ通い、一生懸命練習した。
この狭い部屋の正面高くに神棚が祀られていたことを今でも思い出す」

井口のライバル・中島寅男を真ん中に、
徳蔵の甥の飯田一郎(左)と息子の飯田定太郎(右)

img050_20180712022141217.jpg

井口は40数年たってもそのときの恩を忘れず、こんな回想を残しています。

「徳蔵氏はときどき練習場へ顔を出しては、
強くなれよと激励されたが、
その顔が今もまぶたに浮かびます」


※画像提供/「写真で見る体育・スポーツ百年史」上沼八郎 日本図書センター
         2015
        「眼で見る昭和」朝日新聞社 昭和47年
        「わがスポーツの軌跡」井口幸男 私家本 昭和61年

プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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