fc2ブログ

「御父上様 すみより」

神田川徳蔵物語
02 /15 2018
「飯定組」の親方・飯田定次郎の三女・おすみさん夫婦が行方不明になった。
親方の命を受けて、徳蔵は焼け跡を歩き回り必死の捜索を続けたが、
とうとう見つけることができなかった。

泣く泣くすみ夫婦の住いの焼け跡から溶けた硬貨を掘り出して、
形見として持ち帰った。

さんイラスト江田

そのとき徳蔵が持ち帰った硬貨の写真です。

sinsai_zeni2.jpeg

ところが震災から11日目も過ぎた9月12日、
父・定次郎の元におすみ無事の知らせが…。

それを追いかけるように父の元にそのおすみさんから手紙が来た。
すみと菊次郎、それに女中(お手伝いさん)の喜代は、
菊次郎の実家、房州(千葉県)に逃れていたことがわかった。

「此のたびは、一かたならぬ御心ぱいをかけ、其の上お金まで下されまして、
いつもいつもお心にかけ、有りがとう御座います」

初めてもらった愛娘からの手紙。
しかも「全員無事」の知らせです。
絶望に沈んでいた定次郎、人目も憚らずただただ嬉し涙

31歳でこの大地震を体験したおすみさん、
九死に一生を得たその体験を、息子の利貞氏に繰り返し話したという。
その話を利貞氏は、「母の手紙」と題して手記に残していた。

他人のそら似と言われた徳蔵(左)と手記を書いた利貞氏(右)です。
利貞氏はE(章)さんのお父さまです。

徳蔵利貞

ちなみに徳蔵のご子息の定太郎氏は、
ウエイトリフティングの黎明期に活躍した人で、
東京オリンピックでウエイトリフティングの役員を務めたそうです。
愛称「タロさん」
利貞氏とはいとこ同士で、終生気の合った兄弟のように付き合ったそうです。

バーベルをあげる徳蔵子息の「タロさん」こと定太郎氏
定太郎3

手記からの抜粋です。

地震が起きた直後、家を飛び出したすみ夫婦と女中の3人は、
陸軍の軍服を作っていた被服廠(ひふくしょう)跡へ逃げ込んだ。
しかしそこは人の群れと荷物を満載した大八車で身動きもできない状態。

そこへ火の粉が雨のように降り注ぎ、激しい火焔と大旋風が巻き起こり、
大群衆の上にのしかかってきた。
薪を積み上げた中に隠れていたようなものだから、たまったものではない。

大八車がふわふわと空中を飛び、しっぽに火がついた馬は、
大八車につながれたまま、ただブルブルと鼻を鳴らすだけ。
生き地獄の中、人々は神や仏の名を叫び念仏を唱え…。

そのときおすみさんは妊娠中。
「こんなところで出産したらみっともない」と気丈にふるまった。

そのうち阿鼻叫喚の世界がぱったり止んで、急に静かになった。
あたりを見ると黒焦げの屍るいるい。

sinsai-_manga.jpeg

おすみさんたちは偶然飛んできた毛布を3人でかぶり火の粉を避けた。
しかし火勢からは逃れたものの、夫と女中はやけどを負ってしまった。
夫の菊次郎はぐったりして動かない。
もうダメだと思った時、通りかかった人がくれた氷水で蘇ったという。

房州まで徒歩で行ったのか貨車に乗ったのか、
何日たったのか記憶にない。
ただ田舎に着いたとき、菊次郎の母親が、
「お前、足あるか」と聞いた。
もう死んだものとあきらめていたそうです。

大震災が起きた年のおすみさんです。
1おすみさん

震災12日目に父に届いた我が子からの手紙。

「お体お大切になされ、いずれお目もじの上、御礼申し上げます。
母へもよろしく。
御父上様                            すみより」

父はこの手紙を小さくたたみ茶封筒に入れて、その上書きにこう書いた。

「三人が生きて房州にいることを聞いたときの、うれし涙のかわかぬ夜、
初めて来た手紙、
なつかしの手紙、かわいの我子の手紙、

後の記念に保存して置く」

無題

   ーーーーー◇ーーーーー

※イラスト・写真提供はE(章)さん。
スポンサーサイト



雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞