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力の人生・浪速の長州力

力石のブログなので、年の終わりはやっぱり力持ちで〆ていきます。

数少ない日本の力持ち力士の一人、
浪速の長州力さんの登場です。還暦まであと2年の58歳。
一昨年、腰を痛めて「力の限界です」とおっしゃっていた浪速さんですが、
昨年復活。さらに今年も果敢に挑戦。

「力の人生」継続中です。

今年8月、岡山県総社市の「力石総社」に参加。
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力石総社のマスコットキャラクターから、
「あげれるもんならあげてみい!」との挑戦を受けて、浪速さん「ヨッシャ!」

1浪速の
岡山県総社市・総社宮

うぎゃアアアー!

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浪速さんは兵庫県尼崎市で、
トレーニングジム「夢念道場」を経営しています。
長年、各地の力持ち大会に参加。輝かしい成績の持ち主です。

福島県須賀川市・菅船神社の「太郎石持上げ大会」では、
3連覇を果たしました。太郎石は100㎏もあるんです。

その様子をテレビで放映。ゲストの安藤美姫さんがびっくりしています。

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福島県須賀川市塩田西清水・菅船神社

京都・醍醐寺の「五大力 餅上げ奉納」では、ご夫婦揃って優勝。
奥さまはすらりとした美人ですが、力があるんです。

島根県雲南市吉田町の観音堂での「餅さし行事」にも毎年参加。
この行事は五穀豊穣を願うもので、雲南市の無形民俗文化財です。
ちなみに吉田町はかつて和鉄生産の中心地として栄えたところだそうです。

この餅さしは、45Kgの餅を片手で何回挙げられるかを競うもので、
この年の優勝者は介護士の若者。浪速さんは惜しくも準優勝でした。

先日、この雲南市のお隣の飯南町のお米を買ったんです。
今日、桜えびの炊き込みご飯にしたら、これがまたすごくおいしい。
このあたりは、お米のおいしいところなんですね。

あまりの気迫に撮影者がめまいを起こしたのか、建物が傾いでいます。
浪速の
島根県雲南市吉田町上山・善福寺観音堂

下の写真は、兵庫県龍野市の「野見宿禰・力自慢競争」での浪速さんです。

野見宿禰(のみのすくね)」というのは、日本書記にも出てくる力持ちです。
出雲国(島根県)出身で、大和国の大力「当麻蹴速(たいまのけはや)」と
天皇の前で相撲をとって勝った相撲の元祖です。

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「大和名所図会」巻之三

「力自慢競争」はそれにあやかり、
野見宿禰神社のある龍野市で行われているのです。
現在は米俵を使って力量を競っています。

左は去年の浪速さん。米俵と抱き合って、気を集めて。
成功するかどうかの決め手は、ここでのタイミングに掛かっています。 
右は今年です。呼吸を整えて腹に力を入れて、一気に上げます。

「俵は80㎏あります。太短くて柔らかいので上げにくい」と浪速さん。
若いお嬢さんたちが真剣に見ています。

龍野 の2浪速
「たつのふるさとフェスタ」会場にて

私は2年前、浪速さんご夫妻と岐阜の大江誉志さんご夫妻、
それに大江さんちの愛犬さくらちゃんと共に、
「力持ち」が行われる姫路市天満の神明・蛭子神社へやってきました。

姫路市の無形民俗文化財に指定されている両神社の力持ちは、
秋祭りの行事として、地元の若者たちが大勢参加します。
地元民以外は参加できないという厳しい決まりがあるため、
浪速さんたちは祭りの合間に担がせていただくことになりました。

このとき、大江さんが、
誰にも持てないかった「上がらずの石」を見事に上げました。

下の写真は、翌年、一人で参加した浪速さんです。
尊敬する天満の世話人の三木氏からいただいたまわしをしめて…。
誰も見ていなくたって浪速さんにとって晴れの舞台です。ただ黙々と集中して。

石上げは孤独なスポーツです。
それにひたむきに挑む人は、孤高の人であります。

蛭子姫路
兵庫県姫路市天満・蛭子神社

浪速の長州力さんも岐阜の大江誉志さんも、
そして、そのお仲間の「東海力石の会」の皆さまも私も、
今年もまた一年、「力石」に明け暮れました。

来年は大正・昭和の力持ち力士・神田川徳蔵の
「力」に込めた人生とその功績にせまってまいります。

みなさま、良いお年を!


※写真提供/浪速の長州力氏

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老い支度

年の瀬ですね。
一年の終わりはマージャンでいえば「ツモッタ」状態。
最後の日は「大晦日」、つまり「オオツ(ゴ)モリ」=「おおみそか」です。

月日のたつのが年々早くなる。
で、老い支度を始めました。手始めに本の整理です。

10数年前の引っ越しでは本棚3個分ほど捨て、
4年前の引っ越しのときには4個分ほどゴミに出した。
「もったいないことしちゃったなあ」と反省。

今まだ8個分ほどある。

そこでダメ元で東京の古書店に相談したら、
取り扱っているジャンルの本がたくさんあるからとのことで、
引き取っていただくことになった。
必要としてくださる人がいるってのが、なによりうれしい。

年数を経た本ばかりだから黄ばんだり破れたりで恐縮しつつ、
リスト作りと発送に励んでおります。

ジャジャーン! 私の仕事部屋です。
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ここでブログを書いています。
椅子のうしろには自分で集めた力石の資料が、
段ボール箱3個分、並んでいます。

本棚もだいぶスッキリしてきました。
郷土資料と力石の本はこれからも使いますから残してあります。

でも、スッキリしたのは真正面だけで、足元は散乱しております。

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隣りの部屋にも。
タンスと5年保存の備蓄飲料水と同居中。

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玄関にはこの間、物置から出してきた段ボールが…。
もう、引っ越ししたときのまま。

こんな状態なので、お客さまをお迎えできません。

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お正月は本の整理と図書館に予約した本を読むだけになりそうです。
あと、氏神さまに初詣でして、おいしいものを食べて柚子湯に入って。

整理中、あ、この本もう一度読みたいなとか、
もう少し手元に、などと思ったりしますが、そこはきっぱり断念。
でないと、先へ進めません。

でもそんな中、ずっと持っていたいのがこちら。
絵本です。

左が田島征三さんの「いのちを描く」、
右が谷川晃一さんの「うたがきこえる」の絵本です。

これは、以前、お二人からいただいたものです。
眺めていると、柔らかい気持ちになれます。

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そのほかには、やっぱり手紙です。

今は亡き人たちからの手紙。
それと画家さんや彫刻家さんたちからの手紙といただいた画集。
見ていると、当時交わした会話が蘇り、心が華やぎます。

そうそう、先日、デパートの地下で、突然、声をかけられて…。
ハッとして顔をあげたら、20年も前に取材でお世話になった写真家の奥さま。

覚えていてくださったんですねえ。
そのとき思ったんです。

いろいろあったけど、
私の人生、捨てたもんじゃないなって。

心のうたかれんだあ

今年も海野阿育先生からカレンダーが届いた。

癒しの詩人といわれた坂村真民(しんみん)の詩と、
海野阿育(あしょか)先生の版画の「心のうたかれんだあ」です。

海野先生には在学中教えを受けたことはなく、
ただ、女子大同窓会の理事をしていたころ、1度お目にかかっただけという
まことに希薄なつながりしかありませんでした。

ですが、私にとって決して忘れてはならない人なのです。

話は20年近く昔にさかのぼります。
ある日突然、大学同窓会の理事を乞われた私。
それがどういうものかわからないまま引き受けたのが、
そもそもの間違いで…。

理事になって数年後、それほど親しくなかった役員の一人から、
「今度の理事会、欠席した方がいい」との電話です。
なんでも私は危険人物とされていて、
今度の理事会で役員数人が追い出す算段をしているとのこと。

同窓会なるものが事業所になっていて、同窓生たちは正規職員として
多額の給与を支給されている。そのことに驚いた私、
つい、「ボランティアじゃなかったのねえ」と口走ったことが、
事務局長の逆鱗に触れたというのだ。

加えて、私がノンフィクションで佳作に入ったことが、
事務局長の警戒心をさらに強める結果になったとも言われた。

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平成26年「心のうたかれんだあ」より

で当日、のこのこ出かけて行ったらやっぱり陰湿な吊るし上げを食らった。
即、辞職。でも驚いたことに、その話はまたたく間に広がり、
顔も知らない同窓生から「辞めて正解ですよ」との電話が何本も。
同窓会の内幕を暴露する声も。

でも、辞めたあともちょいちょい私の「悪い噂」が流布されて。
その一つが年金問題。

かつて、
納めたはずの年金が漏れている「消えた年金」問題がありました。
私はそのことが社会問題化する10年ほど前からこれに取り組んでいたのです。

きっかけは会計士からの、
「あなたの年金記録にはおかしな点がある」との指摘でした。
それまで年金など興味も関心もなかったのに、
調べ始めたら本当におかしなことだらけ。

でも、役人からは「役所が間違うはずがない」と何度も門前払いされ、
年金保険事務所では女性係員から「頭のおかしなのが来てる」と侮辱されて、
怒りと絶望とこの国はどうなっているんだという不信感でいっぱいになった。

しかし複数の役人からオフレコで、
「あなたの言うことは真実です。でも現状はどうしようもないんです」
と、驚くべきことを打ち明けられてもいた。

「現状はどうしようもない」なら、書いて世間に知らしめるしかない。
で、書いた。
そしたら、2005年の「週刊金曜日ルポ大賞」の佳作に入選。

題名は「”ふつう”は、やらない?」と付けた。
理由は、役人も友人たちも異口同音に、こう言ったから。
「そんなこと、ふつうはやらないよ」。つまり「アンタは変わりモンだよ」と。
そのとき、私は思ったんです。

「ふつう」って何だろうって。

世間でやっと年金問題が騒がれ始めたのはそれから5、6年もたってからです。
騒がれ出したら、私のところに取材の申し込みが来始めました。
私は乞われるまま、テレビや雑誌に顔も実名も出して、どんどん出た。

もう後先考えず。

民主党時代の長妻大臣の事務所からメールをいただき、
安倍政権になってからは電話出演という形でスタジオの茂木大臣に、
「最後の一人まで救済を」とお願いした。

「見えない根たちのねがいがこもって、美しい花となるのだ」
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平成30年「心のうたかれんだあ」より。

職場でも住まい周辺でも身内にも味方は誰ひとりいませんでした。

「金の事をとやかく言うなんてやだねえ。そんなに金が欲しいかねえ」
「これだから貧乏人はいやだよ」
「テレビに出て目立ちたいだけなんでしょ」
「恥知らず」
「おカミに楯突くなんて身の程知らずだ。何、考えてんだか」

取材の雑誌記者からも、
「主張が通ったら戻ってくる金額は? いくらにもならんでしょう。
がんばるだけ無駄では?」と言われた。
「お金の多寡ではないんです」と言っても、ただ笑われるだけだった。

そんなとき、例の同窓会の理事の一人から電話が来た。
辞めてからもう6,7年もたっているのに何だろうと思ったら、
私の年金の件だという。

「みなさんがあなたのテレビを見て、悪口言って。
それで盛り上がっていたとき、海野先生が言ったのよ。
ぼくは立派だと思いますって」

その一言で、みんな黙ってしまったのだという。

一度しか会ったことがないこの私の行動を理解してくださった。
胸がいっぱいになりました。

その後、さんざん「意地汚い行為だ」と言っていた知人から、
「自分にも何年もの記載漏れがあって訂正してもらった。あなたのおかげです」
と感謝され、ああ、結果が出て良かったと心底思った。

もう来ないだろうなとあきらめていても必ず届く、
年に一度の海野先生からのプレゼント。
そして私から年に一度差し上げる先生への年賀状。

ただそれだけのことだけれど、
わたしにはこの微かなつながりが何にも代えがたく嬉しい。

「かれんだあ」はいつも目に触れる真正面の壁にかけて、
私は毎日、「心のうた」を心でなぞっているのです。

※肝心の私の消えた年金は、その後どうなったかというと、
第三者委員会が役所から、「なかったはずの納入書類」を出させたことで、
消えた分を受け取ることができました。

まさに「念ずれば花ひらく」でありました。

お茶の時間

この一年、全力疾走してきたので、くたびれたァ。なんちゃって。

でもちょっと息切れしてきましたので、
ここでちょっとティータイム。

壁にぶつかったり心が乱れた時は台所に立って、
同じものを延々作り続けるというのが私の解決法です。

昔はウスターソースなんかも大鍋で何時間もかき回して作りましたが、
あるとき、野菜くずを濾そうとザルへあけたとき、
うっかり鍋を敷かないままあけてしまい、
せっかく出来上がったソースは、すべて流しから下水管へ。

ホントに大失敗

だから今は餃子やシューマイのようなものばかりです。

で、今年は干し柿作りに精を出しました。
大小合わせて120個。

これは去年の柿です。
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柿には青い空、白い雲がよく似合います。

今年は10月下旬から作り始めました。
暖かいうちは焼酎で、寒くなったら熱湯消毒。

出来上がったものがこちら。
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農協の市場へ行くと近隣の農家さんのさまざまな柿が並んでいます。
今年は、
四ツ溝、会津、西条、法、昔からある名無しの柿の
5種類を手に入れました。

西条は四ッ溝より一回り大きく、種がなく美味でしたが、
店頭には一度しか出ませんでした。

冷蔵庫に入れておくと粉が吹きます。
どうです、おいしそうでしょ?

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干し柿とコーヒーは味が共鳴して、とってもおいしいです。

ちょっとピンボケですが、こんな感じ(下の写真)で毎日楽しんでいます。
一番大きい柿が「法」、その横が「会津」、小さいのが「四ッ溝」です。
西条はとっくにお腹の中。

コーヒーカップは大井川流域にある
志戸呂(しとろ)の郷の志戸呂焼きです。

もう25年も前になります。
大井川鉄道沿線の人々を訪ねた記事を新聞に連載しました。
そのときお訪ねしたお一人がこのコーヒーカップを作られた
遠州七窯の一つ、「鳳悦窯」の白幡鳳悦氏でした。

白幡氏のご先祖は、
徳川初期、尾張瀬戸からこの地へやってきた陶工で、
幕府から御朱印をいただくほどの名工だったそうです。

しかし、幕府崩壊後は暮らしは厳しくなり、
農業と器の行商をしながら伝統を守ってきたという。
「機械まかせにしたくないから、今もすべて手作り」と白幡さん。

本物はもう少し、黄土色です。
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あめ色の肌、かすかな凹凸を見せるうづら模様。
ほんのりツヤのある古代色には、人の心を落ち着かせる清浄さがあります。

凄まじいほどの集中力が凝縮した器ですが、
手に取るとほのかな温かさが伝わってきます。
その名品を鳳悦さんからいただいてから25年。
使うほどに味わいが増してきました。

25年前の白幡鳳悦氏です。
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静岡県島田市金谷・鳳悦窯

2年ほど前、再訪したら、ちゃんと覚えていてくださって…。
私の顔を見るなり、その白幡氏から真っ先に出た言葉がこれでした。

「とうとう、一人になっちゃったよ」

「焼き物だけでは食べていくには厳しいとき、家内が助けてくれた」
と、当時、嬉しそうに語っていた最愛の奥さまは、
すでにこの世を去っていました。

私は今日もまた、あめ色のコーヒーカップを片手に、
干し柿の甘さに浸りつつ、
過ぎて行った時や人に、しみじみ思いを馳せているのであります。

野田醤油醸造之図

醤油が作られる工程を描いた押絵扁額をお見せします。
押絵細工師の4代目勝文斎椿月(勝川文吉)が、
明治初期に制作した作品です。

「押絵」とは、人物や花鳥などの絵を綿と布で包み、板などに貼りつけたもの。

例えば桜の花なら、厚紙を桜の花びらの形に切り抜いてピンクの布でくるみ、
厚紙と布の間に綿を入れます。そういうパーツを組み合わせて板に貼り、
桜の花にしていきます。ふくらみがあるので立体感が得られます。

羽子板の役者絵や藤娘などがそうですね。
子供のころ羽根つきに使いましたが、重くて大変でした。

「野田醤油醸造之図」です。

押絵扁額(野田醤油醸造之図)

この扁額は、
キッコーマン国際食文化研究センター野田市郷土博物館へ寄託したもので、
同センターと博物館のご好意により、ここに掲載することができました。

なにしろ幅が3m67㎝、高さが94㎝もありますから、
ブログで全体を理解するにはちょっと無理があります。

なので、部分に分けて見ていきます。

材料の仕込みの様子です。
押絵扁額(野田醤油醸造之図) (2)

醤油醸造の工程をちょっと述べてみます。
私の知識はにわか仕込で「熟成」にいたっていませんので、
詳しくは各醸造会社のHPをご覧ください。

醤油の原材料は大豆、小麦、塩でそれに麹菌だそうです。
昔は古い家屋の天井などに酵母菌が住んでいて、
みそ、しょう油などはその恩恵を受けていたとか。

日本人の知恵って素晴らしいなと思います。

上の絵は、蔵人たちが大豆や小麦の仕込みをしているところですが、
手前にいるのは見物人で、
勝文斎は当時の人気役者を見物人に扮装させて描いたそうです。

次は圧搾(あっさく)。しぼり出しです。
押絵扁額(野田醤油醸造之図) (3)

圧搾には石を使いました。
前々回お伝えした「吊り石」です。
この時活躍したのが、力石に名を残した男たちです。

この「野田醤油醸造之図」は、
野田の醸造家仲間が勝文斎に制作依頼したもので、
明治10年、上野公園で開催された第1回内国勧業博覧会に出品。
褒賞を受けました。

このとき、勝文斎の親友、絵師の河鍋暁斎の錦絵も版元から出品されました。

この博覧会は富国強兵、殖産興業の一環として開催されたため、
ミシンや農機具の展示などがあったそうです。
でも、それと暁斎さんの錦絵とは合いませんよね。
ミシンや農機具の戯画ならおもしろかったでしょうけど。

樽詰めです。
押絵扁額(野田醤油醸造之図) (4)

この明治10年は西郷隆盛の西南戦争があった年です。
でも観客は45万4000人もあったそうですから、
日本人の心は完全に新時代へ走り出していた、ということでしょうか。

それにしても入場者が45万人って、
これ、当時の東京府の人口の約半分ですよ。ホントカイナと思いましたが、
国立国会図書館の記述なので、ウソではありません。

で、勝文斎は、この扁額制作のため住まいの東京・人形町から、
千葉県野田までせっせと通って観察を続けたそうです。

これが縁で、息子の5代目勝文斎は、
野田のくづもち屋・西宮幸七の長女と結婚。

石を担ぐ男たち吊り石をもう少しはっきりお見せします。

1醤油醸造図部分

押絵細工師の勝文斎椿月は、河鍋暁斎はもちろん、
力持ちの本町(浪野)東助とは終生の友だったそうですから、
石を担ぐ男たちを描くときは、きっと東助さんも参考にしたと思います。

リアルです。
2醤油醸造図部分

扁額完成と褒賞受賞の折りには、
東助持参のカキやナマコを肴に、野田の醤油醸造家や暁斎などと
おいしいお酒を、ハメをはずして飲んだと思います。


※画像提供/
 キッコーマン国際食文化研究センター/野田市野田250 ☎04-7123-5215
 野田市郷土博物館/野田市野田370-8 ☎04-7124-6851

なお、野田市郷土博物館にはこの扁額のほかに、
歌舞伎役者を描いた押絵行灯などの作品も収蔵されています。

歴史を塗りかえた発見!

前回、野田の醤油造りは、
寛文元年(1661)、高梨家が始めたとお伝えしました。

しかし、「それより約3、40年早い永禄年間(1558~1570)に、
同地の飯田市郎兵衛が「たまり醤油」を造って、
信濃の川中島で越後の上杉謙信と戦っていた甲斐の武田信玄に献上した」
という話が伝わっているそうです。

房総からはるばる長野まで運んだんですねぇ。

、その飯田氏の屋敷跡というのがあるそうです。
こちらです。

野田市教育委員会などが建てた
「野田の醤油発祥の地」の石柱と石碑があります。

1亀屋敷

石碑です。
この史跡は昭和46年、野田市文化財に指定されています。

3亀屋敷

この屋敷は「亀屋敷」ともいうそうですが、
「亀甲萬」(キッコーマン)のと何か関係があるのでしょうか。
キッコーマンの中興の祖と言われる二代目茂木啓三郎氏はご養子で、
元は飯田勝次といったそうですし、
この碑の揮毫もしているみたいだし。

それで、もしや飯田市郎兵衛のご子孫か、と思ったのですが、
写真と情報を下さった斎藤氏によると、
「飯田家と茂木家は同業者としてのつながりはあったが全く別」とのこと。

ちょっとがっかり。

でも、市郎兵衛の飯田家は、
この亀屋敷から100㍍ほど離れた愛宕神社の力石に、
ちゃんと痕跡を残しております。

その愛宕神社の力石群です。
2野田市力石
野田市野田・愛宕神社

説明板は「下総野田愛宕神社氏子会」が建てたものです。

こちらが「飯田氏」の刻字石です。
左下に「飯田氏」と刻んであります。

飯田氏愛宕神社
74×45×33㎝

「奉納力石四十貫 宝暦六丙子正月吉日 飯田氏

宝暦六年は1756年。江戸中期。九代将軍家重の時代です。
これを飯田市郎兵衛の子孫が奉納したという根拠は、
この石だけ「氏」尊称をつけて刻んであるからです。

さて、本題です。

愛宕神社の説明板には、こう書かれています。
「この宝暦六年の石は、千葉県下で一番古い力石です」
故・伊東明先生もそういう記述を残しています。

ところが、これより100年も古い石が見つかっちゃったんです。
見つかっちゃったというより、見つけたんです。
つまり、石は以前から確認されていたものの、そのときの調査者が、
石の刻字の読み方を間違えてしまったということなんです。

それを発見して正しく読みなおしたのは、
このブログでお世話になっている埼玉の研究者・斎藤氏です。

これが問題の石です。
2万治4年
野田市今上下・八幡神社

以前の調査者はどう読んでしまったかというと、

「奉納力石五十六メ目 明治四辛未年 五月日」

で、
斎藤氏が再調査で先人の誤読を見つけて、新たに判読したのがこちら。

「奉納力石五十六メ目 万治四年 吉三月日」
※「万」は異体字。

誤読した調査者は、石が土に埋もれていたため下の一文字「治」だけ確認して、
「明治」と思い込んじゃったのでしょう。

でも、明治と万治じゃ、えらい違いです。
なにしろこの間は2世紀、200年も離れていますから。
千葉県最古とされてきた「飯田氏」の「宝暦石」からだって、
1世紀、100年も昔の石ですから。

この発見で今上下・八幡神社のこの「万治石」が、
「千葉県下で最古」
「日本で3番目に古い」力石になったのです。

だから、「歴史を塗り替えた発見!」なんです。
「大げさな!」って思われるでしょうが、大げさでいいんです。
なにしろ社会の片隅に遠慮がちにいる力石ですから。

さて、埋もれた石を掘り起こして水をかけ、2日間通って取り組んだ斎藤氏。
「明治ではなく、万治だ!」とわかったときは、
「言い知れぬ感動がこみ上げてきて」、思わず1首。

     土掻きて力石(いし)に現る万治四年
                   往時男の覇気ぞ迫り来


見知らぬ男が昼日中、
よその神社の土ほじくって水かけて、石の頭を撫でて感激しているなんて、
どう見ても不審者
斎藤さん、通報されなくてよかったネ!

でも残念なことに、
八幡神社のこの石は、土に埋もれていただけではなく、
こんな状態で置かれていたんです。

1万治年

一番手前が「千葉県最古の力石」と判明した「万治石」。
そのうしろに車止めか土止めのような石が並んでいます。

「万治石」も、そんな使われ方をしていたようです。

もったいない!

野田市文化財課の方々、八幡神社の氏子のみなさん、
ぜひ適切な保存と記録の書き換えとみなさんへの広報を、
お願いいたします。

だって、千葉県最古、日本で3番目に古い力石ですもの。
郷土のお宝じゃないですか。

        
           ーーーーー◇ーーーーー

  =ちょっとひと事=

野田の愛宕神社の氏子さんたちが説明板に「千葉県下最古の」と書いたのは、
誤読が判明する以前に設置したからです。
なので、氏子さんたちに責任はありません。でもできれば訂正を。

※写真・情報提供/斎藤氏

キッコーマンと力石

このまま「本町東助碑」神田川徳蔵へ突入するはずでしたが、
ここでちょっと寄り道。

昔、旧東海道(静岡県内)を新聞に連載していたときも、私は寄り道ばかり。
道の歩き方は、目的地めざしてわき目もふらず、などと人それぞれ。
ですが私は脇道に足を踏み入れては話を拾い集めていた。

そこには埋もれたままの「昔話」がたくさんあったからです。

つらつら考えれば、この寄り道の習性はどうやら私の人生そのもの。
山があれば谷もあった。思わぬ出会いもあれば恐怖や怒りも生じた。
でもまあ、平たんでなかっただけに、なんと味のある人生だったことか、
「だった」とはまだ言いたくないけど、そんなふうに自分を慰めております。

とまあ、言い訳はこれくらいにして、「醤油醸造」力石のお話です。

「醤油醸造」とはまた唐突な、とお思いかもしれませんが、
これには「勝文斎椿月」という押絵細工師がからんでおります。

こちらが河鍋暁斎が描いた「勝文斎椿月」です。
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「酔うて候 河鍋暁斎と幕末明治の書画会」より。
河鍋暁斎記念美術館蔵

勝文斎は河鍋暁斎本町東助と無二の親友でした。

まずは、醤油醸造に関するお話からお聞きください。

こちらは野田市の野田市郷土博物館前庭に置かれた「力石群です」
と言いたいところですが、正しくは、
「醤油の諸味(もろみ)を絞る際に使われた吊り石」です。

5野田市力石
千葉県野田市野田・野田市郷土博物館  斎藤氏撮影

説明板にはこうあります。
「100㎏前後の自然石の吊り石を、麻や藁などの太縄の一端にかたくしばり、
締木に吊るし、梃子(てこ)の原理を応用して諸味をしぼった」

しかし、この吊り石を力石に転用したと思われる石が、
上花輪の「高梨本家上花輪歴史館」にあります。

同歴史館には邸内に無数の吊り石が置かれていますが、
その中に刻字の力石が2個、確認されています。

 「奉納 四十二メ目 □□村 若者中」 53×30余×30㎝
② 「二十七メ」 45余×30余×5余㎝

寸法の「5余㎝」というのはあまりにも狭いと思ったので、
これを調査した斎藤氏にお聞きしたら、こういうことでした。

「この石は土に埋まっていたため、地上に出ている部分しか計測できなかった。
掘ってみればもっと大きな楕円形の石だと思う」

納得です。そうすると刻字は、
「二十七メ」だけではなく、もっとあったかもしれないですね。

「高梨本家上花輪歴史館」=国指定名勝庭園=です。

家高梨
野田市上花輪。  野田市HPよりお借りしました。

この「上花輪歴史館」は、
野田の醤油醸造の草分けだった高梨本家の建物で、
現在は建物、庭園を公開した醤油醸造の歴史館になっています。

すごい門構えですねぇ。栄華を極めた往時を物語っています。
野田・上花輪村の名主だったそうです。

この高梨家が寛文元年(1661)に、翌年には茂木家が醤油醸造を始めます。
その後次々と分家したため、醸造家が増えていき、
幕末には野田は関東第一の醤油産地になったそうです。
そして、大正6年、
高梨家、茂木家など醸造8家が合同で「野田醤油株式会社」を設立。

これが現在の「キッコーマン」です。

この「キッコーマン」の会社名は、
茂木家の商標だった「亀甲萬(きっこうまん)からの引用だとか。
そうか、だからマークは六角形(亀甲)に「萬」だったんだ。

この茂木家の本家は、2006年に「茂木本家美術館」を開館しているんです。
高梨家が歴史館、茂木家が美術館、なんか素敵ですね。
鬼に笑われそうだけど、来年、この辺りに出掛けてみようっと。

こちらは最初にご紹介した野田市郷土博物館前庭にある
「醤油圧縮機に使用された重石」です。

4野田市力石
斎藤氏撮影

野田市や銚子市などで、なぜ醤油醸造がこんなに盛んだったかというと、
この地域は、
大豆や麦などの原料が入りやすい、水が豊富、利根川などの水運の発達、
大消費地の江戸に近いなど、好条件が重なっていたためと言われています。

仕事にも娯楽にも、
石を担いで汗を流していた若者たちのたくましい姿が垣間見えます。

思わず、
がんばれがんばれ玄さん! 

といっても、これ、1982年以前生まれの人しか知らないですよね~。 
      
        
         ーーーーー◇ーーーーー

※画像提供/野田市HP
      /「酔うて候 河鍋暁斎と幕末明治の書画展」
成田山書道美術館・河鍋暁斎記念美術館編 思文閣出版 2008
※画像・情報提供/斎藤氏
※参考文献/「千葉の力石」高島愼助 岩田書院 2006

※公益財団法人「高梨本家上花輪歴史館」野田市上花輪507
           ☎04-7122-2070
※野田市郷土博物館/野田市野田370-8 ☎04-7124-6851
※茂木本家美術館/野田市野田242 ☎04-7120-1011

プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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