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徳蔵さん?

神田川徳蔵物語
09 /07 2017
前回、杉並区・氷川神社の「六拾貫余」の力石をご紹介しました。
この石は神田川徳蔵が持ち、
立会人として3人の力持ちの名があることもお伝えしました。

今一度、ここにお見せします。

CIMG3887 (2)

3人の名は、竪川大兼、川岸寅五郎、浜町秀太郎です。
どんな人たちかというと、こんな男達です。
浜町秀太郎は前回の写真をご覧ください。

下の写真は、大正15年、神田佐久間町佐久間学校にて行われた
神田川徳蔵(中央)による「大石差切」です。

左で扇をかざしているのが川岸寅五郎
臼の横の黒い着物姿(黄色の円)が竪川大兼です。

演者の力持ちたちはお揃いの着物を着ています。
今でいうユニホームですね。
うしろの幕には、左側に神田川徳蔵、
右には贈り主の羽根木政吉賢太郎の名が染めてあります。

積み上げた俵などで隠れていますが、「青山」という文字も見えます。
「青山八百喜代」も贈り主の一人だったと思われます。

さし石3 (2)

力持ち力士の姿をこんなふうに見ることができたなんて、奇跡。
だって、今までは名前しかわからなかったんですから。
それが姿と結びついて蘇えった。本当に貴重なんです。

この人たちの名前は世田谷区北烏山幸龍寺でも見ることができます。
ここには明治時代活躍した力持ち・本町東助の碑があります。
本町東助は東京の力持ち力士の西の大関で、その膂力もさることながら、
各界の著名人との交流も広く、多くの力持ちに慕われた力士です。

ちなみにこの碑の揮毫者は第二代内閣総理大臣・黒田清隆です。
この碑については、話したいことが山ほどありますので、
稿を改めて詳述します。でないと、収拾がつかなくなりますので。

「本町東助碑」を裏側から見たところです。
CIMG0723.jpg
東京都世田谷区北烏山・幸龍寺

この碑の裏面には約60名ほどの力持ち力士と千社札の「納札睦会」、
著名な書の高橋藤之助などの名が刻まれています。
今回は「六拾貫余」の立会人のみをお見せします。

年寄として竪川大兼の名が刻まれています。
もちろん神田川徳蔵は筆頭に記されていますが、今回は割愛。

CIMG0717 (2)

下段の刻字をご覧ください。
年寄として川岸寅五郎(黄色の円)
世話人として浜町秀太郎(赤い円)の名前が見えます。

CIMG0718 (3)

さて、青山八百喜代の「青山熊野神社納石」記念写真へ戻ります。

最後の難問、この写真の中に徳蔵は果たしているのか?
似ている男がいますが、しかし、番付には徳蔵の名がありません。

急きょ、飛び入りしたのでしょうか。
それとも、「徳蔵さん?」と思われる人物は別人で、
ホンモノの徳蔵は、力石仲間からこの写真をもらっただけなのか。

試行錯誤の末、埼玉の研究者・斎藤氏は最終的に、
この写真の人物は「神田川徳蔵である」と判断しました。

一見、両者は面長の顔と丸顔に見えますから、別人のようにも見えます。
ですが、確かに耳の形、額の剃り、口元やきれいな目元、似ています。

左は青山熊野神社の写真の男です。右は正真正銘の徳蔵です。

aoyama_web (7)  駒東喜代
 
さてさて、みなさまは、
どんなふうに思われたでしょうか?

   =追記=

上の写真の徳蔵の年齢をここに記します。
左は29歳。右は40歳のときの写真です。
見比べるには年齢に差があり過ぎますので、
追加写真を特別公開します。下の写真は徳蔵35歳のときのものです。

t5_web (2)

ちなみに、徳蔵のお孫さんは上の左の写真の人物は、
「祖父だと思います」とおっしゃっております。
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞