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減ったり増えたり

神田川徳蔵物語
08 /27 2017
大正9年、東京・青山で行われた八百喜代の納石力持ち。
その記念写真の中に我らが徳蔵が見当たらない。

でも似たような人物が一人います。
しかし、埼玉の斎藤氏も徳蔵縁者のEさんも「この人では?」と思うものの、
今一つ決め手がない。
なにしろ当日の力持ち番付に徳蔵の名前がないのが致命的です。

ま、徳蔵の件はこの際ひとまず置いといて、
この日の主人公・八百喜代(やおきよ)へとまいります。

青山八百喜代です。
  (トリミング、ちょっと失敗。左側に余計な線を残してしまいました)

無題

八百喜代は都内5か所9個の力石を残していますが、
ここでは青山熊野神社の石のみに触れておきます。

この熊野神社では、
故・伊東明上智大学教授の調査時に4個確認されていましたが、
「石に挑んだ男達」や「東京の力石」(高島愼助 岩田書院)では、
このうちの2個は所在不明で、2個しか実在しなかったと記載されています。

ところが最近、ネット上で3個並んだ写真を見つけました。
一つ増えていたのです。
そのうえ、「伏見稲荷大明神」の石柱のところにも、力石みたいな石が…。
で、今すぐにも飛んでいって確認を、と思ったもののままならず。

そんな私に徳蔵縁者のさんが助け舟をだしてくれました。
なんと、お仕事の合間を縫って、
青山熊野神社へ確認の調査に出向いてくださったのです。

こちらはEさんが撮影した熊野神社の力石です。
確かに3個、あります。

2017aoyamakumano.jpeg
東京都渋谷区神宮前・青山熊野神社

そして、「伏見稲荷大明神」の石柱のかたわらにも一つ。

これです。
拡大すると刻字があるようにも見えますが、なんともいえません。
小ぶりですが、形からすればまさしく力石です。

3inari_yoko.jpg

この石を加えると、伊東先生の調査時と同じ4個になります。

検証していきます。

下は、高島先生の調査時に行方不明とされた石です。
左は伊東先生が書き残していった画。
右の写真は、今回、Eさんが撮影した3個のうちの右端の石です。

どちらにも
「奉納 四十五メ 大正七年 青山八百喜代」
と刻字されています。

全く同じです。貫目の「五」と「メ」の間の窪みも同じです。
行方不明ではありませんでした。

img733.jpg 6aoyama_yaokiyo45kan.jpg
84×47×26cm

こちらは3個並んだうちの真ん中と左端の石です。

2017aoyamakumano (2)
 
右の大きな方を拡大するとこうなります。
刻字が見えます。

5aoyama_yaokiyo31kan.jpg
64×44×23㎝ 

「三十六メ 青山八百喜代」

石の大きさや右下の割れ目などから、
「東京の力石」などで現存とされている石の
2個のうちの一つであることが確かめられました。

これで、3個並んだ石のうちの2個を確認できました。

次に、左端に置かれたちょっと小ぶりの石を考えてみます。
これは現存とされているもう一つの石かと思ったのですが、
それは、71×43×33㎝の大きさだったと記録されていますから、
隣りの64㎝「三十六メ」より大きいはずです。
ですが小さい。明らかに違う石です。

だとすると、これは、
高島先生の調査時に不明だった2個のうちの一つの可能性があります。
所在不明の石ですから、
それ以前に調査した伊東先生の絵でしか見ることができません。

これです。
img733 (3)

この石は48×38×38㎝だそうですから、
写真・左端の石に似ています。球形に近い形もぴったりです。

写真の石と伊東先生の絵とはちょっと違って見えますが、
写真の石は下部が土に埋もれているのかもしれません。

このことから、左端の石はこの「二十六メ」の可能性大です。
刻字の確認もしないままは危険ですが、そう断定してもいいように思います。

そうなると、不明だった石は2個とも現存していたということになります。
これで、並んでいる3個の石の正体がすべて明らかになりました。
となると残りはあと一つ、
高島先生の調査時にはあった「青山」刻字の石の行方です。
長さ71㎝の石です。

「青山」刻字の力石はこちらです。「東京の力石」に掲載。

img766.jpg
71×43×33㎝

再び、Eさん撮影の「伏見稲荷大明神」石柱の横の石をお見せします。
4個のうち余った石はこれしかありません。
Eさんが石の上に10円玉を載せてみました。

7inari_ishi3.jpg

チョット見には一番長いところで71㎝もあるとは思えません。
無謀を承知で推理してみました。

写真の石を計ると約70mm、石の上の10円玉は約3mmです。
このことから、写真の石の長さは10円玉の23倍あることがわかりました。
これを実際の10円玉の大きさ23~24mmで計算すると、
写真の石は約55㎝となります。

とまあ、高校時代、数学で追試を受けた私ですから、合っているかどうか。
でも、仮に55㎝としても、71㎝には届きません。
実物を計測しなければ、なんともいえませんが…。

前回お見せした「納石」の集合写真に8個の石が写っていましたが、
今回、改めて見たら「八百喜代」「□十メ」などの刻字が確認できました。
この8個は八百喜代の石で、そのすべてを奉納したのなら、
まだどこかに埋もれていて、ときどき現れたりするのかもしれません。

これはそうした石の一つかもしれないし、全く無関係な石かもしれません。

aoyama_web (4)

なんだか頭がこんがらがってきました。
おさらいしますと、

伊東先生の調査時に力石は4個ありました。
先生没後、再調査に着手した高島先生は2個のみ確認。

しかし今年、Eさんが調査した結果、
高島先生の調査時に実在した石1個と不明とされた2個の計3個を確認、
実在したはずの71㎝の「青山」銘の石は現在、行方不明とわかりました。
また、「伏見稲荷大明神」横の石は、力石かどうかは不明。

伊東先生が青山熊野神社の力石を調査された年月日はわかりませんが、
亡くなる前年の1992年に、日本体育学会の体育史専門分科会で、
「渋谷区の力石の調査・研究」として発表されています。

伊東先生の最後のお弟子だった高島先生が、再調査し、
「東京の力石」に掲載したのが2003年ですから、
その10年ほどの間に、2個行方不明になったことになります。

で、それから10余年後の今日、
Eさんの調査で再び姿を現すなど、状況が変わっていたことが判明しました。

八百喜代さんの力石、減ったり増えたり…。

師匠! こうなったらもう一度、
青山熊野神社へ再調査に行くしかないですよォー!

※師匠とは、高島愼助元・四日市大学教授で、私の力石の先生です。


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Eさん、本当にごくろうさまでした。感謝申し上げます。
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞