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おたぬきさんと力石

神田川徳蔵物語
07 /29 2017
東京・神田川沿いの柳森神社の力石、ご紹介します。

15個あります。
徳蔵の名が刻まれた石は5個あります。

神社入り口で出迎えてくれたおたぬきさんです。
狸の顔ってこんなんでしたっけ?

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東京都千代田区神田須田町・柳森神社

奥に「おたぬきさん」の祠があって、説明板によると、
「この祠は八百屋の娘から三代将軍家光の側室になり、
五代将軍綱吉を産んだ生母の建立」だそうで、
元・江戸城内にあったのを明治2年に、この柳森神社に合祀。

なぜ「おたぬきさん」かというと、数いる大奥のお女中たちを抜いて、
側室という地位に上り詰めた、つまり他を抜いた(たぬき)というわけで、
この幸運にあやかろうとみんながお参りしたのだそうです。

たぬきといえば、「飯定組」の頭、飯田定次郎の親戚に、
悠玄亭玉介という幇間(ほうかん=たいこ持ち)がいましたが、
その玉介が所属していた「全国幇間睦会」で、昭和37年、
各花柳界の物故者の慰霊碑を建立することになった。

そこで資金集めの演芸会を開いた。そのとき配った手ぬぐいがこちら。

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「たいこもち(幇間)の生活」藤井宗哲 雄山閣出版 昭和57年より

なぜ絵柄が「たぬき」かというと、
たいこ持ちの異名たぬきだからなんですって。
たぬきの腹づつみとたいこ持ちの太鼓をかけたんでしょうか。

さて、この「たいこ持ち」
「なんですか、それ」なァんておっしゃる方が大半だと思います。
かくいう私も本の中でしか知りません。

男芸者なんて言い方もありますが、最も適切なのは、
「お座敷遊びの酒席の(ま)を幇(たす)ける人」だそうです。

こちらは自著の表紙を飾った有名なたいこ持ちの桜川忠七さんです。
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「たいこ持ち」桜川忠七 かのう書房 1990年

遊郭と共に盛んになり、遊郭の消滅で衰えていった職業だそうで、
今や「絶滅危惧種」
ですが、身近なところでは職場の上司を「ヨイショ」する人のことを
「たいこ持ち」と呼んだりしていますよね。

「たいこ持ち」については、またの機会に詳述することにして、
柳森神社に戻ります。

おたぬきさんの巨大な幸運のタマタマに、いつまでも見とれている場合じゃない、
お目当ては徳蔵さんの力石なんだからと自戒しつつ…。

こちらが境内に保存されている力石です。たくさんあります。
平成元年に「力石群」として千代田区有形民俗文化財に指定されています。

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なかでも有名なのが、神田川徳蔵「歌石」です。

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「石銘・歌石」70余×52×27㎝          作図/高島愼助教授

「東男の力を飾る祭りかな  
   大正十四年九月二日 神田川徳蔵 持之」 

神田川徳蔵は大正10年ごろから、
仕事上でも力持ち界でもめきめき頭角を現わします。

「飯定組」の従業員たちや近隣の力持ちたちと
ひんぱんに力持ち興行を行い、周囲にその勢いを知らしめます。

中でも大正15年は重要な年で、
その活躍はめざましく、徳蔵の輝かしい人生の花が一挙に開きました。

次回も柳森神社の力石についてお話いたします。

で、実はこの神社、お稲荷さんなんですよ。
おキツネさんの神社におタヌキさんタァー、こりゃまるで狐狸庵だァー!

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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞