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男の美学

柴田幸次郎を追う
05 /28 2017
埼玉の研究者、斎藤氏から玩具博士・清水晴風の新情報をいただきました。

晴風の「力持番付表」です。
正確には、明治13年(1880)11月に、
東京都江東区の亀戸天満宮に奉納された額の写しです。

「やっとこさっとこ見つけました。ちょっと感激…」と斎藤氏。

そうですよね。晴風が力持ちだったことはわかっていたものの、
今まで、晴風銘の力石も番付表の存在も不明でしたから。

それを探し出したのですから斎藤氏の興奮、そりゃ、もう。
ビンビン伝わってきます。

その「力持番付表」です。
img997.jpg
「見立番附」(山中共古)  国立国会図書館蔵

中央に一番大きく「鬼熊」と書かれています。さすが!
他に本町東助、扇橋金兵衛、四ツ目吉五郎などのビッグネームがずらり。

晴風、このとき29歳
現役ではなく「年寄」(下段の赤丸)に「筋違車半」として名を連ねています。

「筋違車半」とは、
晴風の家が「神田筋違御門」外にあったところから「筋違」(すじかい)とし、
「車半」は家業の車力と通称の半次郎にちなんだ命名です。

同図書館の大沼宜規氏によると、
番付表脇の書き入れは晴風自身が書いたもので、
「若い頃東京力持ちの群に加わり、諸方にて興行ありし毎に出ていた」
「思ひ出しても笑止の至り」などと書かれているそうです。

で、その大沼氏があげていた参考文献を早速読みました。

これです。
img998.jpg
「おもちゃ博士・清水晴風 郷土玩具の美を発見した男の生涯」
(林直輝、近松義昭、中村浩訳著 社会評論社 2010

タイトルの
「郷土玩具の美を発見した男の生涯」っていいですね。

この本は可能な限りの資料を探し出し、
「晴風のすべて」を語りつくした秀作で、
それに著者の方々の愛情が随所にあっていい感じでした。
ただ、この番付表を取り上げていなかったことが惜しまれます。

晴風は自ら書いた「小伝」で、こう語っています。

「十五の年に家督を相続したが、若い身で七、八十人の荒くれ男を
自由自在に働かせるのは容易な業ではなかった。

そこで膂力(りょりょく)の必要を感じて専心力技を練り、
二十歳のころには上達して、
米俵二俵ぐらいは片手で差し上げる呼吸を覚えた。
二十七、八のころには力持ち番付けの幕の内にまで列するに至った」

下は、「集古会」の仲間との集合写真です。明治29年撮影。
「集古会」とは、古い懐かしいものを集めて品評しあった同好会で、
画家、学者、文人や趣味人などの子供ならぬ「大供」たちが、
まじめに「遊び半分」(洒落っ気)で楽しんでいたそうです。

後列左から二人目が晴風(45歳)。
img032.jpg
「おもちゃ博士・清水晴風」からお借りしました。

実はここに登場する方々、この静岡とゆかりのある人が多いのです。

まず晴風ですが、先祖は駿河の清水(現・静岡市清水区)出身なんです。
明暦年間に江戸へ出て、車力(運送業)を始め、
加賀・前田家などの諸大名の御用達しとして繁栄したそうです。

で、その晴風と親しく交わり、「見立番附」を残した山中共古(本名・笑)は、
静岡移住の旧幕臣で、この地でキリスト教の牧師になった人です。
静岡県内などで精力的な民俗調査を行い、
柳田国男が師と仰いだほどの優れた業績を残しています。

そしてもう一つ嬉しいことは、
「清水晴風」の著者のお一人、林直輝氏は静岡県富士市の出身で、
中学生のころから、静岡市に本部を置く郷土玩具愛好会、
「日本雪だるまの会」の会員だそうです。

その「雪だるまの会」のかつての主宰者は、私のご近所だった方で、
この方も「土人形」の貴重な調査書を残しています。

その一つ「俵かつぎ」(坊之谷土人形。小笠町)。製作は明治末。
img982 (2)
「静岡の郷土人形 =大井川町・小笠町・金谷の土人形」
古谷哲之輔 日本雪だるまの会 平成8年

この本にも、晴風の「うなゐの友」の記述が出てきます。

さて、「おもちゃの美を発見した男」晴風さん。
亀戸天満宮に奉納した「力持番付」の写しに、
「思い出しても笑止の至り」などと、やや自嘲気味に書き入れましたが、
でも、自らの墓石にしたのは、若き日に持ちあげた「さし石」だったのです。

「泰雅院晴風日皓善男子」の法号が彫られた
晴風さんの力石のお墓です。

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東京都豊島区巣鴨・本妙寺  「おもちゃ博士・清水晴風」からお借りしました。

享年63歳。辞世の句です。

  「今の世の玩具(おもちゃ)博士の晴風も
           死ねば子供に帰る故郷(ふるさと)

27、8歳で番付に載るほどの力持ちになった晴風さんでしたが、
その後、神田昌平河岸の米屋に乞われて米俵で力量を披露していたとき、
誤って大けがをしてしまいます。

そのことから大いに悟るところがあって、
以来、力持ちとは遠ざかってしまったそうです。

ですがそれ以後も力石をずっと手元に置き、それを自分の墓石にした。
やっぱり、力持ちだったことは終生、誇りだったのではないでしょうか。

そしてそれもまた、清水晴風の「男の美学」だったに違いありません。

<つづく>
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞