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是真も藤村もいた

柴田幸次郎を追う
05 /09 2017
というのはただ上から下へ流れているだけじゃない。
ちょっと前までは、物資を輸送するための一大交通網だった。
その物資と人の流れとともに他国の文化習俗も行き来した。

力石や力持ちもこうした水路を行き来した。

川は今以上に人々の暮らしと密着していた、ということが、
昔の地図を見るとよくわかります。

地図に、以前ご紹介したお寿司屋さんなどの位置を記してみます。
一番右の☆あたりが「廿六メ目」の力石がある「美家古鮨本店」です。

浅草橋(浅草御門)から上へ続く道は、「蔵前通り・奥州日光街道」。
この先は浅草寺に行き当たります。ここには鬼熊の「熊遊」碑があります。

浅草橋付近には現在、総武線浅草駅があります。

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一番左の☆あたりが、
蒔絵師・柴田是真が明治24年の没年まで暮らした家です。

下の写真は82歳の是真。右は「美家古鮨本店」の力石「廿六メ目」
ひょっとしてこの石も船で運ばれてきたのかも。

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真ん中の☆あたりに、
作家・島崎藤村が明治39年から7年間暮らした家がありました。

柳橋の花柳界の一角にあり、忍び返しのついた二階屋でした。
写真の右から二番目が藤村
両脇は妻・冬子の両親。藤村の前の子どもは長男
左端の赤ちゃんをおんぶしたねんねこ姿の女性は妻の冬子でしょうか。

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ここへ転居する前に3人の幼子を相次いで亡くし、
さらに貧乏暮らしが続く中、冬子は栄養失調で夜盲症になった。
それでも転居後も毎年出産。
7人目となる4女出産の折り、ついにこの家で亡くなってしまった。享年33歳。

「まだ上げ染めし前髪の 林檎のもとに見えしとき」

なぁ~んて浪漫主義も結構だけど、家の中は火の車
でも恋愛至上主義は止まず、
妻の死後、姪と関係を持ち子供まで産ませてしまった。

「明治大正見聞録」(生方敏郎)に、こんなことが書いてあった。
「藤村は若い娘と連れだって、よくこの辺りを歩いていた」

まあねえ…。

別に藤村のことではなくて、あくまでも私論ですけど、
私つくづく思うんですよね。

昔の絵描きや文士は貧乏が当たり前で、
世間の規範からはみ出たハチャメチャな人が多かった。

ハチャメチャだったけど、神髄を極める姿勢には凄まじいものがあった。
あの北斎はゴミに埋もれながら名作を描いた。

天才狂人は紙一重」なんて言葉がありますけど、
その線引きは何かと考えてみると、
功成り名を残したかどうかってところかなって思うんです。    

だってそれなりに有名になれば、
それまでの常軌を逸した言動は帳消しかエピソードとして許されて、
世間から、文豪とか文化人とか芸術家なんて呼ばれる。
でも無名のままなら、単なる「性格破綻者」でオシマイですもんね。

しょうがないですよね、非凡とは所詮、そういうものだし…。

あ、ひと言付け足します。
光琳以来の名人とうたわれた蒔絵師の柴田是真は、
非常にまじめで模範的な人だったそうです。顔は恐いですが…。

でもそんな是真でしたが、
相手が天子様でもぴしゃりとはねつける一本気な性格だったとか。

なんでも明治初期に皇室から蒔絵の御用命があったとき、新政府に反発して、
「自分は公方様(徳川家)の世に人と成った」と言って断ったそうです。

とまあ
独り言はこれくらいにして、今度は対岸の地図をご覧ください。

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次回ご紹介しますが、左端の☆あたりに「鬼熊」の居酒屋がありました。

右端下の☆あたりが、釣具店「東屋」の女房で寛政の三美人の一人、
「おひさ」の水茶屋があったところです。
水茶屋のそばに元柳橋があり、「大王石」が置かれていました。

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柳橋と元柳橋の間の隅田川にかかる両国橋を渡ると墨田区で、
国技館や回向院があります。

67歳を一期にこの世を去った江戸和竿師の忠吉さんが住んでいたのは、
その先の本所徳右衛門町(墨田区立川・菊川)。
近くの裏店に「酒飲みの絵描き」(河鍋暁斎)が住んでいた。

この暁斎のことはのちのちブログに書きます。
ちなみに「暁斎」は,
「ぎょうさい」ではなく「きょうさい」と読むのが正しいとか。
そのこともそのときご説明いたします。

神田川や隅田川沿いは職人さんや絵師や文士、落語家や役者、芸者衆など、
江戸文化を支えた「人種」の宝庫でした。

そんな中にポツネンと居座り続けた「大王石」

ここで、柴田幸次郎探しの発端となった
フランス士官、ルイ・クレットマンの写真を今一度、掲げておきます。

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<つづく>
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞