江戸趣味 力遊び
柴田幸次郎を追う
埼玉の研究者、斎藤氏が「美家古鮨本店」の力石と一緒に、
こんな珍しい写真を送ってくれました。
お寿司屋さんにほど近い墨田川沿いの「墨田川テラス」。
遠くにスカイツリーが見えます。

東京都台東区
歩道にきれいなタイルが埋め込まれています。

よく見たら、なんと「力石」の文字が! それも2ヵ所も。
これはすぐわかりますよね。


斎藤氏は昨年も隅田川沿いの遊歩道「石庭」で、
力石そのものを新発見しているんです。
それがこちら(赤矢印)。
「石庭」は「廿六メ目」の石があるお寿司屋さんの対岸墨田区で、
名物「長命寺の桜もち」店の近くです。
この石には立派な刻字があります。
「東男の大石持 國技を偲ぶ 江戸趣味力遊び
昭和二十□年 秀太郎書」

東京都墨田区
江戸時代には、
隅田川に架かる両国橋の東西(広小路)に見世物小屋が立ち並び、
花見や舟遊び、花火見物にと、大勢の人が繰り出しました。
隅田川界隈は江戸趣味の宝庫だったんですね。
ちなみに「見世物」というと現代人は一種、下等なものを連想しますけど、
当時は下岡蓮杖の写真、油絵の展示、エレキテル(電気)、レントゲンなど
時代の最先端の「リアル」を見せていたところです。
なにしろここにいた人形師の精巧な人形を見て、
東大医学部から人体標本の製作依頼があったくらいですから。
で、石の刻字の「東男の…」は、なんとも粋(いき)じゃないですか。
今なおそんな粋な江戸趣味と遊び心を持ち続け、
「力石」をさりげなく配置してくれたお役所があったなんて、もう奇跡です。
とまあ、感謝感激したあと、ふと思ったんですよ。
隅田川河畔の「石庭」に埋め込まれたこの「東男」、

これまでの調査ではまったく姿を見せなかったのに、
一体今まで、どこに隠れていたのでしょう。
斎藤氏によると、「昭和二十□年」はたぶん「二十九年」で、
これと同年の力石が,江東区牡丹の住吉神社に一個=「東光石」、
千代田区神田須田町の柳森神社に2個=「勇老」「力石建立」=あるとのことです。
この「東男」を発見した斎藤氏、ふと、こんなことを…。
「この界隈はしばしば訪れていたにも関わらず、見逃していたとは。
やはり力石探索は、
気配り、目配り、無駄遣いが必要だと改めて思った次第です」
<つづく>
こんな珍しい写真を送ってくれました。
お寿司屋さんにほど近い墨田川沿いの「墨田川テラス」。
遠くにスカイツリーが見えます。

東京都台東区
歩道にきれいなタイルが埋め込まれています。

よく見たら、なんと「力石」の文字が! それも2ヵ所も。
これはすぐわかりますよね。


斎藤氏は昨年も隅田川沿いの遊歩道「石庭」で、
力石そのものを新発見しているんです。
それがこちら(赤矢印)。
「石庭」は「廿六メ目」の石があるお寿司屋さんの対岸墨田区で、
名物「長命寺の桜もち」店の近くです。
この石には立派な刻字があります。
「東男の大石持 國技を偲ぶ 江戸趣味力遊び
昭和二十□年 秀太郎書」

東京都墨田区
江戸時代には、
隅田川に架かる両国橋の東西(広小路)に見世物小屋が立ち並び、
花見や舟遊び、花火見物にと、大勢の人が繰り出しました。
隅田川界隈は江戸趣味の宝庫だったんですね。
ちなみに「見世物」というと現代人は一種、下等なものを連想しますけど、
当時は下岡蓮杖の写真、油絵の展示、エレキテル(電気)、レントゲンなど
時代の最先端の「リアル」を見せていたところです。
なにしろここにいた人形師の精巧な人形を見て、
東大医学部から人体標本の製作依頼があったくらいですから。
で、石の刻字の「東男の…」は、なんとも粋(いき)じゃないですか。
今なおそんな粋な江戸趣味と遊び心を持ち続け、
「力石」をさりげなく配置してくれたお役所があったなんて、もう奇跡です。
とまあ、感謝感激したあと、ふと思ったんですよ。
隅田川河畔の「石庭」に埋め込まれたこの「東男」、

これまでの調査ではまったく姿を見せなかったのに、
一体今まで、どこに隠れていたのでしょう。
斎藤氏によると、「昭和二十□年」はたぶん「二十九年」で、
これと同年の力石が,江東区牡丹の住吉神社に一個=「東光石」、
千代田区神田須田町の柳森神社に2個=「勇老」「力石建立」=あるとのことです。
この「東男」を発見した斎藤氏、ふと、こんなことを…。
「この界隈はしばしば訪れていたにも関わらず、見逃していたとは。
やはり力石探索は、
気配り、目配り、無駄遣いが必要だと改めて思った次第です」
<つづく>
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