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たかが力石、されど…

柴田幸次郎を追う
03 /08 2017
明治初年、フランスからやってきたお雇い外国人、ルイ・クレットマン
当時24歳だったルイ青年は、滞日2年数か月の間に、
ぼう大な数の「日本」をカメラに収めていた。

しかしその写真535枚が陽の目をみたのは、なんと120年後の1990年代のこと。
「大王石」の写真はその中の一枚だったわけですが、
120年後の発見も、私がその中から力石を見つけたのもすべて偶然

祖父ルイの写真を発見した孫のピエールさん。祖父のルイ・クレットマン
img797.jpg
「若き祖父と老いた孫の物語」からお借りしました。

だから私は偶然ってなんて素敵な瞬間なんだろうって思ったんです。

さて、この石には「大王石」との刻字があったことから力石と判明。
そうなれば次に来るのは当然、それを担いだ人物の特定です。
その人物が判ったのは、「大王石」の写真発見のわずか4日後。
これまた偶然です。

私、これに執念を燃やしましたですよ。

なにげなくネットサーフィンで遊んでいたときのことでした。
「そばバカ日誌」というブログに、
「竿忠の寝言」なる変わった記事を見つけました。

引き込まれるように読んでいくと、
ひょっこり出てきたんです、「大王石」が…。
己の勘の良さ?を、一人ひそかに自画自賛

ブログ主は石川県白山市の蕎麦屋さん。
「竿忠のことをたくさんの人に知ってほしい。覚えていてほしい」
そういう思いで、この「竿忠の寝言」を載せていると書かれていました。

「竿忠」とは、
幕末から昭和初年を生きた江戸和竿師・初代「竿忠」中根忠吉のこと。
「寝言」は、その忠吉さんが生前、まるで寝言みたいにつぶやいた言葉を、
孫の三代目が綴ったものでした。

当時の職人の世界や人間模様がおもしろおかしくやるせなく語られていて、
夢中で読んでいるうちに、気が付いたら朝になっていました。

ちなみに、この忠吉のひ孫が四代目竿忠の中根喜三郎氏と香葉子さん。
香葉子さんは言わずと知れた落語家・故・林家三平師匠の奥さまです。

忠竿 (2)

詳細は2016年8月に書きましたのでよかったら見てください。

その「竿忠の寝言」の中の「東屋の全盛」にこうありました。

「日本橋柳町四番地、両国橋の角に釣具店で彦田茂八さん。
此お方は屋号を東屋といって、文化頃に起こった」

この茂八さんの妻は「おひさ」さんといって、
錦絵にも描かれた美人。
平成になってからも何度か記念切手になっています。

「おひさ」17歳。喜多川歌麿・画
C0100784 (4)

で、とうとう出てきたんです。大王石とそれを担いだ人の名が…。

「おひささんは、柳橋と名付けられた起こりの柳の木の下に、
昔、柴田幸次郎、俗称鬼柴田あるいは鬼幸とも称された
怪力の人が差した大王石のかたわらに水茶屋を出していた」

忠吉さんが言う「昔」って、どれほど昔のことかはわかりませんが、
幕末生まれの忠吉さんの記憶に名前が残っていたのです
柴田幸次郎は幕末よりそれほど遠くない時代に生き、
かなり名の知れた力持ちだったに違いありません。

そして「大王石のかたわらに」と言うくらいですから、
この力石もまた柳の木同様、誰もが知っていた名物だったかもしれません。

下の絵は亜欧堂田善の油彩画です。
向うにみえるのは両国橋。青々と勢いのよい柳の木があって、
たぶんそのそばに「大王石」があったはず。

おひさは大王石のかたわらに水茶屋をだしていたというのですから、
左手の建物がその水茶屋かもしれません。

相撲取りのような人物に番頭が「またのお越しを」とかなんとか言っている。

350px-Aodo_Denzen_21 (3)

とにかくこの石がルイ・クレットマンの写真に出ていた「大王石」で、
それを差した男が鬼柴田とも鬼幸とも呼ばれた「柴田幸次郎」と判明した。

どうです。すごい発見でしょう?

興奮のあまり、加えて徹夜で腹ペコだったので朝から大食らいしました。

ですが、ここまでトントンと進んできたこの話、
柴田幸次郎でまた、蹴(け)つまづきました。

不思議なことにこの人物、過去の地元の郷土史家たちにも、
朝倉無聲三田村鳶魚などの明治の風俗研究者の目にも触れたことはなく
また力石研究の故・伊東明上智大学名誉教授の記録にも出てこない。
もちろん、私の師匠、高島先生の力持ち名鑑にも登場しません。

それに「大王石」行方すらわかりません。

そんなわけで、
ここから一歩も前へ進めず、再び新たな挑戦の日々が始まりました。

で、思いあまって「そばバカ日誌」のブログ主さんへ、
四代目が何か知っていないか問い合わせました。
ブログ主さんは四代目とその妹・香葉子さんのいとこさんです。

半年後に届いた四代目さんのお返事は、
「竿のことならたいがいわかるが、力石のことはトンとわからない」

ちょいとヘコみました。
でもみなさん、見ず知らずの私のためにご親切に応じてくださって、
それだけでも有難い。感謝しなくちゃ罰があたる。

柴田幸次郎の名が判明しただけでも御の字です。
だって、謎の「大王石」の記述はこの「竿忠の寝言」にしかないんですから。

ですが、またまた探索が行き詰ったのも確かで、
なけなしの知恵やら当てにならない勘やら偶然やらに願掛けて、
再び、「幸次郎」を追う日々とあいなりました。

2竿忠 (2)

初代「竿忠」忠吉さんの「寝言」は、逆立ちしたってもう聞けないしなあ。

<つづく>

※参考文献/ブログ「竹林舎 そばバカ日誌 人生の徒然を」
※画像提供/「若き祖父と老いた孫の物語」東京・ストラスブール・マルセイユ
      辻由美 新評論 2002
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞