いよいよ…
柴田幸次郎を追う
「大王石」と「柴田幸次郎」、
いよいよ終盤に近づいてまいりました。
白状します。
実は昨年、すでに私は幸次郎の正体を突き止めておりました。
ずるい?
知っていてみんなの気を引いていたのかって?
すみませんね~。ま、おいしい話は引き延ばす、
すぐに正体を明かしてしまうのは惜しいじゃないですか。

でも、もう一つ本音をいえば、
改めて幸次郎探索の経過を書くことは、
自分自身のためでもあったし、お読みくださる皆さまにも解りやすい、
それで長々、経過報告をしてまいりました。
2年もの間、幸次郎を追い続けて、ニッチモサッチモいかなくなったとき、
「そうだ。原点に戻ればいいのだ」と気がつきまして…。
難事件の解決の糸口が見えない刑事が、元の現場に戻るのと同じ、
なぁ~んていったら、ちょっと大げさですけど。
まあ、そんなわけで私は今までの資料をもう一度見直すことを始めました。
私が戻った先は、朝倉無声の「見世物研究」。
この本の「技術編・力持ち」のページを丹念に読みなおしたら、
出てきました、「大王石」が。
でも以前、読み落としたわけではなかったんです。
当時は別の「大王石」ぐらいに軽く考えていたんですね。
例えばこの「大王石」。
これはクレットマン撮影の「大王石」とは書体が違いますから別物ですが。

東京都江戸川区東小岩・善養寺 62余×47×28余㎝ 斎藤氏撮影
「大王石 當村 世話人 若者中 木花仙蔵」
ちなみにこの「大王石」の撮影者の斎藤氏は、埼玉在住の力石研究者です。
私の力石の師匠、西の高島先生に対する東の師匠にあたります。
斎藤氏は力石探索もさることながらお祭り大好きな粋なおじさんです。
下の写真は青年時代の斎藤氏(右端)。
モノクロ写真というところが時代を感じさせますね。
「髪型は角丸刈り風の神輿連中こだわりの祭りカット。
素肌に鯉口、どんぶりという腹掛け、パッチをはいて半纏を羽織り、
襟と裾を整えて、帯をまわしてキュッとしめ、白鼻緒の雪駄をはいて…」

さて、
「見世物研究」の著者、朝倉無声は、「技術編・力持ち」の中で、
清水晴風という人にインタビューし、こんな紹介をしています。
「清水晴風は通称仁兵衛といって、車力を家業としていただけに、
若年から力持ちを練習して、ついに力持ち番付の幕の内に列したほどの男」
「されば幕末から明治にかけての素人力持ちについては、
生き字引といわれるほど精通している」
そしてこの「家業が車力の力持ち」のことをこうも言っているのです。
「玩具博士として有名な…」
えっ、なに! 玩具博士?
子どものおもちゃと力持ちがどこでどう結びつくの?
不思議な展開になってきましたが、
でも、想像もできなかったこの結びつき、調べるしかありません。
で、こんな本を見つけたんです。

<つづく>
いよいよ終盤に近づいてまいりました。
白状します。
実は昨年、すでに私は幸次郎の正体を突き止めておりました。
ずるい?
知っていてみんなの気を引いていたのかって?
すみませんね~。ま、おいしい話は引き延ばす、
すぐに正体を明かしてしまうのは惜しいじゃないですか。

でも、もう一つ本音をいえば、
改めて幸次郎探索の経過を書くことは、
自分自身のためでもあったし、お読みくださる皆さまにも解りやすい、
それで長々、経過報告をしてまいりました。
2年もの間、幸次郎を追い続けて、ニッチモサッチモいかなくなったとき、
「そうだ。原点に戻ればいいのだ」と気がつきまして…。
難事件の解決の糸口が見えない刑事が、元の現場に戻るのと同じ、
なぁ~んていったら、ちょっと大げさですけど。
まあ、そんなわけで私は今までの資料をもう一度見直すことを始めました。
私が戻った先は、朝倉無声の「見世物研究」。
この本の「技術編・力持ち」のページを丹念に読みなおしたら、
出てきました、「大王石」が。
でも以前、読み落としたわけではなかったんです。
当時は別の「大王石」ぐらいに軽く考えていたんですね。
例えばこの「大王石」。
これはクレットマン撮影の「大王石」とは書体が違いますから別物ですが。

東京都江戸川区東小岩・善養寺 62余×47×28余㎝ 斎藤氏撮影
「大王石 當村 世話人 若者中 木花仙蔵」
ちなみにこの「大王石」の撮影者の斎藤氏は、埼玉在住の力石研究者です。
私の力石の師匠、西の高島先生に対する東の師匠にあたります。
斎藤氏は力石探索もさることながらお祭り大好きな粋なおじさんです。
下の写真は青年時代の斎藤氏(右端)。
モノクロ写真というところが時代を感じさせますね。
「髪型は角丸刈り風の神輿連中こだわりの祭りカット。
素肌に鯉口、どんぶりという腹掛け、パッチをはいて半纏を羽織り、
襟と裾を整えて、帯をまわしてキュッとしめ、白鼻緒の雪駄をはいて…」

さて、
「見世物研究」の著者、朝倉無声は、「技術編・力持ち」の中で、
清水晴風という人にインタビューし、こんな紹介をしています。
「清水晴風は通称仁兵衛といって、車力を家業としていただけに、
若年から力持ちを練習して、ついに力持ち番付の幕の内に列したほどの男」
「されば幕末から明治にかけての素人力持ちについては、
生き字引といわれるほど精通している」
そしてこの「家業が車力の力持ち」のことをこうも言っているのです。
「玩具博士として有名な…」
えっ、なに! 玩具博士?
子どものおもちゃと力持ちがどこでどう結びつくの?
不思議な展開になってきましたが、
でも、想像もできなかったこの結びつき、調べるしかありません。
で、こんな本を見つけたんです。

<つづく>
スポンサーサイト