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♪人のやれないことをやれ~

柴田幸次郎を追う
01 /04 2017
昨年のうちに終了するはずだった「柴田幸次郎」「大王石」話。
外国奉行・柴田剛中から幕末へと話が飛び、思わぬ長話になりました。

幕府崩壊後の徳川家臣団を続けます。

「駿遠に移住した徳川家臣団」の著者、前田匡一郎氏が、
家臣団に興味を抱いたのは蓮永寺に眠る墓塔群だったという。

蓮永寺です。
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静岡市葵区三松

「没年は明治初期に集中している。
これはいったい、どのようなお人たちなんだ?」
と。

調査に着手したものの、ローカルの文献では限りがある。
そこで東京の公文書館や青山墓地へと通い始めた。

「世界でたった一つの資料を作り上げてみよう。
風が吹けば飛んでなくなるような年金暮らしの私の寿命など知れている。
だが、筆跡は五十年、百年も生きる」


前田氏は当時の意気込みをそう記しています。

静岡県への移住者は家族も含めると3万人以上といわれています。

駿府へ移住した旧幕臣たちです。
左から松岡万30歳、山岡鉄太郎(鉄舟)32歳、村越蠖堂(かくどう)27歳。
驚くほど若い。
こういう若い人たちが命がけで、歴史の表舞台で動いたんですね。

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「駿遠へ移住した徳川家臣団」より

旧・浪士組取締役だった松岡万は、
大茶園・牧之原開拓や新門辰五郎との製塩事業などに着手。
人望があったためか、静岡県磐田市には、この人を祀った神社があります。

村越蠖堂は元・黒鍬の者。
移住後は松岡万に付属して製塩方記録係や静岡新聞縦覧場社員に。
駿府城堀端の教導石にその名を残しています。

話を戻します。
さて、路頭に迷った旧幕臣は、なにも静岡県ばかりではなかった。

「武士の家計簿」(磯田道史)という本があります。
映画にもなったのでご記憶の方もおいでかと思いますが、
この本には、静岡の移住者に負けず劣らずの、   
加賀藩士たちのさまざまな実情が記されています。

興味深いのは、維新後の混乱を乗り切れた家臣と、
没落していった家臣のその差について考察されていることです。

平成13年の酷暑の中、
磯田先生は銀行で下したばかりの16万円を持って、
神田神保町の古書店へ駆け込みます。
そこで興奮しつつ購入したのがこの「金沢藩士猪山家文書」です。

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「武士の家計簿」より

探し求めていた「武士の家計簿」は37年間という完璧な記録だったそうです。

著者は藩の御算用者(会計係)だった猪山家に焦点をあて、
その成功の鍵をこう分析しています。


それはこの家が、由緒だけに頼ってきた士族と違い、
藩という組織以外でも通用する「ソロバン役」という実務家で、
その有益な学識才能を持っていた。
そのことが新政府の目指す近代化に合致したー。

ちぶれて犀川の橋詰めで、
ドジョウやトウモロコシを焼いて売っている元士族を尻目に、
実務官僚がいない新政府からヘッドハンティングされた猪山家当主は、
最重要組織の日本海軍の会計を担当するまでになり、
年収3600万円(2003年換算)もの支配エリートになります。


質素な下級武士から新政府の官僚となった猪山家当主です。
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「武士の家計簿」より

この本によると、
明治7年の猪山家の年俸は当時のお金で1235円
これに対して金沢製紙株式会社の雑務係りに採用された元士族の親戚は、
日雇いにしかなれず、年俸はたったの48円であったという。

著者はいう。
「これが士族にとっての明治維新の現実であった。
新政府を樹立した人々は、お手盛りで超高給をもらう仕組みをつくって、
さんざんに利を得たのである」


「官僚が税金から自分の利益を得るため、好き勝手に制度をつくり、
それに対して国民がチェックできないというこの国の病理は、
すでにこの頃にはじまっている」

あれ? それって平成の今もいえますよね~。
高級官僚と非正規雇用…。う~ん、官僚ってやつは…。

著者はこんなことも言っています。

「幕末は政治の季節であり、有能な者はみな政治に走った。
しかし猪山親子には全く政治的な動きをした形跡はない。
機械的な官僚としてひたすら業務をこなす。意見はいわない。
これが藩に受け、新政府にも受けた」

「家臣団」の著者、前田匡一郎氏は調査がつらくなると、
水前寺清子が歌った「いっぽんどっこの唄」の
「♪人のやれないことをやれ~」のメロディに、
励まされつつがんばったという。

レコードの発売は1966年。ってことはうわわ、半世紀も昔の唄なんだ。
水前寺さんも年とっだだろうなあ…。

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さて、この著者は「武士の家計簿」をこんな言葉で締めくくっています。

「武士のその後を追いかけなければ、
維新後の士族の本当の姿はわからない。
これから解明していかなければならない課題です」


まさに前田氏はその解明のため、
武士のその後を16年も追い続けたのです。

こういう「人のやれないこと」をやった人たちはほかにもいます。

それは、消えゆく庶民遺産の力石を残そうと全国行脚を続けた
四日市大学の高島愼助先生と、
その先生を支えてきた過去現在の調査・研究者たちと、
岐阜の大江さんや兵庫の浪速の長州力さんに代表される現役の力持ち、
そして、今なお伝統を守り、
石や俵や鏡餅による力持ち大会を続ける全国各地のみなさまたちです。

「幕末から今度は力石かい?」なあんてお笑いくださいますな。

力石担ぎ挑戦の最年長者の浪速の長州力氏(左)と、
若手の実力者・大江誉志氏。

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こちらは毎年「播州秋祭り」に行なわれる姫路市大津区の天満力持ち
果敢に挑む若者と指導する高校教師の三輪光先生です。

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こちらも毎年恒例の「力石総社」
子供からお年寄りまで楽しんでいます。

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岡山県総社市・総社宮

調査中の高島先生です。
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静岡県御殿場市柴怒田(しばんた)・古道道端

「阿吽の呼吸という言葉がある。力石という重い石を担ぐときの思いは、
この「吽字義」の世界であると思う。
著者がそこに感じるのは、
農耕民としての日本人の、精神的生活の原型である」
=「力石ちからいし」「高島愼助・考察」より

長年の調査研究の集大成「力石 ちからいし」です。
しょっちゅう手にしているのでボロボロになりました。

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表紙に書かれている言葉は、
兵庫県姫路市網干区津市場「稲荷神社」の力石の碑文です。

朝は朝星 夜は夜星を頂く迄働き
粗食に耐え乍ら鍛えた往時の人の
旺盛なる体力と気力を此の石は語る



高島先生は今月、長い教員生活に別れを告げ退官されます。

「お疲れさまでした。
今後は在野の研究者としてなお一層がんばってください」


頼りない自称弟子は心からそう願っています。

フーッ。長い文章になっちゃって…。
新年早々、ちょいと頑張り過ぎました。

<つづく>

※参考文献・画像提供/「駿遠へ移住した徳川家臣団」前田匡一郎 
           1~4巻自費出版 5巻 羽衣出版 平成19年
           /「武士の家計簿」磯田道史 新潮社 2003
※参考文献/「力石 「ちからいし」」高島愼助 岩田書院 2011
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞