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国際社会へ

柴田幸次郎を追う
10 /05 2016
のちに外国奉行となった柴田剛中(たけなか)という人は、
10歳で父親を失い、以降、頭領として一族を率いる立場になります。

そういう境遇もあってか、この人の日記を読むと、
責任感の強さや謹厳実直さがヒシヒシと伝わってきます。
剛中研究者の君塚 進も、
「昌平黌(しょうへいこう)に学び成績優秀、両度賞賜を受けている」と、
努力家で真面目な剛中の人柄に触れています。

昌平黌というのは幕府直轄の学問所のことです。
明治4年に閉鎖されますが、その流れをくむのが高等師範学校で、
これが東京教育大学、さらに筑波大学へとつながっていきます。

この昌平黌に対して「開成所」という学問所がありましたが、
こちらは洋学・西洋医学を学ぶ教育機関で、東京大学につながっていきます。

さて、第一回目の遣外使節団をアメリカへ送った幕府は、
その2年後、今度はヨーロッパへ使節を派遣します。
これが竹内保徳を正使とした文久二年(1982)の遣欧使節です。

この主な目的は、「開港・開市延期交渉」です。
これに柴田剛中は組頭として加わります。

img153.jpg
「御開港横浜之全図」 作者不詳 安政6年

なにしろ井伊大老暗殺で国内はますます混乱。
外国勢力を排除する「攘夷論」が激しさを増し、
外国人殺傷事件もひんぱんに起きている。

下の絵は、遊女・喜遊です。
15歳の時アメリカ人に見初められたが、これを拒んで自殺。

喜遊・辞世の歌

露をだにいとふ倭の女郎花
      降るあめりかに袖はぬらさじ

遊女とて、大和の女。アメリカさんに汚されてなるものか。

img134.jpg
芳年画  明治11年

そこで幕府はこう考えました。

長い鎖国状態にあった国だったのに急激な条約締結をしてしまったため、
人々は混乱し、うまく折り合いをつけられないでいる。
だからいったん港を閉鎖して外国人の受け入れを中止することで、
国内の鎮静化を図りたい、と。

使節団の訪問先は、
イギリス、フランス、オランダ、プロシャ、ロシア、ポルトガルの六か国。

目的の「開港・開市の延期交渉」は、無事成立したものの、
相手は「他人の領土も自分のもの」という知恵も力もある先進的異国人です。
代わりにいろいろ要求されて、
「相当高い利子を払うはめに」なった。

しかし、そういう外国勢にしても一致団結していたわけではありません。
それぞれの国が日本の利権を狙ってそれぞれの思惑で動いています。

アメリカのハリスが最初にツバをつけたニッポンという国。
そのアメリカに取って代わろうとしたのがイギリスで、
今度の使節団のシナリオはすべて英公使のオールコックが書いた。

イギリスはさらにロシアをもけん制します。

ちなみに、オールコックの次に英公使になったのがパークスで、
そのパークスの随行員として来日したのが、医師のウィリスです。
この人は薩摩藩のお雇い教師になったとき、薩摩藩士の娘・八重と結ばれます。

袖を濡らす人、濡らさない人。当時はどちらも勇気がいりました。

八重(左)。
右は八重とウィリスとの間に生まれたアルベルト
9歳の時父と共に帰国。その後20数年を経て母子は東京で再会したという。

img152 (2) img152.jpg

日本より狭い国土のイギリスは、軍事力を持って七つの海を制覇。
中国に阿片戦争を仕掛けたり、その野望は留まるところを知りません。
だから使節団の日本人の誰もがこの渡航中、
「西洋列強の植民地主義が日本に迫ってくる」危機感を持った。

「西洋見聞集」の解説者、松沢弘陽は、
通詞として同行した福沢諭吉が、
その危機に対してどのような解決策を持ったかをこう記しています。

「福沢諭吉は、ヨーロッパの弱小国ポルトガルが、
なぜ大国の権力政治の渦中にあって独立を全うしえているのかに着目し、
それは「世界普通の道理」が支配しているからではないかと考えた。

世界普通の道理とは、国家の平等と国際法の支配。
福沢は、弱肉強食の権力政治と、ヨーロッパの公法に従がうという
平等・友好の両面の対立をはらんだ国際社会の構造や、
世論の批判が政府の対外政策の誤りを修正する役割をしている
という現実を実感」

それらを踏まえて、今後の日本の行くべき道を福沢はこう主張した。

「国民統一と富国強兵という実力の裏付けを築きつつ、
「世界普通の道理」を信頼して開国に踏み切るべき」

福沢諭吉、このとき27歳。柴田剛中39歳。

この若さが日本を変えていった。

<つづく>

※画像提供/「明治幕末の歴史②」小西四郎 講談社 昭和52年
     /「朝日新聞100年の歴史に見る④外国人の軌跡」
     朝日新聞社編 1979
※参考文献/「西洋見聞集」日本思想大系 沼田次郎、松沢弘陽校註
     岩波書店 1974
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞