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なさけねぇ~

文政八年(1825)三月、
柴田勝次郎は、力持ち界の東の大関、土橋久太郎一座に加わり、
他国へ力持ち興行に出掛けます。

この文化文政期というのは、江戸時代の爛熟期といわれ、
特に庶民文化の華が開いた時代で、力持ちたちの活動も隆盛を極めます。

葛飾北斎が「富嶽三十六景」を完成させたのもこのころですが、
一方で、イギリス、アメリカ、ロシアなどの異国船が、
日本近海にウロチョロ出没し始めた時期でもありました。

土橋久太郎(左)です。酒樽3個に米俵の足差し。右は木村与五郎
img121.jpg
歌川国安画      トレース/高島教授

関西の力持ちは、プロとして江戸へ興行にやってきましたが、
江戸では素人力持ちが全盛で、寺社などで奉納力持ちを行っていました。
彼らは別に職業を持っていたため、木戸銭を取りません。
それがまた江戸っ子の人気を博した。

土橋久太郎も芝の魚店の従業員。
しかし、ちょいと色気が出て旅興行へ出かけることになります。

一行七人が向かった先は大坂・難波新地

その興行目録を見ると、久太郎一座の「江戸力持」のほかに、
「大坂力持」「大坂北蔵中 安治川連中」「大坂女力持」「子ども力持」、
それに「猿力持」とあります。
猿も両手で米俵を持ったんでしょうかねえ。気の毒に。

この力持ち興行では、
久太郎一座の「江戸力持」だけが大当たりします。
この時の絵が残っています。

こちらがリーダーの久太郎です。
15065487-s (2)

勝次郎はというと、こちらです。
勝次郎15065487-s (2)

埼玉の研究者、斎藤氏が嘆いていました。

なさけねぇ~。我らが勝ちゃんが出して臼を足差ししている。
よりにもよって、こんな図柄にしなくてもよかったのに」

スター、木村与五郎はこんな感じ。
15065487-s (3)

なにしろこの与五さん、歌舞伎役者も顔負けの男ぶり。
美男で力持ちとくれば、そりゃあ、もう…。

よし国の大判錦絵にも描かれています。

与五郎木村
甲南女子大学図書館蔵  ブログ「見世物興行年表」(蹉跎庵主人)

でも美男薄命です。木村与五郎、行年24歳

さて、土橋久太郎はこの大当たりに気をよくして、翌年再び大阪へ。

「昨年、御ひいきにしてくださった御方からもう一度と乞われ、
不調法なる私ども、辞退したのですが、ぜひぜひ興行致せ」

と言われたとかで、久太郎、昨年と同じ三月、意気揚々と大坂入り。

「口上高うはござりますれど御免蒙り、是より口上をもって申し上げまする」
とご披露に及んだものの、今度は「格別に不入り」

不入りになったのは、「勝ちゃんが尻出して…」というわけではありません。
このときのメンバーは全員新顔で、名の知られていない二流どころばかり。
浪花人を見くびっちゃいけねえよ」というわけで、早々に退散。

それから四か月後の七月、
江戸力持ちのメンツにかけて、尾州(名古屋)大須で巻き返しをはかります。

「大石百五十貫目米三俵乗せた足差し。
米十五俵を腹に乗せ、その上で俵の曲差し」などなど強力を発揮。

がんばった甲斐あって拍手喝采のロングラン。
江戸力持ちの名誉を挽回して、
意気揚々と江戸へ帰ったのでありました。


<つづく>
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プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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