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もう一人の柴田

柴田勝次郎率いる「柴田連中」とは別に、柴田姓を名乗る力持ちがいました。

「柴田四郎右衛門」です。

四郎右衛門の名の入った石は1個しか確認されておらず、
また、柴田連中の力石に四郎右衛門の名は見い出せませんが、
住まいは同じ神田、活動時期も同じ文政期であることから、
柴田連中とは何らかの関係があった可能性も捨てきれません。

石の刻字の筆跡も、両者とも似ているんですね。

なので、ここでは四郎右衛門の持った石も「柴田連中」
5個目の力石としてカウントしました。

四郎右衛門の力石です。(千代田区指定有形民俗文化財)
CIMG0812 (3)
110余×73×32㎝    東京都千代田区外神田・神田神社

「奉納 大磐石 神田仲町二丁目 
 柴田四郎右衛門持之 文政五年壬午三月吉日」


この神田神社(神田明神)の祭りの様子が、
斎藤月岑「東都歳時記 2」九月に載っています。

「産子の町数六十町 番敷三十六番 各山車ねり物に善美をつくし、
壮麗鄙人の目を驚かしむ」

神田明神の祭礼は山王(千代田区・山王日枝神社)の祭りと共に、
御用祭り、天下祭り といわれ、大江戸の二大祭礼だったそうです。

御用祭りとは、徳川将軍のご上覧がある祭りのことです。
将軍様が見るとなれば、いやが上にも盛り上がります。
年番に当った町内の者は、

「力の限り、魂の限り見栄を張り
祭りのためなら妻子を売りとばしてでも衣装に贅をこらした」

ご上覧ゆえ、山車は牛車に牽かせたそうです。

img119 (2) img120 (2)

右の山車は「岩に松竹梅」でしょうか。こんなのもあったんですね。
ほかに「弁慶」「龍神」「乙姫」など36もの豪華な山車が道を連ねたそうですから、
その華やかさや人々の熱気が目に浮かぶようです。

現在の神田明神の祭りの写真を埼玉の斎藤氏が送ってくれました。
「妻子を売りとばしてでも」はもうないでしょうが、
今も変わらぬ「人、人、人」

DSCF7477.jpg

先日、知人から電話をいただきました。
なんだか興奮しています。

力石、見ました! 神田で。神田神社にありました。
 あんな大きな石だとは思わなかった。
 あんなのを担いだなんて信じられない!

今まで、全く興味を示さなかった方ですが、

まあ、「百聞は一見にしかず」ってことですね。


<つづく>

※参考文献・画像提供/「東都歳時記」斉藤月岑 天保9年 
         復刻 朝倉治彦・校注 平凡社 1970
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プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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