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柴田連中

今、追いかけている「柴田幸次郎」のほかに、
「柴田」を名乗る力持ちが神田におりました。

この「柴田」は柴田勝次郎をリーダーとした一門で、
「柴田連中」と名乗った。彼らが担いだ力石は、
都内に4個、群馬県桐生市に1個計5個残されています。

5個を一挙公開です!

「小亀石」
20150503134557f57 (2)
70余×50×20㎝ 東京都台東区浅草 待乳山聖天 発見者・撮影/斎藤

「小亀石 文政十歳 柴田連中」

彼らが残していった力石を見ていくと、
この一門の活動時期は文政年間(1818~1830)に集中しております。
残念ながら、その一門の中に幸次郎は出てきません。

「大亀石」
桐生市・天満宮6 (2)
112×70×20余㎝ 群馬県桐生市 桐生天満宮  撮影/高島教授

「奉納 大亀石 文政十丁亥歳九月吉日
江戸神田 柴田勝次郎 柴田紋次郎 
柴田吉五郎 柴田文八 □人中」

この中にも、幸次郎の名は見当たりません。

しかし、その幸次郎は、
文政から約40年後に生まれた「竿忠」初代忠吉の記憶の中にいた。
柴田連中の話は同時代に生きた祖父などから聞いていたはずですから、
柴田幸次郎「大王石」を持った時期もまた、
文政年間の可能性があります。

また同時に、両国橋角で釣具店を営んでいた「東屋」初代茂八の女房
「おひさ」が生きていた時代でもあります。

こちらは足立区大谷田の区立郷土博物館の力石です。
柴田連中の「寶来石」を含め全部で5個収蔵されています。

img631 (2)

「寶来石」
img118.jpg
67×44×24㎝   「東京の力石」より

「寶来石 文政十歳 柴田連中」

以前は千住仲町の旧日光街道沿いの商家の庭に、
商売繁盛を願う縁起物の庭石として置かれていたそうです。
説明板にはこう書かれています。

本来は庭の池の中央に、
宝島蓬莱山に見立てて置かれていたものであろう」

力石が縁起物になっていたなんて、

うれしいですねえ。


足立区立郷土博物館「寶来石」を取り上げてからすでに13年。
ひょっとしてもう片づけられてしまったかもと心配になり問い合わせました。
郷土博物館様より「今も庭にあります」とのお返事をいただき、安堵。

お近くへ行かれた折りにはぜひ、見ていただけたら嬉しいです。

と、これで、シャンシャンかと思いきや、新たな事実が判明。
  
埼玉の研究者・斎藤氏からご指摘を受けました。

足立区立郷土博物館さまから、
「現在も庭に5個ございます」とのお返事をいただきましたが、
実は「6個」であることが斎藤氏からのメールで判明しました。
斎藤氏は、2010年1月24日に現地で6個目の力石を確認しています。

「郷土博物館さ~ん! しっかりしてくださいよ~

下は現在の同博物館の力石です。一番右端に立ててある石が「寶来石」
一番左端の石が新発見の「二拾メ目」石です。

DSCF0629.jpg

「二拾メ目」石です。
DSCF0633.jpg
57×33×14余㎝  撮影/斎藤



<つづく>

※参考文献・画像提供/「東京の力石」高島愼助 岩田書院 2003
               /「新発見・力石」高島愼助 斎藤保夫 
                岩田書院  2010
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プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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