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高島屋おひさ

柴田幸次郎を追う
08 /13 2016
江戸和竿師「竿忠」初代・忠吉の一代記、「竿忠の寝言」の中に、
ひょいっと出てきた「大王石」「柴田幸次郎」。

それは、
「日本橋新柳町四番地、両国橋の角に釣具店で彦田茂八さん、
此お方は屋号を東屋と云って、文化頃に起った」
で始まる「東屋の全盛」に書かれていました。


その「東屋」の初代茂八さんの妻は「おひさ」さんといって、
錦絵にも描かれた有名な「お角力お久」といわれた人なんだそうです。

おひささん。17歳。喜多川歌麿・画
この錦絵は、
2007年「ふるさと切手・江戸名所と粋の浮世絵」の一枚になりました。

C0100784 (3)

なんでも、
吉原の芸者・富本豊ひなと浅草寺隋身門前の水茶屋の娘・難波屋おきた、
それにこの薬研堀両国米沢町の
せんべい屋兼水茶屋の娘・高島屋おひさは、
「寛政の三美人」
と謳われた当時のスターたちだったそうです。

歌麿はこの三美人がよほど気に入っていたとみえて、
「腕ずもう」の絵なども描いています。

この三美人を描いた錦絵も2011年、「ふるさと切手」になりました。

2011sanbjin.jpg
左がおひさ、右がおきた

そんな美女を釣具店の茂八さんが女房にしていたなんてすご~い!

でも竿忠の初代忠吉さんは、こんなことも書いているんです。
「目方が二十八貫、女で一升のお酒を呑んだ名物女」

二十八貫といえば105㎏です。
う~ん…。
いつ頃の話かわかりませんが、
でっぷり太って大酒食らっていたおひささんなんて、
「寛政の三美人」とはほど遠いイメージです。

ちょっとがっくり。

このおひささん、
「柳橋と名付けられた起こりの柳の木の下に、
昔、柴田幸次郎、俗称鬼柴田あるいは鬼幸
とも称された怪力の人が差した大王石の傍らに、
水茶屋を出していた」そうで。

忠吉さんがいう「昔」って、どれほど昔のことかはわかりませんが、
とにかく幕末生まれの忠吉さんの記憶に名前まで残っていたのです。
柴田幸次郎はかなり名の知れた力持ちだったと思います。

ほっそり美人が肥満体の酒豪おばさんに変貌してもそれはそれ。
なにはともあれ、忠吉さま、よくぞ書き残してくれました。

今のところ、元柳橋の「大王石」のことは、
この「竿忠の寝言」の証言しかないのです。


こちらはフランス士官のあの写真と同じ場所を描いた
亜欧堂田善の油彩画です。

350px-Aodo_Denzen_21 (2)
柳の木の下にいる二人は相撲取りでしょうか。
そして左側の家は、おひささんゆかりの水茶屋なんでしょうか。

この絵の中に「大王石」は描かれてはいませんが、
相撲取りのうしろに、デンと控えていたに違いありません。

=追記=

「江戸名所図会」で知られる斎藤月岑の著書
「武江年表」に出てくる「寛政の三美人」のうちの一人は、
芸者・豊ひなではなく、芝神明前の水茶屋の娘・おはんです。

どうやらおはんさんはランク落ちして、
芸者・豊ひなに取って代わられたみたいです。

また「武江年表補正」の著者・喜多村信節(のぶよ)=筠庭(いんてい)は、
こう書いています。
「(おきた見たさに)隋身門前は見物人混みあいて…(略)…、
しかし、両国のおひさの前はさほどにはなかりき」

美を競うのはなかなか厳しい。

<つづく>
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞