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「大王イカ」探しより難しい

柴田幸次郎を追う
08 /01 2016
現在、全国で確認されている力石は、約1万5000個。
(高島愼助・四日市大学教授の調査)。

その1万5000個の中で、
名勝写真や名画の中に写り込んでいる力石は、
おそらく元柳橋の「大王石」のほかにはありません。


しかしそれほど皆さんの目に触れ、知れ渡っていたはずなのに、
この力石についての記述は皆無。現在その所在すらわかりません。

こちらはフランス士官の写真の一部を拡大したものです。
ちなみに、石の背後にあるのは米俵です。
かつて薬研堀には幕府の米蔵が立ち並んでいたそうです。

img188 (11)

ちょっとブレていますが、
石のかたわらに白いこうもり傘を持ったご婦人が立っています。
この人と石とを見比べてみてください。
大王石がいかに大きな石かお解りいただけたかと思います。

現代人には、人が持ち上げたなんて信じられないほどの巨石です。
これほどのものなら残っていて当然ですし、
写真や絵画に描かれているのだから、
これを上げた人は、かなり名のある人物のはず。
このように石に刻字を施してあることがそれを証明しています。

そこで埼玉の研究者・斎藤氏に、お尋ねしました。
「東京には大王石と刻字のある力石はほかにありませんか?」

「一つだけあります」
そう言って送って下さったのがこれ。

DSCF5223 (2)
江戸川区東小岩・善養寺 62×47×28余㎝  撮影/斎藤氏

「大王石 當村 世話人 若者中 木花仙蔵 足持之」

木花仙蔵こと池田仙蔵
下小岩村住。薩摩屋敷出入りの舟運業者。

「木花」の由来は、成田講中が下小岩村を通過するとき、
力持ちの仙蔵は頼まれて、重い講の幟を持ち先頭を歩いた。

少しも揺れず、幟がはためく様はあたかも枯木が動いていくようで、
人々は「木花」ともてはやし、以来「木花の仙ちゃん」と呼ばれるようになった。
そして自らも「木花の仙蔵」と称し、池田家も「木花の家」と呼ばれたという。
=「江戸川区の力石」鷹野虎四 私家本 1999=より。

もしや元柳橋の大王石はこの「木花仙蔵が持った石か」と思ったものの、
残念ながら別物。石に刻まれた書体が違いました。

ちなみに木花仙蔵の力石は、善養寺に6個、小岩神社(東小岩)に5個、
天祖神社(南小岩)に3個の計14 個存在しています。

雪に埋もれた南小岩・天祖神社の仙蔵の力石「鬼丸石」です。
苦労して石をかき出したときの私の指の跡が雪に残っています。

CIMG1076 (2)
70×53×32㎝

てやんでぇ こんな大雪屁でもない
         こちとら江戸の力石だい!
  雨宮清子    

「木花仙」の大王石は別物とわかってがっかり。
慰めるように、斎藤氏が言った。

「東京は震災・戦災に見舞われ、
復興・開発で全く別の街並みになってしまいました。
このように路傍に置かれた力石は、奇特な方がいて移設でもしない限り、
無残な扱いをされたかもしれません」

そこで、ブログで呼びかけました。

「元柳橋の柳の下の謎の大王石、どなたか知りませんか~!」

でもどこからも反応なし。
他力本願で、なんて考えは間違っていた。こうなりゃ自力でやるっきゃない!

というわけで、再び「大王石、やあーい!」の孤独な探索が始まりました。
で、人生、どんなところに幸運が転がっているかわかりません。

ひょんなことから、この力石を担いだ人物が判ったのです。

<つづく>

※画像提供/「フランス士官が見た近代日本のあけぼの」
     ルイ・クレットマン アイアールディー企画 2005
※参考文献/「石に挑んだ男達」高島愼助 岩田書院 2009

=ご報告=
東小岩・善養寺の木花仙蔵の刻字石について、
これまで書籍では4個とされてきましたが、
その後、埼玉の研究者・斎藤氏により、2個判読発見され、
現在は計6個となっております。
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞