男が惚れる
柴田幸次郎を追う
木場の話をもう一つ。
深川木場で川並をやっていた方、
明治18年生まれの湊庄吉さんの聞き書きです。
聞き書きが行われた昭和39年当時、79歳。
川並鳶としての風格が滲み出ています。

「続・職人衆 昔ばなし」より
「川並というのは木場の筏乗りで、
昔は仙台堀と油堀と新地の口が木場へ出入りする喉元で…」
「紺の股引きに紺の長半天、菅笠の緒をキリッと締めた川並が、
手慣れの竿鍵一本で、混み合う大川の河口を乗り切る姿は、
男が男に惚れたくなるような見事なもんでした」
男が惚れる? いやいや女は大惚れです。
湊さんは阿波の徳島出身。13歳で木場の材木商の小僧になった。
13歳で20貫(約70㎏)の材木を担げたそうですから、
昔の人は本当に凄い。
歌川広重「江戸名所百景」深川木場

「下は股引きですが上半身は裸。
麻で縫った肩当てを右肩にヒョイとのっけてから担ぐんです」
「股引きの色は19歳までは浅葱色で、19歳からは一人前の黒。
ああ、早くパリッとした黒の股引きをはきたいなあと何度も思った」
「19歳になったとき、憧れの黒の股引きをはけるようになり、
50貫目(約185㎏)ぐらいの材木は担げるほど力もついた」
この深川材木町には、
「世に隠れなき名筆」と言われた書の大家、三井親和が住んでいた。
この人が揮毫した力石の一つをお見せします。
墨田区の吾妻神社の力石です。この中に2個あります。

三井(深川)親和揮毫の力石 作図/伊東明教授


83×48×21㎝
「元木場材木町 金七擔之 正目五拾貫貮百目 深川親和書」
「擔之」は「これを担いだ」という意味です。
正目とは「正味」=正確に量った重さの意。
高島愼助教授によると、「切付(きりつけ)八掛け」という言葉があって、
力石の多くは、その石に刻まれた貫目の八掛けが、
正味の重量とされていたそうです。
つまり刻字(切付)された貫目の2割引きが実重量ということになります。
だから、「自分は刻字(切付)通りの重さを担ぎましたよ」と証明するために、
わざわざ「正目」と入れるわけです。
金七は元木場材木町の住人で、石も担いだ力持ちの石工です。
それにしても金七さん、
「五十貫貮百目」とはチト細かい。
<つづく>
※参考文献・画像提供/「続・職人衆 昔ばなし」斎藤隆介
文藝春秋 昭和43年
深川木場で川並をやっていた方、
明治18年生まれの湊庄吉さんの聞き書きです。
聞き書きが行われた昭和39年当時、79歳。
川並鳶としての風格が滲み出ています。

「続・職人衆 昔ばなし」より
「川並というのは木場の筏乗りで、
昔は仙台堀と油堀と新地の口が木場へ出入りする喉元で…」
「紺の股引きに紺の長半天、菅笠の緒をキリッと締めた川並が、
手慣れの竿鍵一本で、混み合う大川の河口を乗り切る姿は、
男が男に惚れたくなるような見事なもんでした」
男が惚れる? いやいや女は大惚れです。
湊さんは阿波の徳島出身。13歳で木場の材木商の小僧になった。
13歳で20貫(約70㎏)の材木を担げたそうですから、
昔の人は本当に凄い。
歌川広重「江戸名所百景」深川木場

「下は股引きですが上半身は裸。
麻で縫った肩当てを右肩にヒョイとのっけてから担ぐんです」
「股引きの色は19歳までは浅葱色で、19歳からは一人前の黒。
ああ、早くパリッとした黒の股引きをはきたいなあと何度も思った」
「19歳になったとき、憧れの黒の股引きをはけるようになり、
50貫目(約185㎏)ぐらいの材木は担げるほど力もついた」
この深川材木町には、
「世に隠れなき名筆」と言われた書の大家、三井親和が住んでいた。
この人が揮毫した力石の一つをお見せします。
墨田区の吾妻神社の力石です。この中に2個あります。

三井(深川)親和揮毫の力石 作図/伊東明教授


83×48×21㎝
「元木場材木町 金七擔之 正目五拾貫貮百目 深川親和書」
「擔之」は「これを担いだ」という意味です。
正目とは「正味」=正確に量った重さの意。
高島愼助教授によると、「切付(きりつけ)八掛け」という言葉があって、
力石の多くは、その石に刻まれた貫目の八掛けが、
正味の重量とされていたそうです。
つまり刻字(切付)された貫目の2割引きが実重量ということになります。
だから、「自分は刻字(切付)通りの重さを担ぎましたよ」と証明するために、
わざわざ「正目」と入れるわけです。
金七は元木場材木町の住人で、石も担いだ力持ちの石工です。
それにしても金七さん、
「五十貫貮百目」とはチト細かい。
<つづく>
※参考文献・画像提供/「続・職人衆 昔ばなし」斎藤隆介
文藝春秋 昭和43年
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