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「馬」のあれこれ③

力石
07 /11 2016
もう誰も通らなくなった峠道に、今も立ち続けている馬頭観音さん。

草に埋もれながら手を合わせ、来るあてもない旅人たちの安全を
一人ぼっちで祈っている、切ないけれど決して惨めなわけじゃない。

こちらは町に残った馬頭さんです。
摩耗していますが、消防分団の駐車場に保存されています。

野の仏も町の仏も祈りの心は同じです。

CIMG1115 (2)
静岡市

この馬頭さんの造立は天保年間。
北村、東村、羽高村と刻まれていますから、
元はこの3つの村境にあったものと思われます。

こちらは文字だけの馬頭観音(左)です。
右の石碑はこの先にある「平沢観音」への道しるべ
CIMG1304 (2)
静岡市

馬との暮らしが絶えて久しくなりましたが、
今もその痕跡がこうして存在しているのは、
いいことだなあと私は思うのです。

学校の行き帰りに子供たちはここを通ります。
全く関心を持たなくても、記憶のひだのどこかに刻まれるはずです。
その記憶が後年、必ず蘇えります。
私自身がそうでしたから。

長野県野辺山の「大馬頭冠像」
img088.jpg
画/酒井 正氏

人生の終盤に入り始めたころ、ふと馬頭観音さんが目に止まりました。
そのとき、まざまざと浮かんできた遠い記憶がありました。
「馬力屋のトメさん」です。

長い坂道を馬のひづめだけがカッカッと闇夜に響きます。

戸を開けると、馬がただ一人でまっすぐ登ってきました。
荷車の空の荷台には、
泥酔して前後不覚のトメさんが大の字に伸びています。
母が言いました。
「馬は利口だから、ああしてトメさんを家まで連れて帰るんだよ」

それから間もなく、
田舎でも車の所有が増えて、馬力運送業のトメさんは廃業
あのときの馬はどうなったのかはわかりません。

こちらは練馬区大泉学園町に残る
「力持ち惣兵衛さんの馬頭観音」です。
練馬区登録有形民俗文化財。
惣兵衛の力石
提供/高島愼助四日市大学教授

正面に「馬頭観世音」
両脇に「當知是處 即是道場」
 (まさにここ すなわちこれ どうじょうとしるべし)

「天保十一庚子天 九月日 加藤惣兵衛七十六秤目」

七十六秤目(はかりめ)」とあるので、力石であることがわかります。

実はこれ、惣兵衛さんが建てた馬の墓石なんです。
この石にはこんな話が伝わっています。

ある日、惣兵衛さんは武家屋敷の主人から、
「この大石を持ち上げられたら差しあげましょう」と言われて挑戦。
見事に担ぎあげます。

約束どうり石を貰い受け、愛馬の背中に乗せて家路を急ぎました。
ようやく家の近くまで来た時、
馬は石の重さに耐え切れず、そのまま押しつぶされて息絶えてしまいました。
惣兵衛さんは泣く泣く馬を葬り、この石を墓標にしたということです。

<ムチャしたものですねえ。

自分を押しつぶした石が墓石になって、自分を圧し続けるってのも
なんだかなあ。
それがまた文化財になったというのも、
お馬さんにとっては複雑な心境だろうなあ。

こちらは馬頭さんではありませんが、馬の絵が刻まれた珍しい力石です。

矢口馬の絵千葉
千葉県山武郡大網白里町(現・大網白里市)・矢口神社

躍動感あふれるお馬さんです。
この石に刻まれた「今井久吉」さんも、
トメさんのように、馬と関わって生きてきた人なのかもしれません。

秋風に馬の絵踊る力石  高島愼助

※参考資料・画像提供/「東京の力石」高島愼助 岩田書院 2003
           /「力石・ちからいし」高島愼助 岩田書院 2011
※画像提供/「郷土の石佛・写生行脚一期一会」酒井正 私家本 平成22年
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞