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史実と伝承のはざま

大づもり物語
04 /24 2016
ちょっと力石から離れて、
以前からたびたびご紹介してきた「芭蕉天神宮」についてのお話です。

この神社は旧芝川町(現・富士宮市)内房大晦日(おおづもり)の
住民2世帯という限界集落の山の中にあります。

普段は人っ子一人いない寂しいところですが、
年2回のお祭りには、近郷近在からの参拝客で賑わいます。

芭蕉天神の名前の由来となった芭蕉の木が背後に見えます。
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立派な狛犬さんも優しい目をした神馬さんもおります。
かつての繁栄が偲ばれます。
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この神社から車で10分ほどの山頂近くに、
これもよくご紹介してきた力石があります。これです。
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かつてここには広場と青年の集会所があって、
芝居をやったり力石を担いだりしてみんなで遊んだそうです。
昭和50年代まで力石の力比べをやっていたそうですから、
県内で一番遅くまで行われていた地域といえるかと思います。


そのころの方々はまだ70代で、
「これを担げなければ男じゃねえぞ」と言われたなど、
昨日のことのように話してくれました。

ここは本当に人里離れた山の中です。
不思議な空間なんです。
こういう場所は、私の最も居心地の良い好きな世界です。

だから、いろいろなことを想像してしまいました。

明治13年、
伊豆の名工・村上芳次郎時正(由緒書)により建立された本殿と彫刻。
絵馬も飾られています。
CIMG0514.jpg

私が何を想像したかというと、「よからぬ」ことなのです
「重箱の隅をつつく」ことになるかもしれません。

問題は神社由緒書や郷土史家などの本に記されたこの一行です。
「この地で亡くなった京都の公家・久我長通大納言を祀った神社」

この文言に最初は魅かれ、次には「あり得ない」に変わっていったからです。

由緒書には「久我大納言は1334年9月にここで亡くなった」とありますが、
この人が亡くなったのはそれから9年後のことで場所は京都

あきらかに史実と違うんですね。
実在の人物を実際の没年の9年も早く亡くなったことにしてしまうなんて、
大胆というかなんというか。
亡くなった場所も京都ではなくこの山中ってことにしたことも…。

さらに昭和59年、久我家の子孫の方がこの地を訪れ、先祖の長通公を偲び、
芭蕉天神の大祭で祭主を務めたそうで…。
これってどういうことだろうか? 史実とは違うと知りつつ務めたってこと?

そこでこの不思議な空間の旅に、
ちょっと出かけてみようと思い立ちました。


これから少しの間、
素人のつたない旅のつれづれを少しばかり綴ってまいります。
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞