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寥々の空 海の満々

由比の力石
02 /13 2016
薩埵峠への道は、松永宝蔵さんの望嶽亭から始まります。
枇杷やみかん畑を突き抜けると、突然の大海原。

海は地球の丸み通りに盛り上がり、視界いっぱいに広がっています。
左にうっすらと伊豆半島、右手に三保の松原
背後には富士の山。

絶好のロケーションです。

その大海原に飲み込まれつつ峠を越えると興津(おきつ)に至ります。

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旧東海道に立つ山梨県・身延への道標
ここ興津から身延までは十三里と刻まれています。

興津・清見寺(せいけんじ)の五百羅漢です。
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天明の飢饉で苦しむ民衆救済のために作られたとか。

♪らかんさんがそろたら、まわそじゃないか
ヨイヤサノヨイヤサ ヨイヤサノヨイヤサ


子供の頃、こんな歌を歌いながらみんなで輪になって遊びました。
今じゃ、こんな遊びをする子供はいませんよね。

清見寺は、
古代、北の蝦夷の侵入を防ぐ「関」とそれに付随したお堂から始まりました。
その清見ヶ関の礎石が今でも残されています。

万葉集田口益人のこんな歌が載っています。

廬原(いほはら)の清見(きよみ)の崎の三保の浦の
                    ゆたけき見つつ物思いもなし


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明治時代、東海道線の開通で分断されてしまった清見寺

天智朝のころ、
倭国・百済と唐・新羅が戦った「白村江の戦い」という戦争がありました。
当時この一帯を治めていたのが「廬原(いほはら)の君」。
天智天皇の命令で大船団を組んで朝鮮半島まで行ったもののボロ負け。

この寺の近くに「清見(きよみ)神社」があります。
寺は「せいけん」、神社は「きよみ」と読みます。

清見神社の力石です。
CIMG0162 (2)
60×35×27㎝

金文字で「力石」と刻みたり
        清見神社は夏草の中
   雨宮清子

室町時代、連歌師・宗長が塩湯の湯治に来た浜は、
今ではすっかり埋め立てられて工場や倉庫が立ち並んでいます。

林道から見た清見神社です。眼下に工場群と興津の海が見えます。
CIMG0208 (2)

百八十五段を登りつめ力石に会いにゆく
          振り向けば寥々の空海の満々 
  雨宮清子
  
※参考文献/「力石を詠む(六)」高島愼助・板羽千瑞子
     岩田書院 2012
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞