「ありました」
由比の力石
由比・東山寺の望月久代さんを知ったのは、6年前の秋でした。
郷土誌「結愛」の編集委員・望月良英氏に、
「由比に力石はありませんか?」とお尋ねしたところ、「久代さんなら」と。
それから間もなく、その久代さんから、
「ありました!」との連絡。
「薬師堂の土俵のところを掘ったら出てきました」
それがこちら。

静岡市清水区由比東山寺 東山神社・薬師堂
驚きました。あまりにもあっけない発見です。
しかも6個も。
「記憶していた人がいたんです」と久代さん。
「豊島由太郎さんという人が逆立ちで持って、薬師堂を一周したそうです。
ここには昔、青年の集会所があって娯楽の場所だったそうです」
力石持ち上げる如霜柱 望月久代
力石薬師の庭に揃い踏み 雨宮清子
力石六人衆の揃い踏み 高島愼助
薬師堂(舞楽殿)です。右に東山神社の鳥居が見えます。

東山神社は、東山寺(隆覚寺)の鎮守だったそうです。
久代さんによると、この神社は子授け、安産の神として尊崇され、
願い事をするときには、底なしの巾着を奉納し、
願いが叶ったら底を縫い合わせた巾着を奉納したそうです。
私が今まで知っていたのは、
願い事が叶う(通る)ように、
石に穴を開けて奉納する「穴あけ信仰」です。
このブログでも取り上げた「盃状穴」もその一つです。
下の写真は穴を開けたひしゃくを奉納して、
するりと子供が生まれるよう願掛けしたものです。

静岡市清水区三保・美穂神社
実は私、この「底を縫い合わせる」
というお礼の仕方を聞き、ハッとしました。
ひしゃくや穴あき石の奉納時期はいつか、願いが叶ったあとはどうしたのか、
これまで私は、曖昧なままにしてきました。
※穴を開けた石やひしゃくの奉納時期は、どうやらふた通りあるようです。
つまり願掛けの時と願いが叶った時と。
静岡県西部の子安地蔵尊では、子授けの願いが叶ったとき、
生まれた子が男の子なら鎌か鎌を描いた絵馬を、
女の子なら穴の開いたひしゃくをお礼に奉納したそうです。
静岡市内でも、あとから石に穴を開けてお礼をした例を聞いています。

静岡市葵区松野・阿弥陀堂の穴の開いた石
しかし元は、
東山神社のように底なしの巾着で願を掛け、叶ったら底を縫うというのが、
正しい作法だったのでは、と思います。
みなさまの土地の風習、ご教示いただければ幸いです。
なにはともあれ、子宝に恵まれたときや子供が無事生まれたとき、
女たちは、ひと針ひと針に喜びと感謝をこめて縫い合わせたんでしょうね。
なんとも奥ゆかしい。
昨今は、謙虚さや公僕意識がまるでない政治家が増えて、
「国民から税金を吸い上げる」と公言してはばからない人まで現れた。
「うそ」と「金まみれ」の世の中って、人の心をささくれさせ、汚します。
もともと日本人ってそうじゃなかった。「巾着の底を縫い合わせて感謝する」、
そんな優しさや慎ましさ、心の豊かさを持つ人種だったはずなのに…。
昨年秋、久々に薬師堂を訪れました。
久代さんの案内で境内を歩いていたとき、一人の男性がやってきました。

東山神社本殿 「東山寺の歴史」より
「ごくろさまです」と久代さん。
「あの人は神社にお灯明をあげにきたんですよ」
「え? お灯明を?」
「はい。365日毎日、全世帯で当番でやってます」
和銅年間(708~715)建立と伝えられる東山寺です。
その鎮守の神へ、1000年以上脈々と続けてきた
気の遠くなるような献灯です。
これは坂の途中に残る東山寺の山門の礎石。

「東山寺の歴史」より
かつては七堂伽藍を備えた威風堂々の大寺だったといわれる東山寺。
今は薬師堂と神社を残すのみとなりましたが、それを守る人たちの、
なんて尊い姿なんでしょう。
<つづく>
郷土誌「結愛」の編集委員・望月良英氏に、
「由比に力石はありませんか?」とお尋ねしたところ、「久代さんなら」と。
それから間もなく、その久代さんから、
「ありました!」との連絡。
「薬師堂の土俵のところを掘ったら出てきました」
それがこちら。

静岡市清水区由比東山寺 東山神社・薬師堂
驚きました。あまりにもあっけない発見です。
しかも6個も。
「記憶していた人がいたんです」と久代さん。
「豊島由太郎さんという人が逆立ちで持って、薬師堂を一周したそうです。
ここには昔、青年の集会所があって娯楽の場所だったそうです」
力石持ち上げる如霜柱 望月久代
力石薬師の庭に揃い踏み 雨宮清子
力石六人衆の揃い踏み 高島愼助
薬師堂(舞楽殿)です。右に東山神社の鳥居が見えます。

東山神社は、東山寺(隆覚寺)の鎮守だったそうです。
久代さんによると、この神社は子授け、安産の神として尊崇され、
願い事をするときには、底なしの巾着を奉納し、
願いが叶ったら底を縫い合わせた巾着を奉納したそうです。
私が今まで知っていたのは、
願い事が叶う(通る)ように、
石に穴を開けて奉納する「穴あけ信仰」です。
このブログでも取り上げた「盃状穴」もその一つです。
下の写真は穴を開けたひしゃくを奉納して、
するりと子供が生まれるよう願掛けしたものです。

静岡市清水区三保・美穂神社
実は私、この「底を縫い合わせる」
というお礼の仕方を聞き、ハッとしました。
ひしゃくや穴あき石の奉納時期はいつか、願いが叶ったあとはどうしたのか、
これまで私は、曖昧なままにしてきました。
※穴を開けた石やひしゃくの奉納時期は、どうやらふた通りあるようです。
つまり願掛けの時と願いが叶った時と。
静岡県西部の子安地蔵尊では、子授けの願いが叶ったとき、
生まれた子が男の子なら鎌か鎌を描いた絵馬を、
女の子なら穴の開いたひしゃくをお礼に奉納したそうです。
静岡市内でも、あとから石に穴を開けてお礼をした例を聞いています。

静岡市葵区松野・阿弥陀堂の穴の開いた石
しかし元は、
東山神社のように底なしの巾着で願を掛け、叶ったら底を縫うというのが、
正しい作法だったのでは、と思います。
みなさまの土地の風習、ご教示いただければ幸いです。
なにはともあれ、子宝に恵まれたときや子供が無事生まれたとき、
女たちは、ひと針ひと針に喜びと感謝をこめて縫い合わせたんでしょうね。
なんとも奥ゆかしい。
昨今は、謙虚さや公僕意識がまるでない政治家が増えて、
「国民から税金を吸い上げる」と公言してはばからない人まで現れた。
「うそ」と「金まみれ」の世の中って、人の心をささくれさせ、汚します。
もともと日本人ってそうじゃなかった。「巾着の底を縫い合わせて感謝する」、
そんな優しさや慎ましさ、心の豊かさを持つ人種だったはずなのに…。
昨年秋、久々に薬師堂を訪れました。
久代さんの案内で境内を歩いていたとき、一人の男性がやってきました。

東山神社本殿 「東山寺の歴史」より
「ごくろさまです」と久代さん。
「あの人は神社にお灯明をあげにきたんですよ」
「え? お灯明を?」
「はい。365日毎日、全世帯で当番でやってます」
和銅年間(708~715)建立と伝えられる東山寺です。
その鎮守の神へ、1000年以上脈々と続けてきた
気の遠くなるような献灯です。
これは坂の途中に残る東山寺の山門の礎石。

「東山寺の歴史」より
かつては七堂伽藍を備えた威風堂々の大寺だったといわれる東山寺。
今は薬師堂と神社を残すのみとなりましたが、それを守る人たちの、
なんて尊い姿なんでしょう。
<つづく>
スポンサーサイト